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三島由紀夫のおすすめエンタメ&戯曲
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0001無名草子さん
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2011/01/28(金) 13:02:47
リズム感あふれる名セリフ揃い
0002無名草子さん
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2011/01/28(金) 13:07:52
僕たちにおそろしい妄想を見せるのは臆病といふ病気ですよ。僕たちを縛つてゐるのは
僕たち自身ぢやありませんか。みんな仮の名に、仮の姿におびえてゐるんです。


幸福な思ひ出は不幸な思ひ出よりも人を臆病にさせるものなのよ。

三島由紀夫24歳「灯台」より


恋と犬とはどつちが早く駆けるでせう。
さてどつちが早く汚れるでせう。


恋愛といふやつは本物を信じない感情の建築なんです。


笑ひなさい! いくらでも笑ひなさい! ……あんた方は笑ひながら死ぬだらう。
笑ひながら腐るだらう。儂はさうぢやない。……儂はさうぢやない。笑はれた人間は
死にはしない。……笑はれた人間は腐らない。


今の世の中で本当の恋を証拠立てるには、きつと足りないんだわ、そのために死んだだけでは。

三島由紀夫26歳「綾の鼓」より
0003無名草子さん
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2011/01/28(金) 13:11:49
共産主義は資本主義経済内部の一現象にすぎん。資本主義に出来たおできみたいなものだな。
いづれは凹まなければならんものだ。あれは「理想」といふものぢやない。


君にはわからない。おほぜいの盲人の中で、自分一人目がさめてゐると感じることが
どんな苦しみだか。気違ひの中で自分一人が正気だと感じ、大ぜいの馬鹿の中で自分一人が
利巧だと感じること、こいつは決して永保ちのする感じ方ぢやない。もし永保ちすれば、
それは偽物だね。


理想に殉ずるといふことは美しいことだ。


人間が作つたものは、大きければ大きいほど、広ければ広いほど、高ければ高いほど、
不安定になつてしまふ。


がむしやらにうどんを呑み込むやうに時間といふ奴をつるつる呑み込んで、いつか
そのうちに顎の下に山羊みたいなまつ白な毛が生えてくるのを待てばいいのさ。
人生といふ奴は毛生え薬だ、同時に脱毛剤さ。

三島由紀夫25歳「魔神礼拝」より
0004無名草子さん
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2011/01/28(金) 13:12:42
女はシャボン玉、お金もシャボン玉、名誉もシャボン玉、そのシャボン玉に映つてゐるのが
僕らの住んでゐる世界。


女の目のなかにはね、ときどき狼がとほりすぎるんだよ。


女の批評つて二つきりしかないぢやないか。「まあすてき」「あなたつてばかね」
この二つきりだ。


子供が生れる。こんなまつ暗な世界に。おふくろの腹の中のはうがまだしも明るいのに。
なんだつて好きこのんで、もつと暗いところへ出て来ようとするんだらう。


三島由紀夫25歳「邯鄲」より


お嬢さま、色恋は負けるたのしみでございますよ。


あたしあなたの、その不死身が憎らしいの。誰も愛さないから、誰からも傷を負はない。
お母様がさういふあなたをどんなに憎んでどんなに苦しんで来たか、よくわかつたわ。


苦しみを知らない人にかかつたら、どんな苦しみだつて、道化て見えるだけなのよ。

三島由紀夫26歳「只ほど高いものはない」より
0005無名草子さん
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2011/01/28(金) 13:16:40
むかし俗悪でなかつたものはない。時がたてば、又かはつてくる。


私を美しいと云つた男はみんな死んぢまつた。だから、今ぢや私はかう考へる。
私を美しいと云ふ男は、みんなきつと死ぬんだと。


どんな美人も年をとると醜女になるとお思ひだらう。ふふ、大まちかひだ。美人は
いつまでも美人だよ。今の私が醜くみえたら、そりやあ醜い美人といふだけだ。


一度美しかつたといふことは、何といふ重荷だらう。そりやあわかる。男も一度戦争へ行くと、
一生戦争の思ひ出話をするもんだ。


人間は死ぬために生きてるのぢやございません。


僕は又きつと君に会ふだらう、百年もすれば、おんなじところで……。
もう百年!

三島由紀夫26歳「卒塔婆小町」より
0006無名草子さん
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2011/01/28(金) 13:21:19
恋愛といふやつは、単に熱なんです。脈搏なんです。情熱なんていふ誰も見たことのない
好加減な熱ぢやない、ちやんと体温計にあらはれる熱なんです。


恋愛といふのは、数なんです。それも函数(かんすう)なんです。五なら五、六なら六だけ
生へ近づく、それと同時に、おなじ数だけ死へ近づくといふ、函数なんです。


夜の空に太陽を探しだすのはむづかしい。向日葵が戸惑つてゐるのも無理はない。
……しかし夜は長くない。いづれ朝が来る。向日葵は朝になればにつこりする。

三島由紀夫「夜の向日葵」より
0007無名草子さん
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2011/01/28(金) 13:21:38
あなたらしさつていふものは、あなたの考へてゐるやうに、人が勝手にあなたにつけた
仇名ぢやない。人が勝手にあなたの上に見た夢でもない。あなたらしさつていふものは、
あなたの運命なんだ。のがれるすべもないものなんだ。神さまの与へた役割なんだ。



人のために生きるのが偶像の運命ですよ。



あたくしは人造真珠なの。どこまで行つてもあたくしは造花なの。もしあたくしが豚だつたら、
真珠に嫉妬なんか感じはしないでせう。でも、人造真珠が自分を硝子にすぎないとしじゆう
思つてゐることは、豚が時たま自分のことを豚だと思つたりするのとは比べものにはならないの。

大丈夫よ、自分を本当の真珠だと信じてゐれば、硝子もいつかは真珠になるのよ。

三島由紀夫27歳「夜の向日葵」より
0008無名草子さん
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2011/01/28(金) 13:27:36
あたしも暴力はきらひだわ、でも女はか弱いものなのよ。か弱いものが暴力をもつのは
合理的なことだわ。象はおとなしいけど、蜂はすぐ刺すでしよ。

三島由紀夫26歳「溶けた天女」より


残酷だつて思ふのは人間だけだよ。小鳥だつて、花だつて、樹だつて、もつと残酷な世界に
しづかに生きてゐるんだ。ごらん、むかうの松林、樹といふ樹が、海風にさらされて、
ものも云はずに、しづかに立つてゐる。あの樹があんなに静かな様子をしてゐるのは、
人間よりももつと残酷な心を隠し持つてゐるからかもしれないんだ。それといふのも、
心なんかを想像してみるからなんだよ。心が在ると思ふからだよ。心がなければ、
残酷さなんて生れないんだ。

三島由紀夫30歳「三原色」より
0009無名草子さん
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2011/01/28(金) 13:30:45
いろんな感情の中に、同時にあたくしが居ます。いろんな存在の中に、同時にあたくしが
居たつて、ふしぎではないでせう。


高飛車な物言ひをするとき、女はいちばん誇りを失くしてゐるんです。女が女王さまに
憧れるのは、失くすことのできる誇りを、女王さまはいちばん沢山持つてゐるからだわ。

昼のあとに夜が来るやうに、苦しみはいづれ来ますわ。


六条:どうしてこの世に右と左が、一つのものに右側と左側があるんでせう。今あたくしは
あなたの右側にゐるわ。さうすると、あなたの心臓はもうあたくしから遠いんです。
もし左側にゐるとするわ。さうすると、あなたの右の横顔はもう見えないの。
光:僕は気体になつて、蒸発しちまふほかはないな。
六条:さうなの。あなたの右側にゐるとき、あたくしにはあなたの左側が嫉ましいの。
そこに誰かがきつと坐るやうな気がするの。

三島由紀夫29歳「葵上」より
0010無名草子さん
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2011/01/28(金) 13:34:06
ああ、誰のあとをついて行つても、愛のために命を賭けたり、死の危険を冒したりすることは
ないんだわ。男の人たちは二言目には時代がわるいの社会がわるいのとこぼしてゐるけれど、
自分の目のなかに情熱をもたないことが、いちばん悪いことだとは気づいてゐない。


退屈する人は、どこか退屈に己惚れてゐるやうなところがあるわ。


夫婦と同様に、清浄な恋人同志にも、倦怠期といふものはあるものだつた。


「しかし狩人は義士ぢやございません」と黒川氏は、にこにこしながら言つた。「狩人の
ねらふのは獣であつて、仇ではございません。獲物であつて、相手の悪意ではございません。
熊に悪意を想像したら、私共は容易に射てなくなります。ただの獣だと思へばこそ、
追ひもし、射てもするのです。昆虫採集家は害虫だからといふ理由で昆虫を、つかまへは
いたしますまい」

三島由紀夫26歳「夏子の冒険」より
0011無名草子さん
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2011/01/28(金) 13:34:26
百ワットの裸電球を、田毎の月みたいに、それぞれのガラスの蓋にまばゆく映して、佃煮や
煮豆の箱がいつぱい並んでゐる。福神漬のにほひがする。そぼろ、するめ、わかめ、
むかしの日本人は、粗食と倹約の道徳に気がねをして、かういふちつぽけな、あたじけない
享楽的食品を、よくもいろいろと工夫発明したものである。


正義を行へ。弱きを護れ。


自分が若いころ闊歩できなかつた街は、何だか一生よそよそしいものである。


とにかく人生は柔道のやうには行かないものである。人生といふやつは、まるで人絹の
柔道着を着てゐるやうで、ツルツルすべつて、なかなか業(わざ)がきかないのであつた。


人生つて、右か左か二つの道しかないと思ふときには、ほんの二三段石段を上つて、
その上から見渡してみると、思はぬところに、別な道がひらけてるもんなのよ。さうなのよ。


人間には、自由だけですまないものがある。古い在り来りな、束縛を愛したい気持もある。

三島由紀夫27歳「につぽん製」より
0012無名草子さん
垢版 |
2011/01/28(金) 13:39:57
人間つて誰でも一つは妙な才能をもつてゐるものだわ。


期待してゐる人間の表情といふものは美しいものだ。そのとき人間はいちばん正直な
表情をしてゐる。自分のすべてを未来に委ね、白紙に還つてゐる表情である。


羞恥がなくて、汚濁もない少女の顔ほど、少年を戸惑はせるものはない。


自分の尊敬する人の話をすることは、いはば初心(うぶ)なフランスの少年が女の子の前で
ナポレオンの話をするのと同様に、持つて廻つた敬虔な愛の告白でもあるのだ。

三島由紀夫「恋の都」より
0013無名草子さん
垢版 |
2011/01/28(金) 13:40:11
本当のヤクザといふものは、チンピラとちがつて、チャチな凄味を利かせたりしないものである。
映画に出てくる親分は大抵、へんな髭を生やして、妙に鋭い目つきをして、キザな仕立の
背広を着て、ニヤけたバカ丁寧な物の言ひ方をして、それでヤクザをカモフラージュした
つもりでゐるが、本当のヤクザのカモフラージュはもつとずつと巧い。
旧左翼の人に、却つて、如才のない人が多いのと同じことである。


今の世では時代おくれのあの思想は、いつも私の生きる糧だつた。天皇陛下への絶対の愛、
日本人としての絶対の矜り、理窟はどうあらうと、私は五郎さんの肉体を抱きしめるやうに、
あの人の思想を抱きしめて来たんだわ。弱りかかる心、現実を知つて利巧に妥協的になり
かかる心を抑へて、いつも私は心の底からアメリカを憎んでゐた。(中略)皮肉にも
アメリカ人たちの真只中で生活しながら、女の弱い力で、いつも皮肉な反抗をたくらんでゐた。
私は五郎さんを殺した屈辱的な敗戦を決して忘れなかつた。それ以後、私は一度もアメリカに
負けなかつた自信がある。

三島由紀夫「恋の都」より
0014無名草子さん
垢版 |
2011/01/28(金) 13:40:24
自分の最初の判断、最初のねがひごと、そいつがいちばん正しいつてね。なまじ大人になつて
いろいろひねくりまはして考へると、却つて判断をあやまるもんだ。婿えらびをする能力
といふものは、もしかしたら、三十五歳の女より、十六歳の少女のはうが、ずつと豊富に
もつてゐるのかもしれないんだぜ。


君はまだ人生の後悔といふやつのおそろしい味を知らない。そいつは灰の味だ。灰を舐めて
ごらん。しかも毎日毎日舐めてごらん。もうこの世の中から味といふものは消えてしまふんだ。
何を食べても灰の味がする。後悔ほどやりきれないものはこの世の中にないだらう。

三島由紀夫28歳「恋の都」より
0015無名草子さん
垢版 |
2011/01/28(金) 13:43:24
若いやつの死だけが、豪勢で、贅沢なのさ。だつてのこりの一生を一どきに使つちやふんだ
ものな。若いやつの死だけが美しいのさ。それはまあ一種の芸術だな。もつとも自然に
反してゐて、しかも自然の一つの状態なんだから。


デカダンばつかりですからね。それにみんな半病人ですから、自分の個体の存続にばかり
気をとられて、国の永遠の生命といふものを見失つてますからな。


喜んで国のために死ぬといふことと、真理探究とは、両立すると俺は思つてゐる。


人間つて、自分が思ひ込んだとほりのものになるものでねえ。ジャン・コクトオが面白い
ことを言つてゐる。「ヴィクトル・ユウゴオは、自らヴィクトル・ユウゴオだと信じた
狂人だつた」と。諸君はひよつとすると、自ら無気力だと信じてゐる狂人なんぢや
ありませんかね。


日本が敗けたことが何ともないのか。だから俺はインテリがきらひなんだ。きんたまの
ない男をインテリといふんだよ。きんたまがあつたら、祖国が野蛮人の前に膝を屈するのを
黙つて見てゐられるか。

三島由紀夫29歳「若人よ蘇れ」より
0016無名草子さん
垢版 |
2011/01/28(金) 20:10:43
凍てたる轍は危なやなう。
蹄は裂けて痛やなう。
もうおお、鼻輪は血ゆゑに濡れたわなう。
もうおお、なう、もうおお、なう。

三島由紀夫28歳「室町反魂香」より


猿源氏:…輿の内なる上臈を、一目見しより恋となり、あけくれ思ひ煩ひて、心もそぞろの
呼び声が、かくの始末にござりまする。
海老名:ウム、そんなら恋の病ゆゑ。
猿源氏:ハイ面目次第もござりませぬ。
海老名:これはまたおやぢにも似ぬ不甲斐のないせがれぢや。折ふし教へおきたるとほり、
恋の手引は、ナウ、それ敷島の道ぢや。物の本にも、「目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、
男女(をとこをうな)の仲をも和らげ」とある。老いたりといへどもこの海老名、
せがれが恋歌の仲立は、胸三寸にあるわいやい。
猿源氏:チエエ忝(かたじけな)い、おやぢどの。なあみだぶつ。なあみだぶつ。
したが相手は雲の上人、こなたは卑しき鰯売、叶はぬ恋となりにけるかな。

三島由紀夫29歳「鰯売恋曳網」より
0017無名草子さん
垢版 |
2011/01/28(金) 20:23:43
ねえ、人間つて、待つたり待たせたりして生きてゆくものぢやない?


愛はみんな怖しいんですよ。愛には法則がありませんから。

三島由紀夫30歳「班女」より


贅沢や退屈のしみこんだ肉は、お酒のしみこんだ肉と同じで、腐りさうでなかなか腐らない。


希んだものが、もう希まなくなつたあとで得られても、その喜びは無理矢理自分に言つて
きかせるやうなものなんです。


人間つて決して不幸をたのしみに生きてゆくことなんかできませんのね。


目には目を、歯には歯を、さうして、寛大さには寛大さを。


人を恕すといふことは、こんなことだつたのか。こんなに楽なことだつたのか。……
そしてこんなに人間を無力にするものなのか。


世の中つて、真面目にしたことは大てい失敗するし、不真面目にしたことはうまく行く。

三島由紀夫30歳「白蟻の巣」より
0018無名草子さん
垢版 |
2011/01/29(土) 10:21:43
雪の中に、処女(をとめ)の肌のやうな花々が咲いてゐる。その雪の花は百合といふのだ。
百合は聖なる処女を意味する。更に、嬰子のやうな純潔な心を意味する。汝らはそれに
接吻するであらう。その夜、聖なる命が世に放たれるのだ。


いとしい娘よ。そなたは未だ持つてゐるだらう。わしのやつた五つの宝石函を。
その一つは、海のなかゝら、人魚たちが捧げ持つて来る真珠で満たされてゐる。
それらは、女たちの心をうつし取るたからだ。それらは牛乳の風呂で浴(ゆあ)みする
女の肌に似てゐる。牛乳の風呂で浴みする若い女の乳房のやうだ。真珠を月に向つて
透かして見るがよい。そなたの希ふ女の像や心が、その表面に映るであらう。それは殆ど、
三百を数へることだらう。そなたのまるい、すべすべした肩は、真珠が大変よくうつるだらう。
真珠は、なべての悲しみや、希ひをやぶられた女の秘かな歯噛みや、清純な諦めなどを
現はしてゐる。だから、真珠の曇りは清い曇りなのだ。

平岡公威(三島由紀夫)14歳「路程」より
0019無名草子さん
垢版 |
2011/01/29(土) 10:25:37
>>6の前
人生のいちばんはじめから、人間はずいぶんいろんなものを諦らめる。生れて来て何を
最初に教はるつて、それは「諦らめる」ことよ。そのうちに大人になつて不幸を幸福だと
思ふやうになつたり、何も希まないやうになつてしまふ。


幸福つて、何も感じないことなのよ。幸福つて、もつと鈍感なものよ。
幸福な人は、自分以外のことなんか夢にも考へないで生きてゆくんですよ。


一分間以上、人間が同じ強さで愛しつづけてゆくことなんか、不可能のやうな気があたしには
するの。愛するといふことは息を止めるやうなことだわ。一分間以上も息を止めてゐて
ごらんなさい、死んでしまふか、笑ひ出してしまふか、どつちかだわ。


愛するといふことは、息を止めることぢやなくて、息をしてゐるのとおんなじことよ。

三島由紀夫「夜の向日葵」より
0020無名草子さん
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2011/01/29(土) 10:29:08
朝は、朝はなあ、自炊の朝飯を喰つて、軽い体操をして、晴れた日には、灯台の前の
空地の旗竿に、WAYの旗をあげる。W……A……Y。『汝の愉快なる航海を祈る』か。
朝風に旗がひらひらする。一寸した幸福。旗つてやつは、風がはらむと、幸福らしくなる。
しかし弔旗つてやつもあつたな。まあ、どつちでもいいや。幸福でも不幸でも、
旗つてやつは、感情に訴へるよ。心なんてあんなものだ。風をはらめば、ひらひら、ひらひら。
風がなければ死んでしまふ。内容は風だけなんだ。それだけなんだ。

三島由紀夫30歳「船の挨拶」より


死といふやつは、当り籖(くじ)のやうに身をひそめてゐるんです。

三島由紀夫31歳「大障碍」より
0021無名草子さん
垢版 |
2011/01/30(日) 11:47:11
過度の男らしさといふものは、女には通じないものである。


敏夫は妹思ひ、妹は兄思ひで、ほとんど一心同体でした。一人が家出すれば、もう一人も
きつと家出したでせうし、敏夫が三津子に同情して家出したのやら、その反対やら、まるで
わかりませんわ。あの兄妹は、兄妹といふより恋人同士でした。そりやあお互ひに好き合つて
ゐました。あんな愛情は、きつと自分でも知らずに、血のつながつてゐないといふことの
ふしぎな直感から、生れたものにちがひありませんわ」
「でもあの二人は、永久にそれを知らずにすぎてしまふわけですわね。又いつか日本へ
かへつて、私たちの前に現はれでもしない限り」
「永久にですわね、先生。永久に兄妹の愛に終つてしまふんですわね。世界中で一等
愛し合つてゐる二人なのに、恋人にもなれず、夫婦にもなれずに」
「永久に清らかな愛のままで。……でもそれが不幸でせうか」
「さあ、不幸か幸福かそれはわかりません」

三島由紀夫30歳「幸福号出帆」より
0022無名草子さん
垢版 |
2011/01/31(月) 19:44:49
悲しい気持の人だけが、きれいな景色を眺める資格があるのではなくて? 幸福な人には
景色なんか要らないんです。


朝子:お答へにならないところを見ると、それが秘密だからといふばかりでなく、前以て
人に知られたくないやうな、花々しい立派なお仕事なのね。
久雄:とんでもない。恥知らずのやる仕事です。
朝子:殿方が命をかけてやらうとなさつてゐることを、御自分で卑下なすつたりしては
いけません。世間がどんな目で見ようと、よしんば法律の罪だらうと。
久雄:ではこれだけ申します。仰言るとほり僕は命を賭けてゐます。明日の太陽を仰げるか
どうかわかりません。しかしそれは無意味な行為で、歴史に小さな汚点(しみ)をつける
だけのことでせう。

三島由紀夫「鹿鳴館」より
0023無名草子さん
垢版 |
2011/01/31(月) 19:45:15
政府の大官や貴婦人方のお追従笑ひは、条約改正どころか、かれらの軽侮の念を強めて
ゐるだけだ。よろしいか、朝子さん。私は外国を廻つて知つてをるが、外国人は自尊心を
持つた人間、自尊心を持つ国民でなければ、決して尊敬しません。壮士の乱入は莫迦げた
ことかもしれん、しかし私はそれで政府に冷水を浴びせ、外国人に肝つ玉の据つた日本人も
ゐるぞといふところを見せてやれば、それで満足なのだ。


清原:あなたの髪、……この黒い髪、……会はないでゐた二十年といふもの、夜の闇が
夜毎に染めて、ますます黒く、ますます長く、ますますつややかになつたこの黒髪……。
朝子:この髪の夜は長くて、夜明けはいつ来るとも知れません。髪がすつかり白くなり、
私が女でなくなるときに、曙がその白髪を染めるのですわ。悩みもない、わづらひもない、
その一日に何もはじまる惧(おそ)れのない曙が。

三島由紀夫「鹿鳴館」より
0024無名草子さん
垢版 |
2011/01/31(月) 19:45:29
骨肉の情愛といふものは、一度その道を曲げられると、おそろしい憎悪に変はつてしまふ。
理解の通はぬ親子の間柄、兄弟の間柄は他人よりも遠くなる。


政治とは他人の憎悪を理解する能力なんだよ。この世を動かしてゐる百千百万の憎悪の
歯車を利用して、それで世間を動かすことなんだよ。愛情なんぞに比べれば、憎悪のはうが
ずつと力強く人間を動かしてゐるんだからね。


花作りといふものにはみんな復讐の匂ひがする。絵描きとか文士とか、芸術といふものは
みんなさうだ。ごく力の弱いものの憎悪が育てた大輪の菊なのさ。

この世には人間の信頼にまさる化物はないのだ。


政治の要請はかうだ。いいかね。政治には真理といふものはない。真理のないといふことを
政治は知つてをる。だから政治は真理の模造品を作らねばならんのだ。

三島由紀夫「鹿鳴館」より
0025無名草子さん
垢版 |
2011/01/31(月) 19:45:55
僕の考へる旅はますます美しい、ますます空想的なものになつたんです。つまり汽車だの
船だのが要らない旅になつたんです。この虚偽に充たされた国にゐて、僕があるとき、
海のむかうの、平和で秩序正しく、つややかな果物がいつも実つて、日がいつも照り
かがやいてゐる国のことを心に浮べたとき、汽車だの船だのは、もう僕にはまだるつこしい。
僕がさういふ国を心に浮べたとき、まさにその瞬間からですよ、僕がもうその国に
居るのでなくては、その瞬間から、僕の空想してゐた果物の香りが現実の香りになり、
僕の夢みてゐた日光が頭の上にふり注いで来るのでなくては。……それでなくては、
もう間に合はないんです。


お嬢さん、教へてあげませう。武器といふものはね、男に論理を与へる一番強力な
道具なんですよ。

三島由紀夫「鹿鳴館」より
0026無名草子さん
垢版 |
2011/01/31(月) 19:46:15
朝子:清原さんの仰言るやうに、あなたは成功した政治家でいらつしやる。何事も
思ひのままにおできになる。その上何をお求めになるんです。愛情ですつて? 
滑稽ではございませんか。心ですつて? 可笑しくはございません? そんなものは
権力を持たない人間が、後生大事にしてゐるものですわ。乞食の子が大事にしてゐる
安い玩具まで、お欲しがりになることはありません。
影山:あなたは私を少しも理解しない。


影山:ごらん。好い歳をした連中が、腹の中では莫迦々々しさを噛みしめながら、
だんだん踊つてこちらへやつて来る。鹿鳴館。かういふ欺瞞が日本人をだんだん賢くして
行くんだからな。
朝子:一寸の我慢でございますね。いつはりの微笑も、いつはりの夜会も、そんなに
永つづきはいたしません。
影山:隠すのだ。たぶらかすのだ。外国人たちを、世界中を。
朝子:世界にもこんないつはりの、恥知らずのワルツはありますまい。

三島由紀夫31歳「鹿鳴館」より
0027無名草子さん
垢版 |
2011/02/01(火) 10:44:03
不満といふものはね、お嬢さん、この世の掟を引つくりかへし、自分の幸福をめちやめちやに
してしまふ毒薬ですよ。


自然と戦つて、勝つことなんかできやしないのだ。

三島由紀夫32歳「道成寺」より


もう一度仰言つて下さい。「許しませんよ」ああ、それこそ貴婦人の言葉だ。生れながらの
けだかい白い肌の言はせる言葉だ。私はその言葉が好きです。どうかもう一度……

三島由紀夫32歳「朝の躑躅」より


太七:船軍で攻められては
源五:たちまち雑魚の佃煮で
弥三:茶漬にして喰はるるまで
岩次:胃の腑の地獄の三丁目
玉市:鱗で涙が
一同:拭かれうか。


人は最期の一念によつて生(しやう)を引く。ふたたび波の越えざる隙に、とくとく
追ひつき奉らん。

三島由紀夫44歳「椿説弓張月」より
0028無名草子さん
垢版 |
2011/02/01(火) 10:49:15
狸の銀:心づくしの狸汁で、帰りを待つが子分のつとめ、けふの狸はどうぢや知らぬ。
こりや上乗の狸ぢやわい。
鴉の権:肌あたたむる狸汁
梟の八:おんなじ肌のぬくもるにも
狐の拳:女と狸ぢや大きな相違
熊の胆:都恋しき朝夕なれど
狸の銀:ここの稼ぎもやめられぬ。
鴉の権:ハテ親分はもう帰られさうなものぢやなア。


鴉の権:蝦蟇丸(がままる)親分の
子分一同:おかへりだわい。
鴉の権:シテ今宵の首尾は?
蝦蟇丸:獲物も獲物、二つとない品ぢや。花嫁御寮を連れて戻つたわ。
鴉の権:見れば姿もあでやかに、月にたたずむ姫御前は、まことに菩薩か天人か、
拝んだだけで身がとろける。これは結構なお土産を、ヘイありがたう存じまする。
蝦蟇丸:たはけめ、貴様にやるものか。
鴉の権:そんならどなたの
子分一同:花嫁御寮か。
蝦蟇丸:わしのぢやわい。
鴉の権:モシ親分、それではすみますまい。
蝦蟇丸:何がすまぬ。
鴉の権:ぢやと申して、
蝦蟇丸:シーッ。
子分一同:ヘーイ。

三島由紀夫「むすめごのみ帯取池」より
0029無名草子さん
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2011/02/01(火) 10:49:53
菊姫:こりや何の羹(あつもの)ぢやわいなア。
蝦蟇丸:腹中を温むるに、これに如(し)くものなしと古伝の羹、まづ召されい。
菊姫:何やら茶めいたものなれど
鴉の権:ハイ狸汁でござりまする。
菊姫:ヒエエ、狸ぢやとエ。
蝦蟇丸:コリャ姫の御気色直さんため、いつもの踊りを早う早う。
子分一同:ヘーイ。

蝦蟇丸:踊りのあとは盃事、用意の盃、早う持て。
狸の銀:ハア。
菊姫:いかい武張つたお盃、こりや又何のお盃事かいなう。
蝦蟇丸:言はずと知れた、三三九度ぢやわえ。
菊姫:山賊(やまだち)にも似ぬよい殿御と、思ひ定めて来し身なれば、今さらおどろく
いはれもなけれど、夫婦の固めの盃に、無粋な衆の列座もいかが、皆の衆退らしやんせ。
鴉の権:女房気取でぴんしやんと
梟の八:都をしばらく見ぬうちに
狐の拳:とんと近ごろの姫御前は
熊の胆:蓮葉なものでは
子分一同:あるめいか。
蝦蟇丸:何をつべこべ。退れ。退れ。
子分一同:ヘーイ。

三島由紀夫33歳「むすめごのみ帯取池」より
0030無名草子さん
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2011/02/01(火) 10:50:53
今宵は望(もち)の橋渡り、七つの橋を願事(ねぎごと)の、心づくしに綿帽子、
三々九度も夢ならず。されどきびしき掟には、

かたき掟も守るべし。お供したやと心せく、二人を尻目にみなはただ、呆然として欲気なく、

小弓は色香も置きわすれ、お座敷がへりの空腹を、勝手馴れたる居催促。

月に芒(すすき)や猫じやらし、猫に小判と言ふものの、小判はほしや、老いづけば、
金よりほかにたよる瀬もなし、お金、お金、お金、お金ほしやの、お月さま。

金と意気地とどつちが大事、それもこの世はあなたまかせの、旦那次第や運次第、
松の太夫の位がほしや、春と秋との踊りにも主役になりたや、お月さま。

忘られぬ、ぬしが面影、映し画よりも、うつつに見たるお座敷で、二言三言交はせしが、
シネマスコープの恋となり。今は何でもハッピー・エンドがわが願ひ、恋よ恋、恋、
映し画になすな恋とは思へども、恋の成就を、お月さま。

三島由紀夫33歳「舞踊台本 橋づくし」より
0031無名草子さん
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2011/02/03(木) 11:02:24
世界といふものはね、こぼれやすいお皿に入つてゐるスープなの。みんなして、それが
こぼれないやうに、スープ皿のへりを支へてゐなければなりませんの。


僕はどこまでも行くんだよ。たくさんの雲が会議をひらいてゐるあの水平線まで……。


人間の住む屋根の下では、どんなことでも起るんだよ。


飲みのこしたコーヒーはだんだん冷えて、茶碗の底に後悔のやうに黒く残るの。それは
苦くて甘くて冷たくて、もう飲めやしないの。コーヒーは美味しいうちに飲んで、さうね、
何もかも美味しいうちに飲み干して、それから、「おはやう」を言ふときのやうに元気に、
「さよなら」を言はなければ……。

三島由紀夫「薔薇と海賊」より
0032無名草子さん
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2011/02/03(木) 11:02:37
帝一:「さよなら」を言ふときも、「おはやう」を言ふやうに朗らかに、つて君言つたよね。
楓:ええ。
帝一:牛乳配達も来ない朝、窓のカーテンの隙間に朝の光りが、金いろの若草が生ひ
茂つたやうに見えもしない朝、鷄といふ鷄は殺されて時も告げない朝、……もし今が
朝だつたら、そんな朝だもの。どうして「おはやう」つて言ふだらう。そんな朝には誰だつて、
「さよなら」つて言ふだらう。さうして殺された鷄のために泣くだらう。
楓:ちらばつた血まみれの羽が、朝風にひらひら飛んでも、朝が来れば私たちは、
「おはやう」と言はなくては。

三島由紀夫「薔薇と海賊」より
0033無名草子さん
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2011/02/03(木) 11:03:19
定代の幽霊:薔薇は枯れることがございません。
勘次の幽霊:この世をしろしめす神様があきらめて、薔薇に王権をお譲りになつた。
定代の幽霊:これがそのしるしの薔薇、
勘次の幽霊:これがその久遠の薔薇でございます。
定代の幽霊:薔薇の外側はまた内側、
勘次の幽霊:薔薇こそは世界を包みます。
定代の幽霊:この中には月もこめられ、
勘次の幽霊:この中には星がみんな入つてをります。
定代の幽霊:これがこれからの地球儀になり、
勘次の幽霊:これがこれからの天文図になるのでございます。哲学も星占ひも、みんな
この凍つた花びらのなか、緋いろの一輪のなかに在るのでございます。

三島由紀夫33歳「薔薇と海賊」より
0034無名草子さん
垢版 |
2011/02/03(木) 20:10:19
大切なのは今といふ時間、今日といふこの日だよ。その点では遺憾ながら、人のいのちも
花のいのちも同じだ。同じなら、悲しむより楽しむことだよ。


楽しみといふものは死とおんなじで、世界の果てからわれわれを呼んでゐる。その輝やく声、
そのよく透る声に呼ばれたら最後、人はすぐさま席を立つて、出かけて行かなくちやならんのだ。


相容れないものが一つになり、反対のものがお互ひを照らす。それがつまり美といふものだ。
陽気な女の花見より、悲しんでゐる女の花見のはうが美しい。

三島由紀夫34歳「熊野」より
0035無名草子さん
垢版 |
2011/02/03(木) 20:11:12
誰だつて空想する権利はありますわ。殊に弱い人たちなら。


余計なことを耳に入れず、忌はしいものを目に入れないでおくれ。知らずにゐず、
聴かずにゐたい。俺の目に見えないものは、存在しないも同様だからさ。


夢をどんどん現実のはうへ溢れ出させて、夢のとほりにこの世を変へてしまふがいい。
それ以外に悪い夢から治ることなんて覚束ない。さうぢやないこと?


喜んだ顔をしなくてはいけないから喜び、幸福さうに見せなくてはいけないから幸福に
なつたのよ。いつまでも羽根のきれいな蝶々になつてゐなくてはならないから、蝶々に
なつたのよ。


一度枯れた花は二度と枯れず、一度死んだ小鳥は二度と死なない。又咲く花又生れる小鳥は、
あれは別の世界のこと、私たちと何のゆかりもない世界のことなのよ。


淋しさといふものは人間の放つ臭気の一種だよ。

三島由紀夫34歳「熱帯樹」より
0036無名草子さん
垢版 |
2011/02/04(金) 19:28:40
占領とは何だ。占領とはつまり、自分の国の幻滅のありたけをその国へ持ち込んで、
そこで幻滅のない国を夢みることだよ。


しばらく物を云はないで。……その窓にあなたのきれいな横顔がある。実に贅沢で、
豪華な横顔ですよ。あれだけの戦争を、いつときのシャワーみたいにくゞり抜けてきて、
日本の古い歴史の高価で淫蕩な血を伝へて本当の東洋の貴婦人らしいあなたの横顔がある。


伊津子:あなたは小さなかはいゝ箱庭を手にお入れになつたのね。でもさうやつて、
人を命令して従はすのつて、すてきでせうね。人をだましたり、人と相談したりして、
結局自分の思ふところへ引張つてゆくといふのは……何だか卑怯みたいね。
エヴァンス:それが民主々義といふもんです。


神様を信じてゐて悪いことをするはうが、信じてゐないでするよりもすてきぢやなくて。

三島由紀夫「女は占領されない」より
0037無名草子さん
垢版 |
2011/02/04(金) 19:30:40
私、占領された日本の男の人たちから、「占領された」つていふ悲しい顔をとつてあげたいの。
哀れな、卑屈な、不如意な男の人たちの顔を、みんな私の顔みたいに、明るくて、呑気で、
のびのびした顔にしてあげたいの。だつて女といふものは、やすやす占領なんかされて
ゐないんですもの。


日本といふ国は、占領軍がゐたつてゐなくたつて、蜘蛛の巣におつこちた蝶みたいに、
何一つ思ひ切つたことはできないやうになつてるんだ。


僕のたくさんの上官も、その上に威張り返つてゐるマッカーサーも、いや、最高政策を
刻々ワシントンから指令して来るあのオールマイティの連合国委員会も、何一つ、誰一人、
絶対の意志と絶対の権力を持つてゐるやつはゐないんだ。すべては世界の潮流のまゝに
流されてゐる木切なんだ。大きい木切も、小さい木切も。……ごらん。夜の海のまつくらな面が、
ふくらんだり退いたりしてゐる。潮の流れが沖のとほくのはうからすべてを支配してゐる。
それに従つて木切は動く。そして自分で動いたと思つてゐる。……僕も木切にすぎない。
さうして君も……。

三島由紀夫「女は占領されない」より
0038無名草子さん
垢版 |
2011/02/04(金) 19:31:53
エヴァンス:僕は一生わすれないだらう。
伊津子:私のことは忘れてもいいわ。たのしさだけはおぼえてゐてね。
エヴァンス:何もかも、僕は一生わすれないだらう。年をとると、何もかもがたのしい
夢のやうに思へてくるだらう。占領政策だの、焼趾だの、革新党内閣だのはみんな
忘れられて、広重の描いたやうな小さな可愛らしい日本だけが残るだらう。それだけが
僕の一生の夢、小さな幸福の思ひ出になるだらう。
伊津子:そのときなら私も安心して、絵の中の女になるでせう。白髪のおばあさんに
なつたときの私なら、喜んで今の私を、絵の中の女だと思ふでせう。

三島由紀夫34歳「女は占領されない」より
0039無名草子さん
垢版 |
2011/02/06(日) 23:49:14
いくら乱れた世の中でも、一本筋の通つたまじめな努力家の青年はゐるもんだよ。
結婚といふものは長い事業だからね。地道に着々と幸福を築いてゆける相手を探さなくちやいかん。


よくこんな経験があるものだ。十年も二十年も前に、たとへばピクニックに行つて、一人だけ
群を離れて、小滝や野の花の茂みのある静かな一劃に出てしまふ。そのとき何となく、
意味もなく口をついて出た言葉が、十年後、二十年後になつて、何かの瞬間に、再びふつと
口をついて出てくるのだ。すると永年小さな謎の蕾として眠つてゐたその言葉が、今度は
急速に花をひらき、意味を帯び、人生のその瞬間を決定する、とりかへしのつかない重要な
言葉になつてしまふのだ。


結婚して一ヶ月もたてば、大した苦労を嘗めなくても、女は十分現実を知つたといふ自信を
持つやうになる。


一等怖ろしいのは人間の言葉の魔力である。証拠らしい証拠がなくても、耳に注がれる言葉の
毒は、たちまち全身に廻つてしまふ。

三島由紀夫「お嬢さん」より
0040無名草子さん
垢版 |
2011/02/06(日) 23:51:19
玉のやうな男の児。「玉のやうな」とは何と巧い形容だらうと一太郎は思つてゐた。
明るい薔薇いろをした堅固な玉。弾む玉。野球のボールのやうに力強く飛びまはる玉。
それは飛び出して、ころころ転がつて、両親や祖父母の膝の上へ跳ね上り、笑ふ玉、喜ぶ玉、
きらきらした国旗の旗竿の玉のやうに青空に浮び上り……、それを見るだけでみんなに
幸福な気持を起させるのだ。


人の心といふものは、一定の分量しか入らない箱のやうなものである。


あなたはお嬢さんだわ。本当に困つたお嬢さん、私の妹だつたら、お尻にお灸をすゑてやるわ。
どうしてあなたは叫ばないの? 泣かないの? 吼えないの? 思ひ切つて、景ちやんの顔に
オムレツでもぶつけてやらないの? 花瓶を叩き割らないの? お宅の硝子窓だつて、
ずいぶん割り甲斐があるぢやない? あなたのヤキモチは小細工ばかりで醜いわ。そんなの、
ほんとに女の滓だわ。

三島由紀夫35歳「お嬢さん」より
0041無名草子さん
垢版 |
2011/02/08(火) 19:22:05
複雑な事情などといふものは、みんなただのお化けなのですわ。本当は世界は単純で
いつもしんとしてゐる場所なのですわ。少なくとも私はさう信じてをります。ですから
私には、闘牛場の血みどろの戦ひのさなかに、飛び下りて来て平気で砂の上を、不器用な
足取で歩いてゆく白い鳩のやうな勇気がございます。私の白い翼が血に汚れたとて、
それが何でせう。血も幻、戦ひも幻なのですもの。私は海ぞひのお寺の美しい屋根の上を
歩く鳩のやうに、争ひ事に波立つてゐるお心の上を平気で歩いて差上げますわ……。


この世の終りが来るときには、人は言葉を失つて、泣き叫ぶばかりなんだ。たしかに僕は
一度きいたことがある。


背広といふ安全無類の制服、毎日毎日のくりかへしの生活に忠実だといふ証文なんですね。

三島由紀夫「弱法師」より
0042無名草子さん
垢版 |
2011/02/08(火) 19:23:00
僕の魂は、まつ裸でこの世を歩き廻つてゐるんだよ。四方に放射してゐる光りが見えるでせう。
この光りは人の体も灼くけれど、僕の心にもたえず火傷をつけるんです。ああ、こんな風に
裸かで生きてゐるのは実に骨が折れますよ。実に骨が折れる。僕はあなた方の一億倍も
裸かなんだから。……ねえ、桜間さん、僕はひよつとすると、もう星になつてるのかもしれないんです。


川島:われわれはみんな恐怖のなかに生きてゐるんだよ。
俊徳:ただあなた方はその恐怖を意識してゐない。屍のやうに生きてゐる。


俊徳:みんな僕をどうしようといふんだらう。僕には形なんか何もないのに。
級子:形が大切なんですよ。だつてあなたの形はあなたのものぢやなくて、世間のものですもの。

三島由紀夫「弱法師」より
0043無名草子さん
垢版 |
2011/02/08(火) 19:25:19
年齢が何だつて言ふんです! 年齢が! 年齢といふものはね、一筋の暗闇の道なんです。
来し方も見えず、行末も見えない。だからそこには距離もないし、止つてゐるも歩いてゐるも
同じこと、進むのも退くのも同じこと、そこでは目あきも盲らになり、生きてゐる人間も
亡者になり、僕同様杖をたよりに、さぐり足でさまよつてゐるにすぎないんです。
赤ん坊も老人も青年も、つまりは同じ場所で、じつと身を寄せ合つてゐるのにすぎない。
夜の朽木の上にひつそりと群れ集まつてゐる虫のやうに。

三島由紀夫「弱法師」より
0044無名草子さん
垢版 |
2011/02/08(火) 19:26:14
僕はたしかにこの世のをはりを見た。五つのとき、戦争の最後の年、僕の目を炎で灼いた
その最後の炎までも見た。それ以来、いつも僕の目の前には、この世のをはりの焔が
燃えさかつてゐるんです。何度か僕もあなたのやうに、それを静かな入日の景色だと
思はうとした。でもだめなんだ。僕の見たものはたしかにこの世界が火に包まれてゐる
姿なんだから。
(中略)
世界はばかに静かだつた。静かだつたけれど、お寺の鐘のうちらのやうに、一つの唸りが
反響して、四方から谺(こだま)を返した。へんな風の唸りのやうな声、みんなでいつせいに
お経を読んでゐるやうな声、あれは何だと思ふ? 何だと思ふ? 桜間さん、あれは
言葉ぢやない、歌でもない、あれが人間の阿鼻叫喚といふ奴なんだ。
僕はあんななつかしい声をきいたことがない。あんな真率な声をきいたことがない。
この世のをはりの時にしか、人間はあんな正直な声をきかせないのだ。

三島由紀夫35歳「弱法師」より
0045無名草子さん
垢版 |
2011/02/12(土) 23:49:33
私は物と物とがすなほにキスするやうな世界に生きてゐたいの。お金が人と人、物と物、
あなたと私を分け隔ててゐる。退屈な世界だわ。さうぢやなくつて?


きれいな顔と体の人を見るたびに、私、急に淋しくなるの。十年たつたら、二十年たつたら、
この人はどうなるだらうつて。さういふ人たちを美しいままで置きたいと心(しん)から思ふの。
年をとらせるのは肉体じやなくつて、もしかしたら心かもしれないの。心のわづらひと
衰へが、内側から体に反映して、みにくい皺やしみを作つてゆくのかもしれないの。
だから心だけをそつくり抜き取つてしまへるものなら……。


ダイヤでもサファイアでも、宝石の中をのぞいてごらんなさい。奥底まで透明で、
心なんか持つてやしないわ。ダイヤがいつまでも輝いてゐていつまでも若いのはそのせゐよ。

三島由紀夫「黒蜥蜴」より
0046無名草子さん
垢版 |
2011/02/12(土) 23:50:34
小さいときから、宝石のやうに大事にされ、可愛がられて育つてきて、私、買はれるより
盗まれるのを夢みるやうになつたんだわ。
私を欲しがる人は、盗むくらゐの熱がなくつちやいや。厚い硝子の窓に守られ、
天鵞絨(ビロード)の台座に据ゑられた私を、硝子ごしにのぞいて通る人の目の中に、
諦らめや怒りや尊大な強がりや、さういふものが浮ぶのを見るのに飽きて、私はいつか
勇敢な泥棒の目ばかりを待ちこがれるやうになつたんだわ。


若くてきれいな人たちは、黙つてゐるはうが私は好き。どうせ口を出る言葉は平凡で、
折角の若さも美しさも台なしにするやうな言葉に決つてゐるから。あなたたちは着物を
着てゐるのだつて余計なの。着物は醜くなつた体を人目に隠すためのものだもの。
恋のためにひらいた唇と同じほど、恋のためにひらいた一つ一つの毛穴と、ほのかな産毛は
美しい筈。さうぢやなくて? 恥かしさに紅く染つた顔が美しいなら、嬉しい恥かしさで
真赤になつた体のはうがもつときれいな筈。

三島由紀夫「黒蜥蜴」より
0047無名草子さん
垢版 |
2011/02/12(土) 23:52:28
宝石には不安がつきものだ。不安が宝石を美しくする。


人間は眠る。宝石は眠らない。町がみんな寝静まつたあとでも、信託銀行の金庫の中で、
錠の下りた宝石箱の中で、宝石たちはぱつちりと目をひらいてをる。宝石は絶対に夢を
見ないのだ。ダイヤモンドのシンジケートが、値打ちをちやんと保証してくれてゐるから、
没落することもない。正確に自分の値打ち相応に生きてる者が、どうして夢なんか見る
必要があるだらう。あーあ。なあ、さうだらう、早苗? 夢の代りに不安がある。これは
ダイヤモンドの持つてる優雅な病気だ。病気が重いほど値が上る。値が上るほど病気も重る。
しかもダイヤは決して死ぬことができんのだ。……あーあ。宝石はみんな病気だ。
お父さんは病気を売りつけるのだ。澄んだ、光つた、純粋な小さな病気を。透明な病気、
青い病気、緋いろの病気、紫いろの病気。

三島由紀夫「黒蜥蜴」より
0048無名草子さん
垢版 |
2011/02/13(日) 15:59:01
危機といふものは退屈の中にしかありません。退屈の白い紙の中から、突然焙り出しの
文字が浮び上る。


犯人が黒い色で考へるところを僕が白い色で考へて、一枚の写真のやうに、ぴつたり
絵柄が合ふところまで行ければね。なかなかさうは行きません。これだけ沢山の事件を
くぐつて来たのに、犯罪といふものには、僕にどうしてもわからない部分が必ずある。
或る難事件が起るたびに、僕は自分が犯人であつたらなあと思ひますよ。僕が犯人なら
何でも知つてゐて、解けない謎はない筈ですから。だから僕は一心に犯人をまねる。
犯人の考へたやうに考へ、行つたやうに行はうとして精魂を傾ける。……しかしもう一歩の
ところで、惜しいかな、僕は犯人になりきれない、何かが心の中で僕の邪魔をして……。


犯罪といふものには、何か或る資格が要るのです。いいですか。犯人自身にもしかと
つかめない或る資格が。


どんな卑俗な犯罪にも、一種の夢想がつきまとつてゐる。

三島由紀夫「黒蜥蜴」より
0049無名草子さん
垢版 |
2011/02/13(日) 16:00:06
明智:…今発射したところで、射的の人形のやうに忽ち夜が倒れて、そのむかうから朝の
太陽が顔を出す筈もありません。このピストルはただ夢み、常識を逸脱し、一つのことを
待つてゐるのです。一つのこと、つまり、夜がはつきり脈を打ち、体温を帯び、徐々に
動物特有の匂ひを得て、一人の人間の姿に固まつて現はれる瞬間を。
緑川夫人:それでそれがあらはれたら、あなたは法律の名に於て発射なさる……。
明智:いいえ。夢想の名に於て。われわれ私立探偵の役割が刑事とちがふのはそこなんです。
夢想で夢想を罰する。犯罪の持つてゐる夢の要素を、僕の理智のゑがく夢で罰する。
それ以外に何の生甲斐があるでせう。


今の世の中ぢや。善いことといふのはみんな多少汚れてらあね。だからあんた方は
汚れた善いことの味方だから、いつまでもぱつとしないんだよ。そこへ行くと明智先生は
ちがふわね。あの先生はこの世の中で成り立たないやうな善と正義の味方らしいわ。

三島由紀夫「黒蜥蜴」より
0050無名草子さん
垢版 |
2011/02/13(日) 16:01:13
トリックはなるたけ大胆で子供らしくて莫迦げてゐたはうがいいんだわ。大人の小股を
すくふには子供の知恵が必要なんだ。犯罪の天才は、子供の天真爛漫なところをわがものに
してゐなくちやいけない。さうぢやなくて?


私は子供の知恵と子供の残酷さで、どんな大人の裏をかくこともできるのよ。犯罪といふのは
すてきな玩具箱だわ。その中では自動車が逆様になり、人形たちが屍体のやうに目を閉じ、
積木の家はばらばらになり、獣物たちはひつそりと折を窺つてゐる。世間の秩序で
考へようとする人は、決して私の心に立入ることはできないの。……でも、……でも、
あの明智小五郎だけは……

三島由紀夫「黒蜥蜴」より
0051無名草子さん
垢版 |
2011/02/13(日) 16:02:09
黒蜥蜴:あのときのお前は美しかつたよ。おそらくお前の人生のあとにもさきにも、お前が
あんなに美しく見える瞬間はないだらう。真白なスウェータアを着て、あふむき加減の
顔が街灯の光りを受けて、あたりには青葉の香りがむせるやう、お前は絵に描いたやうな
「悩める若者」だつた。つややかな髪も、澄んだまなざしも、内側からの死の影のおかげで、
水彩画みたいなはかなさを持つてゐた。その瞬間、私はこの青年を自分の人形にしようと
思つたんだわ。


黒蜥蜴:…その夜のうちに、お前は私の人形になる筈だつた。……でも、どうでせう。
気がついてからのお前の暴れやう、哀訴懇願、あの涙……
雨宮:それを言はないで……。
黒蜥蜴:お前の美しさは粉みぢんに崩れてしまつた。死ぬつもりでゐたお前は美しかつたのに、
生きたい一心のお前は醜くかつた。……お前の命を助けたのは情に負けたんぢやないわ。
命を助けてくれれば一生奴隷になると言つたお前の誓ひに呆れたからだわ。

三島由紀夫「黒蜥蜴」より
0052無名草子さん
垢版 |
2011/02/13(日) 23:04:58
今日も何事もなく日が沈む。この大都会、白蟻に蝕まれたやうに数しれない犯罪に
蝕まれたこの大都会に日が沈むんだ。殺人、強盗、誘拐、強姦……、言葉にしてみれば
他愛もないんだが、みんなその一つ一つに人間の知恵と精力と、怒りと嫉妬と、欲望と
情熱がせめぎ合つてゐる。その一つ一つが狂ほしい道に外れた人間の、それでも全身的な
表現なのだ。こいつのどこから手をつけたらいい? 依頼主か。こりやあ自分のことしか
考へない。犯罪の本質にいつも向き合つて、その焔の中の一等純粋なものを身に浴びなければ
ならないのは僕なのだ。僕には犯罪の全体が見える。それはたえず営々孜々とはげんでゐる
世界一の大工場みたいなものだ。ほとんど無数の工員。昼夜兼帯の作業。あの夕映えを
見てゐると、その工場のものすごく巨大な熔鉱炉のあかりみたいな気がする。……今ごろ
黒蜥蜴はどうしてゐるだらうか?

三島由紀夫「黒蜥蜴」より
0053無名草子さん
垢版 |
2011/02/13(日) 23:06:19
今の時代はどんな大事件でも、われわれの隣りの部屋で起るやうな具合に起る。どんな
惨鼻な事件にしろ、一般に犯罪の背丈が低くなつたことはたしかだからね。犯罪の着てゐる
着物がわれわれの着物の寸法と同じになつた。黒蜥蜴にはこれが我慢ならないんだ。
女でさへブルー・ジーンズを穿く世の中に、彼女は犯罪だけはきらびやかな裳裾を
五米(メートル)も引きずつてゐるべきだと信じてゐる。……さういふ考へは、僕にも
分らんことはないよ。


僕の惚れ方は相手の手も握らずに、相手をぎりぎりの破局まで追ひつめることしかない。
これほど清潔でこれほど残酷な恋人はないだらう。僕のやさしさは、相手を破滅させる
やさしさで、……これがつまり、あらゆる恋愛の鑑なのさ。

三島由紀夫「黒蜥蜴」より
0054無名草子さん
垢版 |
2011/02/14(月) 13:28:14
明智:この部屋にひろがる黒い闇のやうに
黒蜥蜴:あいつの影が私を包む。あいつが私をとらへようとすれば、
明智:あいつは逃げてゆく、夜の遠くへ。しかし汽車の赤い尾灯のやうに
黒蜥蜴:あいつの光りがいつまでも目に残る。追はれてゐるつもりで追つてゐるのか
明智:追つてゐるつもりで追はれてゐるのか
黒蜥蜴:そんなことは私にはわからない。でも夜の忠実な獣たちは、人間の匂ひをよく
知つてゐる。
明智:人間たちも獣の匂ひを知つてゐる。
黒蜥蜴:人間どもが泊つた夜の、踏み消した焚火のあと、あの靴の足跡が私の中に
明智:いつまでも残るのはふしぎなことだ。
黒蜥蜴:法律が私の恋文になり
明智:牢屋が私の贈物になる。
黒蜥蜴&明智:そして最後に勝つのはこつちさ。

三島由紀夫「黒蜥蜴」より
0055無名草子さん
垢版 |
2011/02/14(月) 13:30:11
この「エヂプトの星」はかうして私の手に渡つて、私の胸にかがやいてゐるのに、
露ほども私に媚を売らうとしない。女王さまの胸につけられてもきつとさうだらう。
宝石は自分の輝きだけで充ち足りてゐる透きとほつた完全な小さな世界。その中へは誰も
入れやしない。……持主の私だつて入れやしない。……人間も同じこと。私がすらすらと
中へ入つてゆけるやうな人間は大きらひ。ダイヤのやうに決して私がその中へ入つて
ゆけない人間。……そんな人間がゐるかしら? もしゐたら私は恋して、その中へ入つて
行かうとする。それを防ぐには殺してしまふほかはないの。……でも、もしむかうが
私の中へ入つて来ようとしたら? ああ、そんなわけはないわ。私の心はダイヤだもの。
……でももしそれでも入つて来ようとしたら? そのときは私自身を殺すほかはないんだわ。
私の体までもダイヤのやうに、決して誰も入つて来られない冷たい小さな世界に変へて
しまふほかは……

三島由紀夫「黒蜥蜴」より
0056無名草子さん
垢版 |
2011/02/14(月) 13:31:13
明智:君は……
黒蜥蜴:捕まつたから死ぬのではないわ。
明智:わかつてゐる。
黒蜥蜴:あなたに何もかもきかれたから……
明智:真実を聴くのは一等辛かつた。僕はさういふことに馴れてゐない。
黒蜥蜴:男の中で一等卑劣なあなた、これ以上みごとに女の心を踏みにじることはできないわ。
明智:すまなかつた。……しかし仕方ない。あんたは女賊で、僕は探偵だ。
黒蜥蜴:でも心の世界では、あなたが泥棒で、私が探偵だつたわ。あなたはとつくに
盗んでゐた。私はあなたの心を探したわ。探して探して探しぬいたわ。でも今やつと
つかまえてみれば、冷たい石ころのやうなものだとわかつたの。
明智:僕にはわかつたよ。君の心は本物の宝石、本物のダイヤだ、と。
黒蜥蜴:あなたのずるい盗み聴きで、それがわかつたのね。でもそれを知られたら、
私はおしまひだわ。
明智:しかし僕も……
黒蜥蜴:言はないで。あなたの本物の心を見ないで死にたいから。……でもうれしいわ。
明智:何が……
黒蜥蜴:うれしいわ。あなたが生きてゐて。

三島由紀夫36歳「黒蜥蜴」より
0057無名草子さん
垢版 |
2011/02/17(木) 19:31:48
森:…やつぱりこんなに月の明るい静かな秋の夜だつた。兵隊たちは忍び足で、まつ白な
月かげに剣附鉄砲を光らせて、浜づたひにやつて来たのだ。クウ・デタ。失敗したにしろ、
栄光にみちた言葉だ。とにかく十・一三事件はすばらしい事件だつた。わしはその二年前、
大蔵大臣に任ぜられて、時の内閣に列なつたときよりも、十・一三事件に狙はれたときのはうが、
もつと高い栄光の絶頂に立つてゐたのだ。
豊子:いつもそれを仰言るのね。そのときは慄へていらしたくせに。
森:わしが怖がつたの怖がらなかつたのといふことは問題ぢやない。狙はれたといふことだけが
重要なんだ。暗殺者に、それも一個中隊の叛乱軍に狙はれる。これこそ政治家の光栄の
絶頂だ。よくも狙つてくれたものだ。あの若い兵隊たちの鼻の上には、いつも憎いわしの
銅像が、国賊の銅像、資本家どもの守り神の銅像が、のしかかつて笑つてゐたのだ。
あの一人一人の兵隊の鼻の上に、昼となく、夜となく……。あとでそれを思ふと、わしは
喜びでぞくぞくしたもんだ。

三島由紀夫「十日の菊」より
0058無名草子さん
垢版 |
2011/02/17(木) 19:33:27
あのころ上層部の生活のちよつとした動きまでが、下級将校の耳にピリリと伝はつた。
同じ血潮の夢をゑがきながら、あんなにまで老人と若者がお互ひに近づいたことはなかつた。
あいつらは知つてゐた、百梃の機関銃の前には内閣も大銀行もフェルトの帽子のやうに
脆いことを。あいつらは一寸それを頭にのつけて洒落てみたいと思つたのだ。実に
若者らしい夢だつた。そのためには老衰した水つぽい血がほんのすこし流れればよかつたのだ。
……それでもお父さんは殺されはしなかつたぞ! 若者たちの夢を裏切つてやることが、
大人たちのつとめだからだ。いや、そんなに固苦しくいふことはない。わしはやつらの夢を
愛してゐたから、するりと身をよけて遠くのはうから、やつらの夢を嘲笑つてやることも、
同じやうに愛してゐたわけだ。……わかるかね、豊子。……十六年前の今夜、白刃と
ピストルと機関銃とに取り巻かれてゐた輝やかしいわしが、今夜はかうして、不恰好な
トゲだらけのサボテンに囲まれてゐる。……いいかね。これが人生といふものだ。

三島由紀夫「十日の菊」より
0059無名草子さん
垢版 |
2011/02/17(木) 19:36:47
怨みは時が積れば忘れもしようが、一旦人に施した恩は忘れようとしたつて忘れられる
ものぢやない。


稲妻のやうにあの事件が、青い光りをここの御家族へ投げ入れます。……あの晩、はつきり
申し上げますわ、私は旦那様の妻でした。誰も否定できませんわね、旦那様。あの晩私は、
この身一つであなたに歓びを与へ、この身一つであなたのお命を助けようとしてゐる
完全無欠な妻でした。


歴史といふ奴はごみための封印さ。たつた一行書き直しても、封印が破けてしまふ。
そしてそこから数しれない怪物が、翼をひろげて飛び出すのだ。


酔つぱらひの介抱役がいつも介抱するめぐり合はせになるやうに、一度人助けをしたら
どこまでも人を助ける羽目になるものかしら? 私はゆうべ今さらながら、しみじみと
感じたの。助けた人間と、助けられた人間とは、決してわかり合ふことなんかない。
それは王様と乞食みたいに、別々の世界にとぢこめられた人間なんだつて。

三島由紀夫「十日の菊」より
0060無名草子さん
垢版 |
2011/02/17(木) 19:38:55
重高:菊さん、死んだやつはみんな仕合せだ思はないかね。こんな澄んだ秋の朝空には、
死んだ奴らの霊が喜々として戯れてゐる。空は奴らの霊でひしめいてゐる。満員の
高架鉄道みたいに。しかし肩をすり合はせ、肱をすり合はせてゐても、奴らは厭ぢやない。
個体といふものがなくなつて、透明な全体の中に溶け合つてゐるからだ。……われわれのやうに、
生きてゐるといふことは、つまり何ものかに嘲られてゐるといふことだ。その大きな
嘲笑ひの前には、われわれはちつぽけな虱(しらみ)だよ。
菊:さういふ考へ方もございませうね。しかし生れついての虱だつたら、そんな風に
考へることはございますまい。


豊子:あ、男がコートを草に敷いて、女と並んで座つたわ。女の肩に手をかけた。……
女の肩にはどうしても男の固い重い掌が要るんだわね。恋が女の制服なら、男の重い掌は
そのいかつい肩章なのね。あの掌から女の体に伝はつて来るもの、あれは濃い葡萄酒を
血のなかへ注ぎ込むやうなものだわね。
垣見:さあ、どうでございませうか。ずいぶん感じの鈍い女も沢山をります。

三島由紀夫「十日の菊」より
0061無名草子さん
垢版 |
2011/02/17(木) 19:46:20
豊子:…時折風に乗つて、あの若い動物たちの麝香の匂ひがここまで伝はる。若いの。
どれもこれもみな若い。あの若さが潮風みたいに、当つてゐるときは気がつかなくても、
あとでひりひりするいやな痛みをこちらの肌に残すの。若いといふことがどうしてそんなに
偉いんでせう。
垣見:第一腰が痛みません。関節が痛みません。それだけでも大したことでございます。
豊子:若いといふことは非難や中傷とおんなじで、人を陥れる働らきをするんだわ。
若さといふものは陰謀なんだわ。悪辣な陰謀なんだわ。さうでなければ、「私たちは若い」
と語つてゐる男や女の目が、あんなにお互ひに素速い親密な目くばせをすることなんか
できない筈だわ。
垣見:陰謀なんて、そりやあ御思ひすごしでございませうな。強ひて云へば、同盟といふ
やうなものかもしれません。いづれにしましても、あんまりお金には縁のない同盟なんでして。

三島由紀夫「十日の菊」より
0062無名草子さん
垢版 |
2011/02/17(木) 19:47:37
菊:醜い裏切りが美しい犠牲に、化けられるとでも仰言るんですか。助けられた人が
助ける人に成り変れるとでもお思ひなんですか。いいえ、決してそんなことが……
重高:今度は俺が君の確信をこはす番だ。一生のうちにたつた一瞬かもしれないが、
人間はその役割を交換することができるんだ。それができなかつたら、人生に一体何の
値打がある。その一瞬が今朝来たんだ。


重高:…今しがたわかつたんだ。津波はあの海から起るのぢやない。津波は或る朝、
俺の中の死んだ海から、来る日も来る日もいくら釣糸を垂れても魚一つかからない死んだ
海の只中から、突然起るんだと。それがわかつたんだ! 菊さん、津波は今起つたんだよ、
疑ひやうもなく。

三島由紀夫「十日の菊」より
0063無名草子さん
垢版 |
2011/02/17(木) 19:48:42
森:…ところでわしにも、お前の知らない思ひがあつたのだ。例の事件の只中に、
わしがその抜け穴から逃げ出して、暗い山道を駆けてゐたために、つひに見ることの
できなかつたのが心残りの……。
菊:何をでございます。
森:お前のそのときの輝やくばかりの裸をだよ。
菊:え?
森:ここにお前のその裸が、百年に一度とないほどの歴史の光りに照らしだされたお前の
裸が、倒れた記念碑のやうに横たはつてゐたのだなあ。兵隊たちの吐きかけた唾のおかげで、
ますます誉れを高めたその美しい裸が。……菊、われわれはそのときこそ一心同体だつたんだ。
罵られ、唾を吐きかけられながら、誰も犯すことのできなかつたその神々しいほどの女の裸は、
正に絶頂に達したわしの栄光の具体的なあらはれだつたのだ。お前の裸がわしの栄光であり、
わしの栄光がお前の裸だつたのだ。……しかし残念なことに、わしはそれを見なかつた。
十六年間、このベッドを見るたびに、ここにわしはその夜のお前の寝姿を思ひ描いた。
本当だよ、菊、本当だよ。

三島由紀夫36歳「十日の菊」より
0064無名草子さん
垢版 |
2011/02/18(金) 11:15:36
どうして作者が主人公を救つたりする必要があるんです、そのためにたとへ地獄へ落ちようと。
安物の小説家は、安手な救済を用意します。あれは安い麻薬です。小説の中に
「生きるための手引」なんぞを上手に織り込みます。あれは売薬の広告です。……もちろん
小説を書くといふこと、実在のまねをして人をたぶらかすこと、それは罪だと私は知つてゐます。
だからせめて私は、救済のまねごとまでは遠慮したんです。


私がまねようとした実在、その結果世間の人がみんな信じるやうになつた実在、あの
五十四人の女に愛された光といふ人間は、はじめからそこらにある実在とはちがつて
ゐたんです。どうちがつてゐたか? どうしてそれが特別の実在だつたか? それは
月のやうな実在で、いつも太陽の救済の光りに照らされて輝いてゐた。だから女たちは
その輝やきに魅せられて彼を愛した。彼に愛されれば、自分も救はれるやうな気がしたからです。

三島由紀夫「源氏供養」より
0065無名草子さん
垢版 |
2011/02/18(金) 11:16:40
いいですか。私のしたことはといへば、この救済の光りだけを存分に利用しておいて、
救済は否定したといふことなの。これが天の妬みを買つたんです。そんじよそこらの実在と
安手な救済との継ぎはぎ細工なら、天は笑つて恕すでせうに、私の場合は恕せませんでした。
何故つて光のやうな人間こそ、天が一等創りたい存在だからです。救済の輝やきだけを
身に浴びて、救済を拒否するやうな人間こそ。……わかりますか。天はそれを創りたくても
創れない。何故なら光の美しさの原因である救済を天は否定することができないからです。
それができるのは芸術家だけなんですよ。芸術家は救済の泉に手をさし入れても、
上澄みの美だけを掬ひ取ることができる。それが天を怒らせるのよ。

三島由紀夫37歳「源氏供養」より
0066無名草子さん
垢版 |
2011/02/19(土) 11:43:12
豊:美濃子! 俺の気持がわからないのか。
美濃子の声:いけません。いけません。あなたの気持などを仰言つては。
豊:美しい美濃子! 俺の二十歳の生涯に、君ほど美しい人は見たことがない。
ある日、天から降つた花びらのやうに、君の清らかな姿は、俺の瞼に落ちかかり、
俺の目をふさいでしまつた。それからといふものは、世界は俺にとつては一片の花びらだつた。
世界は君の姿の形、一片の花びらの形になつた。美濃子! 君のおかげで、意味あるものは
意味を失ひ、とるにたらぬものが香りを放つた。むかしは荒野が俺の住家、今はその住家が
いとはしい、君のやさしい顔の小函、それを夜も昼も家に飾つて、眺めあかして暮らすので
なくては、美濃子、俺の住家はもう墓場だ。それがなくては俺は屍、その小函だけで
世界の幸が買へるのだ。美濃子、君が好き、君が好き、君が好きだ。
美濃子の声:私を好いてはいけません。
豊:なぜだ。
美濃子の声:私たちは結ばれない星の下に生れたのです。

三島由紀夫37歳「美濃子」より
0067無名草子さん
垢版 |
2011/02/20(日) 20:21:13.34
僕は社会をひつくりかへすために陰険な策謀をめぐらしたり、無辜(むこ)の市民を
傷つけるやうな計画を立てたり、日本の歴史と文化の伝統を破壊しようと企てたり、そのために
友を裏切り、恩人を裏切り、目的のためには手段をえらばぬと云つた、さういふ連中を
憎みます。一市民として憎みます。これが僕の信念です。


全学連の女の子が、われわれに怒鳴つた言葉はこたへたなあ。今でもときどき思ひ出しますよ。
女子学生がですよ。かりにも教養のある女子学生がかう言つたのです。「そんな顔でお嫁が
来ると思ふか。もつと心を入れかへて勉強しろ。バカ。無智。人殺し」つて。われわれの親は
貧乏で、心を入れかへて勉強しようにも、大学へ進めなかつたんですからね。
…まあ、女子学生にそこまで言はせた、大きな国際的陰謀があるわけですよ。

三島由紀夫「喜びの琴」より
0068無名草子さん
垢版 |
2011/02/20(日) 20:22:13.85
国際共産主義の陰謀ですよ。あいつらは地下にもぐつて、世界のいたるところで噴火口を
見つけようと窺つてゐるんです。世界中がこの火山脈の上に乗つかつてゐるんです。もし
この恣まな跳梁をゆるしたら、日本はどうなります。日本国民はどうなります。日本の歴史と
伝統と、それから自由な市民生活はどうなります。われわれがガッチリ見張つて、奴らの
破壊活動を芽のうちに摘み取らなければ、いいですか、いつか日本にも中共と同じ血の粛正の
嵐が吹きまくるんです。
地主の両足を二頭の牛に引張らせて股裂きにする。妊娠八ヶ月の女地主の腹を亭主に踏ませて
踏ませて殺す。あるひは一人一人自分の穴を掘らせて、生き埋めにする。いいかげんの
人民裁判の結果、いいですか、中共では十ヶ月で一千万以上の人が虐殺された。一千万といへば、
この東京都の人口だ。それだけの人数が、原爆や水爆のためぢやなくて、一人一人同胞の手で
殺されたのだ。それが共産革命といふものの実態です。それが革命といふものなんです。
こんなことがわれわれの日本に起つていいと思ひますか。

三島由紀夫「喜びの琴」より
0069無名草子さん
垢版 |
2011/02/20(日) 20:23:06.25
片桐:……考へてみろよ。二・二六事件の将校は英雄になつたが、彼らに射たれて死んだ警官は
名前も忘れられ、ただガラスのケースの中の英雄になつた。俺たちは永遠の脇役で、権力と
叛逆者の板ばさみになつて、つまらない人間のためにも身を捨てるんだ。そのとき残るのは
何だと思ふ。同じ立場の俺たちの信頼だけだ。…(中略)
瀬戸:…警察官も一つの職業だよ。人を疑ふのが商売で、それに徹すりやいいんだ。
疑つてるうちに、カンも発達してくる。さうすりや、疑はないでいいことと、疑ふべきことの
区別がついてくる。善良な市民に迷惑をかけるおそれもなくなる。実績も上つてくる。
さうなるための第一歩は、まづ何でも疑つてかかることだ。人を見たら泥棒と思へ、さ。
まづそこからはじめるんだ。さうして疑ふ技術を洗煉するんだ。人を信じるだの信頼するだのつて、
耳や目が遠くなつてからでもゆつくりできるぜ。

三島由紀夫「喜びの琴」より
0070無名草子さん
垢版 |
2011/02/20(日) 20:24:46.89
野津:この雪の中のあちこちで、毛唐や三国人があひかはらず、悪事をたくらんで動き
まはつてゐる。
堀:しかし管内には麻薬犯罪がなくて助かるよ。
野津:白い悪魔の粉のごとく、麻薬のごとく雪はふる、か。


俺はストライキのことしか知らないが、群衆心理つてのは怖ろしいもんだぜ。一人が
ワッと叫ぶと、みんなその気になつちまふんだ。まあ、いはば、蕁麻疹みたいなもんだ。
それに乗せられるのも一時はいい。一時はいいが、気をつけろよ。手綱を引きしめるのを
忘れるなよ。こんな説教みたいなことは言ひたくないが、君はまだ若いんだし、今日の
午すぎからでも、急にそんな人気者にならないとも限らんし、今のうち言つておくのが
いいと思ふんだ。マスコミちふのは軽薄だからな。ぽんと乗せて、ぽいと捨てる、そりやあ
よつぽど気をつけなくちやいかんぜ。

三島由紀夫「喜びの琴」より
0071無名草子さん
垢版 |
2011/02/21(月) 11:32:45.18
はじめから憎んでゐたものが憎らしいのは当り前の話さ。……なあ、片桐、思想といふのは、
いろんな形をとるものさ。あるときはライオンの。あるときは可愛い小鼠の。憎むんだから、
そいつから目を離さず、そいつの千変万化の変身にあざむかれず、この世界のあらゆるものに
そいつの影を見つけ、花にも自転車にも雲にも小さなマッチ箱にも、怠りなくそいつの影を
読みとらなければならないんだ。それには力が要る。綿密な注意が要る。そりやあ物事を
本当に信じるのとほとんど同じくらゐ力の要る仕事だ。


やはりお前は裏切られた怒りを選ぶのか。そんならこの傷は手ひどく祟るぞ。一生痛み
つづけるぞ。それもみんなお前の罪なんだ。思想よりも人間を選んだお前の罪なんだ。
こんなまちがひは若い栗鼠しかやらない。くるみとゴルフのボールをまちがへるやうなことは、
公安のおまはりは決してやつてはならんことだ。

三島由紀夫「喜びの琴」より
0072無名草子さん
垢版 |
2011/02/21(月) 11:33:57.74
俺はな、ずうーつと前からよ、ずうーつと前から松村を臭いと思つとつたよ。あいつと
佐渡との関係も臭いと睨んどつたよ。カンだな。永年のカンちふものは怖ろしいよ。
あいつの目つきから、顔つきから、何から何まで気に入らない。何かよくわからないが、
プーンとアカの匂ひがしとつたんだね。垢の匂ひか。まあ、おんなじやうなもんさ。
アカは匂ひを立てよるよ。腐つた魚みたやうな。お前、留置場の匂ひを知つとるだろ。あれだ。
はじめから暗い場所へ入るやうにできてる人間は、さういふ匂ひを立てる。今ごろ松村は、
いちばん自分の匂ひにぴつたりの場所にゐるわけだよ。さうだよ。なあ。

三島由紀夫「喜びの琴」より
0073無名草子さん
垢版 |
2011/02/21(月) 11:35:55.92
片桐:あなたきこえるんですね。あの琴が。
川添:きこえるとも。たしかにきこえる。
片桐:実は、僕にもきこえるんです。……どうです。あの澄んだ、静かな、心の休まるやうな
やさしい音楽。
川添:お前もきこえるのか。
片桐:さうです。今きこえはじめたんです。しかし今、僕は一寸ミスをやりました。
川添:ミスつて?
片桐:うつかり同僚に「あれがきこえるか」つて訪ねてしまつたんですよ。どうやら
やつらにはきこえないらしいんです。自分一人にきこえるんだつたら、それを秘密にして
おくべきですね。
川添:わしはみんな喋つちまふ。だから莫迦にされるんだ。


片桐:あ、きこえる。きこえる。みんなにはきこえないんだ。
川添:わしら二人だけだ、この世界に。
片桐:いつかみんなにきこえるやうになりませんかね。
川添:無理だらう。わしはどれだけみんなに宣伝したか。何しろ天からまつすぐに、
澄み切つた琴の音が落ちてくるんだから。

三島由紀夫38歳「喜びの琴」より
0074無名草子さん
垢版 |
2011/02/22(火) 11:10:22.03
人間はみんなこの地球の上の居候さ。


……ほら、二階の窓があきます。喪服の老夫人が謡をうたつてゐます。あれは日本の悲しみと
過去の象徴なの。あそこから死と思ひ出の歌がひびいて来ます。それから……ほら、
中二階の茶室の障子があきます。静かな中年の夫婦がお茶のお点前をしてゐます。あれが、
何もかも忙しさの中に見失ふ年ごろの人たちに、静けさの意味を教へるんですわ。ええ、
もちろんお客様はいつでもあの部屋へ行つて、お茶を習ふことができます。……今度は……
ほら、向うの橋から、凛々しい若者がやつて来ました。あれこそ日本の雄々しい若さ、
それもつつしみ深い、礼儀正しい若さの姿ですわ。日本の青年はみんな全学連に入つて
ゐたり、町角で女の子をからかつてゐるわけぢやありません。もしお客様がお望みなら、
あの人はよろこんで弓の手ほどきをするでせう。どう? これが私たちの独特のホテルの
おもてなしなのよ。

三島由紀夫「恋の帆影」より
0075無名草子さん
垢版 |
2011/02/22(火) 11:11:12.58
この左手が春の橋、私たちのくぐつてきたあの橋が夏の橋、家のうしろに秋の橋と冬の橋が
あつて、家のまはりがみんなああいふ低い粗末な橋に囲まれて、だからむかしこの邸は、
四つ橋屋敷と呼ばれてゐましたの。(中略)
梅さんの操るこの小さな和船、そして今にも落ちさうな朽ちかけた小さな橋、それだけが
この家と外界をつなぐよすがなんです。舟が沈み、橋が朽ちたら、ここは外界から
ぱつたりと縁を絶たれ、ここにあるすべてが本当の夢になるんです。今いらしたせまい川を、
梅さんの小舟が、まるで体をすりつけて甘える小猫みたいに、あやめのまじる川岸の草に、
船ばたをこすりつけながら来たでせう。あれでなくてはいけないんだわ。両側の岸から
さし交はす枝々が、たえず木影を舟に辷らせ、ときどき真菰(まこも)の草むらから
かはせみが翔つ。それでなくてはいけないんだわ。ここではすべてが何かから護られ、
じつと大人しく日本の美しさの中に閉ぢこもつてゐることができるんです。帆舟なんて、
ざわざわと風にはためく帆舟なんて、決してそんなものが……。

三島由紀夫「恋の帆影」より
0076無名草子さん
垢版 |
2011/02/22(火) 11:12:24.77
お客とは何ぞや。それは不幸な、いらいらした、始終幸福を求めてゐる人たちなのです。
ホテルの窓の数ほどに沢山な苦情の種子を見つけ、自分がホテルからどの程度に重んじられて
ゐるかを気にし、水道の出が一寸わるくても、ドアの鍵の具合が一寸わるくても、忽ち
そのホテルを三流ホテルときめつけます。それといふのも、偶然の故障などといふものを
お客はみとめず、それをすべて自分が軽んじられてゐる証拠だと思ひ込むからです。


何故自然をありのままに売物にできないんです。私たちの自然な日本人の生活を、
不自由は百も承知で、そのまま売物にできないんです。


みゆき:私たちは世界に対して閉ざされた宝石になるのですね。日本の美しさと艶やかさを、
氷の中の花にしてしまひ、誰にも手を触れさせないで、誰にも微笑を向けて暮すんですね。
正:それこそ姉さん、あなたにぴつたりのホテルですよ。

三島由紀夫「恋の帆影」より
0077無名草子さん
垢版 |
2011/02/22(火) 19:35:44.61
みゆき:…本当の姉弟がこんなことをするかしら? 本当の弟がこんな風に姉さんの胸を
探るかしら? 本当の姉弟がこんな風に? 今、喜死鳥(かはせみ)が立つたわ、青い
羽根をかがやかせて。ああ、私たちは何度もここへ帰つてくる。そこでは世間は嘘の鎧で
しつかりと私たちを護つてくれ、その中で私たちの体は虹のやうに融ける。嘘は私たちの
ことぢやない。嘘はただ世間が私たちにくれた免罪符だわ。それをまちがへちやいけないわ。
正:なぜあなたは自由が欲しくないんだ。なぜ曇つたままの鏡が好きで、それを拭き取らうと
しないんだ。
みゆき:七色の滴に覆はれた鏡のはうが、ずつときれいに映るからだわ。女には正確な
鏡なんか要らないのよ。
正:今なら僕たちはみんなに大事に護られてきた嘘の温室の硝子屋根を打ち割つて、
公然と……
みゆき:公然と、何をするの?
正:結婚することだつてできるんだ。
みゆき:結婚? まあ、いやだ、そんな下品なこと。

三島由紀夫「恋の帆影」より
0078無名草子さん
垢版 |
2011/02/22(火) 19:36:57.23
がまがへるの目には、がまがへるが美しいし、俺の目には、こんなおかちめんこが美しいのさ。
地球の目には月が美しく、月の目には地球が美しい。宇宙に鏡があれば地球もその
あばた面の美に目ざめ、ほかのあばた面の星を探しに出かけるだらう。思想家には眼鏡が
美しく、芸術家にはお金が美しい。


あの方を見ると、すべてが救はれ、あの方と話してゐるあひだは、どんな曇りの日にも
青空が見え、雨の夜にも月がかがやくんです。遠くからあの方の紺絣のお姿、弓を手にした
凛々しいお姿を見ただけでも、一日の仕合せが買へるのです。そんな安い私の仕合せなのに、
私の苦しみと不幸はもつと安くて、ほとんど只みたいに無尽蔵に湧いて来ます。同じ水から
生れたものでも、仕合せは虹、不幸は霧、虹はつかのまに消えてしまふのに、霧は全部を
包んでしまふ。……それといふのも、どうしたらあの方に愛されるか、私にはわからない
せゐなんだわ。

三島由紀夫「恋の帆影」より
0079無名草子さん
垢版 |
2011/02/22(火) 19:38:24.45
啓夫人:今ごろ、あの子は嵐の荒れ狂ふ湖へ、あてどもなく漕ぎ出してゐるんだわ。
啓:罪のない者は美しく死なせてやれ。罪を重ねた奴には、そんな死に方はできやしない。
どうせ脳溢血か胃癌がオチさ。……それに罪のない者がゐなかつたら、あいつらの純白の
カンヴァスがなかつたら、絵具と絵筆はどうして暮したらいいんだね。私たちはその
カンヴァスをいつも探してゐたんぢやないのかね。そして今夜やつとそれを探し当てたんぢや
ないのかね。


みゆき:私は知つてゐます。私たちのことを告げ口されたら、きつとあの娘は死ぬでせう。
それはあの娘が純なばかりでなく、あなたにははつきり女を死なせるだけの力があるわ。
女の私の言ふことだから、まちがひがない。どう? これで満足が行つたでせう。
正:だから僕は……
みゆき:お待ちなさい! さうやつて立上がるあなたは滑稽だわ、啓様の言ふやうに、
自分の己惚れの、自分の魅力のおそろしい結果をたしかめるために、いそいそと
出かけてゆく滑稽な男だわ。
正:ちがふ!

三島由紀夫「恋の帆影」より
0080無名草子さん
垢版 |
2011/02/22(火) 19:40:18.51
みゆき:…死ぬわ、あなたもあの娘も、助けようとする力が殺す力になり、お互ひが
生きようとして沈め合ふわ。ああ! 溺れた人のおそろしい力、何か別の力がのりうつり、
底のはうから手助けでもしてゐるやうな、あの夢の中で胸を押へる夢魔よりも非情な力、
あれに取り縋(すが)られたらもうおしまひだわ。死ぬわ、いいえ、あなた一人だけでも。
嵐の中をさすらひ求め、叫ぶ声も涸れ、漕ぐ腕も萎え、舟はまるで茶碗の底へ銀の匙のやうに
らくらくと沈む。あなたは溺れるわ。溺れるわ。水があなたの内側まで充たさうと、
外側からひしめき合つて雪崩れ込む。わかつてゐるの? 水は人の外側から、人が浮ぶのを
支へてゐるのにすぐ倦きる。湖の水は人の内側にあこがれる。そこにどんなに美しい、
どんなに暖かい、水のねぐらがあるかを知りたいんだわ。水は自分の古い親戚の、
海のやうに塩辛い人間の血に、その暖かいねぐらで直に会ひたいんだわ。だから勢ひ込んで、
軍隊のやうに、水はあなたの中へ攻め寄せる。息を追ひ出し、息よりももつと濃い命で
あなたを充たし、……さうしてあなたを自分のものにするために。

三島由紀夫39歳「恋の帆影」より
0081無名草子さん
垢版 |
2011/02/23(水) 15:32:37.44
女の貞淑といふものは、時たま良人のかけてくれるやさしい言葉や行ひへの報いではなくて、
良人の本質に直に結びついたものであるべきだといふことですわ。蝕まれた船は蝕む虫と、
海の本質を頒け合つてゐるのですわ。


女が男にだまされることなんぞ、一度だつて起りはいたしません。


私がずつと前からアルフォンスを知つてゐたといふ気持は、ひつくりかへりはいたしません。
あの人に急に尻尾が生えたり、角が生えたりしたわけではないのですもの。私はともすると
あの人の陽気な額、輝く眼差の下に隠されてゐた、その影を愛してゐたのかもしれませんの。
薔薇を愛することと、薔薇の匂ひを愛することと分けられまして?

三島由紀夫「サド侯爵夫人」より
0082無名草子さん
垢版 |
2011/02/23(水) 15:33:27.98
幸福といふのは、何と云つたらいいでせう。肩の凝る女の手仕事で、刺繍をやるやうな
ものなのよ。ひとりぼつち、退屈、不安、淋しさ、物凄い夜、怖ろしい朝焼け、さういふものを
一目一目、手間暇をかけて織り込んで、平凡な薔薇の花の、小さな一枚の壁掛を作つて
ほつとする。地獄の苦しみでさへ、女の手と女の忍耐のおかげで、一輪の薔薇の花に
変へることができるのよ。


サン・フォン:…奥様、快楽にだんだん薬味が要るやうになると、人は罰せられた子供の
たのしみを思ひ出し、誰も罰してくれないのを不足に思ふやうになります。ですから
見えない主に唾を引つかけ、挑発し、怒りをそそり立てようと躍起になるのでございます。
それでも神聖さは怠けものの犬です。日向に寝そべつて昼寝に耽り、尻尾を掴まうが、
髭を引張らうが、吠えることはおろか、目をひらいてさへくれません。
モントルイユ:あなたは神を怠けものの犬だと仰言るのね。
サン・フォン:ええ、それも老いぼれた。

三島由紀夫「サド侯爵夫人」より
0083無名草子さん
垢版 |
2011/02/23(水) 15:34:09.60
恥ずかしさの底にゐるときには、同情のやさしい心持も残つてはをりません。同情は
上澄みで、心が乱れれば、底の澱が湧き昇つて上澄みを消してしまふ。


想像できないものを蔑む力は、世間一般にはびこつて、その吊床の上で人々はお昼寝を
たのしみます。そしていつしか真鍮の胸、真鍮のお乳房、真鍮のお腹を持つやうになるのです、
磨き立ててぴかぴかに光つた。あなた方は薔薇を見れば美しいと仰言り、蛇を見れば
気味がわるいと仰言る。あなた方は御存知ないんです。薔薇と蛇が親しい友達で、夜になれば
お互ひに姿を変へ、蛇が頬を赤らめ、薔薇が鱗を光らす世界を。兎を見れば愛らしいと仰言り、
獅子を見れば怖ろしいと仰言る。御存知ないんです。嵐の夜には、かれらがどんなに血を
流して愛し合ふかを。神聖も汚辱もやすやすとお互ひに姿を変へるそのやうな夜を
御存知ないからには、あなた方は真鍮の脳髄で蔑んだ末に、さういふ夜を根絶やしにしようと
お計りになる。でも夜がなくなつたら、あなた方さへ、安らかな眠りを二度と味はふことは
おできになりません。

三島由紀夫「サド侯爵夫人」より
0084無名草子さん
垢版 |
2011/02/23(水) 15:35:00.24
ルネ:私が人間の底の底、深みの深み、いちばん動かない澱みへだけ、顔を向けてきたのは
本当だわ。それが私の運命でした。
アンヌ:だからそれには思ひ出はないわ。あるのは繰り返し、それだけだわ。
ルネ:私の思ひ出は虫入りの琥珀の虫。あなたのやうに、折にふれては水に映る影ではないわ。
さう、あなたはうまいことを言つた。私の思ひ出は、いつも必ず私の邪魔をするの。


この世で一番自分の望まなかつたものにぶつかるとき、それこそ実は自分がわれしらず
一番望んでゐたものなのです。それだけが思ひ出になる資格があり、それだけが琥珀の中へ
閉ぢ込めることができるのよ。それだけが何千回繰り返しても飽きることのない、
思ひ出の果物の核(さね)なのだわ。


あなたは神の釣人の糸にかかつた魚です。何度か鉤(はり)をかけられて遁れながら、
あなたは実のところ、いづれは釣り上げられることを御存知だつた。浮世の水にかがやく
鱗を、神の御目(おんめ)のきびしい夕日のうちに、身もだえして閃めかせながら、
釣り上げられるのを望んでおいでだつた。

三島由紀夫40歳「サド侯爵夫人」より
0085無名草子さん
垢版 |
2011/02/23(水) 21:11:34.51
女の部屋は一度ノックすべきである。しかし二度ノックすべきぢやない。さうするくらゐなら、
むしろノックせずに、いきなりドアをあけたはうが上策なのである。
女といふものは、いたはられるのは大好きなくせに、顔色を窺はれるのはきらふものだ。
いつでも、的確に、しかもムンズとばかりにいたはつてほしいのである。


日本の女が全部ぬかみそに手をつつこむことを拒否したら、日本ももうおしまひだ。


ウソの友情より、本当の憎悪のはうが美しい。
『男のはうが女よりずつと御体裁屋だわ』


女同士の喧嘩の場合は、打たれた女より、打つた女のはうが百倍も可哀想な女なのよ。


日本人のくせに髪を赤毛に染めてゐたりする女を見ると、唾を引つかけてやりたくなる。


当事者といふものは、物事の表面にごく見易くあらはれてゐる異常さに、なかなか気が
つかないものである。


思つてることが、しらない間に独り言になつて出るといふことほど、わびしい老いの兆はないな。

三島由紀夫「複雑な彼」より
0086無名草子さん
垢版 |
2011/02/23(水) 21:12:36.85
ドライ・マルティニの好きな顔といふのがあるのである。油断ならぬ顔つきの人間にそれが多い。
テキサスあたりの大男で、人のいい顔をした人物が、オールド・ファッションドなんかを
呑むのと対蹠的だ。


父は色が多少浅黒いので、かういふ緑がよく似合ふのである。緑は顔いろをわるく見せるが、
もともとわるい人の顔色はよく見せる。


ちかごろの日本の青年は、情ない奴ばつかりだ。さう思はんかね。金がほしい。できれば
名もほしい。そのためには犬畜生に劣る振舞でも平気でやる。十代の少年を見ても、
非行少年には義理も人情もないし、よく勉強するいはゆる優秀な少年は、自分のことだけ
考へてゐる器の小さい連中ばかりだ。こんなことで、日本の将来を託すべき青少年は
どうなるのだ。


譲二は決してオー・デ・コローニュは使はなかつた。あれは不潔で体臭のつよい外国人が
使ふもので、日本人の清浄な体に使へば、男らしさを滅殺する効果しかないことを知つて
ゐたからである。


とても面白いと思つて見た映画は、二度見てはいけないんです。

三島由紀夫「複雑な彼」より
0087無名草子さん
垢版 |
2011/02/23(水) 21:14:16.48
思ひ出といふのは、もう固まつた美術品みたいなものなんです。もう誰も手を加へることの
できない、完成品の美なんです。ミロのヴィーナスと、美しい思ひ出とは同格なんです。
それをみんな思ひちがへてゐるんですよ。ミロのヴィーナスに十年ぶりに会つたつて、
欠けた腕が、いつのまにか生えてゐるといふことはありえないでせう。ところが思ひ出に
十年ぶりで会ふと、心の中でいろんな風に修正してゐて、欠けてゐた腕も生えそろつてゐる
わけだから、現実の思ひ出の腕が欠けてゐるのを見て、『おや、片輪になつた』と錯覚を
起すんです。人間は必ずかういふ錯覚を起すやうにできてゐる。バカな話ぢやありませんか。
だから、僕が思ひ出に対して節度があるといふのは、第一に、その昔の人に対して会はない
やうにすることです。
それから、僕が思ひ出に対して誠実だといふのは、又会つて好きになつたら、全く
新らしい意味で好きになるので、思ひ出とは別個なものだと考へることです。つまりさう
なつたら、思ひ出のはうをさつさと殺してしまふんですよ。それがどんなに美しい思ひ出でも。

三島由紀夫「複雑な彼」より
0088無名草子さん
垢版 |
2011/02/23(水) 21:15:06.00
心といふものは地図に似てゐる。
高低がある。山がある。川がある。等高線がある。
山の高みに達すると、のびやかな平野の眺めがひらけ、今までの苦しい登り道を忘れさせる
やうな、愉しい下り坂がはじまる。
そこに又、湖がある。池がある。川がある。あるひは谷間がある。


男と女ははじめから引合ふやうに出来てるんだが、縁といふものはこれは別だよ。
縁は引力よりも偉大かもしれん。これは、もう決められてゐることで、ほとんど引力を
感じないでも、すこぶる深い縁といふものもあるんだから。


僕はアル中の女とボクシング・ファンの女は、心の底から大きらひだ。どつちも
フラストレーションの固まりの、ひどく下品な女なんだ。


ボクシングはすごいスポーツだよ。男がまつしぐらに戦つて血を流すんだ。そこに男の見物は、
自分たちの社会での戦ひの、毎日やつてゐる血みどろの戦ひの、一番端的な代表を見るわけなんだ。
だから僕は、戦つてもゐない女が、生意気に、ひまつぶしにスリルと興奮を求めて、
ボクシングが好きになるといふことはゆるせないんだよ。それは絶対に下品だからな。

三島由紀夫「複雑な彼」より
0089無名草子さん
垢版 |
2011/02/23(水) 21:16:42.03
私が恋してゐるのは、お父様が決して認めようとなさらないやうな、《複雑な彼》なのです。


今の日本で一番不足してゐるものは、金でもない、家でもない、人物だよ。


あの方は、近ごろの東南アジアの状勢に深く心を痛めてをられて、今、一人の日本人が
身を挺してこれを救はなければ、アジアは永久に救はれないと考へてをられる。


今の状勢について、日本人全般は、日本人が出る幕ぢやないと思つて、『関係ナイ、
関係ナイ』といふ気持で、レジャーに耽つてゐるばかりだ。一人としてアジアを憂へる青年は
をらない。デモをやつてゐる連中は、左翼にあやつられてゐるだけだし、集団の力を漠然と
たのんでゐるだけだ。
しかし、いつでも歴史を動かすのは個人なんだよ。それも一人の青年の力なんだよ。
『関係ナイ』と思つてゐるのは、自ら、関係を持たうとしないだけのことで、もし一人の
青年が身を挺すれば、アジアを救ふことができるのだ。

三島由紀夫41歳「複雑な彼」より
0091無名草子さん
垢版 |
2011/03/01(火) 10:29:38.82
自ら奏でる楽の音(ね)が、月影のやうに湖のお顔に注ぐと、きらめく漣のやうなその微笑が
現はれる。すべては音楽の霊妙な作用なんだ。水は音楽だ。だから彼女はそれを支配する。
人間の体は水でできてゐる。だから彼女はそれを支配して、それは音楽に変へてしまふ。
血は水でできてゐる。だからそれを支配して、血は音楽に変つてしまふ。


璃津子:このさき日本はどうなるのでせう。
経広:僕たちは、つてききたいのではない?
璃津子:その二つは同じことだわ。
経広:さうだね。同じことだ。
璃津子:お国の右の腕が痛むと
経広:僕たちの右腕も痛むのだ。そしてあの海のかなたへまで晴れやかにひろげられた
お国の裳裾が引き裂かれると
璃津子:私たちも引き裂かれるのだわ!
経広:その引き裂かれた絹の叫びが
璃津子:かうしてゐても海のむかうからきこえてくるわ。……もしかすると、日本は
負けるのではないかしら。
経広:それは世界が夜になることだ。この世でもつとも美しい優雅なものが土足に
かけられることになるのだよ。そんなことにさせてはいけない。

三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
0092無名草子さん
垢版 |
2011/03/01(火) 10:30:03.01
経広:海が僕を惹き寄せる。何故だか知れない。絶望と栄光とが、押し寄せる海風のなかに
いつぱいに孕まれてゐる。かうして海から来る風に顔をさらしてゐると、絶望と栄光の砂金が
いつぱい詰つた袋で頬桁を張られてゐるやうな気がする。なぜ、又、いつから海が僕を
非難するやうになつたのか。
君にも話したね。中等科のころまでは、僕は新聞の貨物船の広告を見て夢を描くのが
大好きだつた。寄港地の名前はみな宛字の漢字で書いてあつた。新嘉坡(シンガポール)、
波斯湾(ペルシャわん)、亜歴山(アレクサンドリア)、……僕はそのへんな漢字の
どれもが読めるのが得意だつた。貨物船と近東風の月夜と、ペルシャ湾の毛足の長い
絨毯のやうな重い夕凪とが、海への僕の憧れのすべてだつた。それほどやさしい海が、
いつから僕の頬桁を張り、僕を非難するやうになつたのか。

三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
0093無名草子さん
垢版 |
2011/03/01(火) 10:30:22.90
経広:わかつてゐる。海が死と絶望と栄光の金の食器を、敷きつめた青い波のテーブル・
クロースの上に満載して、僕の着席を待つて向うから、用意を整へ、しづしづと近づいて
来てからといふものだ。その食卓には今潮の中から引き揚げられたばかりの珊瑚が山と
積まれ、熱帯の積乱雲が飾り立てられてゐる。御紋章つきの金のコンポートには、
色さまざまな熱帯の果物が盛り上げられてゐる。そして僕がその一つを口に入れれば、
それは死なのだ。これほど飢ゑてゐながら、僕が食卓に就かないのを海は非難してゐる。
僕の飢ゑの烈しさを誰よりもよく知つてゐるのは、海だ、おそらく君よりも。
璃津子:女はみんな知つてゐるわ、どんな女でも、男の方のさういふ飢ゑを鎮めることは
できないのを。

三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
0094無名草子さん
垢版 |
2011/03/01(火) 10:30:45.33
悲しみのあまりだつて? 人はさう言ふ。悲しみは慰められても、悲しみよりもつと遠くへ
行つた人間に、人の慰めなんぞが追ひつくものか。


生きてゐる間は若様でした。私は自分の卑しさのすべてをかけて、あの子を若様と呼びました。
……今はちがひます。あの子は死ぬと同時に、青い空の高みからまつしぐらに落ちてきて、
ここへ、ここへ、この血みどろの胎の中へ、もう一度戻つて来たのですわ。もう一度私の
賎しい温かい血と肉に包まれて、苦しい名誉や光栄に煩はされることのない、安らかな
眠りをたのしみに戻つて来たのですわ。今こそ私はもう一度、ここにあの子のすべてを
感じます。あの子の眼差、あの子の微笑、あの子のしつかりした手足をこの中に。

三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
0095無名草子さん
垢版 |
2011/03/01(火) 17:22:36.53
経隆:経広はおそらく知つてゐたらう、自分の小さな死は無益(むやく)であり、たとへ
その死を何万と積み重ねても狂瀾を既倒に回(めぐ)らす由もないことを。しかし又
知つてゐたらう、このやうな御代に生き御代に死んで、すでに閉じられようとしてゐる
大きな金色の環へ鋳込まれて、永遠に歴史の中を輝やかしく廻転してゆくその環の一つの
粒子になることを。身を以て空にかけた悲しみの虹の、一つの微粒子になることを。
……どんな苦しい戦況であらうと、経広は男として満ち足りて死んだ筈だ。
おれい:まるでその場に居合はせたかのやうに。あの子の肌が割けた痛みの万分の一も
御存知でないあなたが。
経隆:苦しみをこえる矜りといふものがあるのだ。たとへば木は大地につながつてゐる。
それは苦しみだ。痛みだ。しかし梢にかかる白い雲は青空に属してゐる。私たちはその
美しい横雲と樹木とを、いつも一つの絵のなかに見るではないか。

三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
0096無名草子さん
垢版 |
2011/03/01(火) 17:22:58.99
……しかし私が気が狂つてゐたとすると、それはどんな狂気だつたのだらう。果して
私自身の狂気だつたらうか。それともはるかかなたから、思召しによつて享けた狂気だつたか。
たとへ私が狂気だつたにせよ、あの狂気の中心には、光りかがやくあらたかなものがあつた。
狂気の核には水晶のやうな透明な誠があつた。


翼を切られても、鳥であることが私の狂気だつたから、その狂気によつてかるがると私は
飛んだ。……今はどうだ。お前は私が正気になつたといふかもしれない。私にはわからない。
自分が今なほ狂気か正気かといふことが、自分にはわからう筈がない。只一つわかることは、
その正気の中心には誠はなく、みごとに翼は具へてゐても、その正気は決して飛ばない
といふことだ。あたかも醜い駝鳥のやうに。私は知らず、少なくともお前たちみんなは
駝鳥になつたのだよ。

三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
0097無名草子さん
垢版 |
2011/03/02(水) 10:11:28.63
光康:…もう時代は変つて、手袋を裏返しにしたやうに、すべては逆になつたのに。
経隆:写真の陰画が陽画になつただけかもしれない。絵はもともと一つなのだ。


海と雲とは一色(ひといろ)の重い苦患に融け合ひ、沖に泊つてゐる外国の船の白い船腹を、
苦痛にむきだした白い鮮やかな歯のやうに見せてゐる。日本の船はどこにも見えぬ。
日本の船は悉く沈んでしまつた。
経広があこがれたのは決してこんな海ではなかつた。ただあいつの死の刹那に、海が
青かつたことを私は祈る。あいつのためには、海は晴れやかに青く輝き、そこにこそ
誉れの火柱は高くあがり、若者のおびただしい血潮は、透かし見られる朱い珊瑚礁のやうに
亜熱帯の海を染めなした。あの島をめぐる海は、経広の最後の日に、雲の影一つないほど
晴れ渡つてゐたことを私は祈る。あいつは朱雀家の代々が使はなかつた黄金造りの太刀の、
明るい花やかな朱いろの下緒(さげを)のやうな死を選んだと思ひたい。

三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
0098無名草子さん
垢版 |
2011/03/02(水) 10:11:47.16
なぜといへ、それを最後に、日本は敗れ、滅びたからだ。古いもの、優雅なもの、
潔らかなもの、雄々しいものは、悉く滅びたからだ。かつて気高く威光さかんであつた
一帝国は滅びたからだ。もつとも艶やかな経糸(たていと)と、もつとも勇ましい
緯糸(よこいと)とで織られてゐた、このたぐひまれな一枚の美しい織物は、血と火の
苦しみのうちに、涜され、踏みにじられ、つひには灰になつた。歴史の上で誰も二度と
ふたたび、同じ見事な織物を織り成すことはできまい。


すべては去つた。偉大な輝やかしい力も、誉れも、矜りも、人をして人たらしめる大義も
失はれた。この国のもつとも善いものは、焼けた樹々のやうに、黒く枯れ朽ちて、
死んでしまつた。

三島由紀夫「朱雀家の滅亡」より
0099無名草子さん
垢版 |
2011/03/02(水) 10:12:19.43
雪がふつて来たな。
この浄らかな冷たさ、雪はすべてを和める力だが、それといふのも、すべての身を一様に
慄(ふる)へさすからだ。雪は女神に似てゐる。冷たく、美しく、矜り高く、残酷な
女神に似てゐる。その女神の冷たい嫉妬のおかげで、夏のかがやかしい日々は消されてしまつた。


璃津子:滅びなさい。滅びなさい! 今すぐこの場で滅びておしまひなさい。
経隆:(ゆつくり顔をあげ、璃津子を注視する。……間。)
どうして私が滅びることができる。夙うのむかしに滅んでゐる私が。

三島由紀夫42歳「朱雀家の滅亡」より
0100無名草子さん
垢版 |
2011/03/10(木) 13:37:09.81
「文は人なり」とは、まことに怖ろしい格言です。


五十歳にもなれば、人生は、性欲とお金だけで、「純粋な心の問題」は、それが満たされた
あとでなくては現はれるはずもないのです。


ところどころ、何のことかわからないことを入れるのが、ファン・レターの秘訣です。


本当に「おはやう」といふのにふさはしい唇を持つた若い女性は、人の目をさまさせますよ。


私は結婚しても、あの手紙だけはとつておきたいやうな気がするの。
「おはなはん」ぢやないけれど、三十年たち、四十年たつて、自分の若いころの魅力的な姿を
思ひ出すには、やつぱりどんなよく撮れた写真よりも、他人の言葉のはうがリアリティが
あるにちがひないから。


そもそも、助け合ひなどといふことは貧乏人のすることで、その結果生まれる裏切りや
背信行為も、金持ちの世界とはまるでちがひます。金持ちの裏切りは、助け合ひなどといふ
バカな動機からは決して起りません。

三島由紀夫「三島由紀夫レター教室」より
0101無名草子さん
垢版 |
2011/03/10(木) 13:37:29.59
毅然としてゐる。青年らしい。ちつとも女々しいところがない。ちつともメソメソした
ところがない。――これが借金申し込みの大切な要素です。人は他人のジメジメした心持ちに
対してお金を上げるほど寛大ではありません。


女の子から、「ちよつとイカスわね」と言はれれば、うれしいにきまつてゐるが、男は
軽率に自分の男性的魅力を信じるわけにはいきません。
女の子といふものは、妙に、男の非男性的魅力に惹かれがちなものだからです。


女は自分のことばかりにかまけて、男をほめたたへる、といふ最高の技巧を忘れ、あるひは
怠けてゐる。


大ていの女は、年をとり、魅力を失へば失ふほど、相手への思ひやりや賛美を忘れ、しやにむに
自分を売りこまうとして失敗するのです。もうカスになつた自分をね。


あらゆる男は己惚れ屋である。

三島由紀夫「三島由紀夫レター教室」より
0102無名草子さん
垢版 |
2011/03/10(木) 13:37:56.15
脅迫状は事務的で、冷たく、簡潔であればあるだけ凄味があります。
第一、感情で脅迫状を書くといふのはプロのやることではありません。卑劣に徹し、
下賤に徹し、冷血に徹し、人間からズリ落ちた人間のやる仕事ですから、こちらの血が
さわいでゐては、脅迫状など書けません。
便せんをすかしてみて、そこに少しでも人間の血の色がすいて見えるやうでは、脅迫状は
落第なのです。


この世に生命を生み出す女つて、何てふしぎなものでせう。世の中でいちばん平凡なことが、
いちばん奇跡的なのだ。


女の人は、肉体的なことしかわからないのではありませんか?


西洋人はすべて社交馴れしてゐますから、社交は、建て前が大切だといふ第一原則を守ります。
招待を断わるには、「のがれがたい先約があつて」といふ理由だけで十分で、その内容を
説明する必要はありません。たとひ、ひと月前、ふた月前の招待であつても、さういふ理由で
かまひません。

三島由紀夫「三島由紀夫レター教室」より
0103無名草子さん
垢版 |
2011/03/10(木) 13:38:19.72
男が「結婚してくれ」と言ふときには、彼のはうに、彼女を迎へ入れるに足る精神的物質的
社会的準備が十分整つてゐるのが理想的です。


人生は一つの惰性なのかもしれません。


恋愛にとつて、最強で最後の武器は「若さ」だと昔から決まつてゐます。
ともすると、恋愛といふものは「若さ」と「バカさ」をあはせもつた年齢の特技で、
「若さ」も「バカさ」も失つた時に、恋愛の資格を失ふのかもしれませんわ。


人間はいくつになつても感傷を心の底に秘めてゐるものですが、感傷といふのは
Gパンみたいなもので、十代の子にしか似合はないから、年をとると、はく勇気がなくなる
だけのことです。


本当に死ななくても、愛しあふ恋人同士は毎晩心中してゐるのだと思ひます。


僕は演劇は民衆の心に訴へかけ、民衆の魂に火をつけるのでなくては意味がないと思ひます。

三島由紀夫「三島由紀夫レター教室」より
0105無名草子さん
垢版 |
2011/03/10(木) 23:37:22.15
あらゆる投書狂、身の上相談狂は自分の告白し、あるひは主張してゐることについて、
内心は、本当の解決など求めてゐはしませんし、また何かの解決を暗示されても、それを
心から承服したりはしません。


この身の上相談の女性もさうですが、世間の人はだれでも、彼女のことに関心を持つて
くれるのが当たり前だ、といふ錯覚におちいつてゐます。
私たちには、何もそんな関心を持つ義務はないのだし、未知の人が死んでも生きても、
別に興味はないのですが、彼女は、自分に対する熱烈な興味は、他人も彼女に対して
同じやうに持つはずだと信じてゐる。


身の上相談の手紙は一見、内容がどれほど妥当でも、全部がこのまちがつた思ひ込みの上に
築かれたお城なのですから、もし彼女がこの基本的な思ひちがひに気がつけば、ほかの
あらゆる人生問題は片づくかもしれないのに、永遠にそこに気がつかないといふところに、
大悲劇があるのです。
つまり、見知らぬ他人に身の上相談なんかするといふ行動それ自体に、彼女の人生を
悩み多くする根本原因がひそんでゐるといへませう。

三島由紀夫「三島由紀夫のレター教室」より
0106無名草子さん
垢版 |
2011/03/10(木) 23:37:46.49
ヒステリーの女は絶対に、自分のヒステリーは自分のせゐぢやないと信じてゐるわ。


子供を重荷と感じて、自分たちの自由と快楽をいつまでも追はうとするのは、末期資本主義的
享楽主義に毒された哀れな奴隷的感情だと思ふんだ。


だれでも、自分とまつたく同じ種類の人間を愛することはできませんものね。


罪もない相手を悲境に陥れるといふのは、一見、悪魔的ふるまひとも思へますが、もともと
恋に善悪はない。


自分の感情にそむいては、何ごとも成功するものではありません。

テレビでいちばん美しいのは、やつぱり色彩漫画で、宇宙物なんかの色のすばらしさは、
ディズニー・ランドそつくりですが、ディズニーはなんで死んだのでせう。


こんなことを言つてるとキチガヒみたいだけど、テレビばつかり見てると、どうしても
世界中のことがみんな関係があるやうな気がしてきます。テレビの前で食べてる甘栗は、
中共から輸入されたものだらうし、君の妊娠だつて、思はぬことで、何か世界情勢と
関係があるかもしれません。

三島由紀夫「三島由紀夫のレター教室」より
0107無名草子さん
垢版 |
2011/03/10(木) 23:38:09.90
大体、頭のいい友だちを求める人たちは、よほど頭がわるい連中なんだわ。心を打ち明け合つて
安心なのは、それによつて相手が、はじめてバランスがとれたと感じるやうな友だちなのだわ。
といふのは、頭のよい友だちはふだんから頭で優越感を持つてゐるところへ、そんな告白を
きかされて、感情でも優越感を持つてしまふでせうに、頭のわるい友だちなら、ふだんの
知的な劣等感を感情の優越感で補はれたと思つて、うれしがるでせう。うれしがつて本当に
心からの親切を尽くすでせう。さういふ友だちが大切なのだわ。


恋は愉しいものではなくて、病気だわ。いやな、暗い発作のたびたびある、陰気な慢性の
病気だわ。恋が生きがひだなんていふ人がゐるけれど、とんでもないまちがひで、悪だくみの
はうが、ずつと生きがひを与へてくれます。恋が愉しいなんて言つてゐる人は、きつと
ひどく鈍感な人なのでせう。

三島由紀夫「三島由紀夫のレター教室」より
0108無名草子さん
垢版 |
2011/03/10(木) 23:38:35.40
何かほしいときだけ甘つたれてくる猫たちの媚態は、あまりにも無邪気な打算がはつきり
してゐて、かはいらしい。
男は別に人格者の女を求めるわけではなく、人間のもろもろの悪徳が、小さな、かはいらしい
ガラス張りの箱の中に、ちんまりと納まつてゐるのを見るのが、安心であり、うれしくもあり、
かはいらしくもある。そこが男の愛の特徴です。


他人の幸福なんて、絶対にだれにもわかりつこないのです。


私は手紙の第一要件だけを言つておきたい。
それは、あて名をまちがひなく書くことです。これをまちがへたら、ていねいな言葉を
千万言並べても、帳消しになつてしまひます。

姓名を書きまちがへられるほど、神経にさはることはありません。

三島由紀夫「三島由紀夫のレター教室」より
0109無名草子さん
垢版 |
2011/03/10(木) 23:39:09.48
手紙を書くときには、相手はまつたくこちらに関心がない、といふ前提で書きはじめ
なければいけません。これがいちばん大切なところです。
世の中を知る、といふことは、他人は決して他人に深い関心を持ちえない、もし持ち得ると
すれば自分の利害にからんだ時だけだ、といふニガいニガい哲学を、腹の底からよく
知ることです。


手紙の受け取り人が、受け取つた手紙を重要視する理由は、
一、大金
二、名誉
三、性欲
四、感情
以外には、一つもないと考へてよろしい。このうち、第三までははつきりしてゐるが、
第四は内容がひろい。感情といふからには喜怒哀楽すべて入つてゐる。ユーモアも入つてゐる。
打算でない手紙で、人の心を搏つものは、すべて四に入ります。


世の中の人間は、みんな自分勝手の目的へ向かつて邁進してをり、他人に関心を持つのは
よほど例外的だ、とわかつたときに、はじめてあなたの書く手紙にはいきいきとした力が
そなはり、人の心をゆすぶる手紙が書けるやうになるのです。

三島由紀夫42歳「三島由紀夫のレター教室」より
0110無名草子さん
垢版 |
2011/03/14(月) 13:16:46.30
当の娘の父親にとつては、この世に一般論などといふものはあるべきではなかつた。心の奥底で
娘を手離したくないと思つてゐる父親の気持から、オールド・ミスにならぬうちに誰かに
早く呉れてやりたいと思つてゐる父親の気持まで、無数のニュアンスの連鎖があつて、
どこからが一般論で、どこからがさうでないとは云へなかつた。又、見様によつては、
世の父親のすべての心には、右の両極端の二つの気持が、それぞれの程度の差こそあれ、
混在してゐる筈であつた。


怖ろしい巨犬には、正面から向つて行けばいいのである。


あまり完璧に見える幸福に対して、人は恐怖を抱かずにはいられないものなのであらうか?


僕はね、君を百パーセント幸福にして上げたいと思ふと、いろんなことを考へだして、
気むづかしくなつてしまふんだ。一種の完璧主義者なんだな。……人間の心といふ奴は、
とにかく、善意だけではどうにもならん。善意だけでは、……人生を煩はしくするばかりだと
わかつてゐてもね。

三島由紀夫「夜会服」より
0111無名草子さん
垢版 |
2011/03/14(月) 13:17:04.16
人間は誰でも、(殊に男は)自然にこれこれの人物になるといふものではない。目標があり、
理想像があればこそ、それに近づかうとするのである。


幸福といふものは、そんなに独創的であつてはいけないものだ。幸福といふ感情はそもそも
排他的ではないのだから、みんなと同じ制服を着ていけないといふ道理はないし、同じ種類の
他人の幸福が、こちらの幸福を映す鏡にもなるのだ。


隔意を抱くといふことは淋しいことである。しかも、愛情のために隔意を抱くといふことは、
まるで愛するために他人行儀になるやうなもので、はじめから矛盾してゐる。


結婚とは、人生の虚偽を教へる学校なのであらうか。


現代では万能の人間なんか、金と余裕の演じるフィクションにすぎないんだ。


人間つて誰でも、自分の持つてゐるものは大切にしないのぢやないかしら。
…誰でも、手に入れたものは大したものだと思はなくなる傾きがあるのぢやないかしら。

三島由紀夫「夜会服」より
0112無名草子さん
垢版 |
2011/03/14(月) 13:17:23.95
あなたは女がたつた一人でコーヒーを呑む時の味を知つてゐて?
今に知るやうになるわ。お茶でもない、紅茶でもない、イギリス人はあまり呑まないけれど、
やはりそれはコーヒーでなくてはいけないの。それはね、自分を助けてくれる人はもう
誰もゐない、何とか一人で生きて行かなければ、といふ味なのよ。
黒い、甘い、味はひ、何だかムウーッとする、それでゐて香ばしい味、しつこい、
諦めの悪い味。……それだわ、私が本当にコーヒーの味を知つたのは、俊男が結婚してから
はじめてだつたの。それまではコーヒーの味がわからなかつた。主人が亡くなつたあとでもね。
一人で生きなければ、とたえず背中から圧迫されたり激励されたりしてゐるやうな感じつて
わかつて? 誰かの手がいつも自分の背中を、はげますやうに叩いてゐる。あんまり
うるさいから、背中へ手をのばしてつかまへてやると、それが何と自分の手なんだわ。

三島由紀夫「夜会服」より
0113無名草子さん
垢版 |
2011/03/14(月) 13:17:49.23
さびしさ、といふのはね、絢子さん、今日急にここへ顔を出すといふものではないのよ。
ずうーつと、前から用意されてゐる、きつと潜伏期の大そう長い、癌みたいな病気なんだわ。
そして一旦それが顔を出したら、もう手術ぐらゐでは片附かないの。
私、何で自分がさびしいのか、その理由を探さなくては気がちがひさうだつた。あなた方の
結婚が、はつきりその理由を与へてくれたやうに思ひ込んでしまつた。でも、私つてバカなのね。
さびしさの本当の深い根は自分の中にしかないことに気がつかなかつたの。
鳥のゐない鳥籠は、さびしいでせう。でも、それを鳥籠のせゐにするのはばかげてゐるわね。
鳥籠をゴミ箱へ捨ててもムダといふものね。鳥がゐないことには変りがないんですから。

三島由紀夫「夜会服」より
0114無名草子さん
垢版 |
2011/03/14(月) 13:18:38.16
でも、何十年も先、あなたもきつと同じさびしさを味はふだらうと思ふと、少しは埋め合せが
つく気がする。それは女といふものの引きずつてゐる影みたいなものなんですよ。女は、
いつかそのさびしさに面と向かはなければならないの。男の人とちがつて、女は人のゐない
野原みたいなものを自分の中に持つてゐる。男は、その野原の上を歩いて、悲壮がつて、
孤独だ孤独だなんて言つてゐるにすぎない、と思ふのよ。
いつか、あなたも、私の言つたことを思ひ出すことがあると思ふわ。たとへば、障害を
跳び越えてほつとしたあと、うれしいと思ふ気持のあひだにも、ずつとさびしさが、
一本の道のやうに、向かうへずつとつづいてゐるのを見ることがあると思ふわ。
はじめ、それは幻みたいに見えるの。でもいづれその幻が現実になるのよ。

三島由紀夫42歳「夜会服」より
0115無名草子さん
垢版 |
2011/03/17(木) 11:07:52.88
世界が意味があるものに変れば、死んでも悔いないといふ気持と、世界が無意味だから、
死んでもかまはないといふ気持とは、どこで折れ合ふのだらうか。


死体つて、何だか落ちてこはれたウイスキーの瓶みたいぢやないか。こはれれば、中身が
流れ出すのは当たり前だ。


あの美しい欅の梢が、夕空の仄青い色を、精妙無類に、丁度夕空へ投げかけた投網のやうに
からめ取つてゐるのは、そもそも何故だらう。自然は何でこんなに無用に美しく、人間は
何でこんなに無用に煩はしいのだらう。


これからはもう物事をあんまり複雑に考へるのは止しになさるんですね。人生も政治も案外
単純浅薄なものですよ。もつとも、いつでも死ねる気でなくては、さういふ心境には
なれませんがね。生きたいといふ欲が、すべて物事を複雑怪奇に見せてしまふんです。

三島由紀夫「命売ります」より
0116無名草子さん
垢版 |
2011/03/17(木) 11:08:13.88
自殺……。
そこまで考へると、彼は何か知れず、精神的な吐き気を感じた。
一度失敗してゐるだけに、自殺だけは、どう考へても億劫な気がした。折角自堕落な
いい気持になつてゐるときに、つい目と鼻の先にあるタバコをとりに立つ気がどうしてもしない。
十分タバコを喫みたい気はあるのだが、ここから手をのばしても届かないことのわかつて
ゐるタバコをとりに立つことが、何だか故障した自動車の後押しをたのまれるほど、
しんどい仕事に思はれる。それがつまり自殺なのだ。


羽仁男は今の今まで休養するつもりだつたのが、また、をかしなものに巻き込まれ
かかつてゐる自分を感じた。世界は多分雲形定規のやうな形をしてゐるのだらう。地球が
球形だといふのはおそらく嘘なのだ。それは、一つの辺がいつのまにか妙にひねくれて
内側へ曲つてゐたり、かと思ふと、まつすぐな一辺が突然断崖絶壁になつたりするのである。
人生が無意味だ、といふのはたやすいが、無意味を生きるにはずいぶん強力なエネルギーが
要るものだ、と羽仁男はあらためて感心した。

三島由紀夫「命売ります」より
0117無名草子さん
垢版 |
2011/03/17(木) 11:08:31.11
多分、羽仁男のやうな男は、一つのことからのがれても、また別の「同類」に会ふやうに
運命づけられてゐるのかもしれない。孤独な人間はお互ひの孤独を、犬のやうにすぐ
嗅ぎわけるのだ。


無意味はヒッピーたちの考へるやうな形で人間を犯して来るのでは決してない。それは絶対に、
新聞の活字がゴキブリの行列になつてしまふ、ああいふ形で来るのだ。


シャム猫の鼻先に、シャベルでミルクをやつて、呑まうとするとシャベルをはね上げて、
猫の顔をミルクだらけにしてしまふこと。
彼の空想裡できはめて重要だと思はれたこの儀式は、日本の政治経済すべてにとつても
重要なのにちがひなかつた。つまり、一国の閣議はさうしてはじまるべきだつたし、
安保条約問題もさうして解決されるべきだつた。一匹の高慢ちきな猫の、思ひもかけぬ
不面目によつて、われわれは、猫を飼つてゐるといふことの意味を、よくよく知ることが
できるのだ。

三島由紀夫「命売ります」より
0118無名草子さん
垢版 |
2011/03/17(木) 11:08:54.23
つまり、羽仁男の考へは、すべてを無意味からはじめて、その上で、意味づけの自由に
生きるといふ考へだつた。そのためには、決して決して、意味ある行動からはじめては
ならなかつた。まづ意味ある行動からはじめて、挫折したり、絶望したりして、無意味に
直面するといふ人間は、ただのセンチメンタリストだつた。命の惜しい奴らだつた。
戸棚をあければ、そこにすでに、堆(うづたか)い汚れ物と一緒に、無意味が鎮座して
ゐることが明らかなとき、人はどうして、無意味を探究したり、無意味を生活したりする
必要があるだらう。


人の命を買ふ人間、しかもそれを自分のために使はうといふ人間ほど、不幸な人間はない。


何の組織にも属さないで、しかも命を惜しまない男もゐるといふことを知らなくちやいかん。
それはごく少数だらう。少数でも必ずゐるんだ。


命を売るのは君の勝手だよ。別に刑法で禁じてはゐないからね。犯人になるのは、命を買つて
悪用しようとした人間のはうだ。命を売る奴は、犯人ぢやない。ただの人間の屑だ。
それだけだよ。

三島由紀夫43歳「命売ります」より
0119無名草子さん
垢版 |
2011/03/18(金) 13:02:39.52
戦後の頽廃は、すでに戦時中銃後に兆してゐたのだ。戦後のあのもろもろの価値の顛倒は、
卑怯者の平和主義は、尻の穴より臭い民主主義は、祖国の敗北を喜ぶユダヤ人どもの陰謀は、
共産主義者どもの下劣なたくらみは、悉くその日に兆してゐたのだ。ああ、金色の
ヴァルハラの広場に、ヴァルキュリーたちによつて運ばれた、気高い戦場の勇士たちの
亡骸は、ひとたび霊に目ざめるや、祖国ドイツのこの有様をのぞみ見て、いかに万斛の涙を
流したことであらう。楯の格天井、鎧の椅子は、卓上の焔に照り映えて、悲嘆の響きを
鏘然(さうぜん)と高鳴らせたことであらう。


もう貧血症の、屁理屈屋の教授連は一切要らん。銃一つ持てないほど非力だから、我身
可愛さにヒステリックな平和主義の叫びをあげる、きんたまを置き忘れたインテリは一切要らん。
少年に向つて亡国の教へを垂れ、祖国の歴史を否定し歪曲する非国民教師どもは一切要らん。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
0120無名草子さん
垢版 |
2011/03/18(金) 13:02:56.98
レーム:…俺は、お前が腐敗と反動の後釜を継ぐのには反対だぞ。折角俺たちの力で一新した
この新らしいドイツを裏切つて、買弁資本家やユンカー一族、保守派の老いぼれ政治家や
老いぼれ将軍、将校クラブで俺を鼻であしらつた貴族出身の無能な士官たち、革命や
民衆のことを一度も考へたことのないあの様子ぶつたプロシア国軍の白手袋たち、朝から
ビールとじやがいものおくびをしてゐる布袋腹のブルジョアども、官僚といふあの
マニキュアをした宦官ども、……あんな連中の上にのつかつて、あんな連中にへいこらしながら、
シーソオ・ゲームに憂身をやつして、お前が大統領になるなら反対だぞ。断乎として反対だぞ。
俺が腕づくででも止めてみせる。
ヒットラー:エルンスト!
レーム:きけ。俺はお前に大統領になつてほしいと思つてゐる。心からさう思つてゐる。
しかし、それには力を協せて、この腐つた土地の上のごみ掃除をやつてのけてからだ。
軍部が何だ。口だけではおどしをきかせるが、軍服の中身はからつぽの、あんな金ぴかの
案山子(かかし)のどこが怖い。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
0121無名草子さん
垢版 |
2011/03/18(金) 13:03:20.95
クルップ:雨になつたやうだ。
ヒットラー:大した雨ではない。妙なことだ。私が演説をしたあとではきつと雨になる。
クルップ:君の演説が雲を呼ぶのだらう。
ヒットラー:雨が広場を黒く濡らした途端に、どのベンチからも人影が消えてしまつた。
何といふ無趣味ながらんとした広場だらう。人つ子一人ゐない。ついさつきまでここを
群衆が埋めて、とどろく歓声と拍手で熱してゐたとはとても思へない。演説のあとの
広場といふものは、発作のあとの狂人の空白のまどろみのやうだ。どこまで行つても
人間は人間を傷つける。どんな権力の衣にも縫目があつてそこから虱が入る。クルップさん、
絶対に誰からも傷つけられない、どこにも縫目も綻びもない、白い母衣(ほろ)のやうな
権力はないものですかね。
クルップ:なければ君が誂へたらよい。
ヒットラー:あなたがその仕立屋になつてくれませんか。
クルップ:それには寸法をとらなくてはね。ヒットラー:どうでした?
クルップ:残念ながら、まだちと寸法が足りないやうだ。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
0122無名草子さん
垢版 |
2011/03/18(金) 13:03:39.78
クルップ:仕立屋といふのは慎重なもんだよ、アドルフ。仕払つてもらふ宛てがなければ、
おいそれと着物も仕立てられない。仕立ててあげたいのは山々だが、寸が足りなくては
芸術的満足が得られない。それに仕立ててあげたものを、快適に着てもらはなくては
つまらない。ゆるやかに、楽々と、まるで着てゐるかゐないか本人にもわからぬやうな、
そんな着方をしてもらはなくては。……私は窮屈なチョッキは上げたくない。狂人に
狭窄衣を着せるのとはちがふんだから。
ヒットラー:もし私が狂人だとしたら……
クルップ:私も何度かさういふ経験を持つてゐる。自分を狂人だと思はなければとても
耐へられぬ、いや、理解すらできない瞬間にぶつかる場合は……
ヒットラー:さういふ場合は?
クルップ:自分ではない他人をみんな狂人だと思へばよいのだ。


ヒットラー:クルップさん、ひとつ私に狂人用の窮屈なチョッキを誂へてくれませんか、
両手を拘束されて人を傷つけることはできないが、又決して人から傷つけられることもないやうな……

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
0123無名草子さん
垢版 |
2011/03/19(土) 11:48:23.43
レーム:…生れ落ちてから薬や医者には縁のない、永遠の若い鋼の体、このレーム大尉の
体が病気になるつて?
ヒットラー:だから……
レーム:誰がそんなことを信ずるものか。俺を傷つけることができるのは弾丸だけさ。
といふよりは俺の体の鋼鉄が、いつか俺を裏切つて、同じ仲間の鉄の小さな固まりを、
俺の体内へおびき寄せるとき。さうだ、鉄と鉄とが睦み合ふために、引寄せ合つて
接吻するとき、そのときだけだ、俺が倒れるのは。しかしそのときも、俺が息を引取るのは
ベッドの上ではない。
ヒットラー:さうだな、勇敢なエルンスト、いくら大臣になつても、お前はベッドの上で
死ぬやうな男ではない。しかし、ともあれ、お前は仮病を使つて、声明書と共にその旨を
発表するのだ。一、二ヶ月の療養ののち、再起と共に突撃隊を以前よりも精鋭な軍隊に
叩き上げると約束するのだ。
レーム:しかし誰がそれを信じる。
ヒットラー:信じられないからこそ、隊員みんなは信じるだらう。つまり、こいつは、
よほど已むを得ない事情だといふことを。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
0124無名草子さん
垢版 |
2011/03/19(土) 11:48:41.94
レーム:…書類を喰つて生きのびた年寄の山羊どもが、首を長くしてお前の餌を待つてゐる。
お前はサインをのたくつて日々をすごす。剣を揮ふ腕の力は見捨てられたままになつてゐる。
権力とは何だ。力とは何だ。それはただサインをする蒼ざめた指さきの細い細い筋肉の
運動にすぎなくなつたのだ。
ヒットラー:それ以上は言はなくてもわかつてゐる。
レーム:だから、友よ、だから言ふのだ。お前の権力がその指さきの運動にではなく、
遠くからお前の一挙一動を憧れの眼差で見戍つて、素破といふときはためらひなく命を
投げ出す覚悟の若者たちの、逞しい腕の筋肉にあることを忘れるな。どんなに行政機構の
森深く踏み迷つても、最後に枝葉を伐つて活路を見出すには、夜明けの色の静脈と共に
敏感に隆起する力瘤だけがたよりなのだ。どんな時代にならうと、権力のもつとも深い
実質は若者の筋肉だ。それを忘れるな。少なくともそれをお前のためにだけ保存し、
お前のためにだけ使はうとしてゐる一人の友のゐることを忘れるな。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
0125無名草子さん
垢版 |
2011/03/19(土) 11:48:59.97
ヒットラー:レームが羊ですつて? あいつがきいたらどんなに怒るか。
クルップ:羊でなくても、レーム君が抱いてゐるのは群の思想さ。さうではないかね。
しかしレーム君と別れたあとの、君の暗い額にひらめいたのは、羊でもなければ牧羊犬でもない。
それこそ嵐そのもの、さう言つては持ち上げすぎなら、暗くはためく嵐の予兆そのもの
だつたのだ。峯々を稲妻の紫に染め、世界を震撼させ、人々の活きた魂を電流をとほして
一瞬のうちに、黒い一握の灰に変へてしまふ、あの嵐の兆そのものだつた。君はおそらく
自分ではさう感じはしなかつたらう。
ヒットラー:あのとき、私は怖れてゐた。迷つてゐた。悲しんでゐた。それだけです。
クルップ:人間の感情を持つてゐることを、いくら総理大臣だつて恥ぢるには及ばない。
ただ、人間の感情の振幅を無限に拡大すれば、それは自然の感情になり、つひには摂理になる。
これは歴史を見ても、ごくごくわづかな数の人間だけにできたことだ。
ヒットラー:人間の歴史ではね。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
0126無名草子さん
垢版 |
2011/03/19(土) 11:49:15.21
シュトラッサー:…歌はもうあの鋭い清らかな悲鳴と共通な特質を失つてしまつたのです。
死者の目に映る遠い青空は、変革の幻であつたのに、今、青空は洗濯の盥の水にちりぢりに
砕けてしまつた。あらゆる煙草は、耐へがたい訣別の甘いしみとほるやうな味をなくして
しまつた。
(中略)
どこかで遠い昔に嗅ぎ馴れた腐敗の匂ひ、落葉のなかで、猟犬が置き忘れた獲物の鳥が
腐つてゆくときの、森の縞目の日光をかすかに濁らすやうな独特な匂ひ。いたるところで、
その腐敗の匂ひが、人々の指先の感覚を、癩病やみのやうに鈍麻させてゆく。かつて
闇のなかで道しるべの火のやうに敏感に方角を知らせた指は、今では小切手に署名をするのと、
女の体をこじあけるのにしか使はれなくなつた。脱落、脱落、目に見えない透明な日々の脱落、
この感覚を、レーム君、君だつてつぶさに味はつて来た筈だ。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
0127無名草子さん
垢版 |
2011/03/19(土) 11:49:32.45
シュトラッサー:もう一度革命をやらなければならぬ、と君が考へてゐることを私は知つてゐる。
ところで、私も、もう一度革命をやらなければならぬ、と考へてゐる。二人で話し合ふ
話題には、事欠かぬ筈ぢやないか。
レーム:しかし、方法がちがふ。目的もちがふ。
シュトラッサー:鏡をのぞいてみるやうに、君の右は私の左だ。しかし私の右は君の左だ。
だから却つて鏡を打ち破れば、われわれはぴつたり合ふかもしれないのだ。


シュトラッサー:君はすでに病気になつたのだらう、さつきも言つてゐたやうに。
信頼といふ病気にかかつたのだ。
レーム:殺されるのか、処刑されるのか。
シュトラッサー:おそらくその両方だらう。君は拷問に耐へる自信があるか?
レーム:誰があんたをそんなひどい目に会はさうといふんだね、心配性の弱虫君。言つて
ごらん、そいつの名を言ふのが怖いのかね。言つただけで呪ひがかかるとでもいふのかね。
シュトラッサー:アドルフ・ヒットラー。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
0128無名草子さん
垢版 |
2011/03/19(土) 11:53:10.75
レーム:…友愛、同志愛、戦友愛、それらもろもろの気高い男らしい神々の特質だ。
これなしには現実も崩壊する。従つて政治も崩壊する。アドルフと俺とは、現実を
成立たせるこの根本のところでつながつてゐるんだ。おそらくあんたの卑しい頭では
わかるまい。
われわれの住むこの地表はなるほど固い。森があり、谷があり、岩石に覆はれてゐる。
しかしこの緑なす大地の底へ下りてゆけば、地熱は高まり、地球の核をなす熱い
岩漿(マグマ)が煮え立つてゐる。この岩漿こそ、あらゆる力と精神の源泉であり、この
灼熱した不定形なものこそ、あらゆる形をして形たらしめる、形の内側の焔なのだ。
雪花石膏(アラバスター)のやうに白い美しい人間の肉体も、内側にその焔を分ち持ち、
焔を透かして見せることによつてはじめて美しい。シュトラッサー君、この岩漿こそ、
世界を動かし、戦士たちに勇気を与へ、死を賭した行動へ促し、栄光へのあこがれで
若者の心を充たし、すべて雄々しい戦ふ者の血をたぎらせる力の根源なのだ。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より
0129無名草子さん
垢版 |
2011/03/19(土) 11:53:35.46
ヒットラー:…いつかあなたは言はれましたね。自分自身を嵐と感じることができるか
どうか、つて。それは何故自分が嵐なのかを知ることです。なぜ自分がかくも憤り、なぜ
かくも暗く、なぜかくも雨風を内に含んで猛り、なぜかくも偉大であるかを知ることです。
それだけでは十分ではない。なぜかくも自分が破壊を事とし、朽ちた巨木を倒すと共に
小麦畑を豊饒にし、ユダヤ人どものネオンサインにやつれ果てた若者の顔を、稲妻の閃光で
神のやうに蘇らせ、すべてのドイツ人に悲劇の感情をしたたかに味はせようとするのかを。
……それが私の運命なのです。


ヒットラー:あの銃声が、クルップさん、ドイツ人がドイツ人を射つ最後の銃声です。……
これで万事片附きました。
クルップ:さうだな。今やわれわれは安心して君にすべてを託することができる。
アドルフ、よくやつたよ。君は左を斬り、返す刀で右を斬つたのだ。
ヒットラー:さうです。政治は中道を行かなければなりません。

三島由紀夫43歳「わが友ヒットラー」より
0130無名草子さん
垢版 |
2011/03/20(日) 17:04:17.90
この世の絶頂の倖せが来たとき、その幸福の只中でなくては動かぬ思案があるのです。
その思案は波間をかすめる太刀魚の背鰭のやうに、幸福の海へ舟出をしてゐる時でなくては
見えないのです。


一つの建築が一つの夢になり、一つの夢が一つの現実になる。さうやつて巨大な石と
おぼろげな夢とは永遠の循環をくりかへすのだ。


今の王様にとつては、ただこのお寺の完成だけがお望みなのだ。そしてお寺の名も、
共に戦つて死んだ英霊たちのみ魂を迎へるバイヨンと名づけられた。バイヨン。王様は
あの目ざましい戦の間に、討死してゐればよかつたとお考へなのだらう。


この世のもつとも純粋なよろこびは、他人のよろこびを見ることだ。

三島由紀夫「癩王のテラス」より
0131無名草子さん
垢版 |
2011/03/20(日) 17:04:44.57
私の前にはただ闇があるだけ。色もない。形もない。死も私にははじめて会つたやうな
気がしないだらう。なぜならそれは、この世と一トつづきの闇に他ならぬからだ。


精神は必ず形にあこがれる。


崩れたもの、形のないもの、盲ひたもの、……それは何だと思ふ。それこそは精神のすだただ。
おまへが癩にかかつたのではない。おまへの存在そのものが癩なのだ。精神よ。おまへは
生れながらの癩者だつたのだ。


何かを企てる。それがおまへの病気だつた。何かを作る。それがおまへの病気だつた。
俺の舳(みよし)のやうな胸は日にかがやき、水は青春の無慈悲な櫂でかきわけられ、
どこへも到達せず、どこをも目ざさず、空中にとまる蜂雀のやうに、五彩の羽根をそよがせて、
現在に羽搏いてゐる。俺を見習はなかつたのが、おまへの病気だつた。


青春こそ不滅、肉体こそ不死なのだ。……俺は勝つた。なぜなら俺こそがバイヨンだからだ。

三島由紀夫44歳「癩王のテラス」より
0132無名草子さん
垢版 |
2011/04/08(金) 12:06:49.22
若い世代は、代々、その特有な時代病を看板にして次々と登場して来たのであつた。彼らは一生のうちには必ず
癒つて行つた。(と言つても、カルシウムの摂取で病竃を固めてしまつただけのことだが)しかしここに不治の病を
持つた一世代が登場したとしたら、事態はおそらく今までの繰り返しではすまないだらう。その不治の病の名は
「健康」と言ふのであつた。
(中略)
われわれの世代を「傷ついた世代」と呼ぶことは誤りである。虚無のどす黒い膿をしたたらす傷口が精神の上に
与へられるためには、もうすこし退屈な時代に生きなければならない。退屈がなければ、心の傷痍は存在しない。
戦争は決して私たちに精神の傷を与へはしなかつた。
のみならず私たちの皮膚を強靭にした。面の皮もだが、おしなべて私たちの皮膚だけを強靭にした。傷つかぬ魂が
強靭な皮膚に包まれてゐるのである。不死身に似てゐる。

三島由紀夫「重症者の兇器」より
0133無名草子さん
垢版 |
2011/04/08(金) 12:08:11.28
(中略)
「芸術」といふあの気恥かしい言葉を、とりわけ作家・批評家にとつてはタブウであるらしいあの言葉を、
臆面もなくしやあしやあと素面で口にするといふ芸当は、われわれ面の皮の厚い世代が草始することになるだらう。
作家は含羞から、批評家は世故から、芸術だの芸術家だのといふ言葉をたやすく口にしなかつた。彼らは素朴な
観念といふものが人を裸かにすることを怖れるあまり、却つてその裏を掻いて、素朴な観念ほど人間の本然の
裸身を偽るものはないといふ教説を流布させた。
「芸術」とは人類がその具象化された精神活動に、それに用ひられた「手」を記念するために与へた最も素朴な
観念である。しかしこの言葉はタブウになると、それは「生」とか「生活」とか「社会」とか「思想」とかいふ
さまざまな言替の言葉で代置された。これらの言葉で人は裸かになりえたか。なりえない。何故なら彼等は
これらの言葉が、この場合、代置としてのみ意味を持たらしめてゐることに気附いてゐないのだから。それに
気附きつつそれに依つた真の選ばれた個性は、日本ではわづかに二三を数へるのみである。

三島由紀夫「重症者の兇器」より
0134無名草子さん
垢版 |
2011/04/08(金) 12:09:35.09
私はそのやうな選ばれた人々のみが歩みうる道に自分がふさはしいとする自信をもたない。だから傷つかない魂と
強靭な皮膚の力を借りて、「芸術」といふこの素朴な観念を信じ、それをいはゆる「生活」よりも一段と高所に置く。
だからまた、芸術とは私にとつて私の自我の他者である。私は人の噂をするやうに芸術の名を呼ぶ。それといふのも、
人が自分を語らうとして嘘の泥沼に踏込んでゆき、人の噂や悪口をいふはづみに却つて赤裸々な自己を露呈する
ことのあるあの精神の逆作用を逆用して、自我を語らんがために他者としての芸術の名を呼びつづけるのだ。
これは、西洋中世のお伽噺で、魔法使を射殺するには彼自身の姿を狙つては甲斐なく、彼より二三歩離れた林檎の
樹を狙ふとき必ず彼の体に矢を射込むことができるといふ秘伝の模倣でもあるのである。――端的に言へば、
私はかう考へる。(きはめて素朴に考へたい)生活よりも高次なものとして考へられた文学のみが、生活の真の
意味を明かにしてくれるのだ、と。

三島由紀夫23歳「重症者の兇器」より
0135無名草子さん
垢版 |
2011/04/08(金) 20:04:47.37
菊五郎が創造したのは一種の近代歌舞伎であり、写実主義歌舞伎であつた。しかしその写実主義は根本的に
伝統的な物真似芸の深化あるひは象徴化であつて、大根(おおね)は近代的でも何でもない。こんなことを言ふと
インテリ歌舞伎俳優から抗議が出さうだが、歌舞伎役者の近代性などタカが知れてゐるのだ。近代趣味の
インテリ集団の文壇からだつて、本当の近代文学など出てゐやしない。安心していい。
おそれるのは若手俳優が企てる歌舞伎の浅墓な近代化だ。菊五郎の近代歌舞伎は、歌舞伎に適しない彼の容姿の
ハンディキャップから生れたといつてもいいのだ。菊五郎が育つて来た時代にはまだ本物の歌舞伎・本物の
錦絵役者が生きてゐた。この対抗手段として聡明な六代目は芸を心理の内面へ向けた。しかし歌舞伎の本質は
様式美を措いてはない。彼は心理の裏附けに物真似芸を広め深めて、様式を今一歩普遍化し内面化したのである。
だから六代目の芸と新劇の演技との間には、量の差ではない、範疇の差があるのである。

三島由紀夫「歌舞伎評 歌舞伎の近代性とは?」より
0136無名草子さん
垢版 |
2011/04/08(金) 20:05:20.43
今や若手(といつたつて四十代も何人かゐるのだが)俳優諸君は、抵抗を感じるべき対象をもつてゐない。
錦絵役者は死に絶え、歌舞伎の古色は滅びてしまつた。ここで諸君が六代目の道を行くならそれは坦々たる
アスファルトで目をつぶつてゐてもドライヴができる。菊五郎が切り拓いたやうな抵抗がないのだ。ここに至つて
諸君の道は一層困難だ。
要は諸君がルネッサンス人になることである。諸君自身が歌舞伎のオルソドックスになつて、諸君自身に対立する
ことだ。この対立に血路を見出だして、その上で本当の新らしさを発見することだ。まづ歌舞伎のあらゆる
愚かしさを諸君自身に課することだ。
歌舞伎の近代化といふはたやすい。しかし浅墓な古典の近代的解釈にだまされるやうなお客は却つて近代人ですら
ないのだ。そんなのはもう古い。イヤサ、古いわえ。

三島由紀夫「歌舞伎評 歌舞伎の近代性とは?」より
0137無名草子さん
垢版 |
2011/04/08(金) 20:05:47.00
いま歌舞伎役者でいちばんブロマイドの売れるのは海老蔵ださうだ。
或る時ごつたがへしの地下鉄の中で、偶々銀座から乗つて来た海老蔵と顔をつき合はせた。色は浅黒く、中折帽が
よく似合ふ。この変装ではあまり人に気づかれない。ただこの人の暗い沈鬱な目が舞台のままだつた。大きな目で、
白眼(にら)めば映えもする。隈取にも負けない目である。この目の暗さが舞台に翳を与へるのだ。
出てくると舞台がぱつと明るくなるといふ先代羽左衛門の天賦に似たものを、若い海老蔵にも発見されたのは
岡鬼太郎氏である。成程この九月の彼の富樫はたしかに颯爽たるものだつた。しかし目が容姿の明るさを
裏切つてゐる。ニヒリスティックな目だ。
九月の「忠臣蔵」の勘平では、この暗い目が芝居にリアリティーを与へた。張りのない澱んだ目が勘平の絶望感の
端的な表現となつた。悪戯小僧みたいな松緑の目とは丁度正反対だ。

三島由紀夫「歌舞伎評 市川海老蔵論」より
0138無名草子さん
垢版 |
2011/04/08(金) 20:06:18.38
仄聞するところによると、海老蔵は家庭生活に恵まれない人のやうである。立入つた見方をすれば、生活の虚ろさが
目に現はれたやうな感じを受ける。匿名子はむしろこの失礼な予測が当ることを欲する。芸の無気力から来る目の
無気力だと思ひたくないのだ。
美は犠牲の上に成立ち、犠牲を踏まへた生活の必死の肯定によつて維持され育くまれる。もちろんこんな理窟は、
極楽蜻蛉的生涯を送ることのできた古い役者たちには適用しない。しかしこれからの歌舞伎役者は、ある意味で
自分たちの生涯が美の犠牲だといふことを強く意識する必要があると思ふ、芸術家たるの自覚を、六代目みたいに
単に対社会的にばかりでなく自覚する必要がある。この自覚が強烈になれば、海老蔵の目も光りを放ち、清澄な
力あるものになるであらう。

三島由紀夫「歌舞伎評 市川海老蔵論」より
0139無名草子さん
垢版 |
2011/04/08(金) 20:07:32.77
「合邦」前半の玉手御前や、「御殿」の八汐は、浄瑠璃作者が創造した性格といふよりは、人形の機巧が必要上
生み出したデスペレエトな怪物であるが、それはもちろん義太夫節の怪物的性格にも懸つてゐる。しかし何といふ
情熱的なエネルギッシュな怪物であらう。類型的であることは、ある場合、個性的であることよりも強烈である。
儒教道徳やカソリック道徳の支配下においては、悪は今日よりも、もつと類型的でさうして強烈であつた。それは
反道徳的なもの一切の代表者であつて、人間の完全な1/2であつた。戦後の道徳混乱期の芸術が甚だ弱力なのは、
悪のエネルギーも亦分散して、悪人もまた単に個性の限界を出ないからである。歌舞伎や人形芝居は目もあやな
悪を創造した。「暫」の公家悪の美しさ、「妹背山御殿」の入鹿の美しさを見るがいい。この力がある限り、
歌舞伎や文楽は決して滅びない。

三島由紀夫25歳「歌舞伎評 悪のエネルギー」より
0140無名草子さん
垢版 |
2011/04/10(日) 12:00:22.20
新しい人間と新しい倫理とは別のものではないのである。倫理とは彼の翼にすぎぬ。倫理とは彼の生きる方法だ。
方法なしに生きる場合に無倫理と云はれる。しかし厳密な意味での無倫理といふものはない。生そのものが内在的に
一つの方法を負うてゐるからだ。生きようとする時、彼の智慧は既に生きる方法を知つてゐるからである。しかし
単なる「生きようとする意志」――これだけはどうにもならぬ。方法喪失症が意志の美名でよばれてゐる。
これこそ無倫理だ。そして生の擬態にすぎぬそれが、今でも生そのものと間違へられてゐる。
      *
新しい人間と倫理の模索は、或る「原型」の模索を意味してゐるらしい。ゲエテにおいては、それは宇宙の内在
といふやうな原型の模索であつた。それは自我を小宇宙(ミクロコスモス)とする欲求だつた。日本の中世に
おいては、彼の芸術のひろがりに直に接する地点として、もつとも星空に近い場所が、隠者の草庵が選ばれた。
作家が企業家を兼業しようと、大学教授を兼ねようと、この事情にはかはりはない。

三島由紀夫「反時代的な芸術家」より
0141無名草子さん
垢版 |
2011/04/10(日) 12:00:54.05
作家がとりうる「新しい道」といふものはなく、彼がなりうる「新しい人間」といふものはない。彼が意図するのは
原型だけだ。原型の模索が芸術家にとつての凡てである。原型の能ふかぎり正確な能ふかぎり忠実な再現、
それが彼のもつ倫理の新しさに他ならぬ。
「新しい人間と新しい倫理」は芸術作品の中にしかありえないのである。しかも作品の中にあらはれた新しい
人間像は、きはめて正確な程度にまで到達された作者の原型の模写に他ならず、各人各様のその到達の方法は、
人間の歴史と共に古いのである。
原型とは芸術家のもつとも非芸術的な欲求の象徴と言つてよいかもしれぬ。原型における芸術家は完全な意味での
「被造物」に化身する。そこには、古代の壁面や紙草に書かれた稚拙な絵画が、その芸術的衝動の源泉を、
「死」に見出だしたのと相似た消息が見られるのである。あらゆる創らうとする欲求の根底の力が、創らうと
する欲求と反対の力なのである。いかなる鋳像も鋳型を求めるのだ。それなしには彼の再生と繁殖はありえず、
しかもそれとの合一の瞬間に彼の存在も亦失はれるところのあの鋳型を。

三島由紀夫「反時代的な芸術家」より
0142無名草子さん
垢版 |
2011/04/10(日) 12:01:54.31
      *
単に金儲けの目的で文学をはじめようとする青年たちがゐる。これは全く新しい型だ。君たちの動機の純粋を
私は嘉する。「金のため」――ああ何といふ美しい金科玉条、何といふ見事な大義名分だ。私たちの動機は
それほど純粋ではない。もつと気恥かしい、口に出すのも面伏せな欲求がこんがらかつて私たちを文学へ駆り
立てた。だが私たちだけに言へる種類の皮肉もあるのである。
「金のためだつて! そんな美しい目的のためには文学なんて勿体ない。私たちは原稿の代償として金を受取るとき、
いつも不当な好遇と敬意とを居心地わるく感じなければならないのです。蹴飛ばされる覚悟でゐたのがやさしく
撫でられた狂犬のやうにして」
      *
こいつをうまく両手に捌かうといふ人たちがゐる。一方で出版業その他、一方で芸術。――これも一つの新しい
型だ。しかしその時彼の生活の投影する場所がなくなつてしまふ。両方から等分の照明で照らされた板のやうに。
そこで彼の二重性はその架空の(影なき)二重性のなかで(中略)彼にあの「原型」への意慾(非芸術的な
意慾)が失はれる。彼は「芸術愛好家」になる。

三島由紀夫23歳「反時代的な芸術家」より
0143無名草子さん
垢版 |
2011/04/14(木) 12:08:10.84
人間は結局、前以て自分を選ぶものだ。(中略)批評といふものが本質的に自己を選択する能力だと考へると、
批評こそ創造だと言ひ出したワイルドは、彼自身の運命を創造した人間のやうに思はれる。
逆説はその場のがれにこそなれ、本当の言ひのがれにはなりえない。逆説家は逆説で自分を追ひつめ、どどの
つまりは自分自身から言ひのがれの権利をのこらず剥奪してしまふのである。逆説家がしばしばいちばん誠実な
人間であるのはこのためだ。逆説家がいちばん神に触れやすいのもこの地点だ。神は人間の最後の言ひのがれであり、
逆説とは、もしかすると神への捷径だ。(中略)
さまざまな論者がワイルドの逆説のいづれかに引つかかつてゐる。ジイドでさへが。
  大作家ではない、併し大生活家だ。
ジイドはワイルドの回想の主題をここに置いたが、その根拠は、ワイルド自身の苦々しい自己弁護にみちた逆説、
「私は自分の天才のすべてを生活に注いだが、作品には自分の才能しか用ひなかつた」といふ逆説に係つてゐる。

三島由紀夫「オスカア・ワイルド論」より
0144無名草子さん
垢版 |
2011/04/14(木) 12:08:39.44
天才(ジェニー)。才能(タラン)。誰がそれを分割することができよう。ジイドは勿論そのことをよく知つてゐた。
そこでワイルドが用法の錯誤と言ひくるめるこの二つの薬品を、ジイドは本質の錯誤と考へて分類した。ジイドは
正直にワイルドの作品に才能をしか見なかつた。しかし私は思ふのだが、ワイルドの悲劇は、この逆説のうちなる
逆説の誠実さにあるのではなからうか。分割したとたんにそのいづれでもなくなるやうな精妙な化合物を、
切れ味みごとに分割しようとして果さなかつた悲劇が。
才能とは決して不完全な天才のことではない。才能と天才は別の元素だ。それにもかかはらず、われわれは
ワイルドの作品のいたるところに不完全な天才を見出だすのである。いはば「ドリアン・グレイの画像」は才能の
足跡で踏みくたされた泥濘だ。しかしその足跡のなかの一対が、天使の足跡でないと誰が言へよう。

三島由紀夫「オスカア・ワイルド論」より
0145無名草子さん
垢版 |
2011/04/14(木) 12:08:59.06
(中略)
苦痛は一種のドラマである。人がその欲しないものへ赴くためには、丁度子供が歯医者へゆく御褒美に菓子を
せびるやうに、虚栄心をせびらずにはゐられない。虚栄心はこのドラマの舞台であつて、ワイルドにとつては、
彼の道徳の苗床でもあつたやうに思はれる。
つくづく思ふのだが、ワイルドは悲劇役者として上の部でななかつた。生活の信条としての彼の悲劇への志向は、
浪漫主義詩人のボヘミアン・ライフの卵の殻を背負つてゐた。悲劇の節度も礼譲も、悲劇をして壮麗ならしめる
抑制の苦悩もなかつた。をかしなことだ。彼は数ある苦痛のうち、「抑制の苦痛」だけを知らなかつたのである。
牢獄がはじめて外部からそれを彼に教へた。
「彼の耽美主義はなにか痙攣のやうなものであつた」とホフマンスタールが書いてゐる。ホフマンスタールは
ワイルドの悲壮な戦慄を、現実の復讐を挑戦しつづける男の現実からうける脅威と見てゐる。

三島由紀夫「オスカア・ワイルド論」より
0146無名草子さん
垢版 |
2011/04/14(木) 12:09:26.44
(中略)
オスカア・ワイルドはまづもつて卑俗(と謂つてもよからう)な成功の毒に中(あた)つた。それが彼をして
半ばは虚栄心、半ばは持ち前の真摯誠実から、(この二つは彼にとつては同じものだ)、すすんで嫌はれ者の
光栄に憧れさせた。社会はある男を葬り去らうとまで激昂する瞬間に、もつともその男を愛してゐるもので、
これは嫉妬ぶかい女と社会とがよく似てゐる点である。軽業師は観客の興味を要求することに飽き、つひには
恐怖を要求することに苦心を重ねて、死とすれすれな場所に身を挺する。彼が死ぬ。それはもはや椿事だ。
綱渡り師の墜死は、芸当から単なる事件への、おそろしい失墜である。イギリス社会にはとりわけイギリス特産の、
醜聞といふ「死」の一つの様式があつたので、綱渡り師がこの危険に誘惑を感じない筈はないのであつた。
ボオドレエルがカソリシズムの苦悩の教義に照らして眺めた「醜の美」を、すでに人々は何らの痛痒を感ぜずに
炉辺で享楽しはじめてゐたために、人々に嫌はれるためには、むしろ身自ら癩病に罹患する必要があつた。

三島由紀夫「オスカア・ワイルド論」より
0147無名草子さん
垢版 |
2011/04/14(木) 12:09:47.05
(中略)
生活とは決して独創的でありえない何ものかだ。ホフマンスタールの忠告にもかかはらず、しかし運命のみが
独創的でありうる。キリストが独創的だつたのは、彼の生活のためではなく、磔刑といふ運命のためだ。もうひとつ
立入つた言ひ方をすると、生活に独創的な外見を与へるのは運命といふものの排列の独創性にすぎない。
(中略)
虚栄心を軽蔑してはならない。世の中には壮烈きはまる虚栄心もあるのである。ワイルドの虚栄心は、受難劇の
民衆が、血が流れるまで胸を叩きつづけるあの受苦の虚栄に似てゐたやうに思はれる。何故さうするか。それが
その男にとつての、ともかく最高度と考へられる表現だからである。ワイルドが彼の詩に、彼の戯曲に、彼の
小説に選択する言葉は、かうした最高度の虚栄であつた。人間の心が通じ合ふための唯一の言葉である音楽を、
師ウォルタア・ペイタアにならつて、芸術の形式上の典型と呼んだワイルドは、また芸術の感情上の典型を俳優に
見出だした。

三島由紀夫「オスカア・ワイルド論」より
0148無名草子さん
垢版 |
2011/04/14(木) 12:12:54.32
音楽は詐術ではない。しかし俳優は最高の詐術であり、アーティフィシャルなものの最上である。それは人間の
言葉である台詞が無上の信頼の友を見出だす分野である。
文学者の簡明な定義を私は考へるのだが、それは人間の言葉が絶対に通じ合はぬといふ確信をもちながら、
しかも人間の言葉に一生を託する人種である。この脆弱な観念を信じなければならぬ以上、文学者は懐疑主義者に
なりきれない天分をもつてゐる。
(中略)
ワイルドはその逆説によつて近代をとびこえて中世の悲哀に達した。イロニカルな作家はバネをもつてゐる人形の
やうに、あの世紀末の近代から跳躍することができた。彼は十九世紀と二十世紀の二つの扇をつなぐ要の年に
世を去つた。彼は今も異邦人だ。だから今も新しい。ただワイルドの悪ふざけは一向気にならないのに、彼の
生まじめは、もう律儀でなくなつた世界からうるさがられる。誰ももう生まじめなワイルドは相手にすまい。
あんなに自分にこだはりすぎた男の生涯を見物する暇がもう世界にはない。

三島由紀夫25歳「オスカア・ワイルド論」より
0149無名草子さん
垢版 |
2011/04/16(土) 11:46:15.23
河、重い雲、星、対岸の大都会、暮色、灯……さういふ詩的な雰囲気が今の東京には全然ないやうです。
マンチェスタアのやうなマニフェクチュア工業の都会の哀愁は「人間の身すぎ世すぎ」「人間のなりはひ」といふ
ものに対する詩的感情から来てゐるのですね。「商業」それも大規模な商業には、人間の集団とその生活が
もたらす深い暮色の香りがたゞよつてゐるやうな気がします。人間が大勢あつまると暮色がたゞよふのです。
(中略)
戦争中、中島飛行場にゐたときも、僕はガウガウ音をたててゐる工場のなかを歩きまはりながら「インダストリーと
いふ雰囲気にはどこかメランコリックなものがあるね」と時代錯誤的な言草で友達を面喰はせたものでした。(中略)
僕はまた、万国博覧会にリボンをつけた硝子罎に入れて陳列されてゐるさまざまな微細な軽工業の商品見本が
好きでした。それは明治時代の国家資本主義の野暮つたい雰囲気と奇妙にマッチしてゐるなつかしさです。
生糸や鉛筆や、さういふ商品からまことに非実用的な蠱惑を僕は受けてゐたのでした。

三島由紀夫「インダストリー――柏原君への手紙」より
0150無名草子さん
垢版 |
2011/04/16(土) 11:46:45.71
野暮くさいレッテル、何とかマッチの大箱のレッテル、小学校の教科書のやうな薄暗い画で飾られたレッテルを
僕は愛しました。そのくせ僕はアド・バルーンやネオン・サインはそれほど好きでもなかつたのです。
詩情をよびおこすものは消費面より生産面のはうが多いのではないかといふ僕のドグマティックな想像を裏書する
よい証拠はないものでせうか。それともそれは消費面に育つた都会児のセンチメンタルな憧れにすぎないのでせうか。
僕はビルディングの窓々にともる灯火よりも、工場街の灯火のはうに、深い郷愁をそそるものがあるのを感じます。
それは正にコムミュニズムとは全く無関係な立場でです。昼のサイレンよりも、工場の作業開始のサイレンのはうが、
何故かしら僕のあこがれる世界に近かつたのです。そこでは又しても暗いどよめきの彼方に、汚れた河口や、
並立つ煙突や、曇つた空や、それらの象徴する漠たる人工の苦悩が聳(そび)え立つてくるのでした。

三島由紀夫23歳「インダストリー――柏原君への手紙」より
0151無名草子さん
垢版 |
2011/04/20(水) 16:54:37.94
感じやすさといふものには、或る卑しさがある。多くの感じやすさは、自分が他人に感じるほどのことを、他人は
自分に感じないといふ認識で軽癒する。(中略)
世間の人はわれわれの肉親の死を毫も悲しまない。少なくともわれわれの悲しむやうには悲しまない。われわれの
痛みはそれがどんなに激しくても、われわれの肉体の範囲を出ない。
感じやすさのもつてゐる卑しさは、われわれに対する他人の感情に、物乞ひをする卑しさである。自分と同じ
程度の感じやすさを他人の内に想像し、想像することによつて期待する卑しさである。感じやすさは往々人を
シャルラタンにする。シャルラタニスムは往々感じやすさの企てた復讐である。
私はまづ自分の文体から感じやすい部分を駆逐しようと試みた。感受性に腐蝕された部分を剪除した。ついで
私の生活に感じやすさから加へられてゐるさまざまの剰余物、こつてりとかけられたホワイト・ソースの如きものを
取り去らうと試みた。私の理想とした徳は剛毅であつた。それ以外の徳は私には価値のないもののやうに思はれた。

三島由紀夫「アポロの杯 航海日記」より
0152無名草子さん
垢版 |
2011/04/20(水) 16:55:03.28
ここでは表情自体はあらはで、苦痛の歪みは極度に達してゐる。その苦痛の総和が静けさを生み出してゐるのである。
「ゲルニカ」は苦痛の詩といふよりは、苦痛の不可能の領域がその画面の詩を生み出してゐる。一定量以上の苦痛が
表現不可能のものであること、どんな表情の最大限の歪みも、どんな阿鼻叫喚も、どんな訴へも、どんな涙も、
どんな狂的な笑ひも、その苦痛を表現するに足りないこと、人間の能力には限りがあるのに、苦痛の能力ばかりは
限りもしらないものに思はれること、……かういふ苦痛の不可能な領域、つまり感覚や感情の表現としての苦痛の
不可能な領域にひろがつてゐる苦痛の静けさが「ゲルニカ」の静けさなのである。この領域にむかつて、画面の
あらゆる種類の苦痛は、その最大限の表現を試みてゐる。その苦痛の触手を伸ばしてゐる。しかし一つとして苦痛の
高みにまで達してゐない。一人一人の苦痛は失敗してゐる。少なくとも失敗を予感してゐる。その失敗の瞬間を
ピカソは悉くとらへ、集大成し、あのやうな静けさに達したものらしい。

三島由紀夫「アポロの杯 北米紀行 ニューヨーク」より
0153無名草子さん
垢版 |
2011/04/22(金) 11:04:42.79
或る種の瞬間の脆い純粋な美の印象は、凡庸な形容にしか身を委さないものである。美は自分の秘密をさとられ
ないために、力めて凡庸さと親しくする。その結果、われわれは本当の美を凡庸だと眺めたり、たゞの凡庸さを
美しいと思つたりするのである。
(中略)
記憶はすべて等質だから、夢の中の記憶も現実の記憶と等質のものでしかないこと、その記憶の瞬間において、
私の観念はまた何度でもリオを訪れリオに存在するかもしれないが、私の肉体は同時に地上の二点を占めることは
できないこと、もはや死者が私の中に住むやうにしてリオは私の中に住むにすぎまいが、もう一度現実にリオを
訪れても、この最初の瞬間は二度と甦らぬであらうといふこと、その点では時がわれわれの存在のすべてであつて、
空間はわれわれの観念の架空の実質といふやうなものにすぎないこと、そして地上の秩序は空間の秩序にすぎない
こと、……私はこれらのことをつかのまに雑然と考へ、荘子の胡蝶の譬や、謡曲邯鄲の主題をあれこれと思ひうかべた。

三島由紀夫「アポロの杯 南米紀行―ブラジル リオ―転身―幼年時代の再現」より
0154無名草子さん
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2011/04/22(金) 11:05:04.74
荘子の譬は、転身の可能について語つてゐる。われわれは事実、ある瞬間、胡蝶になるのだ。われわれはさまざまな
ものになる。輪廻は刻々のうちに行はれる。大きな永い輪廻と、小さな刹那々々の輪廻とがある。小さな輪廻と
大きな輪廻とは、お互ひを映してゐる鏡影のやうなものである。ひとりわれわれの意識が、われわれをあらゆる
転身の危険から護り、空間にとぢこめられた肉体の存在を思ひ出させてくれるのである。さもなければわれわれは
二度と人間に立戻らないで、その瞬間から胡蝶になつてしまふことであらう。

三島由紀夫「アポロの杯 南米紀行―ブラジル リオ―転身―幼年時代の再現」より


時々、窓のなかは舞台に似てゐる。多分その思はせぶりな照明のせゐである。

「アポロの杯 南米紀行―ブラジル サン・パウロ」より
0155無名草子さん
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2011/04/24(日) 10:50:30.19
曲馬はこれを見るごとに、およそ平衡を失はなければ、どんな危険を冒しても安全だと語つてゐるやうに私には
思はれ、また、どんな不可能事の実現と見えるもののなかにも、厳然と平衡が住んでゐることを教へられるのである。
われわれは肉体の危険にもまして、たびたび精神の危険を冒す。そのときわれわれは曲芸師のやうにかくも平衡に
忠実であらうか。曲芸師が綱から落ち、曲芸師の額から皿が落ちるときに、われわれは彼等があやまつて肉体の
平衡を冒したことを如実に見るが、われわれが自ら精神の平衡を失ふさまは、これほど如実に見ることはできない
ので、それだけ危険は多く且つ重大である。
曲芸師は肉体の平衡を極限まで追ひつめて見せる。しかしかれらはそのすれすれの限界を知つてをり、そこで
かれらは引返して来て、微笑を含んで観衆の喝采に答へるのである。かれらは決して人間を踏み越えない。しかし
われわれの精神は、曲芸師同様の危険を冒しながら、それと知らずにやすやすと人間を踏み越えてゐる場合が
あるかもしれない。

三島由紀夫「アポロの杯 欧州紀行 パリ シルク・メドラノ」より
0156無名草子さん
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2011/04/24(日) 10:50:54.75
思惟が人間を超えうるかどうかは、困難な問題である。超えうるといふ仮定が宗教をつくり、哲学を生んだので
あつたが、宗教家や哲学者は正気の埒内にある限り曲芸師の生活智をわれしらず保つてゐるのかもしれない。
もし平衡が破られたとき実は失墜がすでに起つてをり、精神は曲馬の円い舞台に落ちて、すでに息絶えてゐるかも
しれないが、そののち肉体が永く生きつづけるままに、人々は彼の死を信じないにちがひない。
狂気や死にちかい芸術家の作品が一そう平静なのは、そこに追ひつめられた平衡が、破局とすれすれの状態で
保たれてゐるからである。そこではむしろ、平衡がふだんよりも一そう露はなのだ。たとへばわれわれは歩行の
場合に平衡を意識しないが、綱渡りの場合には意識せざるをえないのと同じである。

三島由紀夫「アポロの杯 欧州紀行 パリ シルク・メドラノ」より
0157無名草子さん
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2011/04/26(火) 10:48:29.83
オリンピアの非均斉の美は、芸術家の意識によつて生れたものではない。
しかし竜安寺の石庭の非均斉は、芸術家の意識の限りを尽したものである。それを意識と呼ぶよりは、執拗な
直感とでも呼んだはうが正確であらう。日本の芸術家はかつて方法に頼らなかつた。かれらの考へた美は普遍的な
ものではなく一回的(einmalig)なものであり、その結果が動かしがたいものである点では西欧の美と変りがないが、
その結果を生み出す努力は、方法的であるよりは行動的である。つまり執拗な直感の鍛錬と、そのたえざる試みとが
すべてである。各々の行動だけがとらへることのできる美は、敷衍されえない。抽象化されえない。日本の美は、
おそらくもつとも具体的な或るものである。
かうした直感の探りあてた究極の美の姿が、廃墟の美に似てゐるのはふしぎなことだ。芸術家の抱くイメーヂは、
いつも創造にかかはると同時に、破滅にかかはつてゐるのである。芸術家は創造にだけ携はるのではない。
破壊にも携はるのだ。

三島由紀夫「アポロの杯 欧州紀行 アテネ」より
0158無名草子さん
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2011/04/26(火) 10:49:00.49
その創造は、しばしば破滅の予感の中に生れ、何か究極の形のなかの美を思ひゑがくときに、ゑがかれた美の
完全性は、破滅に対処した完全さ、破壊に対抗するために破壊の完全さを模したやうな完全さである場合がある。
そこでは創造はほとんど形を失ふ。なぜかといふと、不死の神は死すべき生物を創るときに、その鳥の美しい歌声が、
鳥の肉体の死と共に終ることを以て足れりとしたが、芸術家がもし同じ歌声を創るときは、その歌声が鳥の死の
あとにまで残るために、鳥の死すべき肉体を創らずに、見えざる不死の鳥を創らうと考へたにちがひない。
それが音楽であり、音楽の美は形象の死にはじまつてゐる。
希臘人は美の不死を信じた。かれらは完全な人体の美を石に刻んだ。日本人は美の不死を信じたかどうか疑問である。
かれらは具体的な美が、肉体のやうに滅びる日を慮つて、いつも死の空寂の形象を真似たのである。石庭の
不均斉の美は、死そのものの不死を暗示してゐるやうに思はれる。

三島由紀夫「アポロの杯 欧州紀行 アテネ」より
0159無名草子さん
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2011/04/26(火) 10:49:33.19
希臘人は外面を信じた。それは偉大な思想である。キリスト教が「精神」を発明するまで、人間は「精神」なんぞを
必要としないで、矜らしく生きてゐたのである。

三島由紀夫「アポロの杯 欧州紀行 アテネ」より


私は器楽よりも人間の肉声に、一層深く感動させられ、抽象的な美よりも人体を象つた美に一層強く打たれるといふ、
素朴な感性に固執せざるをえない。私にとつては、それらのもう一つ奥に、自然の美しさに対する感性が根強く
そなはつてをり、彫像や美しい歌声の与へる感動は、いつもこの感性と照応を保つてゐる。私には夢みられ、
象られ、さうすることによつて正確的確に見られ、分析せられ、かくて発見されるにいたつた自然の美だけが、
感動を与へるのである。思ふに、真に人間的な作品とは「見られたる」自然である。
希臘の彫刻の佳いものに接すると、ますますこの感を深められる。

三島由紀夫「アポロの杯 欧州紀行 ローマ」より
0160無名草子さん
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2011/04/29(金) 15:05:36.68
(中略)
このうら若いアビシニヤ人は、極めて短い生涯のうちに、奴隷から神にまで陞(のぼ)つたのであつたが、それは
智力のためでも才能のためでもなく、ただ儔(たぐ)ひない外面の美しさのためであり、彼はこの移ろひやすい
ものを損なふことなく、自殺とも過失ともつかぬふしぎな動機によつて、ナイルに溺れるにいたるのである。
私はこの死の理由をたづねようとするハドリアーヌス皇帝の執拗な追求に対して、死せるアンティノウスをして、
ただ「わかりません」といふ返事を繰り返させ、われわれの生に理由がないのに、死にどうして理由があらうか、
といふ単純な主題を暗示させよう。
一説には厭世自殺ともいはれてゐるその死を思ふと、私には目前の彫像の、かくも若々しく、かくも完全で、
かくも香ばしく、かくも健やかな肉体のどこかに、云ひがたい暗い思想がひそむにいたつた経路を、医師のやうな
情熱を以て想像せずにはゐられない。ともするとその少年の容貌と肉体が日光のやうに輝かしかつたので、
それだけ濃い影が踵に添うて従つただけのことかもしれない。

三島由紀夫「アポロの杯 欧州紀行 ローマ」より
0161無名草子さん
垢版 |
2011/04/29(金) 15:06:00.53
(中略)
アンティノウスの像には、必ず青春の憂鬱がひそんでをり、その眉のあひだには必ず不吉の翳がある。それは
あの物語によつて、われわれがわれわれ自身の感情を移入して、これらを見るためばかりではない。これらの作品が、
よしアンティノウスの生前に作られたものであつたとしても、すぐれた芸術家が、どうして対象の運命を予感し
なかつた筈があらう。
(中略)
希臘人の考へたのは、精神的救済ではなかつた。かれらの彫像が自然の諸力を模したやうに、かれらの救済も
自然の機構を模し、それを「運命」と呼びなした。しかしかうした救済と解放は、基督教がその欠陥を補ふために
のちにその地位にとつて代つたやうに、われわれを生から生へ、生の深い淵から生の明るい外面へ救ふにすぎない。
生は永遠にくりかへされ、死後もわれわれはその生を罷(や)めることができないのである。あの夥しい希臘の
彫刻群が、解放による縛しめ、自由による運命、生の果てしない絆によつて縛しめられてゐるのを、われわれは
見るのである。

三島由紀夫「アポロの杯 欧州紀行 ローマ」より
0162無名草子さん
垢版 |
2011/04/29(金) 15:07:06.64
彫像が作られたとき、何ものかが終る。さうだ、たしかに何ものかが終るのだ。一刻一刻がわれらの人生の終末の
時刻(とき)であり、死もその単なる一点にすぎぬとすれば、われわれはいつか終るべきものを現前に終らせ、
一旦終つたものをまた別の一点からはじめることができる。希臘彫刻はそれを企てた。そしてこの永遠の「生」の
持続の模倣が、あのやうに優れた作品の数々を生み出した。
生の茫洋たるものが堰き止められるにはあまりに豊富な生に充ちてゐる若者たちが、さうした彫像の素材に
なつたのには、希臘人がモニュメンタールと考へたものの中に潜む、悲劇的理念を暗示する。アンティノウスは、
基督教の洗礼をうけなかつた希臘の最後の花であり、羅馬が頽廃期に向ふ日を予言してゐる希臘的なものの
最後の名残である。私が今日再び美しいアンティノウスを前にして、ニイチェのあの「強さの悲観主義」
「豊饒そのものによる一の苦悩」生の充溢から直ちに来るところの希臘の厭世主義を思ひうかべたとしても
不思議ではあるまい。

三島由紀夫27歳「アポロの杯 欧州紀行 ローマ」より
0163無名草子さん
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2011/05/04(水) 11:13:13.82
少年時代にほとんど性欲的な知性の目覚めといふものを持たない人は、人生の半面しか知らない人ではないかと
思はれる。


私は徐々に文学の上で知的なものと感性的なもの、ニイチェの言つてゐるアポロン的なものとディオニソス的な
もののどちらを欠いても理想的な芸術ではないといふことを考へるやうになつた。


私はやはりニイチェ的な考へでギリシャの芸術を見てゐたと思ふのであるが、どこをつついても翳のないやうな
明るさ、完全な冷静さ、ある場合には陽気さ、快活さ、若々しさ、さういふものが見かけだけのものではなくて、
一番深いフシギなものをひそめてゐることに打たれた。そして一番表面的なものが、一番深いものだとさへ
考へるやうになつた。なぜなら私は心理分析にあきてゐたし、そこから人間の問題が全部出てくるとは思へなかつた。
むしろ人間のちよつとした表面の動きとか、太陽の光にさらされた平面を描いたものの中に、人間の存在の
恐ろしさとか、暗さとかが逆に出てくるやうに感じた。

三島由紀夫「わが魅せられたるもの」より
0164無名草子さん
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2011/05/04(水) 11:14:10.53
私は建設的な芸術といふものをいつまでたつても信じることができないし、そして芸術の根本にあるものは、
人を普通の市民生活における健全な思考から目覚めさせて、ギョッとさせるといふことにかかつてゐるといふ
考へが失せない。もし芸術家のやることが市民の考へることと全然同じになつてしまつたら、芸術が出てくる動機が
ないのである。そして現在あるところのものを一度破滅させなければよみがへつてこないやうなもの、ちやうど
ギリシャのアドニスの祭のやうに、あらゆる穫入れの儀式がアドニスの死から生れてくるやうに、芸術といふものは
一度死を通つたよみがへりの形でしか生命を把握することができないのではないかといふ感じがする。さういふ
点では文学も古代の秘儀のやうなものである。収穫の祝には必ず死と破滅のにほひがする。しかし死と破滅も
そのままでは置かれず、必ず春のよみがへりを予感してゐる。

三島由紀夫「わが魅せられたるもの」より
0165無名草子さん
垢版 |
2011/05/04(水) 11:15:47.79
大体私は死や破滅そのものだけをテーマにした芸術にはあまり興味がない。いはゆる狂気の芸術及び狂気の
天才といふものには大して興味がない。やはり私は死や破滅を通していつもよみがへりを夢見てゐるのであるが、
さういふことを夢見ることと、根本的な破滅の衝動とがうまく符節を合したときに、いい芸術ができるのでは
ないかと思ふ。


立派な芸術は積木に似た構造を持ち、積木を積みあげていくやうなバランスをもつて組立てられてゐるけれども、
それを作るときの作者の気持は、最後のひとつの木片を積み重ねるとたんにその積木細工は壊れてしまふ、
さういふところまで組立てていかなければ満足しない。積木が完全なバランスを保つところで積木をやめるやうな
作者は、私は芸術家ぢやないと思はれる。世の教訓的な作家とかいはゆる健全な作家といはれてゐる連中は積木を
壊すことがイヤなのである。最後の一片を加へることによつてみすみす積木が崩れることがわかつてゐながら、
最後の木片をつけ加へる。そして積木はガラガラと崩れてしまふのであるが、さういふふうな積木細工が芸術の
建築術だと私は思ふ。

三島由紀夫31歳「わが魅せられたるもの」より
0166無名草子さん
垢版 |
2011/05/10(火) 10:19:54.22
この地上で自分の意欲を実現する方式に二つはないのではないか? 芸術も政治も、その方式に於ては一つなのでは
ないか? だからこそ、芸術と政治はあんなにも仲が悪いのではないか? ただ、いつも必ず失敗し、いつも
必ず怒つてゐるのは、理想主義者だけなのである。
ワグナーは、加藤道夫氏とちがつて、どうやら、理想の劇場は死んだといふことを、誰よりも鮮明に、腹の中で
知つてゐた男のやうに思はれる。だから彼の「理想の劇場」が建つてしまつたのである。しかしこの壮大な規模の
古代祭典劇の再現を自分で見ながら、やはりワグナーは、その友にして仇敵ニイチェが荘厳な面持で、
「神は死んだ」と言つたやうに、ニヤリと笑ひながら、「理想の劇場は死んだ」と呟いてゐたかもしれない。
私はワグナーといふ男のことを考へると、彼の作品のあのやうな悲愴さにもかかはらず、ワグナー自身は、毫も
悲愴さを持たぬ人間だつたやうな気がしてならない。それは多分彼が「芸術家だから理想主義者ではない」といふ
風土に、育ち且つ生きたからであらう。

三島由紀夫「楽屋で書かれた演劇論 理想の劇場は死んだ」より
0167無名草子さん
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2011/05/10(火) 10:21:06.70
ラヂウムを扱ふ学者が、多かれ少なかれ、ラヂウムに犯されるやうに、身自ら人間でありながら、人生を扱ふ
芸術家は、多かれ少なかれ、その報いとして、人生に犯される。
ラヂウムは本来、人間には扱ひかねるものである。その扱ひには常に危険が伴ふ。その結果、人間の肉体が犯される。
人間の心とは、本来人間自身の扱ふべからざるものである。従つてその扱ひには常に危険が伴ひ、その結果、
彼自身の心が、自分の扱ふ人間の心によつて犯される。犯された末には、生きながら亡霊になるのである。そして、
医療や有効な目的のために扱はれるラヂウムが、それを扱ふ人間には有毒に働くやうに、それ自体美しい人生や
人間の心も、それを扱ふ人間には、いつのまにか怖ろしい毒になつてゐる。多少ともかういふ毒素に犯されて
ゐない人間は、芸術家と呼ぶに値ひしない。

三島由紀夫32歳「楽屋で書かれた演劇論 俳優と生の人生」より
0168無名草子さん
垢版 |
2011/05/13(金) 17:38:17.23
マヤの死の神はたえず飢ゑてゐて、がつがつと餌を求めてゐる。ここでは人が死ぬといふことは、自然が自然に
喰はれ、生命が生命に喰はれることであり、たとへ自然死であつても、それは何か蝶が蜘蛛に喰はれるのと似てゐる。
かうして半ば文明生活に護られてゐながら、どこかに自分を打ち倒すいやらしい生々しい生命の存在を予感して
ゐるのは、私だけだらうか。
いや、私だけではない。コミュニストたちは革命の名の下に、砂塵をあげて攻め寄せてくるより強大な生命を
描いてみせながら、思ふ存分、今なほ衰へぬかうした伝来的恐怖を利用する。メキシコの左翼画家リヴェラが
描く威嚇するやうな労働者群は、人間的規模を越えて、熱帯のあくどい圧倒的自然に近づいてゐる。
(中略)
熱帯の人々の生き方には、その外圧的なより強力な生の模倣がひそんでゐる。われわれは巨大なてらてらと
光つた植物や、鸚鵡や豹の生命を模倣しようとする。それに参画しようとする。……これが生きるといふことであり、
これが不可能になつたときそれは死であり、模倣の代りに喰べられ同化されてしまふことなのである。

三島由紀夫「旅の絵本 1 禿鷹の影」より
0169無名草子さん
垢版 |
2011/05/13(金) 17:41:50.45
チチェン・イッツァのマヤランド・ロッヂ・ホテルの二階の柱廊から、私は鬱蒼と茂つた熱帯樹の葉むらのかげに、
うす紫の寄生蘭が花咲いてゐるのを見た。と、突然、その蘭の花弁をかすめて、数羽のたけだけしい羽音が起り、
黒い影が目の前をかきみだして翔つた。それは禿鷹だつた。
死はこんな白昼に、こんなにも人々の食卓や寝椅子に近く、力強く羽撃いてゐた。その影は午後の酒を置いた
テーブル・クロースの上をも翳らした。それは不吉な黒い姿をしてはゐるが、やはり強大な生命の一種に
他ならないのだ。
他者としての生命、自我にかかはらない生命……、かういふものの考へ方は西欧人をぞつとさせる。それは容易に
生命と死の同一視にみちびくからである。そしてかういふ考へ方は、必ずどこかで太陽崇拝に結びついてゐる。
身を突き刺す嚠喨たる喇叭の音のやうに、たえず鳴りひびいてゐる熱帯の日光。空気は幾条もの亀裂を生じて澱み、
椰子や火焔樹は目くるめく海の背景に象嵌されて身じろぎもしない。

三島由紀夫「旅の絵本 1 禿鷹の影」より
0170無名草子さん
垢版 |
2011/05/14(土) 11:47:33.26
廃墟といふものは、ふしぎにそこに住んでゐた人々の肌色に似てゐる。ギリシアの廃墟はあれほど蒼白であつたが、
ここウシュマルでは、湧き立つてゐる密林の緑の只中から、赤銅色の肌をした El Adivino のピラミッドが
そそり立つのだ。その百十八の石階には古い鉄鎖がつたはつてをり、むかしマキシミリアン皇妃がろくろ仕掛の
この鎖のおかげで、大袈裟にひろがつたスカートのまま、ピラミッドの頂きまで登つたのであつた。
そこらの草むらには、はうばうに石に刻んだ雨神の顔が落ちてゐた。この豊饒の神の顔は怒れる眉と爛々たる目と
牙の生えた口とをもち、鼻は長く伸びてその先が巻いて象の鼻に似、しばしば双の耳の傍から男根を突き出してゐる。
(中略)
巨大な中庭をかこむ四つの尼僧院の壮麗さは私をおどろかせたが、そこを出て、(中略)ウシュマルのアポロ神殿
ともいふべき「支配者の宮殿」の前に立つたとき、いくつかのゴシック風のアーチの余白をのぞいて、残る隈なく
神秘的な浮彫に飾られた横長の壮大な建築は、私の心をいきいきとさせ、ついで感動で充たした。

三島由紀夫「旅の絵本 4 壮麗と幸福」より
0171無名草子さん
垢版 |
2011/05/14(土) 11:48:37.37
大宮殿はおそらくその下に石階を隠してゐる平たい広大な台地の上にあつた。この正面に相対して、二頭の
ジャグワの像を据ゑた小さい台地があり、さらに宮殿の入口の前には、巨大な男根が斜めにそびえてゐた。
壮麗な建築がわれわれに与へる感動が、廃墟を見る場合に殊に純粋なのは、一つにはそれがすでに実用の目的を離れ、
われわれの美学的鑑賞に素直に委ねられてゐるためでもあるが、一つには廃墟だけが建築の真の目的、そのために
それが建てられた真の熱烈な野心と意図を、純粋に呈示するからでもある。この一見相反する二つの理由の、
どちらが感動を決定するかは一口に云へない。しかし廃墟は、建築と自然とのあひだの人間の介在をすでに
喪つてゐるだけに、それだけに純粋に、人間意志と自然との鮮明な相剋をゑがいてみせるのである。廃墟は現実の
人間の住家や巨大な商業用ビルディングよりもはるかに反自然的であり、先鋭な刃のやうに、自然に対立して
自然に接してゐる。それはつひに自然に帰属することから免れた。それは古代マヤの兵士や神官や女たちの
やうには、灰に帰することから免れた。

三島由紀夫「旅の絵本 4 壮麗と幸福」より
0172無名草子さん
垢版 |
2011/05/14(土) 11:49:28.75
と同時に、当時の住民たちが果してゐた自然との媒介の役割も喪はれて、廃墟は素肌で自然に接してゐるのである。
殊に神殿が廃墟のなかで最も美しいのは、通例それが壮麗であるからばかりではなく、祈りや犠牲を通して神に
近づかうとしてゐた人間意志が、結局無効にをはつて挫折して、のび上つた人間意志の形態だけが、そこに
残されてゐるからであらう。かつては祈りや犠牲によつて神に近づき、天に近づいたやうに見えた大神殿は、
廃墟となつた今では、天から拒まれて、自然――ここではすさまじいジャングルの無限の緑――との間に、対等の
緊張をかもし出してゐる。神殿の廃墟にこもる「不在」の感じは、裸の建築そのものの重い石の存在感と対比されて
深まり、存在の証しである筈の大建築は、それだけますます「不在」の記念碑になつたのである。われわれが
神殿の廃墟からうける感動は、おそらくこの厖大か石に呈示された人間意志のあざやかさと、そこに漂ふ厖大な
「不在」の感じとの、云ふに云はれぬ不気味な混淆から来るらしい。

三島由紀夫「旅の絵本 4 壮麗と幸福」より
0173無名草子さん
垢版 |
2011/05/15(日) 20:42:09.16
大体アメリカの貧乏は日本の貧乏よりすご味があります。たとへば年金制度が発達して、隠退後の老人は
働かないでいい、といへば結構なやうだが、さういふ老人はどうやつて余生を送るだらう。ある寒い午後、
友人とセントラル・パークへ散歩に行き、小高い丘の上にある六角堂みたいな建物に入つてみると、その中は
暖房がしてあつて、たゞで西洋将棋ができるやうになつてゐる。むうつとするたばこの煙のなかで、行き場のない
老人ばかりが、じつとチェスの卓を囲んでゐる。長考の顔の深い皺。……スチームのそばのベンチは、ただ
放心したやうに腰かけてゐる老人で一ぱいだ。日本の縁台将棋のやうなにぎやかさはなくて、私は一種凄愴の
気を感じて、いそいで立去りました。

三島由紀夫「旅の絵本 ニューヨークの炎」より
0174無名草子さん
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2011/05/15(日) 20:43:39.73
アメリカ人がハイチをよろこぶのは、ニューヨークから数時間の飛行でアフリカのにほひをかげるためだといふ。
事実ここにはアフリカ的なものが根強く残つてをり、ほんの少数の富裕なインテリの黒人は、さういふ民衆から
隔絶して、ラシイヌやモリエールを論じてゐる。
山の中腹に市がたつてゐて、そこで売つてゐるもののきたならしさにはびつくりした。牛だか、羊だかの腸を
乾燥させたものや、干魚など、それにぎつしりハヘがたかつてゐる。ハヘはまるでなくてはならない薬味のやうに、
金カンに似たカシュウ・ナットにも、小さい青いレモンにも、パンにも、砂糖菓子にもたかつてゐる。黒い豚や
山羊がつながれ、ロバに乗つてくる女もある。
市中でタクシーに乗つてゐたとき、道の途中で手をあげた男が車を止めて勝手に私のとなりへすはり込み、勝手に
行先を命じて、金も払はずに下りてゆくのに私はあきれて、おこる気もしなかつたが、運転手にいはすと、
あれは移民官だから仕方がないといふのであつた。

三島由紀夫33歳「旅の絵本 ポートオ・プランス(ハイチの首都)」より
0175無名草子さん
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2011/05/20(金) 10:45:01.96
(神輿の)懸声は、単純な拍子木や、原始的な金棒のひびきに導かれて、終始同じリズムでやりとりされてゐる。
もし神輿に懸声が伴はなかつたら、それは神輿の屍体にすぎぬ。なぜなら、(おそらくここに、神輿の懸声が、
他の肉体労働の懸声とちがつてゐる点があるのだが)、このリズムある懸声は、神輿の脈搏なのである。それは
理性の統制を決して意味することなく、われわれの動きを秩序づけようと作用することもない。正しい懸声の
あひだにも、肩にかかる力は目まぐるしく増減してをり、足元は人に踏まれたり踏み返されたりしながら、調子を
とらうとするそばから小刻みに乱される。われわれの気儘な動きのあひだにも、心臓が鼓動を早めながら、なほ
正確な脈搏を忘れぬやうに、そのとき懸声は担ぎ手たちの感じてゐる自由な力を保証するために挙げられてゐる。
あの力の自在な感じは、懸声がなかつたら、忽ち失はれるにちがひない。

三島由紀夫「陶酔について」より
0176無名草子さん
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2011/05/20(金) 10:46:15.61
そしてリズムある懸声と力の行使と、どちらが意識の近くにゐるかと云へば、ふしぎなことに、それはむしろ
後者のはうである。懸声をあげるわれわれは、力を行使してゐるわれわれより一そう無意識的であり、一そう
盲目である。神輿の逆説はそこにひそんでゐる。担ぎ手たちの声や動きやあらゆる身体的表現のうち、秩序に
近いものほど意識からは遠いのである。
神輿の担ぎ手たちの陶酔はそこにはじまる。彼らは一人一人、変幻する力の行使と懸声のリズムとの間の違和感を
感じてゐる。しかしこの違和感が克服され、結合が成就されなければ、生命は出現しないのである。そして結合は
必ず到来する。われわれは生命の中に溺れる。懸声はわれわれの力の自由を保証し、力の行使はたえずわれわれの
陶酔を保証するのだ。肩の重みこそ、われわれの今味はつてゐるものが陶酔だと、不断に教へてくれるのであるから。

三島由紀夫31歳「陶酔について」より
0177無名草子さん
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2011/05/21(土) 11:31:27.07
歌右衛門丈については、すでにたびたび書いた。そのたびに同じやうなことを書くことになるのは、丈に
進歩発展がないといふことを意味しない。たとへば一輪のみごとな大輪の菊や、夕闇にうかぶ夕顔の花や、
さういふものについて何度も書いて、そのたびにちがつたことが書けるわけはない。昼夜二部制興行で一日五役や
六役に変貌しても、俳優といふものは役の背後に全く隠れ切つてしまへるわけではない。あらゆる芸術家の中で、
舞台芸術家は、おのれの肉体的条件、おのれの肉体の檻の中にもつとも決定的にとぢこめられてゐる。顔や声や
体つきが個性を暗示するのにもつとも力があるとすれば、顔や声や体つきにもつとも縛られてゐる俳優なるものは、
いちばん個性的芸術家なのである。たとへば個性といふ見地からは、団十郎や菊五郎のはうが、森鴎外や夏目漱石より
個性的なのである。この私の意見はもつと詳述を要するけれど、今はこのくらゐに止めておかう。

三島由紀夫「豪奢な哀愁」より
0178無名草子さん
垢版 |
2011/05/21(土) 11:31:51.39
舞台の芸が時間の経過と共に一瞬一瞬に観客の記憶の中へ組み入れられつつ消え失せてゆくことを思ふと、
われわれは俳優といふ存在に一そう熱狂し、それを失ひたくない思ひにかられる。舞台の上に今歌右衛門丈が
踊つてをり、袖がひらめき、美しい流し目が見え裾の金糸がかがよひ、黒い髪が乱れ……さういふとき、われわれ
観客は自分の全存在を歌右衛門に賭けてしまつてゐるのだが、それといふのも丈が世界中にかけがへのない花だと
いふ意識がわれわれにあるからである。
それは一種の幻覚にすぎないかもしれない。丈がかけがへのない存在なら、お客の一人一人だつてかけがへの
ない存在なのであり、地位やお金や才能の高下があつたところで、だれだつて人間は一人一人かけがへのない存在で、
誰しもそれを知つてゐるから、自分の命が何よりも惜しい。それにもかかはらず、舞台の上の俳優の芸の美しい
一瞬一瞬のためにこちらの存在が空つぽになつてしまつたやうに思へること、これはいかなる魔術であらうか。

三島由紀夫「豪奢な哀愁」より
0179無名草子さん
垢版 |
2011/05/21(土) 11:32:47.13
丈の舞台はとにかくそれだけのものをもつて来たのである。芸の些末なふしぶしがどうあらうと、とにかく見て
ゐるわれわれには、今舞台の上に、途方もない贅沢千万な生命の浪費が行はれてゐるといふ感じが来る。生命の
大盤振舞、金に糸目をつけぬ豪奢な饗宴がくりひろげられてゐるといふ感じがまづ先に来る。そしてこの途方も
ない浪費は、まさにわれわれのために行はれてゐることに気づくと、たぐひない満足と喜びが感じられるのである。
咲き誇つた花や、庭に突然舞ひ込んでくる大きなきらびやかな蝶を見るとき「今見ておかねばならぬ。そして今
見てゐるものこそ、幻ではなくて、本当の美の瞬間の姿だ」と思ふやうに、丈の舞台を見てゐるとき、私は
ときどき、自分が一生に何度とない善尽し美尽しの饗宴の只中にあるやうな気がし、又、あの歓楽尽きて哀傷生ずと
歌つた詩そのままの、いふにいはれない哀愁を感じることがある。宴のさかりにほのかに吹いてくる冷たい
夕風のやうなものを感じることがある。さういふ感じを与へるところが、丈の身上なのかもしれない。

三島由紀夫33歳「豪奢な哀愁」より
0180無名草子さん
垢版 |
2011/06/04(土) 20:29:41.84
ここには、湧き立つやうなリオ・デ・ジャネイロの狂熱のカーニバがある。オルフェのギリシア神話の現代版がある。
そしてヴードゥーに似たブラジル特有の神がかりがある。
第一に、この単純な物語の舞台の背景がすばらしい。リオ市の奇妙な特徴は、ふつうなら上流人士の住処に
なるべき筈の市中の山の頂きが悉く貧民窟になつてゐることで、モーロの聚落は、その不潔さと極度の貧しさで
有名である。市中の一等景色のよい、海の眺めのひろい場所を臭気ふんぷんたる連中が占領してゐるのである。
しかも貧しい黒人たちは、一年中働らいて得たわづかな金を、カーニバルの四日四晩で完全に費消してしまふ。
ブラジルは人種的偏見の少ない国だが、それでも黒人の悲願は白人に生れ変ることであり、かういふ宿命を
抱いた人たちは、当然仮装に熱中する。仮装こそ、「何かになりたい」といふ念願の仮の実現だからである。
だから貧しい黒人たちの仮装は豪華であつて、なけなしの金をはたいて、カーニバルの数日のためだけに、
最上の装ひを凝らすのである。

三島由紀夫「『黒いオルフェ』を見て」より
0181無名草子さん
垢版 |
2011/06/04(土) 20:30:04.87
第二に、ギリシア神話の現代化のために、リオのカーニバルと黒人の生活が選ばれたことが、すばらしい着眼点だと思ふ。
私も一九五二年にこのカーニバルに踊り狂つた一人だが、現代の世界で、これほどディオニュソス的感動に
近いものはないと思つた。(中略)
この映画のラストで、黒いオルフェは、嫉妬に狂つた許嫁ミラに投石されて、崖から落ちて死ぬが、ミラと
その一党は、いふまでもなくオルフェを八つ裂きにしたバッカスの巫女たちの翻案である。しかし、「カーニバルで
狂騒と嫉妬にかられた黒人女」といふ設定は、そのまま「現代のバッカスの巫女」として、何ら無理なく通用する、
「現代のバッカスの巫女」を世界中に求めたら、おそらくここに帰着するだらうと思ふ。
こんなわけで、ギリシア神話が、ここでは、全く自然に、いきいきと蘇つてゐるのである。オルフェの地獄めぐりも、
神がかりのシーンで代置されるが、この神がかりはおそらく、芝居でなくて実写だらうと思ふ。あんまり迫真的
だからである。

三島由紀夫「『黒いオルフェ』を見て」より
0182無名草子さん
垢版 |
2011/06/04(土) 20:31:21.87
(中略)
閑話休題。これらの点で、ギリシア神話の単純素朴と原始的狂熱を現代に移すのに、リオのカーニバルと黒人以上の
ものはないことは自明である。大体白人はすでに、素朴な恋物語や、純真な情熱や、身を滅ぼす狂躁を、演じにくく
なつてゐるのではなからうか。その衰弱を救ふのが黒人であつて、先頃の「カルメン」Carmen Jonesも、ビゼエの
古い歌劇が、黒人のおかげで、完全に現代に蘇つたのである。
(中略)
私は、オルフェとユリディスが、薄暮の裏庭で語らつてから、一夜を共にし、オルフェの絃歌で、カーニバルの
日の出を迎へるまでの、繊細微妙な演出と、黒人俳優たちの悲しみをたたへた表情の美しさに感動した。
オルフェの神話の翻案としては、警察の書類だらけのガランとした事務室から、オルフェの地獄落ちを暗示する
螺旋階段の長いシーンなどに、面白い趣向を感じた。とにかく趣向の面白さを味はつて見るべき映画である。

三島由紀夫「『黒いオルフェ』を見て」より
0183無名草子さん
垢版 |
2011/06/09(木) 12:26:00.21
いま瞼の裏にありありと残つてゐるのは、ポルトガルの首都リスボンの絶妙の美しさだの、カイロのピラミッドの
ふしぎな生々しい存在感だの、香港の阿片窟の暗い夢魔的な雰囲気だの、……さういふ断片的な印象の光彩である。
私はこんどの旅行では、ことさら自分を、一瞬にしてすぎる感覚的享楽だけの受動的な存在に仕立てて歩いた。
たとへばピラミッドの存在感といふものは独特で、実に気味がわるい。私はもとメキシコで、階段式ピラミッドの
無気味な姿を見たが、あれはまだ密林に包まれてゐるから始末がいいので、サバクの中からぬつと突き出し、
近代都市のすぐ近くに接近してゐるギザのピラミッドなどの無気味さとは比較にならない。ゴルフ・クラブの
バルコニーに招かれて、何の気なしにふりむいたところに、ユーカリのこずゑ高く、ピラミッドがのしかかつて
ゐる姿を見たときは、まさにそこにあれが「ゐた」といふ感じだつた。夜中に厠の戸をあけたら、そこにお化けが
「ゐた」といふときの「ゐた」といふ感じはまさにこれだらう。

三島由紀夫「ピラミッドと麻薬」より
0184無名草子さん
垢版 |
2011/06/09(木) 12:26:48.66
お化けはまだしも人間に似てゐるからいい。しかしピラミッドはいかにも無機的で、しかもギリシャの廃墟のやうな
建築的形態をとどめたすがすがしい石だけの存在ではなくて、何かいやらしい中間的存在である。それは人間と
精神との間に永遠に横たはり、人間と精神との親密な結合を、いつも悪意を以つて妨害してゐる。ヨーロッパの
すべての遺物には、この種の親密な結合があり、それは高い趣味のものから最低の悪趣味のものまで共通してゐる。
しかしエジプトはいやらしい記念碑を建てたものだ。ピラミッドはたしかにある目的のために建てられたのだが、
いま見ると、それはただ「ゐる」ために、存在するために、存在しはじめたやうにしか見えないのである。
死と永遠の時間に対抗するには、エジプト人は、どうやら人間の力だけでは足りないことを自覚して、精神なんかは
押しのけておいて、ひたすら大きな存在の力を借りたやうに思はれる。かくて人間が存在の中へ埋没し、
ピラミッドだけが「ゐる」ことになつたのだ。

三島由紀夫「ピラミッドと麻薬」より
0185無名草子さん
垢版 |
2011/06/09(木) 12:27:16.74
これも一つの文明の方法にはちがひなく、また一つの宗教の帰結にはちがひないが、それは本当に目くるめくやうな
暗い黒い文明で、ヨーロッパをまはつてここへ来ると、はじめてヨーロッパは小さな一大陸の特殊な文明形態に
すぎぬことがはつきりする。
(中略)そこからアジアにかけて、何か途方も知れない暗い文明、ヨーロッパ的人間がかつて一度もその力を
借りなかつた存在学的文明がはじまるのを見るやうな気がする。
さて、人間を手取り早くただの「存在」に還元する方法、それが麻薬といふものだらう。中国人が建てた万里の
長城などの無気味な姿は、同じ中国人の発明にかかる阿片、すなはち、死と永遠の時間に対抗するために、人間の
生身を存在それ自体に変へてしまふ秘法と、どこかでこつそりつながつてゐるにちがひない。
現にエジプトでも、カイロ南郊の訪れる人の少ない半ばくづれたダシュールのピラミッドの片ほとりに、私は
砂に埋もれかけてゐるハシシュのくさむらを見た。この麻薬の草は、サバクを吹いてくる微風に、とげとげしく
身をゆすつてゐた。

三島由紀夫「ピラミッドと麻薬」より
0186無名草子さん
垢版 |
2011/06/09(木) 12:27:45.73
香港。私がはじめて見る中国の街。ここへはおびただしい難民と一緒に、中国大陸ですでに禁じられた古い悪徳も
逃げこんできて、わづかに余喘を保つてゐる。
手入れのために十人の警官が踏み込むと、せまい迷路をたどつてその街を出たときには、いつのまにか八人に
なつてゐるといふ九竜城の暗黒街を、私は老練な案内書の懐中電灯のあかりをたよりに歩いた。
深夜の家々は雨戸をとざし、夜業の織物工場の機械音が単調にひびいてゐるあひだを、石段の曲がりくねつた小径が、
臭い溝に沿うて上つたり下つたりする。高い石室のやうな家の二階の小窓が暗い穴を闇の中にうがつてゐる。
ときどき灯明りの洩れるところには、茶店の店先で麻雀をやつてゐる人たちが、我々のはうを鋭い目で見返る。
道ばたで煎つてゐるにくにくの実の嘔吐を催すやうなにほひ。それが通のくと、こんどは人気のない闇の小路に、
血のにほひが漂つてくる。ここらでは豚の密殺も行はれてゐるらしい。

三島由紀夫「ピラミッドと麻薬」より
0187無名草子さん
垢版 |
2011/06/09(木) 12:28:22.89
とある家の軒下に、闇に半ば身を浸して、黒い中国服の初老の男が、じつと身をもたせかけて立つてゐる。
あらぬ方を見てゐる目は黄いろく澱み、顔の皮膚は弾力のない馬糞紙のやうな色をしてゐる。明らかな阿片患者である。
彼はまさしくそこに「ゐた」。ピラミッドのやうに「ゐた」のである。存在の奥底に落ち込んでゐるその顔は、
我々の社会的な証票ともいふべき顔の機能をすつかり失つて、一つの小さな穴のやうに見える。それは小さいが
実に危険な穴で、ひとたびその中をのぞき込んだら、世界はその中へ身ぐるみ落ち込んでしまふにちがひない。
しかしそれは存在してゐた。人間と精神を連結しようとするあらゆるヨーロッパ的な努力を嘲笑して存在してゐた。
私はかういふ顔がまだ世界のそこかしこにいつぱい存在してゐることを知つてゐる。そしてかういふ顔を忘れて
暮らしてゐるあひだ、同時に我々は、楽天的にも、死や永遠の時間といふものも忘れて暮らしてゐるのである。
何しろ付き合が忙しいから!

三島由紀夫36歳「ピラミッドと麻薬」より
0188無名草子さん
垢版 |
2011/06/16(木) 10:52:05.42
この世界には美しくないものは一つもないのである。何らかの見地が、偏見ですら、美を作り、その美が多くの
眷族(けんぞく)を生み、類縁関係を形づくる。しかも、どうやつたら美の陥穽に落ちないですむか、といふ課題は、
多くの芸術家にとつては、かなり平明な課題であつたと思はれる。彼らはただ前へ前へ進めばよいと思つたのだ。
そして一人のこらず、つひにはその陥穽に落ちたのだ。美は鰐のやうに大きな口をあけて、次なる餌物の落ちて
来るのを待つてゐた。そしてその食べ粕を、人々は教養体験といふ名でゆつくりと咀嚼するのである。
どこかの国、どこかの土地で、歴史の深淵から暗い醜い顔が浮び上り、その顔があらゆる美を嘲笑し、どこまでも
精妙に美のメカニズムに逆らつてゐるといふやうな事態はないものだらうか。ひそかにこれを期待しながら、
この前の旅行で、メキシコのマヤのピラミッドを見たときも、ハイチのヴードゥーを見たときも、私の見たものは
美だけであつた。

三島由紀夫「美に逆らふもの」より
0189無名草子さん
垢版 |
2011/06/16(木) 10:52:43.03
(中略)
もはや美の領域で、「ブゥルジョアをおどろかす」やうなものは存在しない。超現実主義は古い神話になり、
抽象主義は自明な様式になつてしまつた。抽象主義はやがて、ゴシックが中世に於て意味したやうなものに
なつてしまふであらうし、それだけのことだ。モデルの体に絵具を塗つて画布の上にころげまはらせても、
悲しいかな、結果は自明であり、美は画布の上に予定されてゐる。われわれはもはや、ウヰリアム・ブレークが
描いた物質主義の代表者「ピラミッドを建てた人」の肖像ほど醜くあることはできず、骨の髄まで美に犯されてゐる。
われわれの住んでゐるのは、拒否も憎悪も闘ひもない美の「民主主義的時代」なのだ。しかも近代の教養主義の
おかげで、歴史上のどんな珍奇な美の様式にも、われわれは寛容な態度で接してしまふ。
香港。――この実に異様な、戦慄的な町の只中で、私はしかし、永らく探しあぐねてゐたものに、やうやく
めぐり会つたやうな感じがする。

三島由紀夫「美に逆らふもの」より
0190無名草子さん
垢版 |
2011/06/16(木) 10:53:22.92
私は今までにこんなものを見たことがない。強ひて記憶を辿れば、幼時に見た招魂社の見世物の絵看板が、
辛うじてこれに匹敵するであらう。その色彩ゆたかな醜さは、おそらく言語に絶するもので、その名を
Tiger Balm Garden といふのである。
(中略)
地獄極楽図はまことにグロテスクの極致であつて、神桃を捧げられた神々や、竜馬にまたがつた神将、天女などの
足下には、雲を隔てて地獄の光景がひろがり、(中略)いまはしい囚人の姿が、新鮮なペンキの血をふんだんに
使つて、陰惨なリアリズムで描かれてゐる一方、この庭の童話的な趣向も忘れられずにをり、陰府刑車と大書した
近代的な自動車が、囚人を満載して近づいてくるのである。
ガーデンの特色の一つは、どんな遊園地にも似ず、一切の動きがないことだ。胡文虎氏は電気仕掛を好まなかつた
らしい。氏の庭はすべて永遠不朽のコンクリートで固化してをり、あらゆる激動の瞬間は、死のやうな不動の裡に
埃を浴び、虎は永遠に吼えつづけ、囚人は永遠に呻きつづけてゐる。このふしぎなモニュメンタルな死の気配に、
胡文虎氏の美学と経済学の結合があるらしい。

三島由紀夫「美に逆らふもの」より
0191無名草子さん
垢版 |
2011/06/16(木) 10:53:58.66
(中略)
この庭には実に嘔吐を催させるやうなものがあるが、それが奇妙に子供らしいファンタジイと残酷なリアリズムの
結合に依ることは、訪れる客が誰しも気がつくことであらう。中国伝来の色彩感覚は実になまぐさく健康で、
一かけらの衰弱もうかがはれず、見るかぎり原色がせみぎ合つてゐる。こんなにあからさまに誇示された色彩と
形態の卑俗さは、実務家の生活のよろこびの極致にあらはれたものだつた。胡氏は不羈奔放を装ひながらも、
この国伝来の悪趣味の集大成を成就したのである。
中国人の永い土俗的な空想と、世にもプラクティカルな精神との結合が、これほど大胆に、美といふ美に泥を
引つかけるやうな庭を実現したのは、想像も及ばない出来事である。いたるところで、コンクリートの造り物は、
細部にいたるまで精妙に美に逆らつてゐる。幻想が素朴なリアリズムの足枷をはめられたままで思ふままに
のさばると、かくも美に背馳したものが生れるといふ好例である。
なぜ踊つてゐる裸婦の首が蜥蜴でなければならないのか。この因果物師的なアイディアは、空想の戯れといふ
やうなものではない。

三島由紀夫「美に逆らふもの」より
0192無名草子さん
垢版 |
2011/06/16(木) 10:54:26.65
いたるところに美に対する精妙な悪意が働いてゐて、この庭のもつとも童話的な部分も、その悪意によつて
どす黒く汚れてゐる。そしてそれはグロテスクが決して抽象へ昇華されることのない世界であり、不合理な
人間存在が決して理性の澄明へ到達することのない世界である。現実は決して超えられることがなく、野獣の咆吼や、
人間の呻きや、猥褻な裸体は、コンクリートの形のなりに固化したまま、現実のなかにぬくぬくと身をひそめてゐる。
しかもここには怖ろしい混沌の勝利はないので、混沌の美は意識的に避けられてゐると云つていい。一つの断片から
一つの断片へ、一つの卑俗さから一つの卑俗さへと、人々は経めぐつて、つひに何らの統一にも、何らの混沌にも
出会はない。おのおののイメージは歴史や伝説からとられたものであるのに、ここにはみぢんも歴史は感じられず、
新鮮なペンキだけがてらてらと光つてゐる。そして人々はこの夢魔的な現実のうちで、只一人の人間らしい顔にも
出会はないのである。

三島由紀夫「美に逆らふもの」より
0193無名草子さん
垢版 |
2011/06/19(日) 10:08:20.95
昭和三十三年二月十七日(月)
さて今日は格別のたのしみがある。ニューヨークのタイムス・スクウェアの土産物屋で、ゴムで出来てゐる
人狼(ウェアウルフ)のお面を買つて来たのだが、それが実によく出来てゐて怖ろしい。(中略)
かへりのタクシーで、福田氏を文学座の前で下ろし、それからじつと黙つてゐて、タクシーが外苑の暗がりへ
入つたところを見計らひ、やをらお面をかぶつて、うしろから運転手の肩をグイと手をかけたら、ふりむいて
アッと叫んだ。
かういふ風に人を脅かして、人のおどろく顔を見るといふたのしみは、たのしみの極致を行くものである。
おどしやタカリの味を覚えた愚連隊のたのしみが想像される。彼らはそのために一生を棒に振り、私は一日を
棒に振つただけであるが、それも自分に裨益するところは少しもなく、ただ他人の反応だけを目的にした行為であつて、
悪といふものは多かれ少なかれ、これほどに献身的なものである。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0194無名草子さん
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2011/06/19(日) 10:08:59.70
二月二十七日(木)
石橋広次選手はリング上で決して興奮しない人である。ボクシングにおけるほど、観衆の熱狂と選手の冷静が
見事な対照をなすものはない。闘争を見ることの熱狂は人間の本性に根ざしてゐるが、ボクシングはもつとも
よく出来た闘争のフィクションである。スポーツの中でもつとも現実の闘争と似た外観を呈してゐながら、
そのスポーツとしての技術性科学性(私のいふフィクション性)は高度である。私にそれがジャンルとしての
小説を想起させる。映画をのぞいては芸術中もつとも現実と似たジャンルである小説は、それだけに一層高度な
技術を要求されるが、ボクシングの試合を見て現実の喧嘩と混同する観衆の無邪気な熱狂と同じものが、今日
素人小説家の無数の輩出を惹き起してゐる。ボクシングなら叩かれれば痛いから自分の非にすぐ気がつくが、
かういふ連中は痛さを知らないから始末がわるい。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0195無名草子さん
垢版 |
2011/06/19(日) 10:09:37.94
三月十八日(火)
今まで見たところ大江健三郎の小説には、最近作「鳩」にいたるまで、ひんぱんに動物があらはれる。いはゆる
動物文学とは、多かれ少なかれ、動物の擬人化にもとづいたものであるが、大江氏のはそれと反対で、人間の
擬動物化ともいふべきものであり、われわれのうちにひそんでゐる人間の奴隷化や殺戮の欲望が、動物を相手に
充たされてゐる。状況がゆるせばもちろん人間そのものの動物的奴隷化が可能になるので、「飼育」や
「人間の羊」はその好例である。これを私は新しい動物文学と名附けよう。
(中略)
大江氏の小説の特色は、いろんな点で小説の近代的特色を根本的に欠いてゐるところにある。氏は登場人物の
近代的個性といふものを重視しない。氏の作品に登場する人間は、たかだか一般概念以上のものを要求されないのだ。
そしてそこに登場する動物群にも、個性的な擬人化された動物は出て来ないので、一般概念としてとどまつてゐる。
だから大江氏の小説は、比喩でもなく寓喩でもない。アレゴリーの根本条件が欠けてゐるのである。まして
いはんや風刺ではない。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0196無名草子さん
垢版 |
2011/06/19(日) 10:10:23.25
強ひて言へば、メタモルフォーシスの小説といふことができよう。「人間の羊」は羊のやうな人間を描いた
小説ではなく、人間が羊に変貌する物語であり、「飼育」は動物のやうに飼はれる黒人兵を描いたものではなく、
飼はれる動物、強い耐へがたい体臭を放つ家畜に変貌した黒人兵の物語である。
氏の小説のサディスティックな嗜欲は、かくて一般概念としての動物を、一般概念としての人間と対置し、人間が
動物を飼育したり殺したりするのを、汎性的な対等の関係でながめてゐる。鼠のやうな、また羊のやうな人間の
悲惨さと弱さは、比喩としてではなく、容易に、人間そのものの常態として語られる。日本人のお尻をバスの中で
まくつて叩く米兵と、叩かれる日本人とは、かかる関係において対等であり、死体とこれを見る青年(死者の奢り)
との関係も、鳩とこれを殺す少年との関係も、黒人兵とこれを飼育する少年との関係も、同様に対等であつて、
あらゆる政治的寓喩や人間的風刺を峻拒してゐる。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0197無名草子さん
垢版 |
2011/06/19(日) 10:10:50.48
そこには縛られた強者と残酷な弱者、あるひは残酷な強者と殺される弱者があるだけであり、最後に死体と、
殺された鳩の屍とが残される。なぜなら死とエロティックにおいてだけ、人間と動物とは一般概念によつて
同一化されるのであり、個性を持つてゐた筈の人間が一般概念に変貌する際の色情的かつ獣的な美しさを存分に
ゑがいた「飼育」は、殺された小動物の美を暗い背景の前に鏤(ちりば)める「鳩」に達する。(中略)
「鳩」の小動物たちは、それぞれ鼠やモルモットや鳩を呈示するにすぎないが、その宝石のやうに凝つた血によつて、
鼠一般、モルモット一般、鳩一般の荘厳な象徴と化し、色欲的観念の具現となるのである。そこにはサディストの
究極の夢があり、われとわが手で殺した小動物は、動物であるがゆゑに、永遠に一般概念の彼方にとどまり、
精神や個性の片鱗をひらめかすことはない。そこでこの殺戮行為は、黒人を飼育するよりももつと純粋な
エロティックな行為として終るのである。それはアニミズムからもつとも遠い文学である。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0198無名草子さん
垢版 |
2011/06/19(日) 10:18:06.84
四月十八日(金)
どの小説家も抱いてゐる或る感じ、自分の書いた小説のなかで、あるひはその小説を通じて、はじめて自分の
人生に本当に対面したやうな気のするといふ或る感じ、これは彼の実際に日々生きてゐる人生の像を、幾分か
ぼやけた不確かなものにすることは争へない。認識の手間をはぶいて表現することによつて、作家は生の人生を
幾分かのこしておかなければならないが、今日の河野先生の話ではないが、小説家は厳密に言ふと、認識者ではなく
表現者であり、表現を以て認識を代行する者である。作家が小説を書くことにより、表現してゆくことにより、
はじめて認識に達するといふ言ひ方は正確ではない。作家の狡猾な本能は、自分に現前するものに対して、つねに
微妙に認識を避けようとするからである。殺して解剖しようとする代りに、生け擒(ど)りにしようと思つて
ゐるからである。
もちろん生かしておいて認識するといふ手もある。卓抜なエッセイストはさういふ人種であつて、猛獣使ひの
やうなものであらうか。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0199無名草子さん
垢版 |
2011/06/19(日) 10:18:31.54
さて、作家が自分の生に対していつもあいまいな放任の態度を持してゐるとき、彼はいはば、それが認識の素材に
なることを免れさせてゐるのである。トオマス・マンの云ふやうに、「作家の幸福は、感情になり切り得る思想であり、
思想になり切り得る感情」(ヴェニスに死す)だとすると、彼の生は、まだ思想にもなりきらぬのみか、感情にも
なりきらない部分であり、さうなることを無意識に抑制されてゐる。感情の中にも思想の中にも安住できない人間が、
幸福になる方法は、おそらく表現することだけで、このやみくもな行為に耐へるには、明敏なだけでは足りない。
もちろんバカなだけでも足りないが……。そして表現したあげくの、創造の喜びといふやつは、又しても彼を
認識者たることから遠ざける。なぜなら認識にとつて歓喜ほど始末に負へぬ敵はないからである。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0200無名草子さん
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2011/06/21(火) 12:32:50.07
五月九日(金)
キェルケゴールの有名な「あれかこれか」の一節は永いこと私を魅してゐた。
「結婚したまへ、君はそれを悔いるだらう。結婚しないでゐたまへ、やつぱり君は悔いるだらう」
(中略)
私は又、晩年のフロオベエルが公園を散策しながら、乳母車を押してゆく家族づれを見て、「私もああいふ生涯を
送ることもできたのだ」と述懐したといふ挿話をもよくおぼえてゐた。
人生が一人宛たつた一つしかないといふことは、全く不合理な、意味のない事実である。殊に小説家にとつては、
自分の創造の条件に対する侮辱とさへ思はれる我慢ならない事実である。これに対する解決は何も見当たらないが、
これをなだめすかす慰藉の方法がないわけではない。ディオゲネースのあの定言的な言ひ方を崩すには、たつた
一つの方法しかない。事実が決定的であり、人生が一個であるならば、これをうけとめる人間一般の感情の法則を、
せめて自分だけでも免れようとすればよからう。「結婚したまへ、君はそれを悔いるだらう。結婚しないでゐたまへ、
やつぱり君は悔いるだらう」……それなら、ままよ、後悔しなければいいのである。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0201無名草子さん
垢版 |
2011/06/21(火) 12:33:15.51
(中略)
このやうな悔いは自由意志の幽霊のやうなもので、或る作為あるひは不作為が一個の人生を決定してしまふのを
見た自由意志自身の不安なのである。自由意志は無限の選択をするのではない。選択は百のうちから十、十の
うちから三つ、三つのうちから二つ、二つのうちから一つといふ具合に、徐々に限られて来て、最後に自由意志は、
それをするかしないかといふことだけを選ぶために現れる。しかしここまで追ひつめられた選択と、自由意志の
本質とは必ず矛盾する。自由意志は、選択の機能を本来帯びてゐなかつた自分に気がつくのである。自由意志は
決断のために使はれるべきではなく、作為と不作為との間に常に追ひつめられてゐる人間の、可能性の問題なのだ
といふことに。……自由意志にとつては、本来、人生は一人一個宛ではなかつた筈なのだ。
私がもし悔いないでゐられるなら、それは宿命を是認することになるだらうか。さうではない。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0202無名草子さん
垢版 |
2011/06/21(火) 12:33:47.06
私が悔いないといふことは、自由意志に対する嘲笑ではない。どんな選択も、どんな決断も、どんな行為も
自殺でさへも、最終的に人間の状況を決定することはできない、と私は考へるから、決断に従つたことを悔いも
しないし、おそらく決断に従はなかつたときも悔いはしまい。人間は選ぶことができないのではないが、最終的に
選択の不可能なことを知つてゐるのは自由意志であつて、さればこそ、人生がたつた一つであることをどうしても
肯はない自由意志は、宿命に対抗することができるのである。だから「悔い」といふ形であらはれる不安は、
自由意志にとつて本質的なものではない。宿命はすでに選択してゐるし、自由意志は永遠に選択しない。そして
行為とは、宿命と自由意志との間に生れる鬼子であつて、人は本当のところ、自分の行為が、宿命のそそのかしに
よるものか、自由意志のあやまちによるものか、知ることなど決してできない。結局、海水の上に浮身をするやうな
身の処し方が、自分の生に対する最大の敬意のしるしのやうに思はれる。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0203無名草子さん
垢版 |
2011/06/23(木) 10:36:36.85
八月八日(金) 悪と政治と
いろんな意味で対蹠的なサルトルの「殉教と反抗」(ジャン・ジュネ論)と界外五郎氏の銀座の一級ヤクザとしての
告白「恐喝」の二冊を、それぞれおもしろく読んでゐるうちに、日本よりさらに暑熱のきびしいイラクでは、
大がかりな「切つた張つた」がはじまつた。(中略)
その上私はナセル大統領の「敵に対しては、われわれは原爆さへもおそれてゐないことを警告する」といふ演説に
接して、「矢でも鉄砲でも持つてこい」といふ超現代的表現はかうもあらうかと思つて感心した。こんなバカげた
啖呵を切れる日本の政治家は一人もあるまいが、政治外交上の嚇し文句はそこまで行かなければ本当ではあるまい。
中近東や東南アジアの民族主義に対するわれわれの同意は、伝来の「弱きを助け強きを挫く」助六精神であるけれど、
弱い筈の民族主義者が、モスクワから帰つてくると、「原爆さへもおそれてゐない」と啖呵を切り出し、一方、
「強きを挫く」だけの助六の腕力がわれわれに欠けてゐる以上、民族主義に対するわれわれの立場は、不透明に
ならざるをえない。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0204無名草子さん
垢版 |
2011/06/23(木) 10:37:11.30
第一、日本にはすでに民族「主義」といふものはありえない。われわれがもはや中近東や東南アジアのやうな、
緊急の民族主義的要請を抱へ込んでゐないといふ現実は、幸か不幸か、ともかくわれわれの現実なのである。
今や明治維新の歴史的価値は、ますます高められてきた、と私は感じる。
さて界外氏の「恐喝」に話を戻して、氏のヤクザの定義を読むと、かうである。
「ほんとうのヤクザの社会では、タタキ(屋内強盗)やノビ(忍込み強盗)をするような人間は鼻にも引つかけない。
理由なくして金銭をホシイママにすることを極度に嫌う。泥棒社会の人間など普通ヤクザといわれている者とは
住む世界が違うし、実際に刑務所に入っても全然派閥が違う。というより色彩が違う。人の物を盗むようになったら
完全に浮かばれない。理由はともかく、尠くとも大義名分をはっきりわきまえているヤクザと破廉恥行為以外
なにものもない彼等とは全然世界が違うのである」

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0205無名草子さん
垢版 |
2011/06/23(木) 10:37:48.23
(中略)
日本にはキリスト教の神の観念がないから、悪の観念も従つて稀薄だ、といふのはずいぶん言ひ古された議論で
あるけれど、マキャベリ以来の西欧の政治学にひそむ悪、そのもつとも理想主義的な政治学にさへ自明の前提として
受け入れられてゐる悪に比べれば、日本の政治は、正に界外氏の定義にすつぽりあてはまるヤクザ的なものだと
云つてもよからう。おんなじアジアでも、旧植民地諸国の政治家は、自分たちを虐げて来た帝国主義者たちから、
少くとも悪の原理と悪の知恵を学んでゐる。ネールなんぞは私にはその典型だと思はれる。ネールの孤独を、
たはむれに前掲のジュネの孤独と比べて、泥棒の代りに政治家として読み代へてみたまへ。「神に捧げられた子」
としての政治家の孤独がはつきりするだらう。
さて、ジュネは、この孤独から、しばしばの裏切りによつて自己聖化に達するのであるが、裏切りは界外氏の
定義によれば、ヤクザのもつとも忌むところであつて、日本の政治は共産党のいはゆる「民衆に対する裏切り行為」
などに専念する勇気がない。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0206無名草子さん
垢版 |
2011/06/23(木) 10:38:18.55
日本の悪は悪といふよりも、局限的道徳なのであつて、世間一般の道徳との間に範疇の差はなく、ただニュアンスの
相違でつながつてゐるだけで、政治家の道徳とヤクザの道徳は、局限的道徳であるといふ点だけで、世間の道徳に
対して特色を発揮してゐるにすぎない。
イラクのクウ・デタに対する日本政府の三転四転した腰の据わらぬ態度は、私には、日本の政治家が、自分の
ヤクザ性にも、模して及ばぬ悪人性にも、どつちにも徹し切らない中途半端から来るやうに思はれた。「民族主義に
対する裏切り」をおそれながら、一方アメリカにも気兼ねをし、やつとのことで国連的正義感に便乗してゐるのは、
ヤクザにしても性根のないヤクザで、せめてナセル親分ぐらゐに、「原爆おそるるに足らず」ぐらゐのことを
言つたらいい。日本に原爆を落とされた手前、それだけは死んでも言へないといふなら、逆に悪に徹して、
資本主義の走狗をつとめて、民族主義を弾劾するがいい。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0207無名草子さん
垢版 |
2011/06/23(木) 10:38:50.66
東洋の一角で憂ひ顔の騎士が、事あるごとに、厩につながれたままの馬にまたがつて、悲しい御託宣を並べるのは、
毎度のことで、もう漫画にもならない。国家が必要悪であるならば、国家のエゴイズムが最高の要請であるべきだし、
政治が悪であるならば、裏切りがそれを聖化するだらう。西欧のチトー元帥は裏切りの上に国を建てた。しかし
われわれの住んでゐるのは、悪の国ではなく、ヤクザの国であり、界外氏のヤクザの定義はいかにもわれわれの
心性に叶つてをり、悪のイデアに対してほどほどの距離と自己弁護の立場を忘れない。それはまた民衆の
平均的趣味であり、不徹底な現実主義の土壌の上に、ヒロイックな夢を咲かすことである。それにしてもヤクザは
原爆を持つことができず、持つことができるのは、せいぜい機関銃が限度である。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0208無名草子さん
垢版 |
2011/06/25(土) 00:29:14.29
八月十二日(火)
私は今、人生に関する文学的誤解からやうやく抜け出して、その次の危険な場所、文学に関する人生的誤解に
そろそろ近づきさうな予感がしてゐる。若い人たちの作品の人生的無知を苛立たしく感じたりするのは、その
危険な兆候だ。戒めなくてはならぬ。とにかく「人生では知らないことだけが役に立つので、知つてしまつたことは
役にも立たない」のであるから。


十月二十日(月)
退屈でないのは慣習や熟練、要するに「くりかへし」の作業であり、冒険こそ、その当人にとつては、一等退屈な
作業だといふことを忘れてはならぬ。また人を退屈させることも怖れてはならぬ。現代の忙しいジャーナリズム裡の
作家の最大の病気は、「読者を退屈させやしないか」といふ神経性である。小説では或る程度の退屈なしには、
読者の精神を冒険に誘ひ込むことができないやうに思はれる。私が今こそわがものにしたいのは、ゲーテの
「ヴィルヘルム・マイスタア」のあの退屈さである。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0209無名草子さん
垢版 |
2011/06/25(土) 00:30:20.91
十月二十一日(火)
ポオのファルスに属するものは、「十三時」「ボンボン」「ペスト王」「ミイラとの口論」などであらうが、
可成物語的構成を持つたものの中でも「タア博士とフェザア教授の治療法」などは、ファルスに入れてもよからう。
そこには知的ノンセンスともいふべき高度の趣味があつて、もつとも下らない馬鹿話の中へ、完全に身を隠し
了せたとき、知性はもつとも美しいものになるといふ逆説が証明されてゐる。メルヴィルの「白鯨」だつて
最大の規模を持つたファルスと云へないことはない。ポオのファルスがどんなに馬鹿さわぎを演じても、品位と
重厚さを失つてゐないのは、知性が遊戯に熱中して柔軟になりきるときにこそ、知性の目的は没却されて、
知性の姿だけが目に見えて来るからであらう。品位は知性の生れながらの態度(アティテュード)であつて、
合目的的な知性は、ともするとこの態度を失ふのである。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0210無名草子さん
垢版 |
2011/06/25(土) 00:34:05.34
十一月二十一日(金)
批評する側の知的満足には、創造といふまともな野暮な営為に対する、皮肉な微笑が、いつまでもつきまとふことは
避けられない。この世には理想主義的知性などといふものはないのだ。あらゆる理想主義には土方的なものがあり、
あらゆる仕事は理想主義の影を伴ふ。そして批評的知性には、本来土方の法被(はつぴ)は似つかはしくないもので
あるが、批評の仕事がひとたびこの法被を身にまとふと、営々孜々として破壊作業に従事するか、それとも
対象から遠く隔たつて天空高く楼を建てるかしてしまふのである。

十一月二十三日(日)
私の言葉は理性的に出てくるのではない。コンディションの良好なとき、気に入つた対象すなはち好餌があらはれると、
私は蜘蛛のやうにその好餌に接近して、言葉の網でしやにむにからめとらうとする。さういふ狩猟に似た喜びの
瞬間には、言葉は精力的に溢れ出し、何か肉体的な力で言葉が動き出し、対象をつかまへて、舌なめずりし、
その対象をできるかぎり丹念に隈なく、言葉で舐めつくさうとするのだ。いささか薄気味わるい比喩だが、言葉が
私の中から湧き出てくるときにはさういふ感じがする。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0211無名草子さん
垢版 |
2011/06/25(土) 00:34:58.56
言葉が花火のやうにはじけ、一瞬にして拡散し、対象の上にふりかかつて、それを包み込まうとする動きを
感じるとき、ほとんど書く手が追ひつかず、次の行に書くべきことを忘れないために、欄外にいそいでメモを
書きとめなくてはならぬ。このときの速度は一体、どんな種類の速度なのであらう。何故なら、書く手が
追ひつかぬほど言葉が先に走つてゆく感に襲はれながら、実際のところ、筆の速度は、大したものではなく、
書ける枚数も二、三枚、多くて四、五枚で終つてしまふ。こんな興奮は決してそれ以上持続しないのだ。
かういふときアメリカの或る作家たちのやうにタイプで原稿を書き、もし又タイプに熟達してゐれば、書く作業に
よつて抑制されることなく、言葉の走る速度にぴつたり合つた文章が出来るかもしれない。しかしそれが文章と
いふものであらうか? 文章はむしろ言葉に対峙するもののやうに思はれる。言葉の本質がディオニュソス的なら、
文章の本質はアポロン的、といふ具合に、言葉は私にとつてはひどく肉体的な、血や精液に充ちたものだ。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0212無名草子さん
垢版 |
2011/06/27(月) 11:01:41.99
十一月二十五日(火)
人にすすめられて「短歌」といふ雑誌を読み、春日井建といふ十九歳の新進歌人の歌に感心する。(中略)
かういふ連作は、ソネットのやうなつもりで読めばいいのであらう。私は海に関する昔ながらの夢想を、これらの
歌によつて、再び呼びさまされたが、十代の少年の詩想は、いつも海や死に結びつき、彼が生きようと決意するには、
人並以上に残酷にならなければならないといふ消息が、春日井氏のその他の歌からも、私には手にとるやうにわかつた。
いづれにしても詩は精神が裸で歩くことのできる唯一の領域で、その裸形は、人が精神の名で想像するものと
あまりにも似てゐないから、われわれはともするとそれを官能と見誤る。抽象概念は精神の衣裳にすぎないが、
同時に精神の公明正大な伝達手段でもあるから、それに馴らされたわれわれは、衣裳と本体とを同一視するのである。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0213無名草子さん
垢版 |
2011/06/27(月) 11:02:20.08
十二月十七日(水)
今夜は日活撮影所へ「不道徳教育講座」のプロローグとエピローグの二カットに出演するため行かなければ
ならないが、こんな私の軽薄な振舞については、一家そろつて大反対である。(中略)
――二度目のテストではセリフをとちつた。もうやたらにセリフをとちるからとて、俳優を莫迦扱ひするのを
止めなくては。トチリとか失敗とかは正に神秘的なもので、人間の努力の及ぶところではない。


昭和三十四年一月二十五日(日)
「夜遊び」といふものがいかに本当の夜から遠いことか。われわれはもう殆ど「夜」を持たなくなつてしまつた。
どんな秘密な遊びも、隠密な犯罪も、厳密に「夜」には属さない。明治神宮の初詣でに深夜群をなして集まる人々を、
晃々と照らすライトの下に映したテレヴィジョン放送を見て、そこにはもはや「夜」がなく、人々が「夜」を
望みもしない状況を、私はつぶさに眺めた。折口信夫氏の「死者の書」のやうな「夜」の文字を、二度と
われわれは持つことができぬであらう。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0214無名草子さん
垢版 |
2011/06/27(月) 11:02:48.45
三月二日(月)
私は外国で大いに世話になり温い親切をうけた外人の来朝には、出来るかぎりの歓迎をすることにしてゐる。
といふのは、見知らぬ他国へ着いた旅人の受ける、その土地の人からの親切ほど、忘れがたいものはないからである。
見知らぬ他国では何もかもが怖しい。郵便局や銀行へも一人ではゆけず、バスや地下鉄に乗つたつてどこへ
連れて行かれるかわからない。善人と詐欺漢との区別もつかず、すべてが五里霧中である。
私にとつても、外国で受けた、骨に徹するほどの不親切の思ひ出もある。むしろそのはうが多いかもしれない。
しかし考へやうによつては、その国の人同士の間では、これくらゐの不親切、冷酷非情のはうがむしろ当り前で、
ふつうそれくらゐのことで人を傷つけるとは思はれない。ところが旅人はひどく傷つくのである。
私はかういふ経験をしばしば味はひ、その中に記憶に残る温い親切を思ひ出すと、自分の味はつたそのうれしさを、
その人にも味ははせてやりたいものだと思ふ。殊に一人旅の旅人には尽して上げたい。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0215無名草子さん
垢版 |
2011/06/27(月) 11:03:16.78
(中略)
一方、日本へ知人の外人を迎へてつくづく思ふのは、さういふ人たちへの一寸した心尽しでも、ありていに云ふと、
こちらの生活の歯車を少からず擾(みだ)すことになるので、立場を変へて、私が当然のやうに受け入れてゐた
外国における個人的厚意が、どれだけ先方の生活の歯車を狂はせてゐたかがわかるのである。外国人は実によく
遠来の客をねぎらふ。私はどれだけ人の私宅へ招かれて泊めてもらつたかわからない。
それにまた外人がわれわれの国の踊りなり芝居なり美術品なりのイカモノに感心しようとしてゐるとき、
「あれはニセモノだよ」と冷水を浴びせてやるくらゐ愉快なことはない。紐育で、メキシコの某クラブで見た
民俗舞踊に感心した話をしてゐたら、居合はせたメキシコの一富豪が、「ありや真赤なニセモノですよ」と
一言の下に片附けたが、そのときの彼の愉快さうな顔と云つたらなかつた。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0216無名草子さん
垢版 |
2011/06/27(月) 11:03:46.29
(中略)
私は今、一向旅心を誘はれない。海のかなたには何があるか、もうあらかたわかつてしまつた。そこにも人間の
生活があるきりだ。どんな珍奇な風俗の下にも、同じやうな喜びや嫉妬があり、どんな壮麗な自然の中にも、
同じやうな哀歓があるのを、この目ではつきりと見て知つてしまつた。そして世界中を歩いてみても、自分の
生涯を変へるやうな奇抜な事件は決して起り得ないといふことも、もしそれが起るとしても、自分の心の中にしか
起らないといふことも。
先生に引率された小学生たちが沢山傍らを通る。子供たちの目はまだ見ぬ世界への夢に輝いてゐる。この
子供たちこそ世界を所有してゐるので、世界旅行は世界を喪失することだ。尤も、生きるといふことがそもそも
人生をなしくづしに喪失してゆくことなのであるから、人間の行為と所有とは永遠に対立してゐる。すべてを
所有しようと思つたら、断じて見ず、断じて動かず、断じて行はないことだ。王国はかくて立ちどころに所有される。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0217無名草子さん
垢版 |
2011/06/28(火) 00:23:27.24
四月十日(金)
庭で素振りをしてから、馬車行列の模様をテレヴィジョンで見る。
皇居前広場で、突然一人の若者が走り出て、その手が投げた白い石ころが、画面に明瞭な抛物線をゑがくと見る間に、
若者はステップに片足をかけて、馬車にのしかかり、妃殿下は驚愕のあまり身を反らせた。忽ち、警官たちに
若者は引き離され、路上に組み伏せられた。馬車行列はそのまま、同じ歩度で進んで行つたが、その後しばらく、
両殿下の笑顔は硬く、内心の不安がありありと浮んでゐた。
これを見たときの私の興奮は非常なものだつた。劇はこのやうな起り方はしない。これは事実の領域であつて、
伏線もなければ、対話も聞かれない。しかし天皇制反対論者だといふこの十九歳の貧しい不幸な若者が、
金色燦然たる馬車に足をかけて、両殿下の顔と向ひ合つたとき、そこではまぎれもなく、人間と人間とが向ひ
合つたのだ。馬車の装飾や従者の制服の金モールなどよりも、この瞬間のはうが、はるかに燦然たる瞬間だつた。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0218無名草子さん
垢版 |
2011/06/28(火) 00:23:59.09
われわれはこんな風にして、人間の顔と人間の顔とが、烈しくお互を見るといふ瞬間を、現実生活の中では
それほど経験しない。これはあくまで事実の事件であるにもかかはらず、この「相見る」瞬間の怖しさは、正しく
劇的なものであつた。伏線も対話もなかつたけれど、社会的な仮面のすべてをかなぐり捨てて、裸の人間の顔と
人間の顔が、人間の恐怖と人間の悪意が、何の虚飾もなしに向ひ合つたのだ。皇太子は生れてから、このやうな
人間の裸の顔を見たことははじめてであつたらう。と同時に、自分の裸の顔を、恐怖の一瞬の表情を、人に
見られたこともはじめてであつたらう。君候がいつかは人前にさらさなければならない唯一の裸の顔が、いつも
決まつて恐怖の顔であるといふことは、何といふ不幸であらう。
それにしても人間が人間を見るといふことの怖しさは、あらゆる種類のエロティシズムの怖しさであると同時に、
あらゆる種類の政治権力にまつはる怖しさである。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0219無名草子さん
垢版 |
2011/06/28(火) 00:24:27.80
六月二十九日(月)
「鏡子の家」は、いはば私の「ニヒリズム研究」だ。ニヒリズムといふ精神状況は、本質的にエモーショナルな
ものを含んでゐるから、学者の理論的探究よりも、小説家の小説による研究に適してゐる。
(中略)
……オンボロ貨物船を引きずつて、船長は曲りなりにも故郷の港に還つて来た。主観的にはずいぶん永い航海だつた。
無数の港々、荷卸しや荷揚げの労苦、嵐や凪、それから航海に必ず伴ふ奇怪な神秘的な出来事、……さういふものは、
まだありありと頭の中に煮立つてゐるが、それも徐々に忘れられるだらう。暫時の休息ののち、船長は又性懲りもなく、
新しい航海のための食糧や備品の買出しに出かけるだらう。もつと巨きく、もつと性能もよい船を任される申し出に
よし出会つても、彼はすげなく拒むだらう。彼はこのオンボロ貨物船を以てでなくては、自分の航海の体験の量と
質とをはかることができないからである。それだけがあらゆる船乗りの誇りの根拠だ。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0220無名草子さん
垢版 |
2011/07/01(金) 14:06:37.89
そもそも推理小説とは欧米でも売れて売れて困るもので、売れない推理小説は、そもそも推理小説の資格がない
やうなものだ。


純文学には、作者が何か危険なものを扱つてゐる、ふつうの奴なら怖気をふるつて手も出さないやうな、取扱の
きはめて危険なものを作者が敢て扱つてゐる、といふ感じがなければならない、と思ひます。つまり純文学の
作者には、原子力を扱ふ研究所員のやうなところがなければならないのです。(中略)小説の中に、ピストルや
ドスや機関銃があらはれても、何十人の連続殺人事件が起つても、作者自身が何ら身の危険を冒して『危険物』を
扱つてゐないといふ感じの作品は、純文学ではないのでせう。


純文学は、と云つても、芸術は、と云つても同じことだが、究極的には、そこに幸福感が漂つてゐなければ
ならぬと思ふ。それは表現の幸福であり、制作の幸福である。どんな危険な怖ろしい作業であつても、いや、
危険で怖ろしい作業であればあるほど、その達成のあとには、大きな幸福感がある筈で、書き上げられたとき
その幸福感は遡及して、作品のすべてを包んでしまふのだ。

三島由紀夫「『純文学とは?』その他」より
0221無名草子さん
垢版 |
2011/07/01(金) 14:07:04.67
(中略)
人間、四十歳になれば、もう美しく死ぬ夢は絶望的で、どんな死に方をしたつて醜悪なだけである。それなら、
もう、しやにむに生きるほかはない。
室生犀星氏の晩年は立派で、実に艶に美しかつたが、その点では日本に生れて日本人たることは倖せである。
老いの美学を発見したのは、おそらく中世の日本人だけではないだろうか。殊に肉体芸術やスポーツの分野では、
東西の差が顕著で、先代坂東三津五郎丈は老齢にいたるまで見事な舞台姿を見せたが、セルジュ・リファールは
もうすでに舞台姿は見るに堪へぬ。(中略)スポーツでも、五十歳の野球選手といふものは考へらないが、
七十歳の剣道八段は、ちやんと現役の実力を持つてゐる。
肉体の領域でもこれだから、精神の領域では、日本人ほど「老い」に強い国民はないだらう。室生氏などは
世阿弥のいはゆる「珍しき花にて勝」つた人であらう。

三島由紀夫「『純文学とは?』その他」より
0222無名草子さん
垢版 |
2011/07/01(金) 14:07:31.74
(中略)
このごろは町で想像もつかないことにいろいろぶつかる。小説家の想像力も、こんなことに一々おどろいてゐる
やうでは貧寒なものだ。
旧文春ビルのTといふ老舗の菓子屋で買物をしたら、私の目の前で、男の店員が、私の買物を包んでゐる女の店員に、
「領収書は要らないんだろ。もう金もらつた?」
ときいてゐた。
客の前で、大声で「もう金もらつた?」ときく心理は、どういふのだらう。
やはり銀座の五丁目のMデパートで、菓子売場の女店員に、
「舶来のビスケットある?」
ときいたら、
「チョコレートならありますけど、ビスケットは舶来はありません」
と言下に答へた。売場を一まはりして、さつきの女店員の立つてゐる飾棚を見たら、ちやんと英国製ビスケットが
二缶並んでゐる。

三島由紀夫「『純文学とは?』その他」より
0223無名草子さん
垢版 |
2011/07/01(金) 14:08:39.66
「ここにあるぢやないか」
と言つたら、
「あら」とゲラゲラ笑つてゐた。
この二種類だけかときいたら、二種類だけです、と答へ、別の女の子が、他にも二種類あります、と持つて
来たはいいが、値段をきくと、全然同じ缶を二つ並べて、片方を八百円、片方を千五百円といふ無責任さ。
そのあひだゲラゲラ笑ひどほしで、奥の売場主任も我関せず焉で知らん顔をしてゐた。
(中略)
――かういふいろんな不条理か事例は、小説に使つたら、みんな嘘と思はれるだらう。もし今忠実な風俗小説といふ
ものが書かれたら、超現実主義風な作品になるのではないかと思はれる。

三島由紀夫37歳「『純文学とは?』その他」より
0224無名草子さん
垢版 |
2011/07/08(金) 11:20:39.16
女のまねをする女形は、女形芸術の墓穴を自ら掘つてゐるものだと思ふ。女形の範はあくまで能の鬘物のシテに
あるので、世にも高貴な美女の仮面をとほして、神秘的な、暗い男の声がひびいて来、美しい唐織の衣装の袖から、
無骨な男の手がむき出しになつてゐるべきなのだ。
といふことは、女形の真骨頂は仮面劇にあるのであつて、歌舞伎の女形といへども、変成男子の神秘感を失つては
ならないのだ。
といつて、私は、女形が日常生活でスポーツ・シャツを着てゴルフをしたり、「僕が」とか「僕が」とかいふ
一人称を使ふのを、推賞してゐるわけではない。ただ、女形美といふものが、女性美とは別の独自性を持つて
ゐることを忘れてはならない、といつてゐるのである。
そんな美的好尚は、もはや現代人からそつぽを向かれてゐるから、女形は衰滅するだらう、といふ主張もある。
事実、明治以後、女形は、だんだん女性美へ色目を使つてきた。かつての九代目団十郎の女形などを、今の人は
想像もできないだらう。

三島由紀夫「捨てきれぬ異常の美――女形は亡びるかどうか」より
0225無名草子さん
垢版 |
2011/07/08(金) 11:21:03.44
といふことは、一方、世間の女の男性化の傾向にもよる。女形芸のうちで悪婆(毒婦)や若衆方に接近した要素が、
一等早く衰退の気配を見せてゐるのは、悪婆的女性や若衆的女性がふえてきたからである。逆に女性的女性が
減つてきたので、真女形の稀少価値が生じて珍重されるにつれ、女形は女の模倣の方向へ傾きがちになり、女優と
見紛ふやうな芸を見せる役者も出て来て、歌舞伎の女形のセリフからは義太夫の暗い渋い律調が失はれてしまつた。
先々代時蔵の最後の政岡を見たときに、私は哀惜の念に耐へなかつた。
(中略)
さて、その女形の将来であるが、今は万事にアメリカ風の、浅薄な健全第一主義の時代であるけれど、日本人の
血の澱みは、一朝一夕に浄化されるものではない。
女形を気味がわるいと思ふ観客がふえたこともたしかだが、そんならその気味のわるさに将来性がある筈で、
芸術の歴史はみんなさういふ試練を経て来たのである。

三島由紀夫「捨てきれぬ異常の美――女形は亡びるかどうか」より
0226無名草子さん
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2011/07/08(金) 11:21:33.22
私のつねづねふしぎに思つてゐることがある。
前述したやうに、今はむしやうに女が強くなつて男性化した時代のやうにいはれながら、女の顔自体は、昔に比べて、
だんだん男性的威厳を失つてきてゐるのである。理想の美女は、現代では、イタチが猫か少年の顔にちかく、
明治時代の女性のやうに、むしろ男性的威厳を帯びた顔は、ゐなくなつたか、少なくとも、流行らなくなつて
ゐるのである。海水浴などに行くと、たしかに女性の体格のよくなつたことはおどろくばかりだが、顔はますます
小さくなる傾向にあり、髷の似合ひさうな顔は一つもない。明治時代の名妓の面影はあとをとどめない。
女性が女性的であつた時代に、却つて、女形風な顔や美がもてはやされ、沢山生存してゐた、とはどういふこと
だらうか。あれこれ思ふと、現代の女優で片はづしのカツラの似合ふやうな人は一人もなく、過去の壮大な悲劇に
似合ふ舞台上の女性は、どうしても、男にカツラをかぶせるほかはなくなるのである。ブリジット・バルドー
みたいな顔をした八重垣姫なんか、どう考へてもをかしいではないか。

三島由紀夫「捨てきれぬ異常の美――女形は亡びるかどうか」より
0227無名草子さん
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2011/07/08(金) 11:21:55.71
男が女に化けてゐるといふ芝居のウソの前提を、観客がもつと強く意識するやうになれば、女形の将来は捨てた
ものではなく、また女形自身も、舞台では女、日常生活では男、などといふコセコセした枠を作らず、舞台の上で
女形であること自体に、堂々たる男性的威厳を発揮することに努めれば、世間の目も変つてくることであらう。
重ねていふやうに、日本人の血の澱みの深さは、アメリカ人などとは比べものにならないのである。
女形のやうな、面白い、気味のわるい、エクストラオルディネール(異常)なものを、さうむやみに捨て去ることの
できる日本人ではない。その点はもつと安心して、大悟徹底してゐるべきだと思ふのである。

三島由紀夫「捨てきれぬ異常の美――女形は亡びるかどうか」より
0228無名草子さん
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2011/07/11(月) 15:57:10.06
現代におけるリリシズムがどんな形をとらねばならぬか、といふことが、現代芸術の一番おもしろい課題だと
私は考へてゐる。リリシズムは、現代において、否定された形、ねぢまげられた形、逆説的な形、敗北し流刑に
処された形、鼻つまみの形、……それらさまざまのネガティヴな形をとらざるをえず、そこから逆に清冽な
噴泉を投射する。もし現代において、リリシズムが一見いかにもこれらしい形をとつてゐたら、それは明らかに
ニセモノだと云つてよい。これが、私の「現代の抒情」の鑑定法である。
細江英公氏の作品が私に強く訴へるのは、氏がこのやうに「現代の抒情」を深くひそませた作品を作るからである。
そこには極度に人工的な制作意識と、やさしい傷つきやすい魂とが、いつも相争つてゐる。薔薇は元来薔薇の
置かれるべきでない場所に置かれて、はじめて現代における薔薇の王権を回復する。

三島由紀夫「細江英公氏のリリシズム――撮られた立場より」より
0229無名草子さん
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2011/07/14(木) 17:56:07.95
映像はいつも映画作家の意志に屈服するとは限らぬことは、言葉がいつも小説家の意志に屈服するとは限らぬと
同じである。映像も言葉も、たえず作家を裏切る。


われわれの古典文学では、紅葉(もみぢ)や桜は、血潮や死のメタフォアである。民族の深層意識に深く
しみついたこのメタフォアは、生理的恐怖に美的形式を課する訓練を数百年に亘つてつづけて来たので、歴史の
変遷は、ただこの観念聯合の秤のどちらかに、重みをかけることでバランスを保つてきた。戦争中のやうに
多すぎる血潮や死の時代には、人々の心は紅葉や桜に傾き、伝統的な美的形象で、直接の生理的恐怖を消化した。
今日のやうに泰平の時代には、秤が逆に傾いて、血潮や死自体に、観念的美的形象を与へがちになるのは、
当然なことである。かういふことは近代輸入品のヒューマニズムなどで解決する問題ではない。

三島由紀夫「残酷美について」より
0230無名草子さん
垢版 |
2011/07/16(土) 14:12:41.57
能は、いつも劇の終つたところからはじまる、と私はかねて考へてゐた。(中略)
能がはじまるとき、そこに存在するのは、地獄を見たことによつて変質した優雅である。芸術といふものは特に
このやうなものに興味を持つ。芸術家は狐のやうに、この特殊な餌を嗅ぎ当てて接近する。それは芸術の本質的な
悪趣味であり、イロニイなのだ。
(中略)
優雅と、血みどろな人間の実相と、宗教と、この三つのものが、「大原御幸」の劇を成立させてをり、かつ文化の
究極のドラマ形態を形づくつてゐる。この一つが欠ければ、他の二つも無用になるといふ具合に。
ところで、現代はいかなる時代かといふのに、優雅は影も形もない。それから、血みどろな人間の実相は、
時たま起る酸鼻な事件を除いては、一般の目から隠されてゐる。病気や死は、病院や葬儀屋の手で、手際よく
片附けられる。宗教にいたつては、息もたえだえである。……芸術のドラマは、三者の完全な欠如によつて、
煙のやうに消えてしまふ。

三島由紀夫「変質した優雅」より
0231無名草子さん
垢版 |
2011/07/16(土) 14:13:54.06
かうした芸術の成立の困難は、女院が味はつたやうな困難とはちがふ。女院が、変質した優雅をもてあまして、
表現と体験の板ばさみになつてしまつたやうな事情とはちがふ。むしろ、現代の問題は、芸術の成立の困難には
なくて、そのふしぎな容易さにあることは、周知のとほりである。
それは軽つぽい抒情やエロティシズムが優雅にとつて代はり、人間の死と腐敗の実相は、赤い血のりをふんだんに
使つたインチキの残酷さでごまかされ、さらに宗教の代りに似非論理の未来信仰があり、といふ具合に、三者の
代理の贋物が、対立し激突するどころか、仲好く手をつなぐにいたる状況である。
そこでは、この贋物の三者のうち、少くとも二者の野合によつて、いとも容易に、表現らしきもの、芸術らしきもの、
文学らしきものが生み出される。かくてわれわれは、かくも多くのまがひものの氾濫に、悩まされることに
なつたのである。

三島由紀夫38歳「変質した優雅」より
0232無名草子さん
垢版 |
2011/07/28(木) 11:11:54.62
別離だから悲しからう、悲しければもたもたするだらう、といふのが浅薄な心理主義と私の呼ぶところのものである。
別離は、劇に於ける超人間的なモメントだといふことが、そこでは完全に忘れ去られてゐる。それは別離を人間の
常態だと説いた哲学からの、なまぬるい離反なのであつた。


そもそも「見られた主体」とは「主張する客体」といふのと同じやうに、不可思議な存在である。戯曲といふ
純粋主体は誰の目にも見えず、俳優といふものの客体的要素が、それを人の目に見せる媒(なかだ)ちをする。
(ラジオ・ドラマでは、肉声が、この客体的要素に当る)。ところで、俳優の客体的要素が高まれば高まるほど、
映画俳優やバレエ・ダンサーのやうに、それはますます、主題を表現する抽象的役割を担ふのである。中では
舞台俳優が、セリフを通じて、もつとも主体的要素を含みつつ、実はその役割は、ますます具体的なものになる。
舞台の上では、裸体ほど抽象的で観念的なものはなく、セリフほど具体的なものはない、といふ逆説が、ここに
明らかになる。

三島由紀夫「芸術断想 舞台のさまざま」より
0233無名草子さん
垢版 |
2011/07/28(木) 11:13:10.96
芸術家の値打の分れ目は、死んだあとに書かれる追悼文の面白さで決ると言つてよいが、世間をあげて哀悼の意を
表しても、つまらない追悼文しか書かれない芸術家の死は哀れである。


サルドゥの「トスカ」で、私が主要な俳優たちにしばしば忠告したのは、この種の芝居における登場と退場の
大切さであつた。
役の人物があらはれる一瞬前に、役者が登場しなければならぬ。役の人物が退場した一瞬あとに、役者が
退場しなければならぬ。それがかうしたシアトリカルな芝居の味はひであると私は信じてゐる。
(中略)
つまりかういふ芝居で、観客は、役者と演技との或る一瞬のズレをたのしむのだが、それは必ずしもスタアへの
憧れや、あるひは役者の素顔に対する期待を意味するものではない。まづ存在を見、それから演技を見たいと
望んでゐるのである。それは奇術師の対する期待と似てゐて、一つのおどろくべき能力を見せられる前に、その
能力の容器をじつくり見せてもらひたいのである。

三島由紀夫「芸術断想 猿翁のことども」より
0234無名草子さん
垢版 |
2011/08/03(水) 09:58:37.62
能以外の劇は、すべて、運動会のピストルみたいな幼稚な効果にたよつてゐる点で、大きな顔はできない。
「桜の園」の幕切れの有名な効果音も、いくら象徴的な効果を狙つても、この域を出ない。われわれは、劇の
総合的な効果といふものについて、丁度現実の突発的な小事件の連鎖のやうな、因果律の虜になつてゐる。
ピストルを打てば、消音ピストルでなければ、音がしなければ納まらない。しかし遠い花火があのやうに美しいのは、
遅く来る音の前に、あざやかに無言の光りの幻が空中に花咲き、音の来るときはもう終つてゐるからではないだらうか。
光りは言葉であり、音は音楽である。光りを花火と見るときに、音は不要なのだが、あとからゆるゆると来る音は、
もはや花火ではない、花火の追憶といふ別の現実性のイメーヂをわれわれの心に定着しつつ、別の独立な使命を
帯びて、われわれの耳に届くのである。

三島由紀夫「芸術断想 詩情を感じた『蜜の味』」より
0235無名草子さん
垢版 |
2011/08/03(水) 09:59:19.06
『真相』なんて、大ていまやかしものに決まつてゐる。いつでもすばらしいのは事件そのもので、それだけなのだ。


「希望は過去にしかない」といふ悲観哲学は、伝統芸能の場合、一種特別な意味合ひを帯び、「昔はよかつた」
といふ言葉にたえず刺戟されないかぎり、芸術的完成はありえないことを、特に若い歌舞伎俳優に銘記して
もらいたいと思ふのである。


低級な剽窃はさておき、小説で模倣の目立つほどの作品は、却つて形式意欲の旺盛な、芸術的な作品に多い。
これから見て、模倣の目立つ絵は、それだけ芸術的に高度な、あるひは高度なものを目ざした絵であるか、
といふと、それはちがふ。絵画では、形式や色彩は、より本質的なものであるから、従つて形式や色彩は画家の
無意識的なものに緊密に結びついてゐるから、その模倣は、一そう低級であつて、第一義を誤まつてゐる。
これに比して、小説の文体その他形式上の模倣は、小説における形式が非本質的かつ知的なものであるから、
その模倣も、多少とも知的なものと考へられて恕される。

三島由紀夫「芸術断想 期待と失望」より
0236無名草子さん
垢版 |
2011/08/03(水) 09:59:53.97
私には、「ワグナーの純粋化」といふ観念そのものが、世にもばからしく思はれたのである。
ワグナーとは、あらゆる純粋性に対する反措定なのだ。その点では、ワグナーは、象徴主義にとつてさへ敵である。
その「綜合」の意識、「全体」の観念には、おそろしく冒涜的な力があつて、その力がもつとも崇高なものから
もつとも猥褻なものまでのあらゆる価値を等しなみにし、そこに彼独特の甘美な怖ろしい毒を、甘美な病気を
ひろめたのであつた。「トリスタン」は、ただ単に官能的だから怖ろしいのでもなく、ただ単に形而上学的だから
崇高なのでもない。そこではバスを待つ人の行列のやうにお互ひに無関心に、官能と形而上学とが一小節づつ
平然と隣り合つて並んでゐる。こんなグロテスクな無差別の最高原理である「綜合」や「全体」が、死神にしか
似てゐないのは当然だらう。死神の鎌の無差別が、人間精神の全体性への嗜慾の象徴になる。それだから
「トリスタン」は怖ろしいのである。「トリスタン」の腐敗の力に、なまなかの純粋精神などが歯が立たないのは
このためなのだ。

三島由紀夫「芸術断想 三流の知性」より
0237無名草子さん
垢版 |
2011/08/05(金) 11:47:15.38
芝居とはSHOWであり、見せるもの、示すものである。すべてが観客席へ向つて集約されてゆく作業である。
それだといふのに、舞台から向う側に属する人たちのはうが、観客よりもいつも幸福さうに見えるのは何故だらう。
何故観客席のわれわれは、安楽な椅子を宛はれ、薄闇の中で何もせずに坐つてゐればよく、すべての点で最上の
待遇を受けてゐるのにもかかはらず、どうしてこのやうに疲れ果て、つねに幾分不幸なのであらう。
私は妙な理論だが、こんなことを考へる。つまり人生においても、劇場においても、観客席に坐るといふ人間の
在り方には、何かパッシヴな、不自然なものがあるのである。示されるもの、見せられるものを見る、といふ
状況には、何か忌まはしいものがある。われわれの目、われわれの耳は、自己防衛と発見のためについてゐるので、
本来、お膳立てされたものを見且つ聴くやうにはできてゐないかもしれない。

三島由紀夫「芸術断想 劇場の中の『自然』」より
0238無名草子さん
垢版 |
2011/08/05(金) 11:48:40.11
芸術の享受者の立場といふものには、何か永遠に屈辱的なものがある。すべての芸術には、晴朗な悪意、幸福感に
充ちた悪意がひそんでをり、屈辱を喜ぶ享受者を相手にすることをたのしむのである。そのもつとも端的な
あらはれが劇場芸術だと言つてよい。(中略)
劇場とは、どんな形であれ「存在」の仮構であるが、劇が進行するあひだ、俳優が存在を代表し、観客が存在を
放棄してゐるやうなあの状態、(いかに観客が舞台に「参加」してゐるといふ仮説が巧みに立てられようとも)、
あの状態からは、何か人間の幸福といふものに関する空しい教理がひびいてくる。もつと厳密に言へば、俳優は
彼自身の存在を放棄し、彼ならぬ別個の人格の「役」の存在証明にすべてを捧げてゐるからこそ幸福なのであり、
一方観客は、彼自身の存在をあいまいに受動的に保ちつつ、彼以外のものになるあらゆる可能性を、俳優によつて
奪はれてゐるからこそ不幸なのであらう。劇場の暗闇へなど入らぬかぎり、われわれはみなそれぞれの社会で
固有の役割を果してをり、決して「観客」などといふ、十把一トからげの、不名誉な呼称で呼ばれないですむのである。

三島由紀夫39歳「芸術断想 劇場の中の『自然』」より
0239無名草子さん
垢版 |
2011/08/25(木) 10:55:11.54
映画「憂国」を見た人、いや、それよりも、見ない人が、一様に抱く疑問は、なぜ作者自身が主演したのか、
といふことであるらしい。これが最大の謎のやうに思つてゐる人もあるらしい。そこで考へられるのは、作者の
ナルシシズムだとか、マゾヒズムだとか、ぼろぼろに使ひ古された精神分析用語を持ち出して、もののみごとに
謎を解明したつもりになることである。しかしこれでは何も謎は解明されない。精神分析学の発明以来、
精神分析学を手段として利用しない芸術ジャンルは、ほとんどないと云つても過言ではないのであるから、
上のやうな言ひ方は、単なる芸術の同義反復にすぎない。
(中略)
さて、私は俳優、殊に映画俳優といふもののふしぎに魅せられてゐた。正直に言つて、これは俳優芸術のうちでも、
もつとも自発性の薄い分野である。ある意味では、影の影、幻の幻である。しかし、自発性、意志性が薄くなるに
従つて、存在性が重要性を増してくる。彼が影であることと、彼が確乎とした存在であることは、毫も矛盾しない。

三島由紀夫「『憂国』の謎」より
0240無名草子さん
垢版 |
2011/08/25(木) 10:56:14.01
まづ彼が、目に見えるモノとしての存在感と「それらしさ」に充ちあふれてゐなければ、影の影、幻の幻としての、
自律性を持ちえないのである。演技はその先の問題であつて、映画ではミス・キャストがいかに致命的であるかを
考へれば、思ひ半ばにすぎるものがあらう。
一方、私は小説家であり、劇作家である。小説家や劇作家は、精神、意志、知性、その他の自発性を第一条件とする。
もちろんこれには感受性が二次的に必要であるが、彼の仕事には、何よりもまづ、そこにモノを存在せしめるといふ
意志の自発性が必要である。
しかし、人間といふものは奇妙なもので、自発性、意志性が濃くなるに従つて、単なる存在性は稀薄になつてくる。
もちろん、私が、一般論として、人間の自発性、意志性が濃くなるにつれて、存在性が薄くなると云はうとして
ゐるのではない。たとへば、政治家の場合は、ナポレオンやヒトラーなど、その自発性、意志性の濃度に従つて、
存在性も濃くなつてゐた、といへるであらう。

三島由紀夫「『憂国』の謎」より
0241無名草子さん
垢版 |
2011/08/25(木) 10:57:17.45
が、芸術家の場合には、作品といふものがある。芸術家は、ペリカンが自分の血で子を養ふと云はれるやうに、
自分の血で作品の存在性をあがなふ。彼が作品といふモノを存在せしめるにつれて、彼は実は、自分の存在性を
作品へ委譲してゐるのである。
ここに芸術家の存在性への飢渇がはじまる。私は心魂にしみて、この飢渇を味はつた人間だと思つてゐる。
さういふ私が、存在性だけに、その八十パーセントがかかつてゐる映画俳優といふふしぎなモノに、なり代らうと
する欲求は自然であらう。
いはば私は、不在証明(アリバイ)を作らうとしたのではなく、その逆の、存在証明をしたい、といふ欲求に
かられたのである。だから映画「憂国」は、私の不在証明を証明しようとしたものの如く見えるだらうが、実は、
その逆、私の存在証明をしようとしたものだ。そして、さういふときの「私」とは、世間の既成概念にとぢこめ
られてゐる小説家としての「私」ではなく、もつと原質的な、もつと始源的な「私」であることは、いふまでもない。

三島由紀夫「『憂国』の謎」より
0242無名草子さん
垢版 |
2011/08/25(木) 11:01:04.01
ところで、映画俳優とは、選ばれる存在である。自分で自分を選ぶとはどういふことか? そこには論理的矛盾はないか?
選ぶ者と選ばれる者とを一身に兼ねることは、ボオドレエルではないが、「死刑囚と死刑執行人を一身に兼ねる」
ことに等しい。その成否は一に、画面の「私」が、作中人物としての自明の存在感を持ちうるか否かにかかつてゐる。
それは危険な賭である。自己を客観的に見ようとするときに起りがちな誤算は、誰しも免かれないにしても、
この場合は、それが最小限でなければならない。
画面の「武山信二中尉」の存在に、ほんの少しでも「小説家三島由紀夫」の影が射してゐたら、私の企図はすべて
失敗であり、物語の仮構性は崩れ、作品の世界は、床へ落ちたコップのやうに粉々になつてしまふだらう。
この危険が私に与へた魅惑、スリム、サスペンスは限りがなかつた。私が、影の影、幻の幻としての存在感を
持ちうるか否かは、私にとつての、人生の究極の夢に関はつてゐた。
しかも、この賭において、世間はすべて私の敵へ賭けてゐるのである。
さて、あとは、御覧になつた観客各位が判定を下して下さるのみである。

三島由紀夫41歳「『憂国』の謎」より
0243無名草子さん
垢版 |
2011/09/12(月) 23:22:44.61
或る小説がそこに存在するおかげで、どれだけ多くの人々が告白を免かれてゐることであらうか。それと同時に、
小説といふものが存在するおかげで、人々は自分の内の反社会性の領域へ幾分か押し出され、そこへ押し出された以上、
もちろん無記名ではあるが、リスト・アップされる義務を負ふことになる。社会秩序の隠密な再編成に同意する
ことになるのである。
このやうな同意は本来ならば、きびしい倫理的決断である筈だが、小説の読者は、同意によつて何ら倫理的責任を
負はないですむといふ特典を持つてゐる。その点は芝居の観客も同様だが、小説が芝居とちがふ点は、もし単なる
享受が人生における倫理的空白を容認することであれば、いくらでも長篇でありうる小説といふジャンルは、
芝居よりもずつと長時間にわたつて、読者の人生を支配するので、(あらゆる時間芸術のうちで、長篇小説は
いちばん人生経験によく似たものを与へるジャンルである)、人々は次第に、その倫理的空白に不安になつて、
つひに自分の人生に対するのと同じ倫理的関係を、小説に対して結ぶにいたることがないではない。

三島由紀夫「小説とは何か 一」より
0244無名草子さん
垢版 |
2011/09/12(月) 23:23:32.91
世間一般では、小説家こそ人生と密着してゐるといふ迷信が、いかにひろく行はれてゐることだらう。何よりも
それを怖れて小説家になつた彼であるのに! 私がいつもふしぎに思ふのは、小説家がしたり気な回答者として、
新聞雑誌の人生相談の欄に招かれることである。それはあたかも、オレンヂ・ジュースしか呑んだことのない人間が、
オレンヂの樹の栽培について答へてゐるやうなものだ。
人生に対する好奇心などといふものが、人生を一心不乱に生きてゐる最中にめつたに生れないものであることは、
われわれの経験上の事実であり、しかもこの種の関心は人生との「関係」を暗示すると共に、人生における
「関係」の忌避をも意味するのである。小説家は、自分の内部への関係と、外部への関係とを同一視する人種で
あつて、一方を等閑視することを許さないから、従つて人生に密着することができない。人生を生きるとは、
いづれにしろ、一方に目をつぶることなのである。

三島由紀夫「小説とは何か 二」より
0245無名草子さん
垢版 |
2011/09/12(月) 23:24:19.27
一面からいへば、神は怠けものであり、ベッドに身を横たへた駘蕩たる娼婦なのだ。働らかされ、努力させられ、
打ちのめされるのは、いつも人間の役割である。小説はこの怖ろしい白昼の神の怠惰を、そのまま描き出すことは
できない。小説は人間の側の惑乱を扱ふことに宿命づけられたジャンルである。そして神の側からわづかに
描くことができるのは、人間(息子)の愚かさに対する、愛と知的焦燥の入りまじつた微かな絶望の断片のみで
あらう。神は熱帯の泥沼に居すわつた河馬のやうだ。
「お前の母親は泥沼の中でしか落着けないのよ」
人間の神の拒否、神の否定の必死の叫びが、実は「本心からではない」ことをバタイユは冷酷に指摘する。
その「本心」こそ、バタイユのいはゆる「エロティシズム」の核心であり、ウィーンの俗悪な精神分析学者などの
遠く及ばぬエロティシズムの深淵を、われわれに切り拓いてみせてくれた人こそバタイユであつた。

三島由紀夫「小説とは何か 七」より
0246無名草子さん
垢版 |
2011/09/12(月) 23:24:50.04
バルザックが病床で自分の作中の医者を呼べと叫んだことはよく知られてゐるが、作家はしばしばこの二種の現実を
混同するものである。しかし決して混同しないことが、私にとつては重要な方法論、人生と芸術に関するもつとも
本質的な方法論であつた。(中略)
私のやうな作家にとつては、書くことは、非現実の霊感にとらはれつづけることではなく、逆に、一瞬一瞬自分の
自由の根拠を確認する行為に他ならない。その自由とはいはゆる作家の自由ではない。私が二種の現実のいづれかを、
いついかなる時点においても、決然と選択しうるといふ自由である。この自由の感覚なしには私は書きつづける
ことができない。選択とは、簡単に言へば、文学を捨てるか、現実を捨てるか、といふことであり、その際どい
選択の保留においてのみ私は書きつづけてゐるのであり、ある瞬間における自由の確認によつて、はじめて
「保留」が決定され、その保留がすなはち「書くこと」になるのである。この自由抜き選択抜きの保留には、
私は到底耐へられない。

三島由紀夫「小説とは何か 十一」より
0247無名草子さん
垢版 |
2011/09/12(月) 23:25:22.49
「暁の寺」を脱稿したときの私のいひしれぬ不快は、すべてこの私の心理に基づくものであつた。何を大袈裟なと
言はれるだらうが、人は自分の感覚的真実を否定することはできない。すなはち、「暁の寺」の完成によつて、
それまで浮遊してゐた二種の現実は確定せられ、一つの作品世界が完結し閉ぢられると共に、それまでの作品外の
現実はすべてこの瞬間に紙屑になつたのである。私は本当のところ、それを紙屑にしたくなかつた。それは私に
とつての貴重な現実であり人生であつた筈だ。しかしこの第三巻に携はつてゐた一年八ヶ月は、小休止と共に、
二種の現実の対立・緊張の関係を失ひ、一方は作品に、一方は紙屑になつたのだつた。それは私の自由でもなければ、
私の選択でもない。作品の完成といふものはさういふものである。それがオートマティックに、一方の現実を
「廃棄」させるのであり、それは作品が残るために必須の残酷な手続である。

三島由紀夫「小説とは何か 十一」より
0248無名草子さん
垢版 |
2011/09/12(月) 23:27:53.27
私はこの第三巻の終結部が嵐のやうに襲つて来たとき、ほとんど信じることができなかつた。それが完結することが
ないかもしれない、といふ現実のはうへ、私は賭けてゐたからである。この完結は、狐につままれたやうな
出来事だつた。「何を大袈裟な」と人々の言ふ声が再びきこえる。作家の精神生活といふものは世界大に大袈裟な
ものである。
(中略)
しかしまだ一巻が残つてゐる。最終巻が残つてゐる。「この小説がすんだら」といふ言葉は、今の私にとつて
最大のタブーだ。この小説が終つたあとの世界を、私は考へることができないからであり、その世界を想像することが
イヤでもあり怖ろしいのである。そこでこそ決定的に、この浮遊する二種の現実が袂を分ち、一方が廃棄され、
一方が作品の中へ閉ぢ込められるとしたら、私の自由はどうなるのであらうか。唯一ののこされた自由は、その
作品の「作者」と呼ばれることなのであらうか。あたかも縁もゆかりもない人からたのまれて、義理でその人の子の
名付け親になるやうに。

三島由紀夫「小説とは何か 十一」より
0249無名草子さん
垢版 |
2011/09/12(月) 23:28:26.63
(中略)
吉田松陰は、高杉晋作に宛てたその獄中書簡で、
「身亡びて魂存する者あり、心死すれば生くるも益なし、魂存すれば亡ぶるも損なきなり」
と書いてゐる。
この説に従へば、この世には二種の人間があるのである。心が死んで肉体の生きてゐる人間と、肉体が死んで
心の生きてゐる人間と。心も肉体も両方生きてゐることは実にむづかしい。生きてゐる作家はさうあるべきだが、
心も肉体も共に生きてゐる作家は沢山はゐない。作家の場合、困つたことに、肉体が死んでも、作品が残る。
心が残らないで、作品だけが残るとは、何と不気味なことであらうか。又、心が死んで、肉体が生きてゐるとして、
なほ心が生きてゐたころの作品と共存して生きてゆかねばならぬとは、何と醜怪なことであらう。作家の人生は、
生きてゐても死んでゐても、吉田松陰のやうに透明な行動家の人生とは比較にならないのである。生きながら
魂の死を、その死の経過を、存分に味はふことが作家の宿命であるとすれば、これほど呪はれた人生もあるまい。
「何を大袈裟な」と笑ふ声が三度きこえる。

三島由紀夫「小説とは何か 十一」より
0250無名草子さん
垢版 |
2011/09/13(火) 11:56:27.10
ドストエフスキーの「罪と罰」を引張り出すまでもなく、本来、芸術と犯罪とは甚だ近い類縁にあつた。
「小説と犯罪とは」と言ひ直してもよい。小説は多くの犯罪から深い恩顧を受けてをり、「赤と黒」から
「異邦人」にいたるまで、犯罪者に感情移入をしてゐない名作の数は却つて少ないくらゐである。
それが現実の犯罪にぶつかると、うつかり犯人に同情しては世間の指弾を浴びるのではないか、といふ思惑が
働らくやうでは、もはや小説家の資格はないと云つてよいが、さういふ思惑の上に立ちつつ、世間の金科玉条の
ヒューマニズムの隠れ簑に身を隠してものを言ふのは、さらに一そう卑怯な態度と云はねばならない。そのくらゐなら
警察の権道的発言に同調したはうがまだしもましである。
さて、犯罪は小説の恰好の素材であるばかりでなく、犯罪者的素質は小説家的素質の内に不可分にまざり合つてゐる。
なぜならば、共にその素質は、蓋然性の研究に秀でてゐなければならぬからであり、しかもその蓋然性は法律を
超越したところにのみ求められるからである。

三島由紀夫「小説とは何か 十二」より
0251無名草子さん
垢版 |
2011/09/13(火) 11:57:11.57
法律と芸術と犯罪と三者の関係について、私はかつて、人間性といふ地獄の劫火の上の、餅焼きの網の比喩を
用ひたことがあるが、法律はこの網であり、犯罪は網をとび出して落ちて黒焦げになつた餅であり、芸術は適度に
狐いろに焼けた喰べごろの餅である、と説いたことがあつた。いづれにしても、地獄の劫火の焦げ跡なしに、
芸術は成立しない。
(中略)
悪は、抽象的な原罪や、あるひは普遍的な人間性の共有の問題であるにとどまらない。きはめて孤立した、
きはめて論証しにくい、人間性の或る未知の側面に関はつてゐる筈である。私はアメリカで行はれた凶悪暴力犯人の
染色体の研究で、男性因子が普通の男よりも一個多い異型が、これらの中にふつうよりもはるかに多数発見されたと
いふ記事を読んだとき、戦争といふもつとも神秘な問題を照らし出す一つの鍵が発見されたやうな気がした。
それは又裏返せば、男性と文化創造との関係についても、今までにない視点を提供する筈である。

三島由紀夫「小説とは何か 十二」より
0252無名草子さん
垢版 |
2011/09/13(火) 11:58:17.03
文学と狂気との関係は、文学と宗教との関係に似たところがある。ヘルダーリンの狂気も、ジェラアル・ド・
ネルヴァルの狂気も、ニイチェの狂気も、ふしぎに昂進するほど、一方では極度に孤立した知性の、澄明な高度の
登攀(とうはん)のありさまを見せた。何か酸素が欠乏して常人なら高山病にかかるに決まつてゐる高度でも、
平気で耐へられるやうな力を、(ほんの短かい期間ではあるが)、狂気は与へるらしいのである。
(中略)
分裂病の進行が、往々あるやうに、殺人や自殺に終つても、それを厳密な意味でクライマックスと呼ぶことは
できないであらう。こちら側から見れば、危険な反社会性の現実化であり、一つの社会事件としてのクライマックスで
あつても、向う側から見れば、さらに進行する経過の上の偶発的事件であるにすぎないからである。
(中略)
しかるに、狂気は、その進行過程において、つひに必然的クライマックスを持たない。必然的クライマックスとは
「物化」「自己物質化」であつて、常人の側からは「死」と同じことである。

三島由紀夫「小説とは何か 十三」より
0253無名草子さん
垢版 |
2011/09/13(火) 11:58:52.18
狂人の自殺は二重の意味を持つ。すなはち、自己物質化を狂気が達成しうるのに、さらに死によつてその達成を
助けることだからである。一方、狂人の殺人は、その反社会性によつて社会とは一見対立関係に立つやうだけれども、
法も亦責任能力を免除してゐるやうに、厳密な一対一の対立関係は成立しない。「きちがひに刃物」とはよく
言つたもので、狂人に殺された人間は、社会の用語によれば「事故死」なのである。
このやうな偶然性の体現、自己の行為を偶然化されること、そのこと自体が、自己物質化の進行と浸潤を意味する。
なぜなら、偶然とは「物」の特質だからである。これを宗教の用語で言へば、偶然とは「神」の本質であらう。
すなはち人間的必然を超えたところにあらはれる現象は、神の領域に他ならないからである。
(中略)
狂気と正常な社会生活との並行関係乃至離反のプロセスだけが、小説の題材になりうる。

三島由紀夫「小説とは何か 十三」より
0254無名草子さん
垢版 |
2011/09/14(水) 10:16:46.96
狂気の困つた特色は、その本質が反社会性にあるのではなくて、狂気の論理自体にしか本質がないのにもかかはらず、
狂人の幻想には社会生活の残滓が、(もつとも低俗なものをも含めて)、横溢してゐるといふことなのである。
このことは、前回の犯罪の問題と比べてみるとよくわかるだらう。犯罪的素因を先天性のものと考へるロムブロゾオ
などの諸説はともかく、犯罪はその本質を反社会性に持つてゐる。なぜなら犯罪を正当化する最高の論理は、
政治的犯罪と非政治的犯罪とにかかはらす、われわれが自己の社会を正当化する論理と同じ次元に立つてゐる
からである。このことが、小説の題材として、古来、狂気よりも犯罪が親しまれてきた一因であらう。
われわれが殺人を許容しない社会に住んでゐることは、一種の社会契約によつて、われわれ自身の殺人をも
許容されないものにしてしまつてゐるわけだが、狂気はあくまで病気の一種であり、人間の自由意志とは関係が
ないから、いかに狂気が危険でも、われわれ自身が発狂することは許されてゐるのである。

三島由紀夫「小説とは何か 十三」より
0255無名草子さん
垢版 |
2011/09/14(水) 10:17:13.70
これは一見ヘンな論理だと思はれるであらう。しかしここには小説の大切な問題がひそんでゐる。
なぜなら、小説も芸術の一種である以上、主題の選択、題材の選択、用語の選択、あらゆるものに、作者の意志が
かかり、精神がかかり、肉体がかかつてゐる。われわれはそれを不可測の神の意志、あるひは狂気の偶然の意志に
委ねるわけには行かないのである。なるほどソクラテスはその哲学をデエモンの霊感によつて得た。しかし、
ソクラテスは狂気には陥らなかつた。
選択それ自体が自由意志の問題を抱へ込んでをり、小説は、「自由意志」といふ信仰の極限的実験であつたとも
いへる。この社会の要求する社会契約も、倫理的制約も、すべて自由意志自身の責任において乗り超え踏み
破らうとする仮構であつた。
ひとたびここへ狂気の問題を導入すると、この根本的なメカニズムにひびが入つてしまふのである。自由意志が
否定されたところで、どうして小説世界の構築性といふ、自由意志の精華のやうなものが具現されるであらうか。

三島由紀夫「小説とは何か 十三」より
0256無名草子さん
垢版 |
2011/09/14(水) 10:20:28.33
小説とは何か、といふ問題について、無限に語りつづけることは空しい。小説自体が無限定の鵺(ぬえ)のやうな
ジャンルであり、ペトロニウスの昔から「雑俎(サテュリコン)」そのものであつたのだから、それはほとんど、
人間とは何か、世界とは何か、を問ふに等しい場所に連れて行かれる。そこまで行けば「小説とは何か」を
問ふことが、すなはち小説の主題、いや小説そのものになるのであり、プルウストの「失はれし時を求めて」は、
そのやうな作品だつた。概して近代の産物である小説の諸傑作は、ほとんど「小説とは何か」の、自他への
問ひかけであつた、と云つても過言ではない。小説はかくて、永久に、世界観と方法論との間でさまよひつづける
ジャンルなのである。その彷徨とその懐疑とを失つた小説は、厳密な意味で小説と呼ぶべきでないかもしれない。
そこで小説とは、小説について考へつづける人間が、小説とは何かを模索する作業だ、と云つてしまへば、
技術的定義に偏して、重要な何ものかを逸してしまふ、といふところに、又、小説の怪物性がある。

三島由紀夫43〜45歳「小説とは何か 十四」より
0257無名草子さん
垢版 |
2011/10/11(火) 14:41:19.56
どうしても心の憂悶の晴れぬときは、むかしから酒にたよらずに映画を見るたちの私は、自分の周囲の現実を
しばしが間、完全に除去してくれるといふ作用を、映画のもつとも大きな作用と考へてきた。大スクリーンで
立体音響なら申し分がないがそれは形式上のこと、それで退屈な映画では何にもならぬ。(中略)これを一概に
「娯楽」といふ名で呼ぶのは当を得てゐない。私の映画に求めてゐるのは「忘我」であつて、娯楽といふ名で
括られるのは不本意である。私はただの一度も、映画で「目ざめさせて」もらつた経験もなく、又目ざめさせて
もらふために、映画館の闇の中へ入つてゆくといふ、ばからしい欲求を持つたこともないのである。
官能の助けを借りながら、知的探究をさせてもらふ、といふ、怠け者の欲張りが、いはゆる芸術映画の観客の
大半なのであらう。目に見えるものはいやでも官能に愬へ、しかも音が加はり、色彩が加はりすれば、どんな
知的な映画でも、その複合的効果を免かれることはできないのである。

三島由紀夫「忘我」より
0258無名草子さん
垢版 |
2011/10/11(火) 14:42:00.91
そして忘我とはこれ又複雑な要素を含み、エロティシズムや恐怖といふ感覚的衝撃も十分忘我の材料になりうる
けれども(因みに、笑ひはたえず人を目ざめさせるから、忘我のたのしみには適しない)、知的なパズルも亦、
しばし自分の頭脳を他人のなかなか隅におけない頭脳の支配に委ねるといふ快感において、忘我のよすがになる
わけであるから、私が喜んで見る映画は、おのづから限られてくる。そしてこれらすべての条件を具備したものが、
他ならぬヒチコック映画なのであるが、今度の「トパーズ」を含めて、ヒチコックの近作に、往年の色艶が褪せて
来たことは淋しい。
美しい人間が出てくる、といふことも映画の与へる忘我の大切な要素であり、「トパーズ」にもやはりキューバの
地下組織の代表者として、目もあやな美人(カリン・ドール)が現はれ、その死までも華麗を極めてゐる。
美しい人間といふものは映画にしか出て来ない、といふのがわれわれの年齢の人間の、幼時から温めてきた信仰で
あつた。逆も真なりで、映画に出る人なら美しい人間に決つてゐた筈であつた。

三島由紀夫「忘我」より
0259無名草子さん
垢版 |
2011/10/11(火) 14:42:32.17
ところが人間の肉体に対する信仰がどこかで崩れ、肉体の「偉大さ」が信じられなくなつてしまつた。これが
スター・システムの崩壊につながつたことは言ふまでもないが、美貌のみによつて偉大である、といふシンボル賦与の
役割を映画がすでに果さなくなつたことと照応してゐる。
その代りにタブーが取り去られ、「性」が映画の中央にしやしやり出てきて、どんな無気力な性を描いても、
性が主人公である映画が続出するやうになつた。現在氾濫してゐる二流映画の中で、私が感心したのはギリシアの
「猫の舌」ぐらゐのものであるが、面白いことには、性が前面に出てくればくるほど、スターは不要になり、
この面からもスター・システムの崩壊は推し進められてゐることである。
スターは性的シンボルであつたが、それは覆はれた性的シンボルであり、性の無名性の逆説であつた。

三島由紀夫「忘我」より
0260無名草子さん
垢版 |
2011/10/11(火) 14:45:38.33
すなはち性的対象が一つで、こちらが不特定多数人だとすれば、たつた一つの性的対象に対してできるだけ多数の
不特定人が集まれば集まるほど、経済的効率は上るわけであるから、そのためには宣伝が必要になり、宣伝の
公共性がスターをいやが上にも有名にすると共に、性の無名性(性的独占の条件)はますます薄れ、人々は共有の
法則に従はざるをえなくなる。そこに神聖化が行はれ、幾多の処女伝説が発生した。しかしブルー・フィルムでは、
この事情は逆になる。俳優は無名であればあるほど、性的独占の対象として直接性を帯び、それはいかにも任意の
対象といふ風情をそなへ、観客と俳優は一対一で映像の性関係に入ることが容易になる。そのためには、公共性を
必然的に持つ宣伝は、すべてを阻害することになる。
未来の映画は、すべてブルー・フィルムになるであらう。そして公認されたブルー・フィルムの最上の媒体は、
ヴィデオ・カセットになるであらう。なぜならそれは映像の性的独占を可能にするからだ。

三島由紀夫「忘我」より
0261無名草子さん
垢版 |
2011/10/11(火) 14:47:06.89
これはもう予期された結末であるが、それといふのも、映画は性を扱ふ時に圧倒的な効果を発揮するにもかかはらず、
劇場映画に要する厖大な制作費の条件は、性を無名性と個人的独占から遠ざけるやうにしか働らかないからである。
かういふことをうすうす感じてゐるからこそ、若い監督たちはあのやうな難解な映画を次々と作るのであらう。
どんな形而上学的主題も、或る巨大な性の影に包まれてゐるといふのが映画の本質であるのに、性を前面に扱へば
扱ふほど、かつてのやうなスターといふ存在のシンボル操作による、あの性の万能性・公共性・象徴性・神聖性は
失はれたのである。従つて、映画は或る巨大な性の影の庇護下にあらゆることを語りうる媒体であることを自ら
諦らめねばならず、一方では文学的演劇的な形而上学的主題へ逃げ、一方では芸術映画に特有な、汚ならしい
男女優による汚ならしい性的シーンの氾濫になつたのであらう。
かくも忘我から遠いものはないために、私は、これを見定めて、忘我を与へてくれさうな映画を見るとき以外に、
映画館へ足を運ばなくなつたのであつた。

三島由紀夫45歳「忘我」より
0262無名草子さん
垢版 |
2011/10/18(火) 10:35:11.66
むかしはどこの家の中も暗かつた。このごろの団地の子供は、ハバカリへ行くといふことの恐怖も快楽も知らない。
あの怖ろしい暗い穴の中から、立ちのぼつて来て目にしみるアンモニアの匂ひ、それから煙出し片脳油の
胸せまるやうな悲劇的な匂ひ。それに、どうしてむかしの家では、ハバカリの電気をあんなに倹約したものだらう。
大と小との境目に、五燭ぐらいの電燈がぼんやりついてゐて、それに金蠅の羽音がまつはりついてゐる。それなら
まだいいはうで、全然灯火のないハバカリさへあつたのだ。
(中略)このごろでは全然見かけなくなつたあの片脳油といふもの。あれにはたしか、ノコギリ形の屋根と
黒煙を吐く煙突から成る古くさい工場の絵を描いたレッテルが貼つてあつた。それは大てい油じみて、半分
やぶれかけたレッテルだつた。ほかの防臭剤には、蠅が薬の霧を吹つかけられて、ジタバタして、瀕死の表情を
うかべてゐる絵が描いてあつたものだが、そのすぐそばで、本物の蠅は、逞しく生を謳歌してゐたのだつた。

三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より
0263無名草子さん
垢版 |
2011/10/18(火) 10:35:43.73
(中略)ビール罎の廃物利用の焦茶いろの罎に、ものすごい刺戟性の薬液がたつぷり入つてゐて、そして何よりも
そのレッテルだつた。子供はしやがんでゐるあひだ、ずつとそのレッテルと睨めつこをしてゐるわけだから、
いやでも覚えてしまふ。
ノコギリ屋根と暗い煙突、それは正に暗い前近代的な工場の風景で、その屋根の下ではきつと家族的な暗い
労働条件があつたのだ。(中略)曇つた朝空へのぼる煙突の煙には、それなりに悲壮なものがあつた筈だ。
日本資本主義の最底辺の、ハバカリにつながる工場の悲哀のなかにも、何かしら、すばらしい矜持があつた筈だ。
日本そのものの匂ひ、都市における唯一の農村の残存物であるところの、あの人糞人尿の匂ひに対抗し、
打ち克つために、正に近代的化学技術の粋を尽してつくられた、圧倒的、殲滅的、かつ、感傷的、近代的スプリーン
そのもののやうな匂ひの発明者としての。

三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より
0264無名草子さん
垢版 |
2011/10/18(火) 10:36:07.05
それから、これは多分、私の記憶ちがひであらうが、片脳油のレッテルには、子供にとつて最大の宇宙的無限の
謎を誘起する、当時はやりのデザインがあつたかもしれない。それは、人が何か手にもつてゐる図柄の中に、
又、人がそれを持つてゐる図柄があり、その中に又、人がそれを持つてゐる図柄がある、といふ無限小数的な
デザインである。さういふ、悲しくなるほど永遠に遠ざかり深まつてゆくものを暗示したデザインこそ、あの糞臭と
片脳油の匂ひのなかで鑑賞すべきものであつたのだ。
遠い汽笛、……どこの家でもきこえて、子供の夜を、悲しみでいつぱいにしてしまつたあの汽笛、しかし同時に
夜に無限のひろがりと駅の灯火の羅列とさびしい孤独な旅を暗示したあの汽笛は、どこへ行つてしまつたのか。

三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より
0265無名草子さん
垢版 |
2011/10/18(火) 10:36:40.79
幼時の思ひ出は、どれをとつても、文字どほりウサン臭いのである。
暗さばかりかと思ふと、思ひがけない痴呆的な明るさが現前する。それはたとへば、聯隊の軍旗祭の記念の風呂敷だ。
いやに赤つぽい桜、富士、旭日の光芒、紫、黄、赤などのものすごい配色。あそこには、栄光といふものと生活の
さびしさとがせめぎ合つた、ヒステリカルなけばけばしさがあつたのだ。私は証言する。むかしの日本人は、
さびしかつた。今よりもずつと多い涙の中で生きてゐた。嬉しいにつけ、悲しいにつけ、すぐ涙だつた。そして
軍隊の記念の風呂敷の、あのノスタルジックな極彩色は、その紫がただちに打身の紫、その赤がただちにヒビ、
アカギレの血の色を隠してゐた。人間といふものはもともと極彩色なのだ。
大日本帝国の一人一人の生活は、湿つた暗い蒲団に包まれてゐた。なぜ蒲団はあのやうに暗く、天井はあのやうに高く、
ハバカリはあのやうに臭く、そしてあらゆるものに、バカバカしく金ピカのレッテルが貼つてあつたのだらう。

三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より
0266無名草子さん
垢版 |
2011/10/18(火) 10:37:27.88
(中略)
お祭は、花やかで、きらびやかで、しかも陰惨そのものだつた。人々はまだ、不具に対する劃一的なヒューマニズムの
擒になつてはゐなかつた。あの安つぽさ、買つてくると一日でこはれる玩具、あきらかに有毒な着色剤を使つた菓子、
飲物、……そこではすべてが「禁止」されてゐた。少くとも「良家」の子供にとつては。従つてその禁止によつて
圧倒的な魅力を放つてゐた。
見世物の見るもおどろな泥絵具の大看板の、陰惨醜悪怪奇をきはめた半人半獣の図は、ここでもまた、紫の
ビロードと、金糸の縫取と、金銀の縁取りの房に囲まれてゐた。さういふものは、少年雑誌「譚海」の血みどろの
「切つたはつた」にもつながりがあつたのだ。衛生的な大人たちは、子供が「譚海」を読むことを賢明にも禁止し、
明るい、清潔な、そして親には孝行、軍国主義には賛成といふ、「少年倶楽部」を推賞したのだつた。

三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より
0267無名草子さん
垢版 |
2011/10/18(火) 10:48:23.03
私の子供時代はそんなものであつた。そしてさういふ、さびしい極彩色の日本人の生活を私はなつかしむ。
家のどこかでは必ず女がこつそりと泣いてゐた。祖母も、母も、叔母も、姉も、女中も。そして子供に涙を
見られると、あわてて微笑に涙を隠すのだつた。私は女たちがいつも泣いてゐた時代をすばらしいと思ふのである!
しかし泣いてゐた女たちの怨念は、今のやうな、いたるところで女がゲラゲラ高笑ひをし、歯をむき出してゐる時代を
現出した。むかしの女の幽霊は、さびしげに柳のかげからあらはれ、めんめんと愚痴をこぼしたが、今の女の幽霊は、
横尾忠則の絵にあるやうな裸一貫の赤鬼になつて跋扈してゐる。うわア怖い!

……私は一体何を語らうとしてゐたのだらう。私は横尾忠則について語らうとしてゐた筈だ。しかし、私は別事を
語りながら、すでに彼についてすべてを語つてしまつたやうな気がしてゐる。少くともその根元的なものすべてを。

三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より
0268無名草子さん
垢版 |
2011/10/19(水) 15:51:14.53
ふしぎでならないことは、彼が彼の年齢にもかかはらず、戦前の「暗い日本」と、同時にそのノスタルジックな
けばけばしい意匠とを、潜在意識の底にしつかり貯へ持つてゐるやうに見えることである。(中略)たとへば
彼が作つたアニメーションの映画で、旭日の沈む海に、涙を流しつつ男の横顔が沈んでゆき、その上に強大な
女の横顔がおほひかぶさるコマ絵の連続を見ても、私には、それが、大東亜戦争の敗北と大日本帝国の崩壊を、
肉体的に味はつた世代の人間でなければ描けない図柄のやうに思はれたものだ。
もちろんそれは一面的な解釈である。彼の世俗的な成功は、日本的土俗の悲しみとアメリカン・ポップ・アートの
痴呆的白昼的ニヒリズムとを、一直線につなげたところにあつた。(中略)はつきり云つて、それは、日本的恥部と
アメリカ的恥部との、厚顔無恥な結合、あるひは癒着であつたといへる。(中略)
恥部とは何だらうか。それはそもそも、人に見せたくないものだらうか。それとも人に見せたいものだらうか。
これは甚だ微妙な、また、政治的な問題である。

三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より
0269無名草子さん
垢版 |
2011/10/19(水) 15:51:52.38
横尾氏のやつたことは、+に+を掛けて−にすることではなく、−に−を掛けて+にすることだつたが、これは
いはば国際親善とは反対で、又、ツーリズム、世界的流行、工業化社会、都市化現象、大衆化社会などとも反対の、
人の一番心の奥底から奥底への陰湿な通路を通つた、交霊術的交流なのだつた。彼は、日本の土俗の霊を以て、
アメリカに代表される巨大な機械文明の現代に、或るフハフハした、桃いろの、ポップ・コーンのやうでもあり、
ゴム風船のやうでもあり、いづれにしても、パンと割られたらおしまひの、合成樹脂製の人魂を喚起したのだつた。
この人魂には、ハバカリの匂ひや、悲しい巨大な旭日の栄光や、女の涙や、やさしい不具者や、あらゆる人間的な
ものがまつはつてゐた。それにしても、とにかくそれは人魂なのであり、人間の霊魂の証しなのだつた。
霊魂は温かい、唯一の温かい言葉になつた。彼の芸術の独特の暗さと温かさは、かくて霊的なものである。
それは(中略)心と心との交流、すなはち心霊術に基づいてゐるからである。

三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より
0270無名草子さん
垢版 |
2011/10/19(水) 15:53:59.91
そこに「英雄」が立ち現はれる。
英雄は、正にこのやうな交霊によつて喚起され、土俗の中から、土でつくられた巨大ゴーレムのやうに立上ら
なければならない。一例が、横尾氏の夢寝にも忘れぬ英雄、高倉健は、花札の刺青を背中に散らした土俗の
アイドルであると同時に、近代都市の映画産業のメカニズムを通じて、深夜興行といふもつとも文明的な興行形態の
中に生きのびてゆく幻影なのである。死んでもらひませう! さういふ血の叫びをあげるとき、われわれの中の
血の叫び、あらゆる進歩主義者、改良主義者、ヒューマニストが、おぞ毛をふるつて避けて通る血の叫びが、
よびさまされて、かう怒鳴る。「カッコいいぞう!」……しかしそのとき、こんなパセティックな共感のうちに、
われわれは無限に喪失してゆく。何かを。何を喪失するともしれず、ただ喪失してゆく。ハバカリの匂ひを、
農村を、血の叫びを。……そして何十年かのち、コンピューターに支配された日本のオフィスの壁には、横尾忠則の
ポスターだけが、日本を代表するものとして残されるだらう。

三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より
0271無名草子さん
垢版 |
2011/10/27(木) 08:57:20.66
フハフハしたw
0272無名草子さん
垢版 |
2011/10/31(月) 02:14:23.96
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0273無名草子さん
垢版 |
2011/11/06(日) 07:15:01.86
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PDJW0027713470944435
wwarof
hob5903outdo
0274無名草子さん
垢版 |
2011/12/01(木) 09:45:28.97
0275無名草子さん
垢版 |
2011/12/02(金) 09:57:30.53
宇宙的見地に立てば、建築そのものと建築模型とのあひだのひらきは、ほとんどゼロに等しいほど微小なものに
なるであらう。人間がこれを区別するのは、ただ単に、実用に供しうるか否かといふプラクチカルな価値判断しか
ないからであるが、そもそも建築の本質が、実用価値(人が住み、あるひはその中で仕事をしうるといふ価値)
だけにあるのではないことは、例へばアンコール・トムのバイヨン寺院一つ見ても明らかであらう。そして、
人が住み、その中に入りうるといふ実用価値を絶対的に否定しようとすれば、何よりの捷経は、その建築を、
人の決して入りえないサイズに縮小してしまふことである。
人の決して入れない建築、住めない建築、しかも太陽の明暗のくつきりとした建築、……さういふものを考へて、
子供の私が、フィクションとしての文学に到達したのは、すこぶる自然であると言はねばならない。

三島由紀夫「電灯のイデア――わが文学の揺籃期」より
0276無名草子さん
垢版 |
2011/12/11(日) 18:05:42.00
キリスト像があんなにアバラが出て痩せこけてゐるのは、人間が精神を視覚化するときに、なるたけ肉体的要素を
払拭した肉体を想像する傾きがあるからであらう。その反対でバッカス像は必ず肥つてゐる。それは快楽と肉と
衝動の象徴だからである。かうした象徴は世間の常識に深く入つてゐる。
肉体的な逞ましさと精神美とは絶対に牴触するといふ信念は広く流布してゐる。インドの苦行者のやうな
骨だらけの体を、日本人は一種のアジア的感受性から、尊崇する傾きがある。
象徴や、世間の通念はそれでいい。しかし御当人に何が起るかといふ問題である。人間の肉体と精神は、
象徴のやうに止つてゐないで、生々流転してゐる。肉体と精神のバランスが崩れると、バランスの勝つたはうが
負けたはうをだんだん喰ひつぶして行くのである。痩せた人間は知的になりすぎ、肥つた人間は衝動的になりすぎる。
現代文明の不幸は、悉くこのバランスから起つてゐる。

三島由紀夫「ボディ・ビル哲学」より
0277無名草子さん
垢版 |
2011/12/11(日) 18:06:08.90
文士の例でいへば、面白いことに、戦後の破滅型の小説家、坂口安吾や田中英光の人並外れた巨躯はもとより、
太宰治もかなり頑丈な長身であつた。三人とも体にはかなり自信があつたので、肉体蔑視の思想にとらはれ、
自分たちのかなり頑丈な肉体に敵意を燃やし、この肉体を喰ひつぶすほどの思想を発明するために、生活を
めちやくちやにしてしまつた。彼らはわざわざ、むりやりにアンバランスを作り出したのである。
もつともこの三人とても、頑丈な体を持ちながら脳ミソの空つぽな作家に比べれば、どれだけ文学者らしいか
わからない。
一方では、知的でありすぎ、あるひは感覚的でありすぎる作家たちがゐる。文学作品を通した感覚といふものは、
元来知的なものであるから、知的な作家にこの二つを引つくるめてもよい。
彼らの作品には、確乎たる肉の印象がどこかに欠けてゐる。肉の耀やきが、本当の官能性といふものが欠けてゐる。
これは前記の例の逆のアンバランスである。

三島由紀夫「ボディ・ビル哲学」より
0278無名草子さん
垢版 |
2011/12/11(日) 18:06:36.79
このアンバランスのはうが重大かと思はれるのは、ジイドもいふやうに「官能性こそは芸術家の最上の美徳」
だからである(因みにいふと、ジイドその人にも官能性が欠けてゐる)。これらの作家たちは、たとへ細緻な
性的感覚をゑがいても、肉の力と形態を欠いてゐるのである。
近代芸術の短所は、まさにその点にある。知性だけが異常発達を遂げて、肉がそれに伴はないのだ。
肉といふものは、私には知性のはぢらひあるひは謙抑の表現のやうに思はれる。鋭い知性は、鋭ければ鋭いほど、
肉でその身を包まなければならないのだ。ゲーテの芸術はその模範的なものである。精神の羞恥心が肉を身に
まとはせる、それこそ完全な美しい芸術の定義である。羞恥心のない知性は、羞恥心のない肉体よりも一そう醜い。
ロダンの彫刻「考へる人」では、肉体の力と、精神の謙抑が、見事に一致してゐる。
だまされたと思つてボディ・ビルをやつてごらんなさい。

三島由紀夫「ボディ・ビル哲学」より
0279無名草子さん
垢版 |
2011/12/26(月) 14:09:41.35
格の正しい、しかも自由な踊りを見るたびに、私は踊りといふもののふしぎな性質に思ひ及ぶ。無音舞踊といふ
のもないではないが、踊りはたいがい、音楽と振り付けに制約されてでき上がつてゐる。いかに自由に見える
踊りであつても、その一こま一こまは、厳重に音楽の時間的なワクと振り付けの空間的なワクに従つてゐる。
その点では、自由に生きて動いて喋つてゐるやうに見える人物が、実はすべて台本と演出の指定に従つてゐる
他の舞台芸術と同じことだが、踊りのその音楽への従属はことさら厳格であり、また踊りにおける肉体の動きの
自由と流露感は、ことさら本質的なのである。
よい踊りの与へる感銘は、観客席にすわつて、黙つて、口をあけて、感嘆してながめてゐるだけのわれわれの
肉体も、本来こんなものではなかつたかと感じさせるところにある。踊り手が瞬間々々に見せる、人間の肉体の
形と動きの美しさ、その自由も、すべての人間が本来持つてゐて失つてしまつたものではないかと思はせるとき、
その踊りは成功してをり、生命の源流への郷愁と、人間存在のありのままの姿への憧憬を、観客に与へてゐるのである。

三島由紀夫「踊り」より
0280無名草子さん
垢版 |
2011/12/26(月) 14:10:11.73
なぜ、われわれの肉体の動きや形は、踊り手に比べて、美、自由、柔軟性、感情表現、いやすべての自己表現の
能力を失つてしまつたのであらうか。なぜ、われわれは、踊り手のあらはす美と速度に比べて、かうも醜く、
のろいのであらうか。
これは多分、といふよりも明らかに、われわれの信奉する自由意思といふもののためなのである。自由意思が、
われわれの肉体の本来持つてゐた律動を破壊し、その律動を忘却させたのだ。
それといふのも、踊り手は音楽と振り付けの指示に従つて、右へ左へ向く。しかしわれわれは自由意思に従つて、
右へ向き左へ向く。結果からいへば同じことだが、意思と目的意識の介入が、その瞬間に肉体の本源的な律動を
破壊し、われわれの動きをぎくしやくとしたものにしてしまふ。のみならず、何らかの制約のないところでは、
無意識の力をいきいきとさせることができないのは、人間の宿命であつて、自由意思の無制約は、人間を意識で
みたして、皮肉にも、その存在自体の自由を奪つてしまふのだ。

三島由紀夫「踊り」より
0281無名草子さん
垢版 |
2011/12/26(月) 14:10:38.93
踊りは人間の歴史のはじめから存在し、かういふ肉体と精神の機微をよくわきまへた芸術であつた。武道も
もともとは、戦ひの技術を会得するために、まづ肉体に厳重な制約を課して、無意識の力をいきいきとさせ、
訓練のたえざる反復によつて、その制約による技術を無意識の領域へしみわたらせ、いざといふ場合に、無意識の
力を自由に最高度に働かせるといふ方法論を持つてゐるが、踊りに比べれば、その目的意識が、純粋な生命の
よろこびを妨げてゐる。
踊りはよろこびなのである。悲しみの表現であつても、その表現自体がよろこびなのである。踊りは人間の肉体に
音楽のきびしい制約を課し、その自由意思をまつ殺して、人間を本来の「存在の律動」へ引き戻すものだといへる
だらう。ふしぎなことに、人間の肉体は、時間をこまごまと規則正しく細分し、それに音だけによる別様の法則と
秩序を課した、この音楽といふ反自然的な発明の力にたよるときだけ、いきいきと自由になる。

三島由紀夫「踊り」より
0282無名草子さん
垢版 |
2011/12/26(月) 14:11:05.56
といふことは、音楽の法則性自体が、一見反自然的にみえながら、実は宇宙や物質の法則性と遠く相呼応して
ゐるかららしい。そこに成り立つコレスポンデンス(照応)が、おそらく踊りの本質であつて、われわれは
かういふコレスポンデンスの内部に肉体を置くときのほかは、本当の意味で自由でもなく、また、本当の生命の
よろこびも知らないのだ、としかいひやうがない。
(中略)ずいぶん話が飛んだやうだが、実は私は、新年といふ習慣も、この踊りの一種であるべきであり、新春の
よろこびも、この踊りのよろこびであるべきだといひたかつたのである。新しい年の抱負などと考へだした途端に、
われわれの自由意思は暗い不安な翼をひろげ、未来を恐怖の影でみたしてしまふ。未来のことなどは考へずに
踊らねばならぬ。たとへそれが噴火山上の踊りであらうと、踊り抜かねばならぬ。いま踊らなければ、踊りは
たちまちわれわれの手から抜け出し、われわれは永久によろこびを知る機会を失つてしまふかもしれないのである。

三島由紀夫「踊り」より
0284無名草子さん
垢版 |
2012/01/30(月) 21:09:12.97
【韓国の今も続く食糞文化】

ホンタク・ エイの糞漬けについて(後半 韓国若手芸人による獣の糞喰い)

http://www.youtube.com/watch?v=UhgilbRZwkw

  韓国は風呂は半月に1度、台所に便器があるのが普通の国です。

  日本人が風呂に毎日入ると聞いた韓国人が「日本人は嘘を言うな!」と激怒したそうです。


0285無名草子さん
垢版 |
2012/02/18(土) 10:24:36.55
0286無名草子さん
垢版 |
2012/03/01(木) 16:36:55.24
0287無名草子さん
垢版 |
2012/03/02(金) 05:57:26.30
6 名前:名無しさん@お腹いっぱい。

三島由紀夫が生きていたら、『禁色』の絶世の美青年・南悠一を
俺をモデルにして書き直すコトは絶対に間違え無いだろうゼッ!
そして俺の前に跪いて泪ながらに求愛するは必定なのサッ!!
勿論、言下に断ってやるゼッ!! 
どんなに哀願しても無駄なのサッ!!
アイツは腋臭が超ヒデエからナッ!!!!
分かったナッ!!!!!!!

0288無名草子さん
垢版 |
2012/03/02(金) 06:36:29.50
2 名前:名無しさん@お腹いっぱい。

三島由紀夫が生きていたら、『禁色』の絶世の美青年・南悠一を
俺をモデルにして書き直すコトは絶対に間違え無いだろうゼッ!
そして俺の前に跪いて泪ながらに求愛するは必定なのサッ!!
勿論、言下に断ってやるゼッ!! 
どんなに哀願しても無駄なのサッ!!
アイツは腋臭が超ヒデエからナッ!!!!
分かったナッ!!!!!!!

『春の雪』の映画化だって断然オレを主役に決定してただろうしサッ!!!
0289無名草子さん
垢版 |
2012/03/03(土) 04:09:15.10
ナッちゃん、ステキ!
0290無名草子さん
垢版 |
2012/03/05(月) 23:46:58.21
新人の辛さは、「待たされる」辛さである。


私もそのころの太宰氏と同年配になつた今、決して私自身の青年の客気を悔いはせぬが、そのとき、氏が初対面の
青年から、
「あなたの文学はきらひです」
と面と向つて言はれた心持は察しがつく。私自身も、何度かさういふ目に会ふやうになつたからである。
思ひがけない場所で、思ひがけない時に、一人の未知の青年が近づいてきて、口は微笑に歪め、顔は緊張のために
蒼ざめ、自分の誠実さの証明の機会をのがさぬために、突如として、「あなたの文学はきらひです。大きらひです」
と言ふのに会ふことがある。かういふ文学上の刺客に会ふのは、文学者の宿命のやうなものだ。もちろん私は
こんな青年を愛さない。こんな青臭さの全部をゆるさない。私は大人つぽく笑つてすりぬけるか、きこえないふりを
するだらう。
ただ、私と太宰氏のちがひは、ひいては二人の文学のちがひは、私は金輪際、「かうして来てるんだから、
好きなんだ」などとは言はないだらうことである。

三島由紀夫「私の遍歴時代」より
0291無名草子さん
垢版 |
2012/03/05(月) 23:47:35.03
青春の特権といへば、一言を以てすれば、無知の特権であらう。人間には、知らないことだけが役に立つので、
知つてしまつたことは無益にすぎぬ、といふのは、ゲエテの言葉である。どんな人間にもおのおののドラマがあり、
人に言へぬ秘密があり、それぞれの特殊事情がある、と大人は考へるが、青年は自分の特殊事情を世界における
唯一例のやうに考へる。


小説は書いたところで完結して、それきり自分の手を離れてしまふが、芝居は書き了へたところからはじまるので
あるから、あとのたのしみが大きく、しかもそのたのしみにはもはや労苦も責任も伴はない。


芝居の仕事の悲劇は、この世でもつとも清純なけがれのない心が、一度芝居の理想へ向けられると、必ずひどい目に
会ふのがオチだといふことである。その一例として、今もときどき私が思ひ出すのは、加藤道夫氏のことである。

三島由紀夫「私の遍歴時代」より
0292無名草子さん
垢版 |
2012/03/05(月) 23:48:10.01
芝居の世界は実に魅力があるけれど、一方、おそろしい毒素を持つてゐる。自分だけは犯されまいと思つても、
いつのまにかこの毒に犯されてゐる。この世界で絶対の誠実などといふものを信じたら、えらい目に会ふのである。
或るアメリカ人が、ニューヨークで、芝居を見るのは実に好きだが、劇壇の人たちはcorrupt people(腐敗した
人たち)だからきらひだ、と言つてゐたのも、一面の真実を伝へてゐる。
しかし、煙草のニコチンと同じで、毒があるからこそ、魅力もある。こればかりは、どう仕様もない。



大体私は「興いたれば忽ち成る」といふやうなタイプの小説家ではないのである。いつもさわぎが大きいから
派手に見えるかもしれないが、私は大体、銀行家タイプの小説家である。このごろの銀行が、派手なショウ・
ウィンドウをくつつけたりしてゐる姿を、想像してもらつたらよからう。


忘却の早さと、何ごとも重大視しない情感の浅さこそ、人間の最初の老いの兆だ。

三島由紀夫「私の遍歴時代」より
0293無名草子さん
垢版 |
2012/03/30(金) 21:20:49.69
up !
0294無名草子さん
垢版 |
2012/03/30(金) 21:21:34.66

詩人の高橋睦郎も『西洋古典学事典』を愛読してやまないと聞いた。
納得した。
素晴らしい内容だから。
もしも三島由紀夫が生きていたなら絶賛するだろう。

総合★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★





0295無名草子さん
垢版 |
2012/04/24(火) 10:04:25.44
新橋演舞場 五月花形歌舞伎
2012年5月1日(火)〜25日(金)
夜の部
通し狂言 椿説弓張月
曲亭馬琴の原作に、三島由紀夫が構想を得て書き下ろし、自ら演出した渾身の
長編大作。「三島歌舞伎」の最高峰とも言われる傑作をたっぷりとご堪能下さ
い。
http://www.kabuki-bito.jp/theaters/shinbashi/2012/05/post_42.html
0297無名草子さん
垢版 |
2012/06/13(水) 08:48:07.06
>>295
忙しくて見逃した
0298無名草子さん
垢版 |
2012/07/20(金) 17:40:43.23
何かをきれいだと思つたら、きれいだと言ふさ、たとへ死んでも。

三島由紀夫「卒塔婆小町」より
0299無名草子さん
垢版 |
2012/08/03(金) 15:57:34.99
仕事の捗るときほどの幸福感、その仕事の出来上つたときほどの幸福感がこの世にあらうとは思へない。
多くの人は、理性でたしかめられない状態を幸福と名附けてゐる。しかし芸術家の幸福感は、理性で百度も
たしかめられた幸福の意識であつて、もし幸福が夢だとするなら、それは覚めながら見る夢といふより、
最も覚めてゐる状態にしか現れない夢とでもいふべきものだ。
悲惨や苦悩を紙上に定着するときの作家の幸福感は、必然的に、作家の世間並みの誠実さを裏切る。(中略)
私は誠実さうな顔をした作家が、自分の読者を相手にして、誠実に人生的教訓を垂れたりしてゐるのを見ると、
彼は自分の制作の幸福感を偽善的に隠してゐるのか、それとも彼はさういふ幸福感を味はつたことのない
不幸な作家なのか、と疑はずにはゐられない。(中略)
私にとつては作家の真の誠実さは、おのれの制作の幸福感に対する、あらはな、恥知らずの誠実に尽きると
思はれる。少くともゲエテはあたりはばからずこのエゴイスティックな誠実を開陳しつつ生きたが、これこそは
おそらく唯一の、臭味を伴はぬ誠実なのであつた。

三島由紀夫「裸体と衣裳」より
0300無名草子さん
垢版 |
2012/08/14(火) 23:36:51.34
ツマンネ
0302無名草子さん
垢版 |
2012/10/01(月) 20:27:52.35
決して終らない音楽、決して幻滅を知らない恋慕、この同じやうな二つのものは、前者が
音楽の中にしか存在せず、音楽そのものによつてしか成就されないやうに、後者も情念の
或る瞬間にしか存在せず、その瞬間の架空の無限の連鎖のなかにしか成就されない。
かういふものが、ワットオのゑがいたロココの快楽であり、又快楽の法則だつたやうに
思はれる。

セザンヌの描いた林檎は、普遍的な林檎となり、林檎のイデエに達する。ところがワットオの
描いたロココの風俗は、林檎のやうな確乎たる物象ではなかつた。彼はそのあいまいな
対象のなかから、彼の林檎を創り出さなければならぬ。ワットオの林檎は、不可視の
林檎だつた。
実際この画家の、黄昏の光に照らし出された可視の完全な小世界は、見えない核心に
むかつて微妙に構成されてゐるやうにも感じられる。この画家の秘められた企てに、画中の
人物は誰一人気づいてゐない。気づかれないほどに、それほど繊細に思慮深く、画家の手は
動いたのだ。その企図がわづかながらうかがはれるのが「シテエルへの船出」なのである。

三島由紀夫「ワットオの《シテエルの船出》」より
0303無名草子さん
垢版 |
2013/01/08(火) 16:21:09.11
0304無名草子さん
垢版 |
2013/01/29(火) 22:45:12.57
三島由紀夫のさくひんではないが実は生きていた三島が主役の「不可能」て小説はまあまあだったよ
0305無名草子さん
垢版 |
2013/02/10(日) 10:35:17.82
あの筋肉隆々の体は美輪明宏の一言が切っ掛けで出来上がったんだよ
0306無名草子さん
垢版 |
2013/05/23(木) 22:39:05.22
天才作家ミシマ
0307無名草子さん
垢版 |
2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN
u
0308
垢版 |
2013/08/22(木) NY:AN:NY.AN
Mishima
0309無名草子さん
垢版 |
2013/10/16(水) 20:21:10.35
13年10月から16年9月までのおよそ3年間にわたり、三島由紀夫を顕彰する企画「2015年 三島由紀夫生誕90年・没後45年記念プロジェクト」が始動。その一環として「三島由紀夫DVD戯曲全集」と題し、『近代能楽集』が映像化される。

本作では、三島戯曲の魅力を再現するため、原文を一字一句変えることなく演出された舞台を、高性能カメラで撮影・編集。
各篇の映像監督には、映画監督や舞台演出家、劇作家、アート・ディレクターなど、さまざまなジャンルで活躍する気鋭のクリエーターを迎えるという。
第1弾としてリリースされるのは、『近代能楽集』の中でも人気の高い、「卒塔婆小町」「葵上」の2篇。両作の監督を努めたのは、映画「雪に願うこと」「ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜」などで知られる根岸吉太郎だ。
キャストには、寺島しのぶ&北村有起哉(「卒塔婆小町」)、中谷美紀&柄本佑(「葵上」)という顔ぶれがそろった。

DVDは、10月31日(木)に同時発売。価格は、各6,090円(税込)。
各巻には、著名執筆陣による解説書が封入される。
http://www.theaterguide.co.jp/theater_news/2013/10/02.php
0310無名草子さん
垢版 |
2013/11/08(金) 16:02:37.36
>>309
吉松隆の音楽も面白い。卒都婆小町は作曲家が「ゲゲゲのワルツ」とか言ってるが劇の進行とともに華麗に変身する。

来年6月東京新国立劇場でオペラ「鹿鳴館」
0311無名草子さん
垢版 |
2013/11/25(月) 21:22:39.45
命日。
0312無名草子さん
垢版 |
2013/12/13(金) 20:32:34.13
出版社は編集者レベルで朝鮮系 だから日本人は作家にすらなれない

反論、異論は認めない、というのも現在の文壇のほとんどが 
         朝鮮左翼系だから 
      自虐史観を新聞、テレビと共に
      誰が植えつけてきたか考えよう

気づけよ 日本人!!




もはやすべての文学賞受賞者は 朝鮮人認定式 と成り果てましたな

戦後、出版社が朝鮮人にのっとられてどこの賞も日本人が受賞できなくなった
だから文壇は左翼と反日の巣窟
おまいら、本なんて絶対買うなよ、朝鮮人に貢ぐだけだ

おまいら黙過の代償以下 自虐史観にのっとられた受賞作みてもなにも思わないか?
朝鮮人は一度利権を確保するとレイシストだから日本人には絶対手渡さないぜ
0314無名草子さん
垢版 |
2014/11/03(月) 13:03:10.18
捕手
0315無名草子さん
垢版 |
2015/09/13(日) 19:13:37.64
up !
0316無名草子さん
垢版 |
2015/09/22(火) 19:22:56.31
294 :無名草子さん:2012/03/30(金) 21:21:34.66
詩人の高橋睦郎も『西洋古典学事典』を愛読してやまないと聞いた。
納得した。
素晴らしい内容だから。
もしも三島由紀夫が生きていたなら絶賛するだろう。

総合★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
0318無名草子さん
垢版 |
2015/10/09(金) 18:33:49.63
153 :無名草子さん:

詩人の高橋睦郎も『西洋古典学事典』を愛読してやまないと聞いた。
納得した。
素晴らしい内容だから。
もしも三島由紀夫が生きていたなら絶賛するだろう。

総合★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
0319無名草子さん
垢版 |
2017/05/13(土) 16:14:41.57
深川図書館特殊部落

同和加配

人ボコボコぶんなぐってもOK お咎めなし
ガキどもが走り回る 見て見ぬふり
公務員による恣意行為
etc

なんのための施設か? →特殊な関係用
0320無名草子さん
垢版 |
2017/06/17(土) 06:07:29.00
深川図書館特殊部落

同和加配

人ボコボコぶんなぐってもOK お咎めなし
ガキどもが走り回る 見て見ぬふり
公務員による恣意行為
etc

なんのための施設か? →特殊な関係用
0321無名草子さん
垢版 |
2017/11/24(金) 18:29:53.74
漫画はありますか?
0322無名草子さん
垢版 |
2017/11/24(金) 18:30:35.45
有名な作品は?
0323無名草子さん
垢版 |
2018/01/12(金) 10:59:11.60
一般書籍よりもおすすめてきにネットで得する情報とか
グーグル検索⇒『稲本のメツイオウレフフレゼ

HGUXZ
0324無名草子さん
垢版 |
2018/03/21(水) 10:49:51.15
江東区立深川図書館特殊

銅和加配
在特

奇声あげて人をボコボコにぶんなぐってもOK お咎めなし
被害者が警察を呼んでくれと何度も言っているのに公務員は無視し続けてた
幼児が歓声上げて走り回る       見ぬふり
小学生が歓声上げて走り回る     見ぬふり
中学生が大声で談笑して走り回る   見ぬふり
高校生が閲覧机で談笑雑談      見ぬふり
公務員による恣意行為
etc

なんのための施設か? →特殊な関係用

翌日、被害者を公務員が脅していた
0325無名草子さん
垢版 |
2018/05/29(火) 18:43:58.12
7EQ8Y
0326無名草子さん
垢版 |
2018/09/23(日) 19:01:56.63
江東区立深川図書館特殊B

銅和加配
在目特券

奇声あげて人をボコボコにぶんなぐってもOK お咎めなし
被害者が警察を呼んでくれと何度も言っているのに公務員は無視し続けてた
幼児が歓声上げて走り回る       見ぬふり
小学生が歓声上げて走り回る     見ぬふり
中学生が大声で談笑して走り回る   見ぬふり
高校生が閲覧机で談笑雑談      見ぬふり
公務員による恣意行為
etc

なんのための施設か? →特殊な関係用

翌日、被害者を公務員が脅していた
0327無名草子さん
垢版 |
2019/06/27(木) 08:16:28.37
深川図書館 勉強
深川図書館 カフェ
深川図書館 建築
深川図書館 ゴールデンウィーク
深川図書館 読み聞かせ
深川図書館 返却ポスト

江東区立 深川図書館 特殊B

銅和加配
在目特券

奇声あげて人をボコボコにぶんなぐってもOK お咎めなし
被害者が警察を呼んでくれと何度も言っているのに公務員は無視し続けてた
幼児が歓声上げて走り回る       見ぬふり
小学生が歓声上げて走り回る     見ぬふり
中学生が大声で談笑して走り回る   見ぬふり
高校生が閲覧机で談笑雑談      見ぬふり
公務員による恣意行為
etc

なんのための施設か? →特殊な関係用

翌日、被害者を公務員が脅していた
0328無名草子さん
垢版 |
2019/07/10(水) 20:01:54.46
水源にトイレなどの汚水を毎日1万トン・15年間に渡って
 垂れ流していた事実が判明しました。
://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/134553
0329無名草子さん
垢版 |
2019/11/10(日) 06:30:22.00
なんでキンドルにはなってないんだろうなぁ やっぱり遺族が許さないのかなぁ
宝石屋潰れても借金はなしとか資産ありすぎだろw
0330無名草子さん
垢版 |
2019/12/01(日) 14:01:06.97
既出だけど、やっぱり『夏子の冒険』だよな(´・ω・`)
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