読書量と文芸創作能力は関係あるのか?
小説等の文芸作品をたくさん読むことと文芸創作は関係あるのでしょうか?
小説等の文芸作品をたくさん読破することによって文芸創作に
多大な良い影響があるようでならないのは考え違いなのですかね?
これまで世に名を残してきた小説を書いてきた人のほとんどが、子供の時から文芸作品に親しんできた
ようですが。。。もし読書量と創作能力と関係あるのならせっせと本読まないと。。。
読書量と文芸創作能力は比例してるのではないか?議論するスレです。 >>2 >>3
そりゃもともと才能無いのに読書しても
0xnはゼロだろ
そういうことじゃなくて
そのケースバイケースの
そもそもある程度才能がある人前提で、比例があるのではないかってこと
もちろん経験とか読解力とか、多作かどうか、ジャンルとかあるから
単純に「才能x読書量」の掛け算で
で作家がグラデーションのようにならぶわけじゃなくて
個人レベルで100冊しか読んでない俺よりは1000冊読んだときの俺ほうが上ではないか?
みたいなことね 比例と言うよりは放物線じゃないかな
最初のうちは読書量にくらべてぐんぐんのびる、そして伸びは鈍化し
いずれ伸びが無くなる おいw
放物線とは、書いた字のごとくモノを放った軌跡だ。
つまり、また落ちてしまってんじゃないかw うん、年取れば頂点の向こう側に行く人もいると思うよ
普通は頂上に来たと気がついたら仕事とだえるだろうけど だからケースバイケースってのは、人によって関数式が変わるってこと。
その関数式も単調じゃなくてyがどの値に到達したら変化するような
もうめんどくさいから来ないよ。 そんな事始からわかってるだろw
で、どの関数式が一般的かねえって話だろ
なんで極論をいうかなぁ ケースバイケースといっても
軽く傾向のようなものがあるんじゃないかねってことだよ
ケースバイケース、みんな関数式が違う、そりゃそうさ
でも反比例の人とかちょっと居なさそうじゃね?
(居ても極めてまれだろ)
大体、そもそも本当に式で表せるようなきっちりしたもんじゃないだろ >>9
逃げるのかよwwwwwwwwwwwwwwwwwww 何のデータもない感覚的経験値を数式化するのって、
極めて、ど〜でもよくないかな?
個人的にはマラソン選手がマラソンばかりしてるわけじゃなく
筋トレするのと同じで、読書は書き方や話の展開、キャラ建てなどの
引き出しを増やす目的かな。
実際モノにするには、使い慣れないとスベるがw
読み書きは知識と実践で別物だけど、互いに深く結びついてる感。 http://www.youtube.com/watch?v=16PcLBbQ_-o
you tube 2月10日 放送分 「僕らの時代」で作家の西村賢太が他のお笑いの人と
テレビで酒飲みながら話してて、作家になる為の修行みたいなことはしたことなくて
ただたくさん本読んで来て、だんだん文章の「流れ」みたいなものが分かるようになったと
自身で話してる。観た人もいるだろうけど、観てない人はどうぞ。
でもこの西村賢太は3000冊くらい本持ってるらしいね。
自身の作品の中でもその話出てくるからね。 本を読んで原稿書けばそれが修行じゃないのんか?
この人も作家になるまで、長編1作や2作は書いてると。 自分の過去をさらけ出して〜ってところで、
マリオ・バルガス=リョサの「若い小説家に宛てた手紙」を思い出した
自分の過去とか、そういうものを引きずり出して書いた小説って、やっぱり凄いんだろうな 小説1000冊読んでから物書きになるというのは安易な考え方でしょうか?
小説1000冊読んでる間に物書きになるベースになる「アウトプット的」な
「引き出し能力」が身について来ると思うのは幻想なのですかね?
2ちゃんねるで長文書いてる人なんかは、物書きになる為の「素地」がある程度
備わってて、プロの物書きの「卵」なのではないかというような人もいますが如何思いますかね?
答えてエロい人!。。。 確かに小説のよくあるパターンや語彙、表現力は増えた
ネタは増えた。
しかし自分独自の小説が書きたいなら考える作業が必要不可欠。
ちなみに参考までに自分は今までだいたい330冊ぐらい読んだ。
中には6回ぐらい読んだ物もある(ハムレットとか)
やたら滅多に多読よりも自分の趣味に合ういわゆる古典(行間に深い意味が隠されてる物)を何回も読んだほうがいいんじゃないか?
まあ、そこは人それぞれだと思うけど。その場合のオススメは夏目漱石のこころとかの作品だな まあ自分は他の人のいわゆる読書家と違ってほとんど読んでいないから参考になるかわからんが 読んだら読むだけ影響されまくりの人いるんじゃね?
そうして毒にも薬にもならん小説が量産されていく気もする。
作家の独自性ってなんじゃろうねー。 創作自体は出来るだろうね。山田なんたらの例もある。
洗練さの欠片もない昔の携帯小説でよければ、読書自体不要なんじゃねw 大ありだな。
だいたい五百冊以上読むと、文章がしぜんと出てくるようになる。
小さな子供が同じ言葉を繰り返したり、言いたいことがうまくしゃべれないのは、
語彙が少なく、基本的な定型文が頭に入っていないからだ。
通常、中学卒業するくらいには、
大人程度にはまともにしゃべれるようになるのと同じで、
苦もなくちゃんと文章が書けるようになるのには、十年くらいかかる。
一年に五十冊。週に一冊程度。
ちなみに、速読、斜め読みには意味がない。
イメージとして視覚的に文章(紙面)が見えることがあるかもしれないが、
考えることなく、しぜんと美しい流れの文章が出てくるためには、
頭の中で読みあげるように読んでいなければならない。
読みあげるように読んでいると、
何か言いたいことがあったら、あれこれ考えることなく、しぜんと文章が流れ出てくる。
この域に達したとき、理解できるだろう。
尚、人が方言に影響されるように、やはり同じジャンルの本を読んでいると、
知らない間にそのジャンルの文体に影響されてしまう。偏りなく読書をすべし。 道尾が若い頃ほとんど本読んでこなかったってのは驚いたな
才能としかいいようがない 道尾はフカシ入ってると思うんだよな。
どっかの和尚作家との対談でも強がり指摘されてたしな。
ほとんど本読んでこなかった <-- これ自体くせ者。主観だから実際は俺らより読んでるかも。 >>26を読んでから、ネットで調べてみたけど、
中学まではほとんど読書したことがない。高校から読みまくった。デビューしてからはミステリーは読んでない、読む必要もない。自分がミステリー作家扱いされてるのが不思議。
って感じだったけど。どう見ても読書しまっくてるとしか思えない内容だった。 全然勉強しなかったのに結構点取れたって言う中二と一緒だな ありあり
たくさん読んだら技法を学ぶよりも技法が見えてくる
お話を楽しめば発想も豊かになって
じゃあこれはどうか、と思いつく切っ掛けになる
連想から発展させるのは、いちから考えて捻り出すより楽だし根拠が持てる
後はネタ元になる底本としてドキュメンタリーや哲学歴史経済など
様々なジャンルの中で少しでも惹かれるものを読むと良い
自然科学なんかはとても面白い 小学生にして一万冊の本を読んできたことが売りのはるかぜちゃん 小説教室に行ったときなんだけど、書評家みたいなおじさん、おばさんが
喧々諤々な議論を繰り広げて、まったくついていけなかった
で、書けるかというと、ぜんぜんなのね。つまり批評できるだけなのよ
たぶん執筆する能力と批評する能力は別の部位なんじゃないかしら 喧々囂々は、口やかましいだけ。
侃々諤々は、自己主張の応酬。 難しい熟語入れまくってるやつってどういうつもり〜漢検二級かよ〜
一文をスマートにすんのがいいのか〜
大事なのはストーリーだろうがストーリー〜 >>37
100冊読んで書けない奴は何をやっても駄目。 漫然と読んだ200冊では書き手としては何の意味も無い。
何を読み取れるかはその人が培ってきた書き手としての力による。 いや、漠然と読む行為も200冊の中に含まれる。
世に存在する様々な読者がどう読むかが200冊をクリアーした時点で理解できる。
集中して読むだけなら数冊読めば事足りる。数冊で理解でいなければ才能がない。諦めろ。 誰も読んだ数に含まないなどといった者は無い。
読者の視点が得られればそれでいいって何じゃそりゃ。
それだけがお前の考える創作能力なのか。
それは一通り読んだ単なる読者だ。 そうだ。創作に読書量は関係ない。
単に読者の視点を理解することに他ならない。
有りと有らゆる創作は、創作者の内側から生まれる。
読書を繰り返しても、映画を見続けても、それは表現方法の習得にすぎない。
優秀な読者になりたい奴は本を読み続けろ。 コンピュータの行う創作がいずれは人間を超える。
それは内的な何かではなく技術に他ならない。
学習に使われる情報は過去の作品だろう。
因果関係は否定できまい?
悪文だな。論理の流れが不自然だ。伝わるかね。 コンピューターの行う創作ではなく、
コンピューターで表現する創作だろう。
創作というものを理解できない奴にはその区別はない。できない。諦めろ。 人工知能がチェスやクイズで人間の世界チャンプを超え
東大入試合格を目指して開発されてるのは知ってるか。
文学に取り組んでる者もいる。
間違いなく創作でも機械が人間を追い越す。
これは間違いない事なんだ。 その未来の事実から創作を学んでやろうではないかという試みも
一つの面白いアプローチだ。 それらはすべて、技術の習得だ。創作の習得ではない。
コンピューターが創作するためには、
人類が歩んできた進化の歴史をたどり、人間と同等の感情を有し、
そのうえさらに、
人間のなかでも高度な創作活動ができる人間の域にまで達することが必要。
高度な創作活動ができる人間がその域に達する過程において、
内なる世界、自我の存在、自分とは、この世界とは、宇宙とは、等々の思考をする。
その思考する魂がなければ、とうてい達することができない。
また才能のない人間はその魂を有していないため、それに気づけない。その困難さを知らない。
つまり、機械が追い越す、などとという結論に達している者は、創作の源となる内なる魂をもたない。
その他大勢のうちの一人にすぎない。生体を維持するため、他者と区別するための魂のみ。
そういった者たちは、読者になり、観客になり、
創作物、芸術作品に、本物の魂の輝きを見る。それに惹かれる。
はっきりいおう。創作者とは、神である。
おまえは、神になれるか? アホだな。機械の情報処理の力の前に全分野がひれ伏すのは確定してるんだよ。 神になることと、神をまねることは、違う。
頭の弱い人間にはそれが一生理解できない。諦めろ。 何なんだそのアホの一つ覚えは。
神どころか小学生でもそんな発言は越えてるぞ。 小説を書きたいなら、ある程度は読まなきゃいけないだろうと思う。
俺はどうしても小説のパターンが掴めず、書けなくて悩んでいたが、
本棚の小説(本は捨てないから、生涯に読んだもの)をみてみたら、
計30冊しかなくて、そりゃ書けないわと笑ったものだ。 違うな。
パターンがつかめないから書けないのではない。
要約能力がないから書けないんだよ。多くの素人は、な。
最初に梗概を書いてみろ。
それができたら読書しなくてもおまえは小説が書ける。 書けないのに、なぜ書きたいと思うんだろう?
書けるからこそ書きたいんじゃないのか?
何か歪みがあるような気がする。
書くことそのものよりも、書くことで生じる金や名誉が目的なのか?
同じく、本は読まなきゃならないから読むものか?
読まずにいられなくて思わず読んでしまうものじゃないのか?
読みたい=知りたい、だから、知りたいことがあるのは当然じゃないか?
知りたい(=読みたい)こともない人間が小説を書いて、他人には読ませたいのか?
それはいくらなんでもひどいだろう。 表現したい事があって形に出来ないというのは皆に少なからずある。 教えてやろう。歪みを感じるのは、二つのものを一つに見ているからだ。
いいか、二つある。それは、才能と能力だ。
才能がなければプロになれないが、能力がなくてもプロにはなれない。
「才能」はわかるな? 要は、他人より優れているってことだ。
では、「能力」とは何か? 誰もがみな最低限もっている「能力」だが、
個々人によるその違いは、「書いていたい」という持続性だ。
つまり「能力」とは、書くことに快感を感じ、ずっと書いていたいという欲望だ。
たとえば好きなゲームをずっとやり続けていたいという欲望に似ている。
「書けない」というのは、その「書いていたい」という快感がなく、持続性がない、
もしくは持続性が一時的なものだったということで、つまりそれは「能力」がない、ってことになる。
では、ここからが真実だ。
才能があって、または、書きたいものがあって、書く、というのは、勘違いだ。
ただ書きたい、何でもいいから書いていたい、というエネルギーが先にあって、
何十万、何百万、と文字を書き連ねているうちに、文章が上手くなり、そして、
そのうち、いいものが書けるようになる。実は、こっちのほうが現実的だ。
で、書く快楽をさらに高めるために、他人の文章、書き方を参照するようになる。
読書とはその程度のものだな。 615 :名無しさん@ピンキー:2007/08/28(火) 13:04:15 0
>>614
持っている小説の作家名を教えてください。
616 :名無しさん@ピンキー:2007/08/29(水) 00:03:42 0
>>615
サド・銀色夏生・宮沢賢治・バロウズ・三島・村上春樹・村上龍・大江・安部公房・
寺山修司・筒井康隆・高橋源一郎・泉鏡花・夏目漱石・ゲーテ・ジョイス・ベケット・
アンデルセン・ペロー・五木寛之・中上健次・夢野久作・坂口安吾・太宰治・谷崎・
マゾッホ・セリーヌ・ドストエフスキー・トルストイ・キルケゴール・プルースト・サルトル
・コクトー・アポリネール・よしもとばなな・狗飼恭子・川上弘美・江國・金原ひとみ・わたやりさ
・ヘンリーミラー・ケルアック・ブルトン・ナタリーサロート・ヴァージニアウルフ・ゴンブロヴィッチ・
赤川次郎・内田康夫・シドニーシェルダン・星新一
つか書くの面倒、これでもまだ本棚の半分弱。 このスレテーマってさー
個人個人によって違うってだけの話だと思うから
テーマ破綻してるよね
ある人にとっては関係有るし
別の人は関係ないと思ってる
それでいいんじゃないでつか? >>60
つまりね。たくさん本読んだら泉から湧いて出るように
読み手に感動されられるような文章が出てくるのか?
・・そして読書は創作能力を培う糧となりうるか?
やはり読書は人生にとって有益なだけでなく作品創作に一役買ってるのではないか?
・・という因果関係についてアレコレ議論する非常に建設的で前向きなスレでつよ。 読書することによって創作意欲が掻き立てられ、執筆に走るのも事実。 『ノルウェイの森』の巻だったか巻だったかまたはその両方に、「僕は好きな本をくりかえし読むのが好きだ」とかなんとかって書いてあった気がするな。
((-。-)どっちかっていうと僕は同じ考えかな。
読みたいから読むもんだと思うんだ、小説って。
書きたいから書く。それだけだと思うな、小説って。 小説、映画、漫画、音楽…表現世界の媒体は色々ありますよね。
私たちは、これらをインプットしているわけですよ。
嗜好により数に差があれど、二十歳にも成れば、かなりの
コンテンツに触れるはずです。多くの名作、傑作、快作を
堪能しても何も行動しなければ、小説は書けません、
映画監督にはなれません、漫画は描けません、歌はヘタっぴ、
そういう人たちを世間では平凡な人といいます。
現代のようにメディアが発達した時代では、二十歳にもなれば、
誰にだって一角の人物になれる基本的な能力は備わっているはずです。
でも、やらなきゃ凡人なんです。
凡人は一生をお客さんとして終えるのです。 死語50年以内の作家の作品だったら盗作だ。ただし、多くの文豪にも
盗作と思えるような作品は多くみられる。
ジェームズ・ジョイス「ユリシーズ」はホメロスの盗作といってもいい。
ヘンリー・ジェームズもツルゲーネフを模している。マンスフィールド
もまたチェーホフを母体にしている。
だから多くの作品を読むことで、豊かな創造意欲を駆り立てることは
否定しない。
問題の読書量だが、100冊か200冊かという議論があるが、問題は
冊数よりも文章量だろう。短編を100作品なのか、1000ページに
及ぶ作品を10冊なのかでも違いが出てくる。 それ、盗作ではなく、間テキスト性というやつだ。
読書量が少ないとそんなこともわからない。 >69の一言で『間テクスト性』をググることができた。ありがとう うん、で間テクストだとか実存、構造、ポスト構造(脱構築、フェミ、ラカンの精神分析、変態チックなクイア理論などなど)を知っておいて悪いことはない。
こんな文学・批評理論に走らなくてもいいけど、読書といって小説だけ読んでるんじゃあまり意味が無い。一冊の小説を読んだならそれへの評論を読んだほうがいい。
小説テクストだけ読んでその刺激で書ける人は十億人に一人くらいはいるかもしれんが多くはそうではないから、小説を読みつつ小説以外の本を読むっていうのは非常に大事だよ。 作家って、他人に自分の作品を読んでもらってナンボだよね?
なら、読み手は作品をどのように受け止めるかを常に意識する必要がある。
そのためにはまず、書き手自身がきちんとした読み手でなければならない。
そういうことじゃないの?
読書嫌いの作家というのは、読み手の心が分からないわけで
長い目で見ればかなり不安だと思うけれど? 読者に合わせていたら時代を牽引できない。
もっと上を目指せ。
以上。 どうして媚びるって発想になるのかな。
読み手として自作を客観視することのどこに問題がある? 拝金主義の世の中 読者に媚びて売上アップを目指すのは当たり前 受容のされ方、もとい文壇の連中に評価されるものをまずは書かなくてはならない。
そうしないと公募新人賞突破できないしね。 ハブられてる奴が、自分以外は皆ゴマスリ連中だと思い込んでるみたいなもんだろ 大沢在昌は「ミステリーを書くのならミステリーを1000冊は読んでなけりゃ、書いたってダメだ」なんて
事を言っているらしいけどねー
大沢自身は、高校2年のときに年間1000冊読んだらしいけどねー ミステリーは、ネタかぶりに厳しいじゃないですか
「すげえトリック思いついた、紐だと思ったらへびが犯人ってどうよ?」
だめでしょ
そりゃまったく完全オリジナルも難しいだろうから、
思いついたものが過去とどのくらい違うと許されて
どのくらい違うとだめなのかってことになる
1000冊読んでればその境界が言葉ではいえないけど、なんとなくわかる、
そういう特殊なジャンルだからだと思う 海外だとそういうトリック集成みたいな本があるけど
日本にはないんだよね あるがな、古いけど乱歩がまとめたものと、そのごいろんな人が補完したものがある
密室物ばかり特化して紹介したものもある
あと、子供向けの某推理クイズみたいなのが以外と古典をまとめてたりする
そー言うこと知るためにも小説だけじゃなく、関連派生物みたいなのもつまんでおくべき あとミステリーっていうのはどこでどんな謎を出して、どんな風に解かれて
なんて凄くミステリーならではの語りのテクニックが必要だよな。
技術を身に付けるにはまず上手い人の技術を盗まなけりゃならないから、
どうしても先人に学ぶことが必要になるんじゃないか?
我流じゃ、どんなに上手くても認めてもらえないジャンルなのかもな。 >>86
乱歩のって続幻影城のことか
その他のものってなんのことをいってるんだよ
せめて書名出せ知ったかぶりのゴミ 覚えてねえからだよ、知らなたかぶりのゴミなんだよ
それに雑誌とかで、「乱歩のやつに付け足しました、僕の研究成果を見てください」
みたいな特集とかだったりもあったよ
オク探せば高値で取引されてるはず、
密室のやつは二階堂か有栖川か法月かとにかく新本格の人が集めたやつだよ
推理クイズは、文芸板(かミステリ板)に去年くらいまでスレがあったような気がする
小学校のころ読んであまりのネタ晴らしの数々に、
その後のミステリ人生をつまらなくしました、みたいな会話してるスレ
ごめんな、手がかり少なくて、後は自分で探してくれ未来の推理作家君 推理作家君ってw
古い言い方だな。
そういやっ「推理小説」なんて名称もなくなっちゃったな。
ミステリーってのは便利な総称で、「推理小説」も冒険もホラーもSFも全部含めちゃえる。 まず、お口に何らかの食物を放り込まないと、肛門から糞をひり出すことはできないでしょ?
良質な糞をひり出したいのならば、食べるべき食物は大方決せられるし、
それにそれ相応の質の食物を丁寧に咀嚼しなければいけない
まあ、あまり多量に食べ過ぎると、消化不良を起こしかねないから、その点については注意せなならんがな 読書をするとどでかい糞作品しか書けなくなるからやめとけという話か。言い得て妙。
読書家は作家にはなれないというやつだな。 芸人見るとわかりやすいけど、自称読書家の太田や又吉はつまらない小説しか書けないけど、
読書家で売ってるわけじゃない劇団ひとりの方が面白い小説書くんだよな
劇団ひとりも本は読んでるんだろうけど、どんなに読書家でも才能ないといい小説は書けないな お前芸人の小説とか読んでんの?
どんだけ志低いんだよ
ライトノベル作家志望? 読書に志とか、アホかw
宗教じゃないんだから好きに読め。それとも洗脳がこわいんか? >>97
お前が特権意識の高い向上心のない人間なだけじゃね ネタかぶりを避けるという意味で、
過去の受賞作を読み漁ったことはある。
ジャンルは、ホラー。