「命を賭けて仲間を守る」。その究極の姿が特攻=自殺攻撃であるのなら、その概念は世界共通のものだ。そこに感じられるヒロイズムも同様だ。
20世紀前半の日本人も、そして現代のテロリストたちも、それぞれのヒロイズムに駆られ、自殺攻撃を正当化し、またそれに共感する。
「特攻の精神性」は、誰もが理解できるものなのだと思う。

いっぽう特攻=自殺攻撃には、人命をモノとして扱う、ヒロイズムとは対極の醜さ、おぞましさがある。
絶望の中のヒロイズムに駆られて志願した人々を精神的にコントロールし、裏からその命で何が得られるかを計算する人々が、戦争中の日本軍上層部にも、現代のテロ組織にもいた。
その構造自体もまた、理解できるものなのだ。