★実は保守な文化人って?★
最近の流行は左より保守。
若いおねーさんも左翼嫌い。
実は保守だったりする物書きっていそうだけど
だれかいる? 宮崎哲っちゃんはもう「保守」を標榜していないのかな
昔「バカ右翼雑誌」と言ってた正論に今コラム連載してるはず 最近は殊更に自分が保守であることを標榜していないね。
「真の」保守になったということだろう。 宮崎「俺は保守派じゃない! コミュニタリアンだ!!」
って比較的早い時期から言ってたじゃん。
かつて保守派を自称したことあるの? 最初の著書や夫婦別姓反対の頃はそんな感じだった
真の保守とは近代にナンタラしてどうとか〜みたいな文章も書いてたし
後にラディカル・ブッディストとか自己規定したけど 「真の保守」なんていうありもしない定義をいったんでっち上げてしまえば
あとはその対義語としての「エセ保守」っていうカード(レッテル)を自在に使えるようになる。
安倍晋三はエセ保守である、石原慎太郎はエセ保守である、とかね。
最近のリベラル派はこういう高等戦術をよく使うんだな。昔の文化人はこういうレトリックは使わなかったと思う。 保守思想は元々仏革命に対する「反動」として、反近代として出て来た
だから近代国家を無条件に信奉し奉るような一般的なイメージの「保守」は真の保守に非ず
宮崎の発言はそういう文脈に則ったものだったから
ありもしないとかデッチ上げとかは違うのではないかと思う 「実は」という感じは佐高信とかかな。
保守的と云うか薄っぺらい感じがする。
後は椎名誠とか斎藤美奈子とかかな?
>>211
「真のマルクス主義」とか「真の社会主義」とかそんなの一杯あったろ
>>212
>保守思想は元々仏革命に対する「反動」として、反近代として出て来た
これがまずおかしい
まあようするに成り上がりたかった人<宮崎 南伸坊とか赤瀬川原平とかも割と左派嫌いだよね。あと堀井憲一郎も
この周辺のサブカル系の人たちってリベラル嫌いのスタンスの人が多い気がする。
やっぱりゴチエイの影響力が大きいのかしらん? 呉さんは会って話したことあるけど、右ってわけじゃないんだ。
そもそも左派―右派という図式は民主主義の枠内でのものであって
その前提自体を否定してるんだから。
呉さんが嫌ってるのは言動に一貫性がない人たち。
そういうやからは右にも左にもわんさかいる。 >>216
近代以前にあった思想(例えば国学)は保守じゃないの? 体罰・死刑・核武装を肯定する者は問題解決力に乏しい潜在的テロリスト。彼らの情緒安定に本当に必要なのは政治的権力ではなく論理的思考力/感情自己責任論 坂口安吾もニーチェ主義者だから、左派的な偽善や合理主義には反対でしょう? 田中角栄は保守
中曽根は保守とはいえない、仮面の親中派
ナベツネや福田和也も中身はただの権力欲の強い左翼 いかにも保守っぽい奴の名前を挙げるスレじゃないだろ。
スレタイ読めや 岸田秀
日朝併合について
「もともと昔は日本領(百済、任那)だったんだから失地回復みたいなもん」
という当たり前な意見を書いてた常識人 岸田秀はニヒリストだからね。理想主義で偽善的な左翼はお嫌いだろう。
山本夏彦も、昔同じ出版社で机を並べていた埴谷雄高に「こんなニヒリストは見たことがない」と言われたらしい。
ニヒリズムと保守主義はなぜか相性がいい。 考えてみれば小林秀雄と埴谷雄高って
右と左だけど根本は似てるよな
合理的なものを信じないというか というか「合理的なものを信じない」とか「あらゆる主義に茶々を入れる」
的な意味での「保守」っていうスタンスが昔はあったよね。「右翼」とは別に。
小林秀雄は保守であっても、右翼ではなかったわけでしょう。
いまは保守が、みんな昔でいう「右翼」になっちゃった気がする。 むしろ右翼なんてほとんど消えて保守ばっかりだと思う
「天皇」が主題にならないもの
跡継ぎだのそんな話は盛んだけど
それがいいのか悪いのかは分からない 真の右翼というか
伝統主義者、国粋主義者が求められてる時代なんだろうな
学者、評論家、マスコミにそういう人が居なさすぎて 俺の考えでは、元左翼で社会科学出身の西部邁が
保守を自称して相対主義やニヒリズム批判をし始めたあたりから
保守の質が変わりはじめた気がするんだけど。
それまでは保守派の大半は人文科学、文芸畑だし
自ら保守と称する保守なんていなかったと思う。
それに、相対主義こそ保守の本質だったわけでしょう。
西部以降、保守がファンダメンタルな思想になってしまった。 茶々を入れる系の人って
今(というかちょっと昔か)でいえば山形浩生氏くらいしか思い浮かばないな
ネット上では大量繁殖している気もするが 右翼→日本維新
保守→自民党
リベラル→民主党
左翼→共産党 日本維新の会程度が右翼ってことは無いだろう。
それでいうなら今の民主党も保守じゃない?
野田、前原、岡田なんて全然リベラルではない。 >>236
>自ら保守と称する保守なんていなかったと思う。
おいおい、真正保守を標榜していた福田恆存を忘れるとか。
西部邁はファンダメンタリズムじゃないし。 西尾幹二信者だったが震災以後西尾幹二がおかしい。
核武装を主張していたのに脱原発を言い出すし、保守は軒並み安倍支持で
固まっているのに日本維新の会を支持するようなことを言っている。
ただ同じ世代にしか分からないシンパシー、あるいは焦燥感のようなものがあるのかもしれない。
脱原発を言い出したとき、西尾氏も老いたなと感じた。それまで西尾幹二と
意見が異なることはほとんどなかった。何年か前には西部のことも元左翼の癖が
出たなどと軽く批判していた。
本当は西尾氏や石原慎太郎のような御老体が前面に出ていることがおかしい。
もっと若い世代がしっかりしていれば彼らが頑張る必要はないのだ。
今日本で最も注目すべき論客は断然中西輝政だろう。ここ何年かは西尾氏よりも
中西氏から示唆を受けることのほうが多い。 右翼というような伝統保守はむしろ反原発な思想だと思うが
西尾がそういう立場かどうかはともかくとしてね
核武装とはまた分けて考えてね
ああいう反自然的な装置や田舎を補助金漬けにするような施策は右翼は嫌いそうな気がする 感情的には俺もないほうがいいと思う。
だが現実を見ればそうもいかない。
円安になったら、燃料費どうするのかという現実を突きつけられて脱原発は下火になる。
あと数年で原発をすべてなくせと主張するのは共産党だけになると予想。
その主張は果たして現実に耐えられるのか必要なのはそれだけだ。
原発も核兵器も持たない日本など国家の独立を保てると思うな。
1ドル200円になり年間10兆円国富流出を続け電気料金二倍になっても原発を廃止する
気はあるのか。そんな国からは企業も人も逃げ出すわな。 >1ドル200円になり
そんな非現実な仮定持ち出さなくても・・
200円になったら海外工場が日本にかなり帰ってくるだろうし >>240
でも小林秀雄だって福田つねありだって坂口安吾だって山本夏彦だってニヒリストでしょう。
福田が真性保守を掲げていたかどうかは知らないけど、保守「主義者」とは自称してない気がする。
小林秀雄も「私は保守である」なんて言ったことはないでしょう。 >>245
「真性保守」って言い回しって、最近の珍右翼が好んで使ってる造語ってイメージがあるんだが
福田が使ってたの?
いや、別に使っててもいいんだけど、何となく「保守本流」と勘違いしてもらうためのフレーズって
先入観が >>245
福田恆存は真正保守を言っていたけれども、確かに「主義者」を謳ってはいないよ。
保守とは「主義」という熱狂を嫌うものである、という主張。 やっぱ逆じゃないと盛り上がらないね。
アカがりみたいになってちょっと下品か。アカ以外の反保守の人が隠れてしまうし。 >>33>>36
2年以上前のものを今さらレスするが、元々保守じゃなくて何かにイチャモンつけないと気が済まない人では
反米という点では元々保守っぽかったが >>213
佐高が、髪を染めたりタトゥーいれたりする若者に対してブチ切れていたときは
どこの保守親父かと思ったが
ようは不良が嫌いなんだよ >>252
上に対しては反権力気取り横や下に対しては専制君主の悪い所取りっぽい
でも結局上に籠絡されてしまうみたいなw >>218
>呉さんが嫌ってるのは言動に一貫性が無い人たち
小林よしのりを正面から批判した事一回でもあったっけ? 保守ってなんだろうね。
自称保守の多くが伝統文化や古典的教養には興味がなく
従来の日本の体制= 戦後レジームを転覆することを主張する
急進派・過激派になってるよね。
百田尚樹とかさ....。
一方で革新系と見なされがちな
「九条の会」所属の梅原猛や山田洋次や高畑勲は護憲であり
なおかつ古い日本の文化への愛着や
古典的教養に培われた価値観を持っているという...
日本の現状は酷くねじれている 保守とかウヨとかサヨとか多くはレッテルだ
きちんと定義するのが難しい >>256
少なくとも伝統文化やら古典的教養と戯れ
戦後レジームの中で安穏としてるようなのは
「保守」とは言わないだろうな 唐十郎は批評家に「右翼」と批判されたから
その腹いせに『少女と右翼』と言う本を書いたんだそうだ。
唐十郎が本当に右翼かどうかは知らん。 保守はもともと「主義」じゃなくて左派に対する「アンチ」だったわけでしょ。
冷戦が崩壊して敵がいなくなった時点で自分たちの存在意義がわからなくなったのでは。
それで90年代以降、保守派の言論が急激に先鋭化(イデオロギー化)していったよね。
自称保守の口ぶりや態度が、むかしの左翼みたいになっていったのが
小林よしのりが右傾化して、教科書をつくる会が活動を始めた頃からのような気がする。
それまでは、行き過ぎた左翼の言動をたしなめるのが保守の役割だった。
『諸君』なんかも元々はそういう雑誌だったんじゃないかな。
右ではないけど、左派の過激さには付いていけないという人が多く執筆してた。
それがいつの間にか右翼イデオロギーの雑誌になっちゃったんだよね。 伝統を護持しながら市場経済の競争により文化と生活を向上しようとするのが保守
その逆がバカサヨ >>256
その矛盾に対する意識はとてもよくわかるんだけど、逆のことも言える気がする。
リベラルは普段「他者や異形との共生」「多様性の重視」とか言うのに、
なぜ彼らの思想を脅かすような「他者」には極めて不寛容なのか、という。
結局、自分たちと思想や目指すものが同じであるマイノリティーを「他者」と
呼んでるだけじゃないのかと。保守的なマジョリティから見ての「他者」なんだ。
自分たちから見ての「他者」とは共生するつもりはないし、全然寛容じゃない(笑) >>263
んー、それは「多様性を押しつぶそうとする勢力、という多様性は存在するか」みたいな話に
なっちゃうので、言葉の問題であって実際の問題としては矛盾でも何でもないんではないか。
> 結局、自分たちと思想や目指すものが同じであるマイノリティーを「他者」と
> 呼んでるだけじゃないのかと
それはないと思うけどな。
よく言うことがあるんだけど、日本のリベラル寄りの人にとって一番のマイノリティといえば
中国と朝鮮半島だけど、中国や朝鮮人の思想が好きかっていえば全然好きじゃないでしょう。
基本が儒教だし、むしろ日本の保守側の人間のほうが近しい。
大昔主体思想とか毛沢東にかぶれてた人はまたちょっと別かもだけども。
むしろ思想的に近いのは西欧系で、そういう人も日本ではマイノリティかもしれないけどあまり
マイノリティとしてスポットがあたることはないよね。 >保守はもともと「主義」じゃなくて左派に対する「アンチ」だったわけでしょ
そんな単純なものではない
>伝統を護持しながら市場経済の競争により文化と生活を向上しようとするのが保守
これも「しながら」の前の部分と後の部分は立場によって違うな
前段を護持するけど後者に対しては冷淡なのが真性保守というか伝統右翼
後段は信仰しているが伝統には冷淡なのが新自由主義 伝統の護持と競争による淘汰容認という相反するように見えるものを両立させようとするのが保守だ
片方だけなら単に資本主義者や伝統主義者と呼べばいい 中島岳志みたいに、実際は全然保守でもないのに保守を自称したがるリベラルって。 今は昔と違って
保守を名乗るほうが受けいられやすいからだよ その二つが本来対立させるものじゃないというか、昔の保守文化人も
大抵は保守リベラルみたいな位置づけが多くて、そうじゃないのって
宗教関係とその広告塔な奴を抜くとかなり少数だったような。
福田恒存とか猪木正道とか、あの辺だって「保守リベラル」じゃないかと それはでも、無意識のうちに相対的にそういう立ち位置に居たってことでしょ。
自ら「保守リベラル」なんていうわけのわからない呼称を名乗るのはやっぱり異様だ。
中島岳志なんて、偽装保守でしょ。この人なんかは自意識が見え過ぎて嫌らしいよ。
福田恒存なんて名前出さなくても言えることなのに、わざわざ保守派の名前を利用して
リベラルなことを言うっていうね。戦略的な言論活動だ。 まあそれを言うなら、一昔前の右寄り文化人にも必要も無いのに丸山真男や
鶴見俊輔あたりをアリバイ的に引き合いに出す光景は見られたわけで。
旗色が悪い陣営がそういう戦略に走るのはしょうがないんじゃないか。 冷戦期は保守もリベラルも同じ自由主義圏にいたから対立していなかったけど
共産圏崩壊後は違いが顕著になってきた
自由主義および新自由主義も共産主義と同じく国境を飛び越えて各国の伝統を破壊する危険思想だ 中島岳志は小林よしのりに完膚なきまでに叩きのめされたパール判事の本が出世作
北海道大学大准教授
朝日新聞の紙面審議委員
毎日新聞の書評委員
週刊金曜日編集委員
表現者編集委員(チャンネル桜の表現者SPには絶対に出ない)
リベラル保守を自称する中島岳志 週刊金曜日って一番左端にあるメディアだよね。
右側の「熱狂」に対しては「保守の本義はバランス感覚にある」と諌めながら
左側の「熱狂」(週刊金曜日的な)には喜んで加担する中島岳志の矛盾。
中島がリベラル批判をしたことってある? 週刊金曜日が一番左ってのはあくまで「リベラル」組の中で一番ってことだからなあ
その向こうにはリベラルですらない、ガチ左翼雑誌が並んでるはず、と考えると一応理屈としては理解できる。
実際にそういう雑誌があるかはともかく(「前衛」や「経済」も入れるかどうか)、概念としては。
現状のいわゆる「熱狂する右」に対応するのはそういうのだと思うので
このへんは人によっても見立てが違ってくるとは思う。 自称「リベラル」な
共産党より左っぽいだろう週刊金曜日なんて 昨今の、保守(ニュートラル)を自称したがる隠れリベラルの特徴は「リベラルを絶対批判しない」こと。
で、「今の保守は『ほんとうの』保守とはほど遠い」などと御託を並べながら保守側の矛盾ばかりを突き、
ただのリベラルとほとんど変わらない自らの思想に、「真の保守」というラベルを貼りつけて喧伝することで、保守派を切り崩そうとする。
こういう「詐術」が絶妙に巧いのが中島岳志とか荻上チキ、宮台真司、佐藤優あたりね。
逆に言えば、竹田恒泰とか百田みたいな、自分の言いたいことをそのまま口にする類いの馬鹿保守も、この手の戦略を少しは見習ったらいい。 そのあたり、戦後初期に文春系の非進歩的文化人がよくやってた手法でもあるよね
当時は左翼は今の百田みたいに好き勝手言ってたから 文春系の非進歩的文化人て例えば?小林秀雄とか亀井勝一郎みたいな?
でも、彼らは保守と自称こそしなかっただろうけど、左翼が嫌いであることは公言してたでしょう。
だから、岩波系からは無視され、中野重治みたいな共産系からは嫌われていたはず。
もしその当時の人で例を出すなら、折口信夫かな。
かれは國學院出の神道学者でありながら、バリバリの左翼からも好かれていた。
自分の(右翼的と見なされるであろう)研究を続けていくためには狂信的右派を批判して、左翼と仲良くしておいたほうが
都合がいいだろうという自意識が折口にはあったのではないか。
小林秀雄などにはそのたぐいの自意識はない。だから当時から左派には好かれていない。 福田は隠れ左翼。
橋爪は近代主義者のナショナリスト。 岩波や青土社系(現代思想系)の常連執筆者で、実は保守っていないの?
前田英樹なんて、割と保守じゃない? 梅原猛とか?言わずもがなだし常連ではないか。永六輔もその枠かもしれない。
でも高齢の書き手には、元々は保守に近かったのがここ10年くらいの時代の流れで
岩波にお呼びがかかるようになった人は割といるんじゃないかと思う。
「図書」に赤川次郎がコラム書いてるけど、本来政治色の薄い保守って感じで岩波の人ではなかろう。
あと政治色の薄い組って意味では、自然科学畑の人には表に出してないだけで保守という
人もけっこういるんじゃないか。 梅原や永六輔なんて、全然保守ではないでしょう。
その分類だと、寺島実郎とか山口二郎とかまで保守に分類されてしまいそう。
「リベラリズム」を保守思想と見なすかサヨ思想と見なすかで分類が変わるのだろうね。
国家=資本を乗り越える思想のみが左翼であるという柄谷行人のような立場からすれば
リベラリズム(社民主義)は保守主義(国家主義)の改良版でしかないわけだから、右だね。
そうすると、「今の時代は左翼がいなくなった」とよく言われる言葉の意味も分かる。
当方は穏健リベラルも左派だと思っているので、梅原や永などが保守などというのはありえない。 いや、立場によって分類の仕方が変わるということが言いたかっただけ。 最近の保守系論壇でアレなのは、学術的・文学的にイデオロギーを超えて
評価されるような業績を挙げながら、言論活動をするタイプの論客が
ほとんどいなくなった事だよなぁ。
昔はよかった論になってしまうが、冷戦時代の保守思想の大御所には
そういうタイプが多かったんじゃないかな。
小林秀雄の評論しかり、高坂正堯の古典外交研究然り、
福田恒存の翻訳しかり、もちろん三島の小説もそうだ。 >>290
「文芸」(そういう道の世界。あの出版社のことではなくて)などというものの地位が相対的に大沈下した
社会科学の世界は計量系じゃないと学問じゃないなんていう変な風潮があるし
こうなってしまうと「業績」がまず簡単には出せないし、文芸などというのはすごく狭い世界でやってることになる >291
でも古典・教養への造詣もなければ、学術的理論のバックグラウンドもない
「保守思想家」って、結局保守論壇の内輪受けはいいけど、外部には届かない
(そして時代が経つと全く通用しなくなる)言論をループさせていくだけなんじゃないの。
それに文芸とか社会科学の凋落って、別に保守系の知識人にだけ
不利になったわけではないのでは。 的外れかもしれないけど、時代とともに見て分かる=計量系の学問がもてはやされるようになってきてるような気がする。
近代化とか民主化ということ自体が計量系(定量化)だと思うし、昔に比べて思想そのものよりその結果を早く求める傾向が強い。
となると必然的に保守思想なんていうものはどんどん時代に取り残されているんだろうけど、実はそんな今だからこそ保守思想が必要だと思うなあ。 遠藤ミチロウ
世界で最も嫌われている人だから「スターリン」というバンド名をつけるところが
共産主義を皮肉っている 萩谷順は朝日新聞出身なのに、所謂サヨクではないね。保守といえるかどうかは分からないけど。
ちなみに、この人のお父さんは国文学者の萩谷朴ね。 >>281
亀レスだけど、自分が想定してたのは小泉信三とか蝋山政道みたいなケース
ニュートラルを標榜してたけど、保守批判には関心が薄く、熱心なのは左派の矛盾を指摘することばかりという
中島とは逆だけど構造としては同じという。 >>292
文芸の凋落っていうか、業績を一般向けに開陳する場としての論壇の凋落が
大きいんじゃないかねえ
あと「保守系の知識人にだけ不利になったわけではない」ってのはその通りで、
今左派だってそういう知識人はほとんどいないでしょう。
藤原帰一とかカンサンジュンあたりを勘定に入れるなら、右も西部邁や西尾幹二くらいは
そっちに入れてあげたい。 >>298
今どきの批評家で、自分の立ち位置を隠して(中立ぶって)思想を語りたがる連中に左派が多いのはなぜだと思います?
逆に「実は保守」系でその手の人って、宮崎哲弥とか飯田泰之とか適菜収とか数えるほどしか居ないですよね。
「なぜリベラルは自身がリベラルであることを隠したがるのか」っていうのは、ちょっと面白いテーマかもしれない。 >>300
しかし、ネットに書き散らしてる人だとか、物書きでもいわゆる批評家じゃない人あたりだと
逆に「自称中立」と揶揄されるようなウヨクに近い存在がごろごろしてるわけで。
あくまで論壇に近い筋で成り立つというだけで、一般論としてはそれほど成り立たないんじゃないか。 英語学者でもある渡部昇一が言ってたけど
本来“リベラル”というのは恵まれた人が気前よく振る舞うというニュアンスの言葉で
その点では戦前の資産家の息子なんかが左傾したのは理解できるが本来左翼とは対立的な立場なんだろうと思う
いわゆるオールドリベラリストは戦後左翼と対立したね