森教授。「別れるなら春がいいね」とあなたは言った。陳腐な言葉だ。「蟹を食べに行くなら北陸がいいね」位にどうでも良い。
が、教授。全くあなたは……人を馬鹿にするにも程がある。そんな事を言っていたあなたが、何故秋に自殺をするんですか。
(この世と)別れるなら春がいいね、と静かに覚悟を決めていたのではないのですか。いくら癌が進んでいたからといって、
車椅子の奥さんの介護を僕に押し付けて自殺とか、無責任過ぎませんか?

……と、心の中で呪詛を喚きながら、僕はタクシーを降りてトランクに回り、車椅子を取り出した。
後部のドアは開いて、森教授の未亡人である秋江さん(65)の顔が覗く。視線は秋の雨に湿って変色した落ち葉に落ちている。不安が窺われる顔色だ。
僕は運転手に手伝って貰って、秋江さんの体を車椅子にずらした。
ほっそりとした顔の人だがおなか周りの肉付の良さのために体重があり、気を抜くと腰をやられそうだ。ギックリ腰には気をつけなければならない。
が、この状態も春までだ。春になれば僕はプリンストン大学院への留学する。手続きは全て済んでいるし、卒業に必要な単位は前期に全て取ってしまった。
全ての報告のために森教授の部屋を訪れた僕に、彼はおめでとうと言ってくれた。
「自分も今月で退官だよ」とも。まだ66歳の教授だが、持病が悪化して車椅子になった奥さんの介護のために退官をするという。
療養のために空気の良い長野の別荘で過ごすが、長年頼っていたお手伝いさんも調子を崩してしまい、次の人が見つかるまでのつなぎとして、
春まで教授の別荘でアルバイトをしないかと笑顔で言ってきたのだ。僕はその笑顔に騙されて了解してしまった。
まあ、春の渡米まで暇だったし、何より長野の別荘には教授の書庫があると聞いていた。お手伝いをしながら覗かせて貰うのも良い。
思いをはせる僕の前で、教授は目じりの皺を深くして笑った。それから「別れるなら春がいいね」と言ったのだった。

その秋口に彼は自殺。お手伝いさんはまだ見つかっていなかった。そんな状態で遺された秋江さんを見捨てる訳にもいかず、僕は彼女と共に長野に来た。
長野に来るのが彼女の希望でもあった。
別荘は軽井沢の綺麗な小川のほとりにあった。高級感溢れる土地だが、駅前の商店街は寂れている感じがした。避暑シーズンが終わっていたのも原因かも。
が、どれだけ寂れても軽井沢は貧乏学生の僕には別世界だった。

秋江さんとの生活が開始するにあたって訪れた商店街で、僕は花屋さんの入り口傍のガラスの奥で
作業をする綺麗な女性店員さんに目が釘付けになった。
ふとした弾みで視線が交差。僕はとんでもなく照れて、はにかみながら店に入って、これを下さいと、カランコエという多肉植物の鉢植えを購入。
ついでに育て方について色々聴こうという打算が下半身から生まれたが、奥から旦那さんらしき男性の声が彼女の下の名前を呼んだので、ちょっとがっかりした。

持ち帰ったカランコエを、秋江さんは喜んだ。鉢植えを手にとって色々な角度から眺める彼女の姿はほほえましかった。
カランコエ自体は秋口に蕾をつけ、程なくして花開いた。この時にはすっかり秋江さんの介護に慣れていた僕は、簡単なご飯を作り、毎日お風呂に入れてあげて、服薬の補助に加えて排泄も手伝う。
僕はこの業務に厳粛な気持ちで臨んだ。その他の時間は書庫に収められた原書を漁る。これが一番楽しい。こういう時、秋江さんは僕を呼ばず、編み物をしていた。
薪暖炉の炎で暖められた空間を常に満たす音楽はヴィヴァルディの冬。それは教授の古いレコードから流れ、時々傷によって音が途切れ、そういう時に限って、秋江さんは
持病の疼痛にうめいた。

そして雪深い2月の朝。秋江さんが声を挙げた。カランコエの鉢におまけでついてきた蝶の卵がさなぎを作った果てに、羽化をしたのだ。
それは変哲のない白い蝶だった。弱弱しく羽根を広げる蝶に、水を入れた皿をともしながら、僕は不器用な虫だと思った。

冬に生まれた蝶。秋江さんのために温かく保たれた室内だからこその羽化。でもそれは早すぎる。今羽化しても、長くは生きられないだろう。

……けれど。秋江さんの横顔をちらりと見た僕は、できるだけ生かしてあげようと思った。秋江さんが涙ぐんでいたからだ。彼女は僕よりも先に卵に気づき、
毛虫から蛹になるのを見守り、羽化をまっていた。そんな彼女のためにも、もしこの蝶が僕がここを去る日までに生きていたら、
白樺の木立の向こうの花畑によって、放してあげようと思ったりした。

それが僕と秋江さんとの、そしてこの蝶との、理想的な別れだと思ったからだ。
そう。別れるなら春がいい。僕は故人である森教授の言葉に同意をした。