アルコール度数の高い洋酒が俺の頭を殴りつける。芯まで届く鈍痛に呻き声が口から漏れた。雑然とした座卓の上に目がいく。食べ残した肴が皿から飛び出していた。灰皿の吸い殻の山が燃えているかのように揺らめく。悩ましい動きに酔いそうになる。
「酔ってるって……」
 頬の盛り上がりを感じた。自嘲の嗤いを浮かべる中、俺は前に引っ張られ、座卓に突っ伏した。派手な音はくぐもって深い水底で聞いた。
 底であったが冷たくはなかった。静謐でいて心なしか温かい。意識が緩やかに溶けてゆく。

 太陽が頭頂部をじりじりと焼く。俺のシャツはぐっしょりと濡れていた。両手に提げた紙袋が滑りそうになって引き上げる。先頭を早足で歩く理乃に離されまいと上体を傾けた。
「あそこに寄るから」
 理乃が指差した先はパン屋であった。物欲の次は食欲を満たそうというのか。小柄な悪魔に俺は呆れた顔を見せた。
「俺の財布が重体だ」
「じゃあ、親友のカードさんの出番だね」
 スカートの裾をふわりと広げて振り返る。細めた目は愛らしいが狐のようにも思えた。半ば化かされた気分で言い返す。
「誕生日プレゼントがこんなに多いとは聞いてないぞ」
「予約していたレストランをキャンセルするなんて聞いてなかったぞ」
 腰に両手を当てて渋い表情を作る。俺は項垂れたような姿となった。
「昨日は悪かった。急な仕事が入って。だからというわけではないが、そうだな。今日はとことん」
 言葉が途切れた。顔を上げた俺が見たのは理乃の笑顔だった。

 何かを感じる。日常に根差した音が水底で横たわる俺に降り注ぐ。揺り動かす力はないが鬱陶しい。手を振って阻もうとしたが無駄だった。指の合間をするりと抜ける。
 俺は立ち上がった。怒りに任せて跳び上がる。音の只中に突っ込んでいった。
 生温かいアルコールの臭いがした。自分の息と知って座卓から頬を引き剥がす。体中に痛みを感じた。全ての関節に砂が挟まっている感覚を味わった。
 目が霞んでいる。油絵のような部屋に動く人物を見つけた。ミレーの落穂拾いのような女の姿に思わず声が出た。
「理乃なのか!?」
 声を受けて女が振り返る。黒目勝ちの垂れ目は狐に見えなかった。ぼんやりとした頭に浮かんだのは狸であった。
「ごめん、起こしちゃったかな」
 スーツを着た女、村井が手箒と塵取りを持った姿で笑い掛ける。
「村井のせいじゃない」
「それなら、良かった」
「なんでここにいる?」
 俺は苛立っていた。感情を抑えようとは思わない。安穏とした狸に無性に腹が立った。
「鍵が掛かってなかったから」
「施錠しないと村井は無断で部屋に上がり込むのか」
「だ、だって会社の同僚だし。ほら、これを見てよ」
 手箒で座卓の一部を示す。俺の肘に押しやられた小さな紙に目がいく。
「鍵が掛かっていなかったので心配になりました。部屋の掃除をして帰ります。同僚の村井でした」
 書かれた内容をわざと読み上げた。村井は照れ笑いで聞いていた。その表情が俺の神経を逆撫でして余計な一歩を踏み出させる。
「村井の同僚じゃない。俺は会社をクビになった」
「で、でも、この間まではプロジェクトで一緒だったし、心配にはなるよ」
「……俺は心配されるようなヤツじゃない。無断欠勤でクビになったんだ。挙げ句に飲んだくれて、このザマだ!」
 村井の手で部屋は小奇麗になっていた。隅の方には膨らんだビニール袋が置いてある。側には空になった洋酒の瓶が身を寄せ合っていた。
「理由が、あるから。わかっているから……」
 村井は泣き出した。俺の代わりに大粒の涙を零している。
「なんでおまえが泣くんだよ。泣きたいのは、俺の方だ。理乃が……交通事故で、亡くなるなんて、誰が思う、かよ……」
 声が震えた。辛うじて踏み止まっていた。目の縁に熱いものを感じる。少しの揺れで溢れ出しそうだ。
「泣けば、いいじゃない!」
 俺の体が揺さぶられた。村井が泣きながらぶつかってきた。
「や、やめろ」
 強く抱き締められて声が上ずる。寄せてきた頬が温かい。涙でしっとりと濡れていた。
 水底を全身で感じた直後に決壊した。いい大人の俺が声を上げて泣いた。張り合うように村井が泣きじゃくる。

 狐の次は狸に俺は化かされようとしていた。