ただ何となく感動出来ないのが「文芸」の厄介なところだと思う。
異文化、多言語は無論のこと、同じ言語を有する人間の間でも、「読み取る」能力には一定の能力が必要である。
文体しかり、描写、比喩しかり。技巧は相手の能力への期待が前提になると考えると、そこを追求することは、楽屋受けのような疎外感を産みはしないか、と考える。
いかがでしょうか。