現代において文芸の「能動性」は「可能性」にはならないだろう。
と意見しただけのつもりだったが、それがいつから「人間はどこまでも無制限にあるいは鈍感に楽することに対して満足できる」と意見したことになった? おまえは人の意見を極端に受けとることしかできないのか?

それに、あの意見はおまえが上のほうで文芸のその能動性を「可能性であると取ってもいいんじゃないか」と発言していたから、それに反論したものだけれど、
ほんとうに「可能性」として認めるのであれば「価値ある少数派として生き続ける」という発言はふさわしくないだろ。発展しないんだったらそりゃ単なる保守性だ。それとも「残り続ける可能性」ということだったか?

あと、レスするなら文章をちゃんと読めよ。時間あたりに得られる情報量の多さに対して文芸は優位性を持っていると、俺はそう書いた。何で真逆のこと言ってんの?