別角度からいく

 私はいつ生まれ、いつからここにいるのかははたと記憶にない。少し高いこの山の上で、谷間いのわずかな平地に暮らす人々を見守っていた。
 いつの頃からか、人々は私に手を合わせ、様々な物を置いていくようになった。目の前になにやら小さな小屋が建ち、酒などを振舞われるようになった。
 ちょっと小屋の中に入ってみると、これが事のほか居心地がよかった。私は大半の時間を小屋の中で過ごすようになり、やがて住み着いた。人々が何故私に手を合わせるのか
はわからなかったが、私は人が手を合わせる度に、次第に力を強めるようだった。雨よ降れと願えば雨が降り、日よ照れと願えば日が照った。年に一度、私は輿に乗せられ、外へと連れ出された。
 唯一の広い往来には人々の笑顔。みな生き生きとしていた。
 しかし人は足早に時を駆け抜ける。みるみるうちに大きくなり、そして幼子を連れてきた。その幼子もみるみるうちに成長してまた、幼子を連れてくるのだった。
 その人々はやがて皺だらけになり、腰が曲がってくる。これはお知らせなのだ。もうすぐ来なくなるよというお別れの合図なのだ。あまり見た事のない着物を人々が着るようにな
ったのはいつ頃からだったろうか。鉄の荷車が往来しはじめ、何か人の様子も妙だった。私の所に来る人は少なくなり、私は次第に力を弱めた。荒れた畑が目立つようになり、やがてこの山奥の村からは
人の気配がなくなった。少し前の事、天変地異なのか、遠くの町に火の雨が降り、赤々と燃える時、災難を逃れてきた人でひとときは賑わった事もあったのだが…。もうどのくらい人が来ていないのだろう。
 はてさて、最後に来た人間はどんな顔をしていたのか。つい最近の事のように思うのだが。今ではなにやら魂が朦朧としている気がする。ふわふわと空気と混ざり合うような。
 そう、私は煙のように消えてしまうのかもしれない。眠い。こんなに眠いと思ったのは初めてかもしれない。先日、小屋が崩れた。私は千年ぶりに元の場所に戻り、最後の時を迎えようと
しているのだ。
 
 私は夢を見た。私の足元で小僧が泣いている。
 これ小僧、なにゆえ泣いておる。話しかけた私に驚いて、顔を上げた小僧を見て私も驚いた。数百年ぶりに私の声を聞く者が現れたからだ。魂をよく観察してみると、なるほど
私の言葉を聞いて村の者に伝えておった娘にそっくりだ。聞けば自分の兄に苛められているという。まったく人間とは困ったものだ。同じ血族でありながらどうして仲良くできないものか。
 力を使って安易に助けるのはよろしくない。
 しかし私が歩いていって兄に道理を説く事もできない。私は小僧に助力した。助力と言っても神通力といった類の物ではない。風邪を引いた時に煎じて飲ませる妙薬程度。ほんの少し魂に手を
添えてやるのだ。前を向いて歩いていけるように。困難に立ち向かう勇気を自分の中に見つけられるように。綺麗な魂の持ち主だった。