芳林堂書店について語る [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
学生時代、馬場の店で本を買いまくったが、
今、ひどく後悔している。 社名が変わるだけみたいな貼り紙見ちゃうとね。何だかなぁと思うわ。
倒産は倒産だろうに。 馬場の店に限っては最近でも結構賑わっていたと思うのだけど、あのぐらいの店でも
潰れてしまうのか
早稲田OBの一人としては結構ショックだわ 真面目な本からコアなエロ本まで扱う懐の広い本屋だった。
池袋本店と大井町店が閉店したときは泣いた。
デザインも紙の質も良いカバーも見納めか。
くず紙で処理されるなら、売り払ってくれないかな?w
グロス単位で欲しい。 取次に対する未払いの掛け12〜14億
カネも払わんくせに新刊寄こせと連呼
10年前に日販相手に焦げ付いた負債を太洋社に肩代わりしてもらった過去
その恩を忘れて、おいしいとこだけトーハンと帳合した無神経さ
そのトーハンにも見限られ、外商だけ別会社に移行
結局は太洋社が即死した最大要因が芳林堂ですよ
結果、本当の意味で地域密着の優良店が全国各地で連鎖廃業・・・ そのロジックだと連鎖倒産したところも金払ってないからクソって言えばいいのに
FBとかTwitterで言えないのはなんでよ
閉店惜しんでる「おめでたいやつ」(と思ってんだろw)に堂々と言えよ このスレでしか陰口言えない取次の連中マジでクソだな
こういうのばかりだからアマゾンでいいや、ってなるんだよ じゃぁAmazonにしとけよ
今回ここのやったことで迷惑被るのは出版社もかなりだけどな
栗田の時は腹が立ったが、今回は太よりもここに対する怒りの方が大きいわ 版元の立場としては、
栗田→ふざけんじゃねーぞ!このタコ!
太洋社→可哀想に
芳林堂→バカ野郎! 太洋社の立場はわからんでもないけどあの説明会を見ると可哀想とだけも思えないのがなあ 90年のバブル末期に池袋にビル建てて、03年にパー、
その分の銀行への払いを返品で払ってた、という事なのだろうな おまえらのせいで本当に破産しちゃったじゃないか太洋社 2chscに書いてしまった。
こちらに反映されないのか
がっかり なぜここの経営がうまくいかなくて自社ビルの売却、日販からの帳合変更、
太洋社に払うお金が滞るということがおこったんだろう?
本が売れなくなったというのでは説明できないきがする。
本屋は毎日毎日の仕事で忙しいけどそれだけやってても
会社は成長するものじゃないとおもう
市場が縮小していっている(といっても大昔と比べれば顧客はいるはず)
んだからなおさらだ
どういうことをして何が悪かったんだろう? >>25
まず池袋本店からコミックを別店舗にして、客の流れをぶっちぎったのが悪い。
あとはジュンク堂にやられたかな。
各階清算の芳林堂へより、一階清算のジュンク堂の方が楽で、
わざわざジュンク堂まで行ってたし。 そう言えば行かなくなったなという店は潰れてる
そういう寂しさって大型書店にはあるな 津田沼パルコの芳林堂が閉店するや、すぐに改装してアカデミアくまざわ書店に
変わったけど、そこがいまだに芳林堂だと思っている奴が多いよw クジ引きでここのロゴ入り絆創膏が当たったんだけど
どうすればいいの?
恥ずかしすぎて使えないww >>26
自社ビルじゃないんじゃないかな?芳林堂が売り場の見直しをして空いたスペース
のテナントを募集してたのをみたことあるけど別の会社が募集してたんじゃなかったっけ?
しかし、何が悪かったんだろう?芳一郎さんの個人会社というふうじゃなかった
んだろ?岩波ブックセンターの人の本読んだけど、単品管理の人たちが業績を
伸ばしたそうだから。東急に大型書店が進出したから食われてしまったのかな?
それでも経営者は手を打ちそうなものなんだよ。たぶん郊外店に重点を置いていた
んだろう。それでうまくいかないことがあったのか? 設立昭和23年3月20日か
終戦後3年で芳林堂をたてたのか。たしか、会社を建てる前に、
芳一郎さんは古本屋をやってたんだよね。そのあとに、池袋の今は電気店に
なっている敷地に建物を建てた。そのあと、だいぶあとになって岩波ブック
センターの人が店長だったころに建物を高くしたんだっけ?
たしか昭和47年くらいじゃなかったかな?
英会話学校事業もはじめたし、絵画販売もしていたし、レストラン事業も
していたらしいんだよね。多角的経営を目指していた。岩波ブックセンターの
店長をしていた人が来た時には、不思議な感じだったと聞いたことがある。
店の雰囲気がちがってたんだろうね。その人は単品管理で名前を売ってた。
一緒にやってた人たちが二人いて、すこし前に亡くなった人が10年ほどそこで
働いたあとに単品管理の方法を考え出したんだよね。そしてもう一人の人は
それをメモしまくって、店長の岩波の人(柴田さん)も一緒になってやった
んだよね。そのあとリブロとかできたけど、この本屋から何人か優秀な人が
出て行ったと聞いたな。こうして単品管理は広がって行ったんだ。
他方で、今単品管理というとセブンイレブンなんだよね。芳林堂の単品管理
と同じ頃セブンイレブンがコンピュータを使った単品管理をはじめてる。
そっちがコンピューターの普及で主流となって、90年代かずっと後に
なって大洋社がコンピュータでの単品管理をし始めてから本屋のほうも
そのシステムに乗っかるようになったんじゃなかったっけ? 単品管理を考えた人はなんとか直という人だったような。twiterあるんだよね
もうお亡くなりになってる。その人は芳林堂を柴田さんが辞めたあとに辞めて、
それでコンビニで働いたり本屋で働いたりしてる。あれだけのものを作り出した
のに、コンビニで働いたのは単品管理を学びたかったからなんじゃないかな。
一握りの人がいたので芳林堂はブレークした。全国で一番大きい店舗面積に
なったときもあった。それが、その一握りの人たちが散り散りになり(記録の
人は残っていたような)、その下の人たちは鈴木書店を通して、人文書と
いえば芳林堂といえるような店にしていった。だけど、こういう結果になって
しまった。なにか手を打とうとすればできたはずだ。今の社長は大学で経営工学
を勉強して、店舗をどのようにして出すべきかの勉強をしたのだから。
本店を売って、それで地方に力を入れるというふうにしたんだけど、それでも
今回のような結果になってしまった。
本屋は本を売っていればいい、本を売るにはレジで立っている姿勢が大切だ。
待ちの姿勢というものがあり、その姿勢で待っているとお客さんが引き寄せられる
ように本をもってレジまで持ってきてくれると言っている人もいたのかも
しれない。それでも今の結果を招いてしまった。大型書店の進出にたいして
手を打てなかったのが辛かった。待ちの姿勢じゃだめだった。もっと大きな
視野をもって戦略的に店舗展開をするということがあれば伸びてただろうなあ。
そりゃあツタヤを経営するカルチャなんたらという会社のようなふうであれば
伸びてたはずだけど、すべて人材だよね。そういうことができる人は限られて
いる。 山上たつひこの小説で、池袋駅前の書店ビルの6階にある喫茶店という場所が出てきて、感じの悪いマスターがいるように書いてある。
池袋本店は何度も行ってるが、喫茶店は入ったことがないままだった。
立地を考えるとここの元本店ぽいが、どんな感じの喫茶店だったんだろう。 >>36
元芳林堂でリブロ立ち上げに参加した人が、御徒町で古本屋をやっていた。
変わった品揃えの店だった。
その方が亡くなり閉店したのも、芳林堂池袋本店閉店も2003年末で奇妙な縁に感じる。 >>40
カウンターだけの店で売り物はチャイという濃いめのミルクテイー
だったかな。 昔はカリスマ店員だったかあったよね
本のソムリエみたいな。 >>39
絵本の店もあったよね。外国の本を置いてた。上の方の階だったけど 芳一郎さんは池袋モンパルナスで画学生だった奥さんと一緒に暮らしていた
とか言ってたな。しかし、こんなことになるとは想像もしてなかっただろうなあ
後に残った店員さんたちが店をこんなふうにしてしまうなんて 今から時間を遡って考えると、何をしていたら今のようにならなかっただろう? 洋絵本はamazonがやってきて入手がやさしくなったから、今もしあっても
厳しいだろうな。昔は珍しかったんだけど。 芳林堂書店八階純喫茶「栞」文学少女耽読 植草武士
池袋本店にあった店を詠った短歌だそうです。 ●●● さよなら芳林堂池袋本店 ●●●
1 : Falling Dawn[sage] 投稿日:03/12/01 01:35
池袋本店年内閉店のにうす。
http://www.excite.co.jp/book/news/story/?channel=0002&code=00021069902968
芳林堂のHPにはまだ告知なし。
ttp://www.horindo.co.jp/
で検索 >>30
芳林の前の大きな通りを挟んだ北側にはごちゃごちゃした店がたくさん
あってそれなりに楽しめたところじゃないのか。そういうのもみななくなって
しまうのか 芳一郎さんが雑誌に書いたものがあるんだよね。ずっと昔の話だけどね。
本屋というものについて書いているんだとおもうんだ。 口笛を吹きながら本を売るというのはたぶんこんなことだろうと
僕は解釈している。
書店員はレジのところで待ちの姿勢で立っていると、引き寄せられるように
客が本を持ってきてくれる。そういう気持ちに客をさせるオーラを醸し出す
ことこそがレジで待ちの姿勢でいる書店員の理想とする姿だ、という思い込み
が広まっている。だがそうではない。大切なのはシステムだ。店員さんそれぞれ
が口笛を吹いていても本を売れるそういうシステムを作り出すことなのだ。
ということかなと自分はおもってる 高田馬場店は3階か2階にわたる売り場だけど、池袋本店は5、6階まで
あったとおもうんだよね。狭い面積で、細長い建物じゃなかったかな。
書泉に似てたよね。天井が高くて、棚の上の方まで本が入っていたっけな
上の方の階に絵画部門があったんだよね。栞でコーヒーを飲んだことが
一度だけあったっけ。大人の雰囲気がある本屋だったよね。西口公園には
浮浪者がいたんだけど、あそこも都の芸術館だかができて変わったよね。 くまざわから来た奴なんて駅ナカレベルの仕事
あれじゃ無理だよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています