覚えてる限りでは、告げ口で呉座の発言を知った時、
言われた当人はそこまで大騒ぎしてなかったよね。
隠岐と礪波が大騒ぎして圧力がどうのこうの暴走してたのに対しても、
当人は「オキモチだけありがたく受け取っておきます」とスルーしてたし。
裏で弁護士使って片付けようとしてたのに、
外野や日歴協の騒ぎと口止めのやり過ぎで露呈してしまったのか。
なんかその辺の経緯がよくわからん。
レター文は小宮と某の文体を指摘してた人がいたんで、そんなところなんだろうな。