語源が何かというよりも
対象と想定する読者に対し「異世界感」を維持できるか否かが本質でしょ

ヤード・ポンド法は身体尺だから異世界にあってもそれほど違和感がないが
同じ身体尺でも尺貫法は和風が強すぎる。
”サンドイッチ”のように語源が周知だが適当な言い換えがないものもある。
時間・時刻表現のように存在そのものが疑問になるものもある。

安易なネーミングは避けるべきという事に異論はないが
そこに拘るのは本末転倒。
>905が例に挙げたグンサーガにしても”ネーミング”を批判したのは少数だろ。