『花腐し』松浦安輝(123回芥川賞受賞作)

冒頭

どうしてそんなに濡れてるの、肩も背中もずぶ濡れじゃないのとずいぶん昔にほんの二年ほど一緒に暮らしていた女がよく言ったものだった。
変な人ねえ、ずっと傘をさしていたのにさあ、いったいどうしてこんなにぐしょぐしょになるのよ、傘のさしかた知らないの。
そんな言葉をたてつづけに投げつけながら、栩谷が脱いで放り出した背広やシャツを拾い上げ、
わざわざ鼻を近づけてみてはうとましいにおいからほんの少し顔をそむけるといった仕草の輪郭をかすかになぞり、眉間にはかすかな縦皺が寄る。