太宰治の『人間失格』
青春文学の最高峰にして太宰治の自伝的な「遺書」のような小説『人間失格』について語りましょう。
読書感想文書いてもいいですよ。 >>194
久しぶりにリアル情弱者を見た
おまえ中学生だろwww 昔あらしの櫻井がラジオで人間失格を読んでて、それがかなりエロかったのを思いだした これがモルヒネ中毒者によって書かれた手記であることを考えると
行動は事実だけど、内面は後付けなんじゃないかと考えてしまう
何もかも絶望的に思っていたように書かれているけど、
それは後遺症によって苦しんでいる今の感情であると考えられないだろうか
実際は周りから慕われていたわけだし
普通の、転落人生を送ったお坊ちゃんだったりして 太宰治って、自分は生まれ変わりかもしれない、と思わせる文章書くよねww 治の傑作は、晩年の一番最初に書かれてあるやつ「葉」だと思うねww 肺病の結果を聞きに行った奥さんが、
嬉しくて日傘をくるっと回すところが好き。桜桃?葉?何だったかタイトルは忘れたけど、その箇所が自分の頭の中で映像として残ってる。 >>207
たぶん「満願」だったとおもう。
ああいう数ページの短編いいね、俺は「待つ」とか好きだな >>209
あ、満願だ!ありがとう。
サラサラっと想像させる描写が秀逸だわ。 青空文庫で適当に太宰作品閲覧してたら
「自身の無さ」って短編を発見。これ好きだわ 「満願」読んでみた すごく美しい光景なんだけど「人間失格」読んだ後だと
「奥さん(二人とも)早く逃げてー!」ってなる
「人間失格」はダメ人間の心の中が分かる解説書みたいな感じ
こういう時こっちよりあっちに関心が行くのか〜みたいな
あと、葉蔵はヨシ子にだまされてないか? 最初から
読んだ限りでもヨシ子は結構したたかで、そこまでピュアに思えないんだけど 太宰が好き、
というかもっと色んな想いだろうけど、
2ちゃんつまり大衆には嫌いとかいう人が多いような気がして「そりゃ心の機敏とかわかってないゲスい本性な輩が多いだけとしか」と書かずにいられない心境になって、
生まれてすいません、とまで自虐はないけど、太宰スレを汚してしまってたら自分はまた一つ恥の多い生涯 又吉がこの本を読んで「自分と似た人もいたんだなあ」と思ったそうだ 人間失格って要はストーリー形式のあるある本だからな。
それを読んだ後に俺は道化師だ・・・どやあ
ってるやつ身てるの最高にキモい。 自殺未遂くり返してるバカ作家。作品の内容もヌルすぎる。自殺パホーマンス、目立つ為の、それって、詐欺師だろうと思ったら、本当だつた。血液型AB。詐欺師にはAB型が多いそうだ。ジャストミート。本当に死ね方法、幾らでもあるから、ハナっから、パホーマンスです。 自殺未遂くり返してるバカ作家。作品の内容もヌルすぎる。自殺パホーマンス、目立つ為の、それって、詐欺師だろうと思ったら、本当だつた。血液型AB。詐欺師にはAB型が多いそうだ。ジャストミート。本当に死ね方法、幾らでもあるから、ハナっから、パホーマンスです。 ただ、一さいは過ぎて行きます。
この言葉に救われました。
私も葉蔵と同じく、人間を恐ろしく思い生きている事が苦行でしかありませんでした。
しかし、全ては跡形もなく過ぎ去って行くのだと考えると、その恐怖も苦しみもそんなに気にすることではないのだと、少し楽になりました。 「だざい」ではなく「ださい」
「おさむ」ではなく「おれ」ってペンネームにすべきだったな。
今となっては 太宰治が芥川賞懇願する手紙見つかる
9月7日 12時03分
若き日の、作家、太宰治が文壇の重鎮、佐藤春夫に宛てて書いた手紙が新たに見つかりました。自分の作品を芥川賞に選ぶよう懇願するなどの内容で、当時の心境を物語る資料として注目されています。
見つかったのは、昭和10年からよくとしにかけて、20代半ばだった太宰治が文壇の重鎮で芥川賞の選考委員も務める佐藤春夫に宛てて書いた3通の手紙です。実践女子大学の河野龍也准教授が、佐藤の遺族が保管していた資料の中から発見しました。
このうち、昭和10年6月の日付があるものは初めて送った手紙とみられ、佐藤から作品の評価を伝え聞いた太宰は「うつかり気をゆるめたらバンザイが口から出さうで、たまらないのです」と喜びをつづっています。
また、昭和11年1月の手紙は長さ4メートル余りの巻紙にしたためられています。前の年に行われた芥川賞の最初の選考会で作品が候補になったものの選ばれず、手紙には「こんどの芥川賞も私のまへを素通りするやうでございましたなら、
私は再び五里霧中にさまよはなければなりません」「私を忘れないで下さい」「いのちをおまかせ申しあげます」と自分の作品を選ぶよう懇願する内容になっています。
太宰治が芥川賞の選考委員に受賞を懇願する手紙やはがきはこれまでも見つかっていますが、今回の手紙の発見によって受賞を熱望する様子がさらに明らかになったと専門家は評価しています。
太宰はその後も芥川賞を受賞することはなく、河野准教授は「かなわなかった敗北感がその後の核となり、のちの作品に生かされたのだろう」と指摘しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150907/k10010218931000.html
太宰ってそんなに芥川賞が欲しかったのかね?
今じゃ芥川賞なんか屑だけどねえ。 自分は人間失格ってタイトルにすべきだったな。
こいつは
死んでくれて日本のためになったよ。 1909年生まれだからそれほど昔の人じゃないんだよな
まともに60ぐらいまで生きてたら「オールナイトニッポン」のパーソナリティなんかを
やってたかもしれない
若き日のタモリやたけしに、昔の酒でのしくじり話を面白ろおかしく語ってたかもしれない
一流のコメディアンだもんなぁ 実に惜しいもんだぁ >>231
残り時間あと少しだがものすごい入札数だなw 太宰についてもこの本についても事前に全く知らずに読んだから、
赤の他人の手記を自分で本にしたものかと思ってたよ。
はしがきとあとがきにはなんで他人の話であるかのように書かれているんだろ ヨシちゃんを犯した男は堀木が読んだのではないかというのを知恵袋か何かで見たんだけどどうなんだろ?
個人的に堀木はこの話の救いの部分だと思うからそうは考えたくない 又吉の影響でハマって色々読んだ
女性目線で描かれてる作品好きだ 人生かけて道化てみせてくれた作家だと思ってる。
そうじゃなくても、そう思わせる力があってそれに救われる人が現代にも少なからずいるという影響力は本当にすさまじい。 http://pds.exblog.jp/pds/1/200910/14/52/c0089352_2216435.jpg
↑
小学校6年の頃、夏休みの図書館でたまたま手に取った一冊の本の
著書のページにこの写真が貼ってあり、12歳の私は一瞬で恋に落ちた。
あぁぁなんてカッコイイなんだろう、と私はこの男の憂いを帯びた
美しくも儚い顔立ちに惹かれた。
子供の頃から無類のイケメン好きで面食いだった私。
最初に読んだのは「女生徒」だった。
寸分の狂いもなく美形に生まれた者だけが見える景色を描ききってる
太宰に私は溺れた。
そすて中学3年間はもう毎日太宰、太宰、太宰、お風呂の中でも太宰、
塾の先生に「受験前は人間失格なんて読むの止めろ!」と取り上げられて
もこっそり愛読してた。
そして大人になった今もなお太宰治に夢中である。 「全甲」主席で卒業した太宰治の写真(左端)
http://dazai.or.jp/modules/know/know_img/know_pic02.jpg
太宰の右胸についている銀のバッジは成績優秀者だけに与えられるバッジ
幼少期からジャニーズにいてもおかしくないくらい顔立ち整ってるな
16歳の頃の太宰治クンの写真、めちゃめちゃ可愛い(><)
http://bajirunnrunn.up.n.seesaa.net/bajirunnrunn/image/C2C0BACBBCA3.jpg?d=a0
腕組しちゃって威張ってるw
太宰って作品の中では自分をナイーブな弱者に描いているようだけど
現実はめちゃくちゃリア充でクラスの中心的存在でガキ大将的存在で
しきってた。
クラスでも体格が良く喧嘩がめっぽう強くて健康優良児で朝から味噌汁7杯
かっくらうほどの大食いで、スポーツ万能で運動神経がずば抜けて良かった
ことは、あまり読者に知られてない。
ほんとリア充ライフを謳歌してた勝ち組そのもの。 太宰、若くて可愛いw
http://livedoor.blogimg.jp/asaodai/imgs/4/6/4640949c.jpg?5fd0110d
↑
成績優秀者だけに与えられる銀バッジを胸につけて願書を出した際に
添付した証明写真が新聞に公開された時の写真ね。
太宰は小学校を6年間「全甲」(6年間オール5)の学年トップの主席で卒業し、
さらに旧制中学に合格してから本来は5年間で卒業するはずのところを
太宰はトップ秀才だったため飛び級で4年間で卒業したんだよね。
そして弘前高校の文科甲類(英語)へ合格し学年6位の成績で入学。
すでに中学・高校の時点で後に有名になる「パンドラの箱」など
いろんな作品を書いていたのはあまりにも有名。
そして1930年3月に高校を卒業すると同時に東京大学仏文科へ
現役ストレート合格で入学。
しかし中学時代は喧嘩にあけくれ高校生の時点で酒飲み、芸者遊びに
狂って手のつけられない破天荒な不良少年だったらしいけど。
ありえないよね、17歳の高校生が酒と女遊びに狂うって。
そして不倫、自殺、麻薬、警察沙汰・・とどんどん堕落してゆく。
後に太宰の兄は手記の中で太宰の非行っぷりを世間に謝罪している。 太宰治(津島修治)の家系はエリート資産家集団。
太宰の父親は衆議院議員であり貴族院議員であり県下一の高額納税者
で県知事を歴任した名士。
太宰の兄は早稲田大学政治経済学部卒の衆議院議員で高額納税の政治家
であり、また不正を嫌う人柄ゆえ選挙資金はすべて自分の資金だけで
行っていた地元の名士。
太宰の甥は東大法学部卒のエリート官僚
太宰自身も旧制中学卒、旧制高校卒、東大文学部仏文科入学、と当時では
富裕層のエリートでしかこのような進学コースは歩めなかった。
(秀才でもお金もない家だと旧制中学・旧制高校というコースは不可能) 太宰治こと津島修二は小学校では学年1位の成績で首席で卒業し
そして旧制中学でもずっと学年1位の成績で知らぬ者はいないほど
優秀な神童だった。
もう東大の仏文科へ入学する前から頭の良さはお墨付きだったよ。
しかもスポーツ万能でかなり体が丈夫だったそうだ。
(これは意外と知られてないが相当運動神経が良かった)
兄は早稲田の政経卒で衆議院議員。父は地主上がりの超資産家。
太宰は身長175cmで当時ではかなりの高身長だった。
しかもハンサムで女にめっぽうモテたモテた。
文章の中では「生まれてきてごめんなさい」とか弱いふりしてるけど
現実の太宰ってのは今で言う「超リア充そのもの」だったわけ
実家金持ち・東大生・高身長・イケメン・屈強な肉体
だったわけだけだから。
文章だといかにも体弱そうで今にも死にそうな貧弱なイメージを
抱いている読者が多いから、本当の姿・実態を知るとビックリするよ。
28歳当時の太宰の写真見たけど今いる俳優モデル顔負けの超美男
のイケメンだったよ。ありゃあチビで貧弱な三島が嫉妬に狂うわけだ また新しい写真、追加するよ〜!
高校生の時の太宰の写真、超絶美形すぎるw
http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=201311/10/67/c0287367_1462190.jpg
高校生の時の太宰の写真(一番右端)、強烈な美形イケメンw
http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=201311/10/67/c0287367_084911.jpg
大学時代の太宰の写真(真ん中)、ちょ、おま、俳優かよw
http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=201311/10/67/c0287367_148815.jpg 太宰治って自己愛の欠片もない人だよ
他者への優しさの塊みたいな人
他者へ気遣いしすぎて生きるのが疲れた人
自己愛とかナルシストとか勘違いしてる人は
太宰の生涯をちゃんと調べてない、ちゃんと本質を理解してない
作品も読んでない底辺喪男ばかりだよ。 >>186
614 :名無しのオプ:2015/11/01(日) 21:44:12.35 ID:pfcR48Gr
うちの母も東大仏文科だけど太宰の時代は入学するのにフランス語の試験と
他の教科もすべて通常通りの一般試験を受けたんだよ。
受験した事ない人は分からないんだろう
あたかも無試験で東大だった!
みたいな嘘は書いちゃダメだよ(笑)
621 :名無しのオプ:2015/11/01(日) 21:52:49.63 ID:RojrUGwP
>>567
太宰はフランス語がぺらぺらで中高生の時点ですでに筆記体でスラスラ
それはそれは上手にフランス語でも文章を書いてたくらいの人だよ。
もう完全にネイティブと同じレベルの筆記体で。
言語能力と、それプラス文才は天性のもの。
あの時代にあのド田舎でそんな事が出来たのは太宰くらいだよ。
だからどうしても仏文科でなければならなかったんだよ。
仏文科に入りたいから仏文科の日本最高峰へ入学したんだよ。
一体それのどこが「頭脳明晰ではないこと」になるの?
フランス語もろくすっぽ出来ない貴方の嫉妬に過ぎない。 >>186
648 :名無しのオプ:2015/11/01(日) 23:22:46.95 ID:JXHnLbFk>>582
うん、太宰は旧制中学、旧制高校 の典型的エリートコース。
当時この旧制コースは相当優秀で金持ちでなければ、まず無理だった。
小学校では学年1位
中学校では学年1位
高校では学年6位
浪人せずに東大合格
太宰は成績優秀者だけに与えられる銀バッジを胸につけて新聞に出てた 186ってあっちこっちの太宰スレにいっつも毎回同じ「定員割れ」「無試験」
って書きまくってる太宰中傷オジサンの同一人物だよ。
毎回いつも同じワンパターンの一字一句同じ台詞回しだから、すぐ分かる。
太宰治は東大仏文科に「試験を受けて」合格したから入学しています。
昭和5年に東大仏文科に「定員割れ」など存在してません。
太宰治と一緒に東大受験した同級生が当時の試験会場での出来事も
明確に証言を残しています。
したがって>>186は太宰治の学歴に嫉妬している低学歴ジジイです。 >>186
太宰治は、誰にも泣きついていません。
「泣きついた」っていつも書いてるのは貴方一人なんだよね。
「泣きついた」って貴方が作り上げた捏造話。
太宰は大学の授業には途中からほとんど出ないで小説書くのに熱中してたんだよ。
しかし教授から「お前(太宰)は成績が良いから教授の名前を全員言えたら卒業させてやる」
と言われただが、授業に一切出席してなかった太宰はその場にいる教授の名前を
一人も答えられず東大を中退したんだよ。
別に、誰にも泣きついてない。 >>186
659 :名無しのオプ:2015/11/02(月) 00:04:47.63 ID:YL1tv6c3>>567
太宰はエリート秀才児しか入学できない旧制学校の中で常にトップだった
から「真ん中くらい」の成績ではないよ。
そもそも中学自体、受験して受からないと入れない学校だった。
今の義務教育の誰でも入れる中学じゃないよ。
貴方がどうイチャモンつけようと太宰が幼少期から飛びぬけて優秀で
頭脳明晰だったのは事実なんだよ。
例えて言うなら今の開成・灘・ラサール・麻布の中学でトップだった
ようなものだよ。
あなたの負け惜しみはみっともないよ。
事実ではない事をあたかも事実のように吹聴するのは止めなさいね。 >>186
668 :名無しのオプ:2015/11/02(月) 01:42:03.78 ID:YL1tv6c3
太宰の時代の旧制中学は今で言う高校に相当します。
太宰の時代の旧制高校は今で言う大学に相当します。
太宰の時代の東京大学は今で言う「大学院」に相当します。
そして「大学院」は旧制高等学校卒業者にしか門戸が開かれておらず
旧制高等学校を卒業しなければ受験さえ出来ません。
当時は、よほどの秀才や裕福な家庭出身の者しか大学院まで行く人
はいませんでした。
ですので太宰が難関旧制高校を突破した時点で難関大学合格に足る
国英数理社の学力に長けているという証明です。
当時の東大の入試試験は、ほとんど大学院入試のようなものです。
ですが当時の東大仏文科も「英語」等の他科目の試験がありました。
フランス語しか出来ない人は受かりません。 >>186
74 :大人の名無しさん:2007/09/22(土) 04:20:24 ID:0yQy/7i6
三島由紀夫が東大に入ったのは昭和20年。
昭和20年といえば学徒出陣で、大学に行ってる奴などいなかった。
三島由紀夫みたいに虚弱体質で体格不十分で徴兵不合格の奴じゃない限り。
実際、昭和20年に東大に入学した人数は極端に少なく、枠も余りまくりだった。
そんな状況で「無試験」で、しかも一般入試でなく推薦で東大に入った奴に、仏文云々言われる義理はないだろ。
75 :大人の名無しさん:2007/09/22(土) 04:23:11 ID:0yQy/7i6
皆が戦争行ってるなか、大学に行ってたくせに、
官僚試験を下位でしか合格できなかった三島由紀夫さん。
78 :大人の名無しさん:2007/09/22(土) 11:50:13 ID:S+Nz7w+Y
>>74-75
三島が東大に入学したのは昭和19年。
入学したが戦時中は勤労動員で群馬県飛行機小泉工場で勤労していた。
入隊検査で不合格になった三島は、勤労動員で神奈川県高座海軍工場で勤労していた。
79 :大人の名無しさん:2007/09/22(土) 11:56:42 ID:S+Nz7w+Y
三島は徴兵検査の入隊検査で、軍医が「この中に肺の既往症がある者は手を挙げろ」と
言われた時に三島が手を挙げ、(三島が級友三谷に語った)
高熱と咳とめまいがひどかった三島は結核と診断され不合格になった。 >>186
80 :大人の名無しさん:2007/09/22(土) 13:33:06 ID:0yQy/7i6
戦前の制度では、枠が開いてるときは誰でも無試験で入れる。
それから、学徒出陣令は、昭和18年に出てるから、
三島由紀夫が高校生時点でほとんど高校卒業した奴はいない。
同級生ほぼ全員が徴兵で国内にいない中、虚弱体質とか体格不十分で
徴兵不合格者として極少数しか残ってない学習院高校生の中で首席だった
って、 まず普通の状態ではないことに気づけよ。
83 :大人の名無しさん:2007/09/22(土) 13:42:18 ID:0yQy/7i6
ほとんど入学者のいない昭和18年以降の東大の法学部に入ったからって
学力の保証などにはならない。
太宰治が東大に合格したのは昭和5年で志願者が多くて試験があったから
太宰は純粋な学力だよ。太宰は推薦枠入試じゃない一般入試の合格者だし。
86 :大人の名無しさん:2007/09/22(土) 21:41:41 ID:0yQy/7i6
戦中戦後の混乱期に無試験で東大入っても、褒めてはもらえないけど。
あと戦前は、学習院から東大に限っては無試験では入れる枠があった。
学習院の子は官僚になりたがる人が少ないのでいつも枠が空いてたらしいな。
戦争中じゃなくてもね。 太宰治は弘前高校での成績は学年6位の上位ランク者でした。しかし途中から
花柳界の芸子遊び・酒におぼれ、ほとんど学校へは出席しなくなったので
卒業寸前ではいきなり成績が下がり始めました。
1930年(太宰21歳)(昭和5年)、弘前高等学校文科甲類を76名中46番の成績で卒業します。
(46番というのはあくまで卒業時点での順位です)
3月4日のこと。太宰は東京帝国大学文学部仏蘭西文学科入学者選抜試験のため上京します。
国語・漢文・英語・身体検査、そして特別試験(仏文和訳・仏蘭西語作文)を受けます。
そして3月23日に合格発表。見事、太宰は入学の資格を得ることができました。(辞典907)
ですので「東大に無試験で入った」というのは100%大嘘です。
しかし、東大入学後、太宰は非合法の左翼運動にのめり込み、警察に追い回され、
偽名まで使ってあちこち隠れて生活していたので授業にはほとんど顔を出しませんでした。
卒業に際して口頭試問を受けたとき、教官の一人から、教員の名前が言えたら卒業させてやる、
と言われましたが、講義に出なかった太宰は教員の名前を一人も言えなかったと伝えられています。 >>186
671 :名無しのオプ:2015/11/02(月) 02:27:12.71 ID:YL1tv6c3
ちなみに太宰治が東大受験した昭和5年は、学徒出陣令がまだ出ておらず
多くの学生達が受験をするので仏文科も英文科も一般入試がありました。
仏文科であっても英語や国語などのフランス語以外の基礎科目の試験も
もちろんあったそうです。
太宰はその一般入試を受けて合格しました。
672 :名無しのオプ:2015/11/02(月) 02:40:48.24 ID:YL1tv6c3
>>603
太宰治が受験した昭和5年の東大仏文には英語・国語・仏語・その他試験が
あった事は確認済みだよ。うちの母(東大仏文卒)の先輩の当時の教授から
も聞いてるから間違いないよ。 611 :名無しのオプ:2015/11/01(日) 21:31:58.30 ID:RojrUGwP
無試験だったのは昭和18年の法学部だけだよ
適当にググって一番上に出てくるでたらめなソース貼ったら
親族に訴えられるかもよ〜 >>194
こいつ(自称東大法学部w)は東大どころか高卒かどうかも怪しいよ。
通常の大卒者なら外国語学部や外国語学科には国語や英語や数学の
試験もあって、それにも受からないと入れないって事を知ってるはず
だからね。(昭和5年当時から)
哀れ自称法学部の低学歴コンプ爺の化けの皮をはいでやってスッキリw
うちの母が東大仏文卒なのは本当です。
こういう掲示板は「本物」も見るから、ニセモノが嘘書いてもいずれ
必ずこうやって真実が暴かれてしまうw 92. 名無しさんあじゃじゃしたー 2015年11月11日 07:35
>>45
太宰治は昭和5年、東京大学の「一般入試」を受験して合格して入学しています。
無試験ではありません。
昭和5年の東大の仏文科には入試試験があったことは当時の学生も教授も
認めています。また仏文科はフランス語だけではなく「他の教科」の試験もありました。
311. 名無しさんあじゃじゃしたー 2015年11月11日 12:22
いいえ、違います。学力なしでは当時の東大は受験すら出来ませんでした。
312. 名無しさんあじゃじゃしたー 2015年11月11日 12:23
東大仏文が「学力なしで」「誰でも入れた」←100%大嘘です。
313. 名無しさんあじゃじゃしたー 2015年11月11日 12:24
太宰治は昭和5年に東京大学の一般入試を受験して合格しました。
純粋な学力で入りました。
当時の東大の仏文科にはちゃんと入試試験がありました。
試験会場での思い出も記録されてます。 318. 名無しさんあじゃじゃしたー   2015年11月11日 12:28
>>45
太宰治は小学校6年間オール5の学年1位の「主席」で卒業し、そして
旧制中学へトップ成績で進学した。当時、この旧制中学へ進学できるのは相当な
エリートだけだった。この中学は今で言う高校にあたる。当時は小学校が中学を
含んでいるので庶民は中卒で働きに出る人がほとんどだった。
319. 名無しさんあじゃじゃしたー   2015年11月11日 12:30
そしてこの旧制中学は本来5年間のはずを太宰はずっと学年首位のトップ秀才だったから
飛び級で4年間で卒業し、難関高校の文科甲類へ学年6位の成績で合格した。この旧制高校
は今で言う「大学」に相当する、つまり太宰は大学までずっとトップクラスだった。
320. 名無しさんあじゃじゃしたー   2015年11月11日 12:31
そしてこの旧制高校(今で言う大学生)時代に花柳界の芸者遊びにハマり酒を覚え
自殺未遂し学校にはまったく出席しなくなり堕落していくが、悪くない成績(46位)
で卒業し、そして浪人せずに東大に一発合格した。
321. 名無しさんあじゃじゃしたー   2015年11月11日 12:35
つまり当時の東京大学は今でいう大学院に相当します。昭和16年に徴兵検査が始まり
17年から徴兵が始まったので昭和18年以降の東大であれば「定員割れのある学部」に
は無試験で入学できたが(三島由紀夫のように)、太宰が入学した昭和5年はまだ徴兵
がなかったので入学希望者が多かったので一般入試合格者しか入れませんでした。
つまり太宰治は純粋な学力で「試験に合格して」東大に入ってます。 318. 名無しさんあじゃじゃしたー2015年11月11日 12:28
>>45
太宰治は小学校6年間オール5の学年1位の「主席」で卒業し、そして
旧制中学へトップ成績で進学した。当時、この旧制中学へ進学できるのは相当な
エリートだけだった。この中学は今で言う高校にあたる。当時は小学校が中学を
含んでいるので庶民は中卒で働きに出る人がほとんどだった。
319. 名無しさんあじゃじゃしたー 2015年11月11日 12:30
そしてこの旧制中学は本来5年間のはずを太宰はずっと学年首位のトップ秀才だったから
飛び級で4年間で卒業し、難関高校の文科甲類へ学年6位の成績で合格した。この旧制高校
は今で言う「大学」に相当する、つまり太宰は大学までずっとトップクラスだった。
320. 名無しさん2015年11月11日 12:31
そしてこの旧制高校(今で言う大学生)時代に花柳界の芸者遊びにハマり酒を覚え
自殺未遂し学校にはまったく出席しなくなり堕落していくが、悪くない成績(46位)
で卒業し、そして浪人せずに東大に一発合格した。
321. 名無しさんあじゃじゃしたー 2015年11月11日 12:35
つまり当時の東京大学は今でいう大学院に相当します。昭和16年に徴兵検査が始まり
17年から徴兵が始まったので昭和18年以降の東大であれば「定員割れのある学部」に
は無試験で入学できたが(三島由紀夫のように)、太宰が入学した昭和5年はまだ徴兵
がなかったので入学希望者が多かったので一般入試合格者しか入れませんでした。
つまり太宰治は純粋な学力で「試験に合格して」東大に入ってます。 323. 名無しさん2015年11月11日 12:38
>>45
東大はいくら枠が余ってても「学力のない人」をホイホイ誰でも入れる訳ではありません。
そもそも旧制高校を卒業した者にしか受験資格がないし旧制高校での成績が良くて教授から
の推薦状2通以上ないと、どちらにしろ入れませんでした。従って「学力なしで誰でも入れた」
というのは真っ赤な嘘です。しかも太宰の場合は「試験受けて」受かったから入りました。
325. 名無しさん2015年11月11日 12:41
>>45
太宰が受験した昭和5年には仏文科は国語、漢文、英語、フランス語、
そして一般科目の試験があったそうです。無試験ではありませんよ。
326. 名無しさん2015年11月11日 12:43
当時では、旧制中学・旧制高校というのは秀才だけの超エリートコースでした。
旧制中学に入れる時点で秀才かつ金持ちの子だけでした。
太宰と同じ1909年に生まれたタメ年の松本清張は中学にも行けず小卒で働きに出ました。
当時はそれが一般的で普通でした。
328. 名無しさん2015年11月11日 12:46
>>45
太宰は東大の門をくぐるだけの地盤がすでに出来上がってた人です。
じゃなきゃ受験すら許されない環境ですよ。太宰の兄も早稲田大学政治経済学部に
入ってますが、やはりアカデミックな家庭環境だったのと、裕福な家柄だったお陰です。 >>186
太宰の生涯について正しい資料を読んでないのは貴方のほうでしたね。
嫉妬心からデタラメばかり書いて。
ねえ、ウソがバレてどんな気分? >>186
授業についていけず恩師に泣きついた、なんてウソです。
太宰は東大時代に左翼運動に加わり警察に追い回され偽名まで使って住む場所を変えたり隠れていたんです。ですから大学の授業にはまったく出席しなかった時期があります。 >>186
『カネがあれば東大に入れた』なんて真っ赤な嘘です。
東大は国立大学ですし金がある・なし、は関係ありません。
カネがあろうが無かろうが、難関高校卒業者で成績が良かった者にしか受験さえ出来ませんでした。
東大は昔も今もカネやコネで入れるような大学ではありません。 >>186
太宰が受けた時、東大仏文には『定員割れ』なんてありません。
嘘ばっか書いてんじゃねーよ
自称東大の低学歴コンプ爺が >>186
太宰は『授業がまったく分からない』なんて言ってませんよ。
泣きついた、なんて大嘘です。
お前の作り話はいつもどこか粗がある。 >>186
それに太宰は高校卒業時に、兄からフランス渡航の際の通訳を頼まれたくらいですからフランス語がまったく出来ないまま入学したというのも嘘なんです。
ほんと低層階級の大衆男達の嫉妬による尤もらしい作り話にはウンザリするわ なんだ。太宰治って東大の一般試験をちゃんと受けて合格したから入学できたって事だったんだね。 >>186
太宰は東大に無試験でありません。
太宰は試験を受けて合格してます。 >>186は大学の入試システムを知らず、あちこちのスレに同じ嘘たれ流してる低学歴の同一人物だよ。Yahoo知恵袋にも同じ事を書いてる奴。
こいつの書き込みはあっちこっちで必ず「無試験」「定員割れ」「カネがあれば」「泣きついた」の4ワードが一字一句そっくりそのまま出てくるから同一人物バレバレ。
大学の仏文科には仏語以外の一般試験もあるのは大卒者ならばみんな知ってるはずの事すら
こいつは知らずに仏語だけで入学できると勘違いしてたんだから
こいつは間違いなく底辺高卒だよ。こいつが仏文試験のことを知らなかった書き込み記録は松本清張のスレに残されてる。
たとえ3流私大卒の人間だって仏文には仏語以外の試験がある事くらい誰でも知ってるから。
そんな事も知らずに東大法卒だって(笑)
大爆笑 >>168
あーあ、またウソ書いてる、お前。
太宰の最初の自殺未遂は女の方が「死にたい」と誘った。
次に太宰は「一人きりで」武蔵野病院でシーツと包帯で首吊り自殺をしようと
したところを看護師にみつかって自殺しないよう独房に入れられた。
最後の自殺は、すでに結核が抜き差しならぬほど悪化していて、どちらにせよ
もう命は長くない事を悟っていた太宰が「僕はもう死ぬよ。死ぬんです。」と
告白したら、女が「私一人を残して行かないで!私も一緒に連れていって!」
と哀願した。
別に太宰が誘ったわけでもないし、太宰が一人で死ねなかった人ではない。
女に愛されすぎて、いつも太宰を愛する女が勝手に付いてきただけ。
女からの真の愛情を受けた事のない底辺ブサ喪男は必ず嫉妬に狂って
この事実を否定し、ひねくれた間違った解釈を撒き散らしている。
つまり非モテ不細工のお前のことね。 >>168
太宰は男としてやるべき仕事は全部しっかりやってる真面目な働き者
なんだよ。それも相当のね。奥さんもそう言ってる。
幼少期からトップの成績で東大に行き、職業である作家としての仕事
をきちんとやって、結婚して子供を残し、美人の愛人にも愛され、後世
に「100年の名声」と言われる傑作を数々残して、日本での売り上げ1位
にまでなった作家。
そんな日本を代表する偉大な作家に、あんたみたいに何にも残せなかった
何にも世間に貢献できなかった小男が顔と名前隠してネットで中傷するの
は簡単だよね。
あんたどうせリーマン家庭に生まれた子で、ろくな給与ももらってなく
ろくな大学も出てなくて、世間に注目される偉業も成し遂げず、ただただ
文句だけつけてる底辺リーマンってとこだろうよ。で女にモテない卑屈な不細工。
大抵の男はあんたみたいな臆病な卑怯者ではない。
太宰は勇気あるブルジョワの反逆児。そして後世に名声を残した人物。
お前はただのネットの卑怯な中傷2ちゃんねらーの小男。
それが事実。 夏目漱石の「こころ」を抜いて、太宰治「人間失格」がぶっちぎりの1位。
しかも20年連続ずっと1位。日本で一番売れた作家だってさ。
日本のベストセラーベスト20の第1位が太宰治だよ。
4位にも「斜陽」が入ってるので上位5位以内に太宰だけが2つもランクイン。
今2015年でも毎年1万部かならず売れ続けてるんだってね。
しかも、ある年は1年間で9万部売れた年もあるって。
これは異常な売れ方だって。
ま、それが実力、ってこと。
ここで文句つけてる男は逆立ちしても勝てないよ。
悔しかったらお前も「日本1位」を取ればいいのよw
やれるもんなら、やってみなよ、ほら、はやく、はやくw 死んで70年も経ってるの未だに毎年1万部以上売れ続けるって
脅威のベストセラー作家でしょ。
こんな売れ方するのは太宰治だけじゃないの?
それだけ人間の心を掴む作品を残したってことでしょう。
今まで太宰治の「人間失格」が600万部で第1位だったが2014年に
なってまた夏目漱石「こころ」が太宰の670万部を抑え700万部突破し
1位に返り咲いた。
この20年間ずっと太宰治と夏目漱石がトップの首位争い。
だいたい太宰か夏目のどちらかが1位になってる。
そして3位くらいにヘミングウェイの「老人と海」だったかな。 >>168
太宰治とお前とじゃ、産まれた家の家柄も、資産も、育ちの良さも、学歴も、
成績も、ルックスも、女からのモテ度も、寄ってくる女の質の高さも、品性も、
親族のレベルの高さも、残した偉業の凄さも、もう何もかも男としての格が
違いすぎて同じ土俵じゃ戦えないよ。
太宰はもう生まれた時点で大衆とはスタート地点が違いすぎるんだよ。
お前とはあまりにも格差はなはだしすぎて比較対象にすらならない。
わかってる?
太宰ほど男として立派な人はいないよ。
残された奥さんも親族も膨大な資産と名誉を残してくれた立派な夫に
大喜びしているだろうよ。敬愛されているよ。 506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/20(火) 00:54:45.73
うちの女房と本音でトークできて判明したのだが
世の妻の大半が悪妻になる理由は
そのほとんどがイケメン好きで
でもイケメンと結婚できなかった
もしくは振られたなどで 他の男と結婚してそのウサを晴らしてる事が
大半だということがわかった
女房の話だと 結婚後もイケメンの旦那の妻は
それはそれは甲斐甲斐しいそうだ
どんなに浮気しても 本妻が自分ならと責めないらしい
家事万端 仕事のアドバイスも適切であげまんになる
でも逆にイケメンと結婚できずやむを得ず フツメンブサメンと結婚した男には
容赦なく 牙を振るうそうだ
女の価値観の中で
イケメン=ご主人様
ブサメン=ATM奴隷というのが構図として決まっているのだそうな
序列の価値観で動く犬タイプの女に多いらしい
それでも結婚前にブサメンにも逃げられるのは避けたいから
結婚前は猫かぶるらしいけどな
大抵 悪妻は昔振られた彼氏や イケメン男性のことをずっと思ってるらしい
そしてそんな女の大半がサゲマンになるのだそうだ
うちの嫁もそうだ・・・
ということはおまえらもそうということになるな。
俺らはATMなんだよ 太宰は中学生でも理解できるからな。売れて当然だろう。
漱石や芥川は癖があるから中学生ではなかなか理解が難しい。
だから別に太宰が優れているということでは全くない。 自ら図書委員やったりして小学生の頃からかなり本好きだったんだが、人間失格を読んでと言うか読み始めて10ページ行かずにつまんなくてぶん投げた。
自分には純文学は合わないと悟った中3の春でした。 こいつ(太宰治)はダウン症の息子が生まれたからって、浮気のはてに心中だなんて無責任
はなはだしい作家だよな
知らなかったから読んでいたけど、二度と読まんわこんな奴の小説は ↑低脳
正直者が多いスレってことだ。
死ね!テメーみてーな馬鹿偽善者めが >>1
太宰治・人間失格
主人公は、天皇陛下なのですね・・ 葉蔵には何があれば人生が好転したんだろう
「世間は個人」への気付きとかバアの人達の暖かさとかで前向きになりかけたと思ったら結局破滅の道に戻るし…
あのまま人間不信を克服できていれば良かったのに >>1
『人間失格』 → 人間宣言
葉蔵 → 天皇陛下
額に刻印 → 黙示録(聖書預言)
モルヒネ → 戦争(兵器)
絵描き → 戦争(領土拡張)
女 → 大地
醜い女中 → 戦後の日本
俺が昔通った予備校の先生が、屋台で酔っ払った太宰を担いで運んだことがあって、
いつも着物か浴衣を着ていて、パンツ(ふんどしか?)をいつもはいて無くて、
なぜそうするかを尋ねたら、いつでもしょんべん出来るようにはいてないと答えたそうだ。
服のすそがいつもしょん便臭かったといっていた。(・(ェ)・)y◇°°°
。。 人間失格ってタイトルで売れてる本だと思う。
斜陽も然り、太宰治というキャラクターがなけりゃ
21世紀の現代でもここまで読まれていない。
坂口安吾の堕落論やマーガレット・ミッチェルの風と共に去りぬ
のほうがまだ読んでいて面白いし勉強になる 葉蔵といい李徴といい考えてる事は共感できるがいかんせん奴らはエリート共だから共感した後で悲しくなる