ヤマトのサークルでヤマトブームを育てたというのは嘘で、サークルの一会員だっただけ。
素人時代に、ぴあの投稿欄で手塚治虫とバトルしたというのは、話の盛り過ぎ。
潮健児さんのマネージャー業も、肝心の売り込みは上手く行かず、潮さんの人徳で大勢が盛り上げた渦中にいただけ。
つまりは、最初からハッタリと良いとこどりで渡っていたわけや。