随筆です。酷評よろ

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小説を書くとき、できるだけリズミカルに手を止めずに書いていった方がいい。その方が面白いものを書ける気がする。
ただ、自分の知っていることには限界があって、時々手を止めて見返したり、情報を収集せざるをえない時がある。
書いていて、あれ、この物事ってこうなのかああなのかって調べる。それで調べ終わると熱が冷めてるというか、
書いていたときにあった面白味がなくなってる。そういうときつくづく思う、なるべくなら多くを知っておいた方がいい。
小説家はなるべくなら情報過多くらいの方がいいのかもしれない。
あらゆる情報を持っていて書く人といちいち手を止めて調べなければならない人では、物語の風景も違ってくる。

情報といえば、それは現代社会に限らず、古代の社会でも重要な鍵を握っていた。
例えば、製紙技術や火薬に関する知識は漏れることなく宋?の時代まで中国が保有していた。
それは大国を築くのに大変重要な情報で、現代でもあらゆる国家機密が存在する。
それら情報が漏れることは、国を滅ぼす原因にもなった。国に限らず企業レベル、あるいは個人レベルでも情報を得ているということが
どれほど重要か、重要な情報を握ることで他を出し抜くことができ、他より優位に立つことで自身の社会階層も向上する。
力があるということは、腕力があるということではなく、より重大な情報を他より多く保有しているか、ということに因子がある。