何時ぞやの卵と壁談話を聞いた時、思いだしたのが山岡荘八の徳川家康の一節。
直江山城が藤原惺窩に尋ねる。
「強大 な老虎あり。弱小な遺孤これにに対する。遺孤を輔くは義なりや」と。
大儒者が答える。
「義に大小あり。惻隠や憐頻は婦女の義なり。よろしく義の大小を勘案せよ」
意味するのは、豊臣の恩顧に報いるのが小義、戦国を終わらせ太平を開くのが大義。

事情によらず弱者に肩入れというのは、士大夫の道じゃない。
勿論、イスラエルに大義があると言ってる訳じゃないよ。
でも、そんな理屈なら弱小なシオニズム運動だった建国時の彼らは、擁護すべき卵になっちゃう。