布団の中でうつ伏せの状態で目を覚ました時、頭の痛みがやかましいと伊佐希(いさのぞみ)は思った。
目覚まし時計は9時で止まっている。
スマホを見ると15時を回っていて、希はため息を吐いた。大事な講義を逃してしまった。進級が危ういのに。自暴自棄的な気だるさを覚えつつ、
居酒屋のバイトまで時間があるので、もう少し寝ようとして、頭の奥に痛みを覚える。鼓動に合せて鐘がなるような、痛み。
こめかみに手をやると鋭い痛みを覚え、乾いた血の感触から、皮膚が切れているのが分かった。
「あの野郎」呪うような低い声で希が言った対象の『野郎』は泉。パンクバンド『好奇心は狐を殺す(KKK)』のボーカルだ。
緑のモヒカン頭をシェイクしながら歌うざらついた声には独特の伸びがあり、その界隈ではカルト的な人気を誇るが、なんせ泉の素行が悪い。
中学の頃に所属していた暴走族との関係も切れておらず、そのためメジャー各社も二の足を踏んでいるという状態。だがいずれはメジャーデビューを果たし、
音楽番組で歌うのだろうと、希は思っていた。その時のマイクパフォーマンスを楽しみにしていた彼女だったが、ベッドに肘をついて半身を起こて乳房を午後の陽にさらしつつ、
何となしに人の声が聞きたくてテレビのリモコンを押した直後、瞠目した。
フラッシュの中で連行される泉のひょろ長い背、緑に染めたモヒカンが映っていたからだ。罪状は強盗強姦殺人。泉を筆頭とした暴走族の一団が
有原雄一(54)、その妻、有原幸子(44)、娘、有原香澄(20)の一家を襲い惨殺。幸子と香澄からは体液が検出された。
希が驚いた事には、香澄が同じ学部の学生で、しかも何度か席が隣になり、ノートもコピーをさせて貰ったことがあるという。
「あの子を、あいつがやっちゃうかあ」希はベッドにあぐらをかいて、天井を見上げた。再生されるのは昨夜の泉だ。酒に酔っていた。大麻も決めていたと希は思う。
お前もやれよと言われて、実家に臭いでばれるからやだ、勝手にあたしのアパートに大麻なんか持ち込まないでよと、細長い眉をひそめて言ったら、ビール瓶でこめかみを割られて、
そこからセックスタイムに入って、大麻の代わりに度数の高い酒を口移しで流し込まれて、最悪に嫌な事はしないこいつは優しいけどちゃんとゴムつけろよなと
思った所まで、彼女は覚えている。その後は酒で記憶が飛んだのだろう。希はどれだけ頑張っても思い出せない。
代わりに蘇るのは香澄の横顔だ。
ナチュラルメイクが全く映えない地味な顔立ちだが、白菊のような気品のある顔立ちだった。伏し目がちな女の子で睫毛が長く濃かった。

希が講義で借りたノートの最終ページに自作の詩をしたためたりしていて、確認した希はシニカルな笑いが出たものだ。
しかもその詩はかなり夢見る乙女をこじらせたもので、希は香澄にノートを返す時、笑いを堪えるのに苦心したものだ。

「何だったっけ……あの詩」希は目を閉じ、記憶を掘り起こす。

「別れるなら春がいいね」とあなたは言った。
「裂かれるなら夜がいいね」とわたしは言った。
つがいの獣が片割れをなくすのはいつも夜。
月が命をさらうから。
「春なんか来ないで欲しい」とわたしは言った。
「君と裂かれる位なら僕は世界から春を裂くよ」
 とあなたは言った。

下らない詩だ。かなりこじらせてる。でも……。希が香澄の詩を見た夜、彼女は泉に笑いながら、おどけた調子でそれを暗唱した。
その日は泉も機嫌が良く、希は居酒屋バイトの給料日で、一緒に焼肉を食べに行ってビールジョッキを二杯空にして程良く酔っ払ってホテルでシャワーも浴びずに
お互いをむさぼりあって、2人で一眠りして、それから起きた希が浴槽に湯を張って、泉を起こして先に浸かってもらい、膝に乗る形で希も入って背を
彼の胸板に預けて腕をとり、乳房を横から触れさせてウケるんだよウケるんだよマジでマジでと笑いながら、諳んじた時……。
泉は珍しく真顔になって『俺、それシャウトしたいな』と言ったのだ。

……希は目を開き「あいつじゃない。やってない」と呟いた。泉は香澄を殺してはいない。誰を襲っても詩を愛する女を殺したりはしない。
という事は泉は嵌められているという事だ。それをしたのが誰なのか、希は分からない。が、彼女は調べようと思って、小さくくしゃみをした。
裸で考え事をし過ぎて肩が冷えたのだ。まず、服を着ようと希は思った。