>>468の件ですが
気がかりの原因を消すためには
思考の継続的運用が必要で、それが億劫な場合
気がかりと億劫さとを比べて、
まだ気がかりの方がましなので、気がかりの方を選ぶ、
という「感情の取引」をしてしまうこともありますね?
もちろんこれは経済的合理性からは外れています
経済的には、はっきりと損をしている
しかしそれとは別のところで「感情の取引」は行われているわけです
この問題をどう解決すればいいでしょうか?