五月晴れで涼しい日曜日、書斎のテレビをつけるとコンゴで活躍する女医の活動が特集されていた。なんとなく彼女を見つめていると昔の事を思い出した。私は引き出しを開けてアルバムを開いた。
 その中のたった一枚しかない写真。忘れられない。チョコレート色に黒光りする肌。一点の曇りもない大きな目。私と彼女とは呪いの大地で出会った。
 4,5歳のその少女は上目使いにじっと私を見上げると、一歩、二歩と後ずさった後、逃げるように走り去った。しかし数分後再び現れた。少女私の前で膝をつき、あわせていた両手をそっと開いた。日本の国旗のシールだった。私の胸の国旗に
視線をやると、再び私の目を見た。「神様なんですよね」「えっと」「またあの時みたいに助けに来てくれたの?」私は答えに窮し、苦笑いで言った。「僕は神様じゃないよ、でも神様の命令で来たんだよ」
 少女は立ち上がって走り出した。「神様がきたよー!」私は苦笑いしながら再びリヤカーを引き始めた。この隠れ里の噂を聞いたのは1週間前だった。「そこに家族を残してきた。病気や怪我でもう長くは持たない、彼らを救ってくれ」こんな旅はMSF事務局が
賛成するはずが無かった。私は軍に賄賂を渡しこっそりと装甲車に乗り込んで紛争地帯の手前まで送ってもらった。この内戦は資源を巡る経済戦争だ。そしてそれを支えているのは我々の贅沢な生活だ。必ずしも必要不可欠ではない家電や
自動車を買うとこの国の人間が死ぬシステムになっている。少女はカジャ・マムーと名乗った。リンガラ語でカジャは大いなる恵み、マムーは大地の神だ。大地の神は何故、地下資源という本来恵みであるものを絶望として与えたのだろう。

 森の中に住む十数人を治療し始めて3日、大半の者は回復に向かった。時期を見てキャンプへ連れ帰ろう。そんな事を考えながら一安心した矢先だった。森の奥へ行っていたカジャが走って帰ってきた。
「兵隊がいる!」この辺にいるのは兵隊などではない。軍装した略奪者だ。私は焦ったが苦肉の策として、歩けるものに逃げるように指示し動けない者3名と残った。いちかばちかの神頼みだったが、振り向くと傍らに
逃げたはずのカジャがいる。私は焦った。「何をしている、逃げないか」「神様は、何度も奇跡を起こしたわ、今度も大丈夫だよね?」「奇跡じゃないよ、医療だよ」すると茂みの方から声が近づいてきた。祈りは届かなかったようだ。
 ガシャリと音がして私はそちらを見た。「ここで何をしている」ライフルを構えている数人の男がこちらを睨んでいる。私はにっこりと微笑んで白衣をめくり国旗と赤十字を見せた。「医者ですよ、ごらんの通り病傷人を治療してます」
「医者だと?」男は銃を下ろすと私をじっと見て何か思いを巡らせているようだった。

 私とカジャは男達のアジトに連れてこられ、部屋に通された。ベッドには女性が寝ており、その顔は発疹に覆われていた。「娘だ」ようやく意図がわかった。私は跪いて娘の胸元を開いた。発疹は全身に及び、ただれている箇所もある。アレルギーだ。
 しかし何のアレルギーかはわからない。「いつからですか?」「先月からだ」ふと見ると、娘がしているピアスは私でも知っている有名ブランドのものだ。私ははっとする。「あなたたちは外国人も襲うのですか?」
「金を持ってりゃ関係ねぇ、1ヶ月ほど前にもやったよ」私はふうと息をついて立ち上がり、男に向かった。「これは病気じゃありませんね」「じゃあなんだ」「神の怒りです、あなたの所業に対する」男は絶句している。そしてやっとの事で言葉を搾り出す。
「じゃあ治療法はねぇってのか」「治療はできませんが、解決法ならあります」「どうすればいい」「彼女の身代として身につけているものを私が神に捧げて怒りを鎮めます」考え込んでから言った。「やってみろ、できなかったら殺す」

 私は男達が首を傾げながら見守る中、地面に正座をして神主のように木の棒を振り回し、祭祀のような声を出す。そしてピアスを大地の神に捧げた。娘の症状はみるみる回復した。金属アレルギーだったのだ。この賭けが成功した事でリーダー格の
態度が変わった。私とカジャには食事が振舞われ、大切に扱われた。「私信じてたよ、神様なんだから大丈夫だって」そう笑うカジャにもう何も否定せずに笑って見せた。いつか本当にこの国に神が降臨してこんな不毛な争いが無くなればいいのに。

 そんな事を思い出しながら、画面の中の女医を見つめた。レポーターが机の上にある写真立てに注目した。「これはなんですか?」彼女は穏やかに笑う。「神のお守りです」画面に日本の国旗が映った。何かの冗談だと思ったレポーターも笑う。
「カジャ・ハミルトン先生でした」
 あまりの事に私は口をあけたが、笑いがこみ上げてきた。「あの国にもようやく神が降臨しはじめたのかな」