>>388
前スレ94の前日譚です

使用お題→『水飴』『小川』『空色』『とげ』『エルフ』

【私の従者】

 隣国と我が国との間に位置する危険地帯、通称『魔の森』。
 私は一人、さまよっていた。追っ手の襲撃から逃れる際、仲間とはぐれてしまったのだ。
 茨の茂みを突っ切って、倒木の下をくぐり抜け、足元の見えない下草の斜面を駆け上がった。傾斜が途切れて、私は立ち止まった。見回すと、周囲には誰もいなかった。
 しばらく待っても、誰も現れなかった。私は一人で進むことにした。道も分からぬまま。
 さっき仲間と言った。なんてことはない、若くて頼りない従者が一人だけ。高貴なる姫の一行にしては、なんとも貧相だ。
 その頼りない男でも、いないとなると心細いものだ。それに、荷物の半分以上は彼が持っている。実際のところ、合流できなければ、この迷宮を突破することは難しい。
 疲れのせいか、絶望的な状況のためか、私は段々と投げやりな気持ちになって、ずんずんと進むつもりで、ふらふらと歩いた。
 小川があった。
 一段低くなって、木々の間に隠れていた。せせらぎが聞こえる。森の中は見通しが悪い。ほとりまで下りるのは危険なように思われた。
 私は小川に沿って進むことにした。地図には大きな川の位置も書き込まれている。下流を目指せば、どこかしらに出るはずだ。
 警戒はしていたつもりだった。何が出てもおかしくない。だが、注意して進んだつもりでも、やはり私には何も見えていなかった。
 対岸が広場のようになっている場所があった。その反対側、つまり私が歩いてきた方、その雑草の中に、男……だったであろう、塊が転がっていた。
 空色、だった。私の従者の瞳の色だ。エルフには珍しくない色だが、彼のそれは、しばしば不安気に揺れながらも、同時に誠実さを感じさせるものだった。
 その瞳の色を思わせるような、半透明の、水飴(みずあめ)のような物体。
 スライムだ。
 空色のスライムが、私の従者の死体に取り付いて、それを消化していた。まだ死んでから大して時間も経っていないだろうに、もはや元の姿が分からない。
 隣に置かれている荷物と、彼が身に着けていた武器や装身具。それらが遺体の身元を示していた。
 周りをよく見ると、川の方から赤黒いものが続いていた。恐らく、川の中か対岸、またはその奥で負傷した。その時の傷が致命傷となり、ここまで逃げ延びたものの、亡くなった。
 スライムは、生きているものは襲わないという。だから、たまたまだ。彼が力尽きてから通り掛かり、ひょっとしたら何日も食べていなかったかも知れない、ごちそうだ。
 それでも、私は恨めしい。死に顔くらい見てやりたかった。こいつを殺せば、少しは彼の無念を晴らせるだろうか。
 そう思って、腰の短剣に手をやろうとした時。

『あんた……姫……?』

 頭の中に声が響いた。

『……気を付けろ、対岸だ!』

 何かが動いた。とっさに身を翻すと、たった今まで私がいた所に、矢が突き刺さっていた。
 追っ手が姿を現した。言うまでもないが、全員エルフだ。林の中から何人かが出てきて、対岸の広場へと歩を進める。この距離では逃げ切れない。

『あいつら……』

 私は覚悟を決めたが、次の瞬間には、予想もしていなかったことが起きた。
 巨大な刺(とげ)。
 広場の地面から何本もの刺が突き出して、彼らを串刺しにしていた。

『あんたの従者……だな。こいつもあれにやられたんだ』

 私は混乱する思考で、それでも、この機を逃しては、この機会を手放してはいけないと、そう悟った。

『俺を連れてけ。道案内してやる』

 そう主張するスライムを、スライムだ、こいつがしゃべっているのだ、私は抱え上げて。落ちていた荷物も、持てそうなものは持って。

『大丈夫かよ。俺が持ってやれればなぁ』

 私はその場を逃げ出した。
 脳裏に浮かぶ光景があった。王宮の壁や天井に描かれた、物語の英雄。
 その透き通った、空色が。