言葉づかいは丁寧なものでしたが、敵対心をまとめ上げて更に争わせようとする、長文による書き込みが少々。裁判で戦ってでもいるような表現でした。
私が何もかも熟知しているかのように「先生サイド」ともありましたね、前は「同一人物」みたいにされてました、書きようで論理的に見せかけていますが
それで何を目指しているかと言えば、しようのないものです。
今は私刑裁判の勝った負けたでなく、現状についての方が大事ですので、質問させて頂きます。
らんたさん、震災後の被災者の状況に対する怒りが動機で日本国に対しての批判を書いている、という動機は理解出来ます。
しかし、いつもなろう作品を批判するような場合、何故ああいった書き方、そして向こう側が主張するような感想への返答の仕方になるのか、その辺りも説明をお願いします。
なろう作品自体は国の被災地への政策とはかなり遠くにあるものです、本来の問題意識からは厳しい批判をぶつける対象になりにくいと思われますし、被災者の現状改善に繋がるとも思えません。
そうであれば、ここでの表現活動で人間関係というものを先に考慮した方が良いとは?
「感想を書いても消される」という怒りがよく書き込まれていますが、私は消された内容の感想というものを読んだ事がありませんので、そこに非があったかどうかは分かりません。
それに、他人の書いた作品内容を攻撃するために無断でよそに公開した、ともあるのを見ましたが、そういった行為に覚えがあれば、理由を教えて下さい。
正当でない手段というものは、「論争」のやり方として認められません、卑怯さは最終的には不信用に終わります。決して用いない事が肝心ですので、その辺りは要注意ですね。
意見として正しいか、という以前に、支持者より多く排斥しようとする集団が発生しているのは、物事を訴える方法としての失敗です、受け手に合わせた表現で語りかけないと、
小説であれ政治に関してのエッセイであれ、受け入れられません、敵対的な対応もやるべきではない。最終的にどのような状態に行きつこうと思っているのですか?
憎まれるだけ憎まれて終わり、というのが目標だとは思えません、まだまだ人生には先があります、しつこくあなたを追っている集団も人生を無駄にしていますし、それは国としてマイナスにしかなっていない。
我慢のならない現状に対して拙速に立ち向かおうとせず、収支計算でプラスになる戦略を立てて下さい、これ以上は周囲と戦うべきでない。
その上で、現状に対してどうなさるかを知りたい。
それだけの意思の強さがあって、何も得る所が無いというのは、損失が大き過ぎます。
作文太郎  [ 2020/08/23 23:13 ]