ある瞬間の知覚、認識、判断というものを言語で固定してしまうと、
余計なアイデンティティを抱えるということは、
どうでもいいつじつま合わせや擦り合わせにコストを払う羽目になる。
客観的な自分というものを維持し続けるのは主体性を失っている状態だ。
思考はどんどん捨てる。