そもそも根拠というものは、ある命題を他のもっと確実性の高い命題につなげるため
に使われます。それによって自分の主張したい命題の確実性を高めることができます。
しかし論理的なものではなく事実問題について考えたとき、どんな主張も仮定なしに完
全に根拠づけることはできませんたとえば物理学でも実験によって理論が正しいかどう
かを確かめるのですが、すべての状況で実験をすることができない以上、物理学の
理論が普遍的だと言う主張には穴があります。
つまり物理学のような確実性の高いものでさえ、根拠を求めつづければ答えることが
できないところが出てくるわけですから、僕たちが適切に議論するためにはどの
程度の範囲で根拠を求めるかという視点が必要になります。根拠を求めるという
運動はどこかで打ち止めされなければいけません。

その一方で、命題に確実性を持たせるためには仮定を明示した上で、
仮定のもとでの論理的な結論を導くこともできます。これは「〜と仮定するなら〜なる」
という形の推論です。たとえば論証に数学を使う場合は、数学的な構造が
事実だと仮定した上で、論理的な結論を導くために使われることが多いです。
こういった仮定からの論理的帰結を導く方法は、経験的な根拠を挙げるよりも
確実性であり、必然性を伴っています。なぜならあらかじめそれが仮定と明示
しているので、たとえ仮定としたものが事実ではないことが分かったとしても論証は
否定されないからです。だから仮定からの論理的帰結は、事実問題を考えないように
して論理だけを扱うことができるわけです。

・つまり主張の確実性を持たせるためには、根拠を求める方法と、
仮定付きの論理を求める方法があるということです。
仮定からの論理的帰結という方法がある以上、多くの場合
「根拠がない」ということから主張を真っ向から否定することは不適切だと思います。
これができるのは、相手が「これは無条件に正しい主張だ」と語ったときに限られる