あなたの文章真面目に酷評します!【1】
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・批評への参加は自由です。
・投稿者を育てるのが目的ですので、良い所と悪い所をバランス良く批評してあげて下さい。 『ゴジラ vs キングコング』2018年10月よりついに撮影か ― 米国公開は2020年5月22日
https://theriver.jp/godzilla-kong-filming-report/ 物語調の小説も書いてる。酷評よろ。
1/4
髭を剃る時に、哲郎が鏡で自分の顔を見ていると、最近、老いを実感することがよくあっる。髭にしても鼻毛にしても色素の無い白毛が生えているのを発見すると、
それを掌に置いて、哲郎はマジマジと眺めてみる。まっすぐで硬い歯ブラシの毛先のような白い鼻毛を見て、いよいよ自分の人生が折返し地点に差し掛かってきたのだ、と哲郎は思う。
昨日まで夏の若葉のように生い茂った青年期を生きていた哲郎は、まだ若いつもりでいたが、会社の若い連中と喫煙所で話しをしていて話しが噛み合わなかったり、
職場の飲み会の後のカラオケで、レパートリーが古い、というようなことをボソッと二十七の後輩に言われて初めて自分が中年であるということに気づかされる。
ひと回り違う人間のことを「若いやつら」と一括りにして言っていることに哲郎は気づいていない。今年度の年明けに哲郎は四十代に突入し「不惑の歳」を迎える。
今年、哲郎の父親も六十五の再雇用をも終えるのだから、自分もそんなに若くはない、と実感する哲郎の今日この頃である。
「どうしても来れないか?」
大学の同級生である明善から六月の終わりにバーベキューに誘われていたのだが、休日出勤を理由に断りを入れた二時間後に、明善からラインメッセージが入った。 2/4
哲郎が断りを入れたのは、バーベキューに参加する四人の同級生だった連中の内、二名が奥さんと子供を連れてくるからだった。
正直なところ独身である哲郎は、この集まりに参加することを嫌がったのだった。奥さん連中の眼を気にしながら場の集まりに身持ちの悪い自分がいることを想像しただけで嫌になった。
半分は拗ねた気持ちもあった。哲郎にとって社会は自分を置き去りにして回っていた。この先、老齢の両親とこの家で生きていくのかと思うと不安もあった。
世間では結婚をして、子供が生まれ、マイホームとワンボックスの車を購入し、よく話題が子供の話しに至る、
そういう連中とは別の世界にいる哲郎は年々、優しさを失って、乾いた人生を送っているような心持ちだった。
「こればっかりは順番だから、時期がくれば哲郎にもちゃんと相手がくるで」
今年九十二になる哲郎のおばあちゃんは時々、哲郎に諭すように云う。両親に同じことを云われたら、たぶん哲郎は腹立たしい気持ちになるだろう。
同じことをばあちゃんが口にすると自然とそういうものか、と哲郎は真面目に受け取れた。別に結婚なんかしなくたって哲郎はいい、と考えていた。
結婚なんかしなくてもいいが、結婚していない自分を周りの人間との関わりによって気づかされるのが嫌だった。 3/4
「人はな、順番に生まれて、順番に死んでいくんやさ」とおばあちゃんは云う。順番に生まれて、順番に死んでいく、
仏様はちゃんと見ていて、その人に合った時期に必要なことが訪れる、という思想が哲郎の祖母には昔からあった。
おばあちゃんは浄土真宗の大谷派のお寺の檀家であった。哲郎は少なからずおばあちゃんの思想の影響を子供の頃から受けていた。
「必要な時に必要な分だけのことが訪れるんやから、阿弥陀様が来るまでは、あれ来たなそれ来たなということを思ってお念仏を一日一回は唱えなあかんよ」
そういう考え方を他力本願ということを哲郎は、大学の時に知った。よく法事の時に法主さんが「他力」の話しをしていた記憶があるが内容を考えたことは、それまで一度もなかった。
おばあちゃんの考え方の根底に親鸞さんとか蓮如上人の思想が脈々と受け継がれていることに感動したことを哲郎は覚えている。
それから「ありのままの自分を生きる」とか「時期が来れば自然と必要なことが必要な分訪れる」とかいう考え方を哲郎も不思議と信仰するようになった。 飛騨の古川市から静岡に両親が祖父母を呼び寄せた時には、祖母もまだ六十歳を超えたばかりで、
祖母と哲郎の父親が建てた一軒家に暮らすようになって、おばあちゃんが良いタイミングで美味しいものを出してくれたり、戦争の話しをしてくれたり、
不思議と哲郎が必要としてるものを提供してくれたり、物事の解決の糸口を示して来れたことで、哲郎は尚更、祖母のことを不可思議如來光や救世観音のようなイメージ抱いて見てきたのだった。
今から三年前、哲郎が三十六歳の時の晩冬である、二月末頃。遠州の冬は強いからっ風が吹き付ける。御前崎の冬の風景は、この風の影響で、海からの潮風が草木を枯らすのか、
それとも野焼きでそうなるのか、茶色い枯れ草が目立つ。このうらぶれた風景を横目に哲郎が何時ものように車で帰宅したのが、午後六時半だった。 254-257まで読んだけど、257の冒頭の文みたいなのは良いね。
さらっと読めなくて引っ掛かりがあり、中身を味わうことになる。
まあ、読みにくいという不満を持つ人もいそうだがw ここって創作発表板じゃねーなw
ブラウザに創作発表板がないから「酷評」でスレ検索掛けて入ったら創作文芸板だったわ。
それから手元が狂って「あっる」とか書いてしまった。 >>254
「今日この頃である」は無いほうがいい。
私なら、冒頭がかったるく感じるので……
>「どうしても来れないか?」
>大学の同級生である明善から六月の終わりにバーベキューに誘われていたのだが
を冒頭にもってきて、
>髭を剃る時に、(以下略)
は「最近、老いを実感することがよくある。」から初めて、「髭を剃る時に、鏡で自分の顔を見ていると……」と続け、後に回す構成にする。
まあ、作風の違いでどっちがよくてどっちが悪いということはないのだが、私ならそうする。 子供の頃に文才あるとか誉められることなく育った初心者に共通して言えることだけど
自信のなさが文章に滲みでてる
>>260が言うように強い断定調で進めていかないとぼんやりしたまま集中できない
自信の無さは、同じ言葉の多用や接続詞の多さ、「〜する(した他)こと」などクドい言い回しに出る
意識して使わないように。こそあども台詞以外使わない。
立ち読みやなろうなど他人の小説読んだとき、「この表現はダセーな」と思ったら更に追加
楽なものを制限することで幅が広がって自信も出てくる 「し」さん自身は物語調と言いつつも
>結婚なんかしなくてもいいが、結婚していない自分を周りの人間との関わりによって気づかされるのが嫌だった。
等々、さも、作者の価値観や思想のようなものが随所に出ていて
物語というよりかは、やはりいつものように「し」さんの主張やエッセイの域を出ていないのが残念。 主張なのか?
そういうキャラ設定にも思えるが違うのか?
ありきたりで薄いし長文の中の一部なんだろ?
酷評しても仕方ないが同じ言い回しするのはまじやめてくれ どう見ても、毎回、作者の思想、哲学、価値観を前面に反映した内容ばかり
それを物語調の小説も書いてるといわれてもなあ。 そうなのか
なろうカクヨムでエッセイ書いてせっかくのネタをドブに捨ててる連中よりは着眼点いいと思うけど
どの小説にも作者の思いとか信念・哲学入ってるし
私小説じゃないまったくの想像だけで書くのは無理だよ
自分語りうざっと感じるのは書き手がまだそのレベルだから
>結婚なんかしなくてもいいが、結婚していない自分を周りの人間との関わりによって気づかされるのが嫌だった。
このまま独身でもいいが、家庭という小さなコミュニティをつくった友人と、孤島で声出すことも忘れ土に還る日を待ち続ける自分と。明日、隕石が激突して終わったら走馬灯再生時間(たぶん、「あ」と一言も言えずに終わるな……orz)の圧倒的大差感に身震いした
これだとどう? 「し」は当初、延々と、ニーチェがどうだの、哲学やら宗教やらを
語り続けて、俺は誰よりも博学だぞ、みたいなのを前面に出してて
独りよがりな面倒な人だなと思わざるをえない時期があったので、
そういう部分が文章の端々に垣間見えると、きついのだ。
ま、当時に比べれば、思想とか哲学とかの押しつけは抑えられてきたってのはあるけどね。 なので「親鸞さんとか蓮如上人の思想が」と出てくると、またかと
ちょっとしんどいわけです。 知識として頭の中にあるけど自分のものになってないから文章に出るんだよ
哲学ってフィールドワークだから他人のものを教養として吸収しただけじゃ、ただの情報でしかない
博学気取っても通用するのはクイズ番組だけ
ニーチェ読んでれば知ってて当然だと思うけど上辺しか読んでないんだろうな、南無阿弥陀仏 [1/2]
私がいつも通る横断歩道では不思議なことが起こります。
そこでは誰もが赤信号でも道路を渡っていたのです。
ある時、私は赤信号を渡ろうとする人を呼び止めて、どうして信号無視をするのかと訊くと
「何を言っているんだ。青じゃないか」と答えました。
また別の人に
「信号は何色ですか」と訊くと、馬鹿にされていると思ったのか
「青!」の一言が返ってきました。
またある人は赤信号で立ち止まった私の隣に立ち、しばらくした後に
「なんだ、青だったのか」と道路を渡ることもありました。
私の目にはどう見ても赤信号なのに、何故か他の人には青に見えているようなのです。
私の目はおかしくなったのでしょうか。
しかし、そことは違う横断歩道で他の人達は赤信号で止まっていました。
赤信号を渡った人もそうだったので
「信号は何色ですか」と訊くと
「あなたは色が見えないんですか。赤ですよ」と答えました。
そして信号が青になると、その人は道路を渡りました。
私は頭がおかしいのかもしれない。
しかし、そう思っていた矢先に悲劇は起こりました。
赤信号を渡っていた人達にトラックが突っ込んだのです。
私はたくさんの人達が死ぬのを目の前で見てしまいました。
「ああ、なんてこった。青信号だったのに何で人が通っているんだ」
トラックから降りてきた運転手は叫んでいたので道路は青信号だったのでしょう。
歩道が赤なら道路は青のはずです。
でも事故現場の周りにいた人達は
「どうして青信号に突っ込んできた。頭がおかしいんじゃないか」と運転手を非難しました。
でもその時の横断歩道の信号は赤だったのです。
それなのに運転手は赤信号を見て、自分の罪を反省するかのように頭をうなだれました。 [2/2]
あんな悲劇があったのだから赤信号で渡る人はいなくなるだろう。
そう思っていると、やはり次の日から赤信号で道路を渡る人はいなくなりました。
みんな横断歩道の前で立ち止まっています。
でも青信号になっても道路を渡りませんでした。
私が道路を渡ろうとすると
「赤だぞ。何をやっているんだ」と怒鳴られました。
でも信号は青です。
トラックも信号の前で止まっています。
でも道路を渡ろうとする人は一人もおらず、私がとんでもないことをしているような目で見てきました。
別の日に私は青信号で立ち止まっている人に信号の色を訊きました。
すると「赤だよ」と答えました。
「昨日もここで立ち止まっていましたね」と訊くと
「そうなんだ。でも、いつまで経っても赤のままだから会社に行けないんだよ。このままじゃクビになってしまう。
ああ、ちくしょう。会社のためには赤信号でも渡らなきゃいけないのかなぁ……」
と心底困った様子で答えましたが信号は青でした。
酷評お願いします! こそあど
しかし
でも
すると
「訊く」
もういちどちゅうがくせいをやりなおしましょう [修正版1/2]
私がいつも通る横断歩道では不思議なことが起こります。
誰もが赤信号でも道路を渡っていたのです。
ある時、私は赤信号を渡ろうとする人を呼び止めて、どうして信号無視をするのかと訊くと
「何を言っているんだ。青じゃないか」と答えました。
また別の人に
「信号は何色ですか」と訊くと、馬鹿にされていると思ったのか
「青!」の一言が返ってきました。
またある人は赤信号で立ち止まった私の隣に立ち、しばらくした後に
「なんだ、青だったのか」と道路を渡ることもありました。
私の目にはどう見ても赤信号なのに何故か他の人には青に見えているようなのです。
私の目はおかしくなったのでしょうか。
赤信号を渡った人に
「信号は何色ですか」と訊くと
「あなたは色が見えないんですか。赤ですよ」と答えました。
やっぱり私は頭がおかしいのかもしれない。
そう思っていた矢先に悲劇は起こりました。
赤信号を渡っていた人達にトラックが突っ込んだのです。
「ああ、なんてこった。青信号だったのに何で人が通っているんだ」
トラックから降りてきた運転手は叫びました。 道路側の信号は青だったのでしょう。
事故現場の周りにいた人達は
「どうして青信号に突っ込んできた。頭がおかしいんじゃないか」と運転手を非難しました。
運転手は自分の罪を反省するかのように頭をうなだれましたが信号は赤でした。 [修正版2/2]
あんな悲劇があったのだから赤信号で渡る人はいなくなるだろう。
そう思っていると、やはり次の日から赤信号で道路を渡る人はいなくなりました。
みんな横断歩道の前で立ち止まっています。
青信号になっても道路を渡りませんでした。
私が道路を渡ろうとすると
「赤だぞ。何をやっているんだ」と怒鳴られました。
信号は青です。
トラックも信号の前で止まっています。
道路を渡ろうとする人は一人もおらず、私がとんでもないことをしているような目で見てきました。
別の日に私は青信号で立ち止まっている人に信号の色を訊くと「赤だよ」と答えました。
「昨日もここで立ち止まっていましたね」と訊くと
「そうなんだ。でも、いつまで経っても赤のままだから会社に行けないんだよ。このままじゃクビになってしまう。
ああ、ちくしょう。会社のためには赤信号でも渡らなきゃいけないのかなぁ……」
と心底困った様子で答えましたが信号は青でした。
>>272
ありがとうございます。
訊くは尋ねるときに使う漢字なので、やはり訊くが正しいように思ったのでそのままにしました。
修正してきたので、酷評お願いします! >>273
>誰もが赤信号でも道路を渡っていたのです
>青信号になっても道路を渡りませんでした
>私が道路を渡ろうとすると
渡るのは道路なのは書かなくても明らかなので、「道路」は省き
ーー赤信号でも渡っていたのですーー
ーー青信号になっても渡りませんでしたーー
ーー私が渡ろうとするとーー
で充分だと思います。
>そう思っていた矢先に悲劇は起こりました
ここでの「矢先に」は使い方が間違っています。
「矢先に」は、過去ではなく未来形の時に使います。
「思っていた」はもう過去のことです。
正しい使い方の例としては。
ーー渡ろうとした矢先に悲劇は起こりましたーー
等の、「これからしようとしていたちょうどその時」という意味での、未来系のときに使う言葉です。
ちなみに、外国の人が不思議がるようです。
レッドライトとグリーンライトなのに、なぜ日本人はグリーンライトを緑信号ではなく青信号というのかとw 創作文芸板のスレで作った話をなろうに投稿しています。
評価の方よろしくお願いします。
「ライトインフリゲート」
https://ncode.syosetu.com/n3693dq/
あともしよろしければこの小説を作成している元スレの方もみていただけたらと思います。
「安価で作った話をなろうに投稿するスレ」
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/bun/1515206608/l50 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3) >>276
プロロ−グだけ読んだなかで、まず、2025年っていう年代設定が近すぎないか?
こういう出来事は、2025年では無理と思ってしまう。
もう少し先の未来設定でもよくない?
>世の中はもう夜になり2024年という古い年を忘れ新たに2025年を新たに向かい入れようと外ではどんちゃん騒ぎをしていた
「世の中はもう夜になり」はなんか変な表現だ。「真夜中を過ぎようと」とか「時計は0時を回ろうとして」とか別のいい表現があるだろうに。
〜新たに2025年を新たに向かい入れようと〜の「新たに」の繰り返しもよくないので省け。
〜外では〜も、どこの外?はわからないので、「○○の外では」とか「年越しイベントの街に繰り出した人々は〜」とか
他に書きようがあるだろう。
>部屋も小さな切れかけの電球の光が差し込むだけの
「差し込む」だと、外からその明かりが差し込むように読めてしまう。
切れかけの電球がついている部屋に見えない。
>眼下に広がる光景に、足がすくむ。
「足がすくむ」とは、緊張などによって足が動かなくなることを言うが
ここで、足がすくむは、時空が歪んだ眼下の光景が描写されていないので、
どうなっているのかが伝わってこず、あまりいいとは思えない使用。
街が壊れていくという安易な説明ではなく、どう見えてるかをもう少し描写して、だから「足がすくむ」と書くべき。 >>276
第一話を読んだ感想。
>あの日、一人の科学者が全人類に対する反乱を起こした
反乱を起こした……、なのか?
>ちなみにナディエージダの正式名称は
「ちなみには」あまり使わないほうがいい。理由は長くなるので書かないが、ここでは内容にそぐわない安っぽい印象になる。
>一人の研修生が恐る恐る尋ねる。
この状況下において、研修生が「恐る恐る」はないのでは?
以降、話はよくなっていくが、よくあるキャラ、よくある人間関係、よくある人物紹介が続き、よくある展開だなと思ってしまう。
振り返って、やはりプロローグの冒頭が雑というか、つかみが弱いかなあ。
破壊された十年後に、よくそんな航空部隊養成訓練学校が存在できるもんだ?とつっこむ野暮なことはやめておくが。 1話は実は一度大幅な修正をしたんですけどやっぱりまだまだ問題点は多いですね。
あとやっぱり最初のつかみは弱いですよね。
最初はとりあえず早く投稿したい!という気持ちが優先してしまっていて、少し雑な部分などが目立っていますよね。
あとから見直して色々後悔してます。
とりあえず修正できそうな箇所は修正しておきます。
批評ありがとうございました。 https://ncode.syosetu.com/n3083ff/
※BL注意
酷評お願いします。
あればの話ですが伸ばすべきいいとこも教えてくれるとありがたいです。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3) >>276
とりあえずプロローグ読ませていただきました
まず、文章がめっちゃ読みづらいのがものすごく気になります
てんてんてんは・・・ではなく……(三点リーダ)です
主語の重複(男は何かを男は書いていた、など)が多いのでどっちかを消したほうがいいです >>280
創作発表板のほうに批評レスしました。
話自体は悪くないので、きほんてきな小説にするうえでの「人称」を見直したほうがいいです。 >>283
長いので一章だけを読んだ感想。
まず専門的なことですが、腹部を刺されて即死はしませよ。
それに、身元が分からない死体を「40歳代とみられる」と断定して報道するのも、ないな。
パチンコ屋で裕介の前に現れた店員のことでさえ、「30代にも40代にもみえて、年齢はよくわからない」としたのにだ。
パチンコ屋内の描写が細かいが、普通パチンコ屋はそういうものなのを読者はそれなりに皆知っているので、あまり細かく描写しなくていいと思う。
それよりもむしろ、「店内のやかましさをよくがまんできるものだと、ほかの客たちの感覚をうたがった。
それが今では平気になってしまっている」の、今では「平気になった」いきさつの流れを細かく書いた方がいい。
さらに言うと、これ三人称で書かれているが、どう見ても裕介の僕視点で一人称で書いてるような書き方なのが気になる。
「裕介は…」という部分を「僕は」に変えただけで、そのまま全文が読めてしまうのは、
三人称としてうまくいってない証拠。
もっと三人称としての書き方があるはず。
裕介が、つまみ出された男に「だいじょうぶ、ですか?」と声をかけるのはどうかな?それはないだろ。
出会いを作りたいのだろうが、もっといいアイデアを出した方がいい。
病院内の描写も細かすぎて長くて、テンポが悪く感じる。
男を病院に担ぎ込んだ時点では、慌ててる感じを出したほうがいいので、
淡々と悠長に描写せず、そこはテンポを優先し、「男のことだけが気になって周りには目がいってない」感じで、さらっと書くべき。
そんな感じで全体の描写が均一すぎる。
じっくり描写すべき場面と、そんなこと描写してる暇がない場面とで書き方に緩急をつけるべき。 作り話なんだから、出会いの場面で「だいじょうぶ、ですか?」と声をかけるって
そんな安直なのはないわw
もう少し劇的なのにしてくれ。 >>286
糞作品を酷評されたからって逆ギレすんなw >>286
新参か?
添削係の日本語は外国人なみですしおすし >>283
批評してもらっておきながら感謝のレスも無しか。
最低な作者だな。 >>291
「おばあちゃまと犬と北の島の話」
歴史的に見れば、日本人が最低なことをしてたのがよくわかる話でした。
「変身???」
>桜子さんは2階の自室でスマートフォン片手に家計の整理をしていた。
>子どもたちは無事就職をし、夫の定年退職にはまだ間がある。
「家計の整理をしていた」と「子供たちは無事就職し…」の間がつながっていない。
>子どもたちは無事就職をし、夫の定年退職にはまだ間がある。
>しかし、このご時世には油断は出来ない。子どもたちの結婚だってある。
この文をここに入れるのは間違っているので、違う場所に移すべき。
もしくは、「ふと頭に浮かんだのは、子供たちのことだ」とか入れて、つながるようにすべき。
あと、三人称で書いているが、桜子さんの視点で話が進むので、
この内容だと、桜子さんを「私」として「私は驚いた。目覚めると変身していたのだ。しかもどう見ても豚だ。」
のように一人称で書いたほうがいいのではないだろうか?
両作とも女性的な書き方で好感が持てます。
ただ、何となくですが、両作品の深層に、どす黒い説教臭さを感じました。
女性心理というか、女性が書くと、さすがに見た目のうわべとは反対に内容はブラックですね。 わざわざ拙い作品を読んで下さり、ありがとうございました。
>両作品の深層に、どす黒い説教臭さを感じました。
わぁ・・・その自覚はなかった・・・
特に「変身???」のほうは・・・ 子育てに没頭していた女は
子供が成人した後、ふと気づくと年も取り、ぶくぶく太って豚のようになってる自分にあぜんとし。
好きだといわれ結婚したはずの亭主からも豚だと言われる始末で、
「お前らのために女を捨てて身を粉にしてやってきたんだよ!」と
子育てにつかれた女の気持ちが出た、そういう話だろ? まあ、そういう話です。
バカバカしくて笑っていただければ
うれしいのですが・・・ 私が書いた童話の抜粋ですが
どうも「描写」ではなく「説明」に
なり、文章は退屈で情景が
目に浮かぶわけでもありません。
酷評お願いします。
・・・
北の島は、島の南半分には、山がたくさんあります。そして島の北のほうは広い森と
草原になっています。
島には、北から南にのびる、太い大きな河と、反対に南から北がわに流れる、同じよ
うに大きくて太く長い河があります。どちらの河も、流れはゆるやかで舟で自由に登る
ことも下ることもできます。その2つの河の河岸には、とてつもなく広い、ふわふわとし
たミズゴの生えた、ぬかるんだ大湿原がありました。湿原には、野イチゴやコケモモも、
いっぱい生えていました。湿原にはたくさんの小川や大きな池があり、魚が豊富に
ありました。
先住民が飼っていたトナカイは、草原で放し飼いにされ、自由に大好物のミズゴケを
食べていました。野イチゴやコケモモの実も、先住民の大事な食べ物となりました。
先住民は、大きな河をのぼって来る、サケやマスなどの魚をとったり、河のほとりに生
えている、クルミの実をあつめたり、秋から冬にはシラカバやドングリの森で、クロテンを
つかまえたり、クロマイタケという珍しいキノコをさがしたりして、くらしていました。
北の島はとても寒い所です。冬には風が、氷のように冷たくなります。雪がふり、
川も湿原のぬかるみもまっ白に凍ります。
そんな冬にはかならず、島の北のほうから、犬ぞりに乗った大きな行列がやって
来ました。犬は、黒い犬や白い犬、そしてぶちの犬などいろいろいます。犬ぞりをつ
れた人たちは、先住民がとりあつめた、クロテンの毛皮や、クロマイタケや魚の干物
を、買いもとめました。そしてて、毛皮や干物と交換に、塩や麦やお米、そして着物な
どを持って来ました。 島には大きくて太い河が2つあります。一つは北から南へ、もう一つは南から北へと流れていて、そのどちらも流れは緩やかで自由に船で上ることも下ることもできます。
みたいな感じ 根本が間違っています。いくら文章を手直ししても無駄です。
「説明」に感じるのは、興味のわかない書き方をしているからです。
童話ならなおさら子供たちの興味を引かなければなりません。
北の島には、赤鬼が住んでいました。島の南半分を支配し、その山々に棲む動物たちに貢ぎ物を持ってくるように言っています。
そして島の北のほうの広い森と草原には、赤鬼と対抗する勢力がいて、まだ赤鬼の支配を受けていません。
このように、赤鬼を入れるだけで、その地域の説明に、興味がわいてくるのです。
「童話」を書きたいのなら、まず「子供たちを楽しませる」を念頭にお話を書きましょう。 ≫298
でも子どもさんが妖精とか鬼とかモンスターの
登場する話しか興味もたないとは私は思いません。
子どもの頃の私自身が、いわゆる「童話」よりも
知識の増える「読み物」を好んでいました。
偉人伝とか他の民族の生活を描いたものや
歴史ものを好んでいましたので。 「赤鬼」はただの一例です。「偉人」でも同じことです。
偉人を先に出して興味を引いてから説明描写をするといいでしょう。
ただし、たんなる「民族の生活」だけでは興味は持ちません。
「歴史」もまず主役がいないとほとんど読まれません。 ありがとうございます。
ちなみに書き出しはこんな感じです
・・・
これは、いぬ年の年に、天国へ行った、おばあちゃまの思い出話です。
私のおばあちゃまは、いぬ年のお正月には、犬のためのお祝いをしました。
まるで世界中の犬のしあわせを、お祝いし祈るよう な、とてもにぎやかなパーティでした。
でも、おばあちゃまは犬を飼っていません。
テーブルには、犬のためだという、ごちそうが用意されます。まず、近くの山でとれた《ジビエ》、つまり野生のしかやかもしかのお肉のお料理がありました。そしてもっと上等なのは、サケやマスなどお魚のごちそうでした。
おばあちゃまは、犬のほんとうの大好物は、マスやサケなどのお魚だと、意見をゆずりません
でした。お魚やお肉のお料理のほか に、お菓子もありました。私が15才のいぬ年には私の
お手製の、近くの山でとれた、コケモモや野イチゴのケーキもありました。
おばあちゃまは、いぬ年の生まれでした。でも、おばあちゃまが犬のためのパーティを開いた
のは、その理由だけではありません。
おばあちゃまは、北の島で生まれ育ったのです。
・・・
「おばあちゃま」が主役ではじまります。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054888379499/episodes/1177354054888379529 主役ではないですね。主役は「私」です。そして読者が感情移入するのも「私」なのです。
ですから、書き方が間違っています。
それを踏まえて、読者に興味をもたせるのなら、
まず「私」がおばあちゃまの家にいったときの「驚き」として書くべきでしょう。
たとえば、
おばあちゃまの家に遊びに行くと、盛大なパーティーがおこなわれていた。これはなんだろう?
それは犬のためのお祝いだった。でもおばあちゃまは犬を飼っていない。どうして?
というふうに、つねに疑問、驚きをもたせるようにすると、読者は飽きずに読むことができるのです。
つまり「私」目線で書くことで、「私」の感じたおばあちゃまへの興味がダイレクトに読者に伝わり共感できます。
これができないと、他人のおばあちゃまの話など、第三者の読者としては誰も興味をもちません。退屈します。退屈な説明を受けている感じがします。
童話を書くのなら、目の前に、すぐに退屈してしまう子供がいると想定して、その子に向けて話すように書きましょう。たとえば、
「樺太という島を知っていますか?」という書き出しはとてもいいです。しかし、子供ならほとんど知りませんし、また大人でも形まではよく知らないでしょう。
ですから「よく見ると、お魚の形に似ていませんか?」ではなく、
「地図を見ると、上を向いたお魚の形に似ています」という感じの表現になります。
つまり目の前に、読者(子供)がいる、というテイでお話を書く、を心がけるといいでしょう。 本当にどうもありがとうございます!
心して推敲・書き直しをします。 >>291の作者の人には、作者にしか書けないメッセージ性がちゃんとあり、
それが個性になるので、
説明で終わってるというわけではない。
個人的には童話は子供が楽しむためのもので…ということに賛同だが
昔から、子供向けのイソップや童話には恐ろしいメッセージが込められてる場合が多く
そこに描かれる内容はジャリ向けでなくとも、別にいいと思うのだ。
ま、一番いいのは、表向きには、子供が楽しめる内容に見せておき、
実はその裏側には、深読みすると、民族を虐げられた先民の思いが込められた話にも読み取れる……
というのがベターだけどね。 「ねじまき鳥」を読んで書きました。
即興です。
添削おねがいします。
カワハギさんが言う。
「さて、それじゃはじめようか」
彼の右手にはナイフがある。大きさは出刃包丁ほどで、形状はサバイバルナイフによく似てる。
カワハギさんはそのナイフでコンコンと地面を叩く。癖のようなものなのかもしれない。
そして、カワハギさんの前には、猿轡で口を塞がれ、椅子に縛り付けられている男がいる。
「ほんとは君みたいな美人さんに、こういうのは見せたくないんだけどね。これも仕事だからね」
と彼は言う。「だから、よく見ておくんだ。人間の中身なんて、めったに見られないぞ。これも経験だと思うんだね」
声にならない声をあげながら椅子の男が悶えている。男が逃亡を試みるたび、ガタガタっと椅子が揺れる。だがどうにもならない。 カワハギさんは首を回して、コキコキ鳴らしたあと、ナイフを引きずりながら、椅子の男に近づいていった。
何かを感じ取ったのか椅子の男の苦悶が激しさを増す。カワハギさんは男の隣に片方だけひざをつけ、ナイフを男の腕に乗せる。男の腕は椅子にくくりつけられているので、動かせない。
カワハギさんはためらいなく、ナイフを男の腕の上でスライドさせた。スーっとする音がはっきり聞こえるくらいキレイに、手際よく、腕のいい刺身職人が魚を卸すみたいにカワハギさんは男の腕の皮を剥いだ。男の腕の皮が絆創膏みたいにぺろりと剥がれる。
「うぐぅああああああああ」
男の悲鳴がむなしく無機質な地下に響く。しかし残念ながらカワハギさんが作業を止めることはない。むしろその動作は、より精密で淡々としたものになっていく。
カワハギさんは、今度は男の鼻にナイフの切っ先を向け、下から上に、鼻柱にそってまたもや「スーッ」と皮を剥いだ。
すぐさま血液が出てきて、椅子の男の唇だの、頬だのをつたってぽたりぽたりと地面に垂れてゆく。 >>306
「ねじまき鳥」を読んでカワハギ部分で連想して書いたのは気色悪い。
綺羅星さんはもっとオリジナルな良い作品が書けたはず。
即興じゃなく、まともに構成した完成作を投稿してくれw
次回に期待。しかし君も病んでるね。 >>310
はたして農業がなかった時代に天狗がいたか疑問だが。
山の天狗はまだしも、海の天狗???
鬼と天狗は全く別なのでは?
比喩なんだろうけど、受け入れがたい設定のせいで、ちょっと話に入り込めない。
時代もポンポン飛ぶが、そこを描く必然性が伝わってこないです。
壮大な大河のような話にするより、読者に感情移入させるために、誰かキャラを造って視点を絞ったほうがよいのでは?
前に投下されてた作品より、いかんせん、。説得力に欠けます。 >>314さん、
ありがとうございます。
なるべく説明的・理屈っぽい展開にならないよう
修正したいと思います。
天狗のモデルは「熊襲」(隼人)です、 添削して欲しいけど皆レベル高過ぎて無理…
完全な初心者向けの添削して貰える場所が欲しいわ >>318
リンクへクリックしたけど掲載されてなかったよ。
何かミスしたのじゃないの??? >>319
掲載されてない?
作家でごはんの作品ページに飛びませんでしたか?
風になるっていうタイトルなんですけど 私も酷評してほしいです
書き出しだけ読んでくださいませんか >>326
胎児の豚がこういう認識を持つとも思えないし、吾輩というわけもなく、
「おいら」でも「ボク」もいいだろうに、出だしがどうこういうよりも、センスが悪い。 そろそれ俺も小説書き始めるかな。
そこで前に書いた小説を遂行してみた。
酷評よろしく。
1/3
私のもとに初めて内定を報せる電話がかかってきたのをゼミの連中に報告した時のこと、話の流れで「働くこと」についての話題になった。
「はっきり言って労働は邪魔ね」この時、のんちゃんはこう言い放った。
「ごめんなさいね。これは私にのみ当て嵌まることであって一般的なことではないから気にしないでね」と、のんちゃんは、このように皮肉めいた前置きをして語ったのだった。
のんちゃんには演劇がある。のんちゃんが演劇に命を賭けているということを誰もが知っていた。だからのんちゃんの言い放った言葉をみんな自然に聞いていた。
なかにはアンチもいて「でも働かない人ってどうなの?」とかなんとかボソッと呟いた女の子もいたことはいたが、若山ゼミ生の大半が「のんちゃんはのんちゃん、私は私」というスタンスを貫いていた。 2/3
のんちゃんは現在、時給一五〇〇円のコールセンターでバイトをしていた。大学を卒業したら、劇団に所属しながらこのアルバイトで今後生計を立てていくつもりだ、と彼女はいつか言っていた。
「私いろいろなアルバイトをしたけど、結局働くって搾取されることだと思うのよ。やりがいとかやりたいこととか言うけど、
仕事ってそういう自分の意志とか意向とかまったく関係なくて、まず社会ありきなの。社会があって自分があるの。自分がどうとか云うのは論外で、
フリーランスでやっている人や経営者になったり事業主が言うことであって、従業員はその組織の円滑な運用の歯車になって意思なくその会社のことだけ考えてればいいわけなの」 3/3
彼女の悟ったような言い方に、まだ卵の殻がついたような女子がムッとした顔をして噛み付いていたが、私も働き始めて何年か経ってから彼女の言わんとしていることがわかってような気がする。
会社勤めをしたことのない若干22歳ののんちゃんがどうしてあのような本質的なことを言えたのか、それは卵の殻が付いたような連中のように、
大学生活の四年間を無駄に過ごししていなかったからだと私は思う。彼女のように密度の濃い時間を過ごしたか、
そうではなくて主体性を消して周りに同化しながら生活してきたか、彼女を批判する連中との間に違いがあった。
今思えば、のんちゃんは何かと闘っていたように思う。そもそも彼女は内省を繰り返して、バランスを保って生きているような印象だった。それはまるで、派手さと地味さを併せ持ったような、
ある部分ではこれでもかってほど謙虚に自分を律し、またある部分ではとても我が強く、まさに絶妙に自我をコントロールしていた。そして他者と同化するでもなく、他人は他人、自分は自分というスタンスを貫きながら、
また他人のことをよくわかっていた。 >>329-331
>そろそれ
出だしから日本語がおかしいのは気合が入ってない証拠
>この時、のんちゃんはこう言い放った
>だからのんちゃんの言い放った言葉
>まだ卵の殻がついたような女子が
>それは卵の殻が付いたような連中のように
「言い放った」や「卵の殻がついたような」の連投が、くどい。一度書けば、じゅうぶん。
そもそも、これは小説とは言えず、のんちゃんらに対しての”私”の思ったことを書き綴った感想文とかエッセイでしかなく、物語性がないのが残念。 >>296
・北から南に流れる川
・南から北に流れる川
童話にしても意味不明でしかない
どういうイメージなのか知らないけど超自然的なモノなのか?
流れが逆なら河岸が同じにならないだろ
>『北之島』には2つの川があります。
1つは北から南へ、1つは南から北へ豊富な水をたたえながらゆったりゆったりと流れています。
山の描写いらない
あくまでも超自然をしっかり書くこと >>304
冒頭から変えた方がいいです。
>私が6歳のときのいぬ年のお正月に、おばあちゃまはいぬのためだという、とてもごうかなパーティーをしていました
私が6歳のとき、おばあちゃまはいぬのためにとてもごうかなパーティーをしました。
それは必ずいぬ年のお正月にやると決まっていて、おばあちゃまは、世界中のいぬの幸せを祈るように、、、、 >>310
冒頭だけ
>昔むかしまだこの国に農業の無い時代の話です。
後半には農業が出てくるので『農業の無い時代の話』にしてはいけません
>昔むかしこの国にまだ農耕も(伝わって)無い時代、国の南に山の天狗と海の天狗の一族がいました。
2つの一族は、、、、 >>329
冒頭だけ
>私のもとに初めて内定を報せる電話がかかってきたのをゼミの連中に報告した時のこと、話の流れで「働くこと」についての話題になった。
ゼミの連中に報告する義務みたいなものがあるのかな?
単にゼミの連中との会話の中での話ならこう書かないと
>ゼミの連中とおしゃべりしている中で、昨日内定を報せる電話がかかってきたのを言ったら、みんなで「働くこと」についての議論が始まった。 >>338
上手いかどうかでなく原文は読み物としておかしいことが分かってないなら批評するなよ
>私のもとに初めて内定を報せる電話がかかってきたのをゼミの連中に報告した時のこと、話の流れで『働くこと』についての話題になった。
これを上手いかどうかの次元で判断してる君は批評する資格ない
そんな批評するならこの文章を上手く書いてみろよww 冒頭からおかしい。
>私のもとに初めて内定を報せる電話がかかってきたのをゼミの連中に報告した時のこと、話の流れで『働くこと』についての話題になった。
・初めて←いらない
何故なら初めてと書くには理由が必要になるから
例えば50件受けて全部ダメで51件目で「初めて」内定が来たという苦労があったのかと
それは日記じゃなくて、人に読ませるヨミモノだろ?
・ゼミの連中に『報告』した
それをゼミの仲間に『報告』したのは何故か?
・話のながれで『働くこと』についての『話題』に
話のながれで←これは内定の『話題』
働くことについての話題になった←主語が無い典型的なダメ文章
書くなら
『人』が『働くこと』についての話題になった
あるいは『みんな』で『働くこと』についての議論になった
主語が無いとただのクソダメ文章。 >>329-331を読んだが日付を見たら半月以上前ではないか
いないかもしれんから別にいいな タイトル ブルターニュのCagotsのの母
16世紀初頭のフランス・ブルターニュ半島中心の森が多い村を、母親は7才になる我が子の手を引いて歩いていた。
クリスマスが終わった最初の日曜日、天候は晴れていて、麻の衣装を厚着した母親は汗ばんでいた。一方、黒く染めた
仔牛の毛皮のマントを羽織った男の子は、いつもそうだが、さして汗をかいていない。
遠景にはこの地域独特の《ボカージュ》と呼ばれる、木々に囲まれた農地が見える。亜麻や大麻そして蕎麦など、この
地方の産物の作物は冬の今は刈り入れられ、痩せがちな農地が、種類豊富な樹木の生垣越しに覗き見えていた。
赤茶色の衣装を着たCagotsの一家が、ハンノキの生垣沿いの道を歩いている。教会へ行くときすら、目立つ赤い衣装を
着てアヒルの脚の紋章を付けているのが、彼ら彼女らの特徴である。母親は賤しく穢れた者を見る目で、彼ら彼女らを一瞬
見つめ、すぐに目を逸らした。この母親にとってCagotsの一家など、自分達とは無関係の「他者」に過ぎない。
春に夫を亡くして以来、母親は残された男児を必死で育てて来た。その息子というのは、7才にもなるのに役立たず、性格は
鈍重で口数が少なく、身体も弱く不活発であまり働かない。
何よりも姿が、あのCagots達とは違う意味で村人達の目を引き、母親の気持ちを挫けさせていた。その子どもは背が低く、
手足が短い。ついでにその指まで短く不器用である。顔は目の周りが腫れぼったく、口は大きく舌がいつも唇から出ている。
それでも母親は母親なりに我が子を愛しているつもりであった。今日も冷え症な体質の我が子のことを思い、麻ではあるが
足の趾先から腰までを覆う、脚衣のショースを木靴の下に履かせている。羊毛や、最近入って来た綿など彼女の手には
とても届かないが、手織の麻を何度も砧で打って生地を二重にしたそれは、彼女なりに精一杯の心尽くしであった。 「カクヨム」に「ブルターニュのCagotsの母」という
タイトルで作品を投稿しました。
まだまだ推敲の余地はあると思います。
読みやすくて感動できる話を目指しています。 https://www.alphapolis.co.jp/
小説投稿した。ラノベ中心の異世界に純文学が挑戦!
結構長いもの書いてる。
「いつか死ぬのだから」ひゅん カクヨムで書いている小説の冒頭なのだが、続きが読みたくなるかどうか、率直な感想を教えて欲しい。投稿上、改行が不自然なのは許して欲しい。
『凍て蝶』
蝶の死骸が、窓の縁にあった。六本の足を内に丸め込み、黄色の鮮やかな羽を木枯らしにふるわせて、そこに転がっていた。
鈍色の空から雪が降りている。ガラスから伝う冷気が手元に冷たい。
私は息苦しさを覚えた。冷たい大気が肺を逼迫《ひっぱく》しているだけではなかった。連れもなく殻となったこの蝶に、とろ火ほどでも心が灯っていたならば。
その考えが左脳をゆるく締め上げるのだ。曇天《どんてん》の下、凍えながら果つるその瞬間、その小さな魂をかすめた感情に誰が寄り添うたろうか。
いや、この蝶には死を悼んでくれる者がいる。私には、そういう存在がいるかどうかさえ分からない。
私には、とある才能があった。今思えば、脆く、あじきなく、その割に傲慢な才能だった。
その才能が彼を引き込み、彼との出会いは私の人生を悲劇に変えた。彼は私の矜持を狂わせ、大切な人を遠くに連れ去った。
今の私は、未来をのびやかに思い描くだけの自尊心も、残りの人生を堪えていくだけの温もりも持ち合わせていない、実に非力な存在だった。それでも、私は己の運命を不服に感じてはいない。
運命というものを人が最も意識する時は憧《あくが》れを感じた時だ。強い憧憬は魂を焦がし、残酷な天啓を君の頭上に響き渡らせる。
私も聞いた。その天啓を。才能はより強く輝く才能に、どうしようもなく惹かれてしまうのだ。心身をやつす程に。
彼は天才だった。 >>350
死んだ蝶と挫折した自分を重ね合わせて追想する狙いかな
初見だと、いる場所の描写や主人公が蝶の死骸を見ている脈絡がぼんやりしてて窓の淵と蝶の死骸だけが宙に浮いてる もったいないね
ガラスから伝う冷気←屋内?
冷たい大気が灰を逼迫する←屋外?(あるいはガラスの向こうに降る雪に息の詰まる思いがしている?)
など、表現の重複が多い割に受け取る情報量が少ないから読み手としては少し困惑する
他に
・その場所は自宅?田舎の喫茶店?オフィスビル?観光客向けの空中庭園?
・主人公はなんでその場所にいる理由は無職?散歩?就職した?傷心旅行?
・窓の淵に転がっている蝶の死骸を悼むのは誰?主人公?主人公が気付く前に誰かが可哀そうといった?
・彼、私、以外に重要人物がいるの?残酷な天啓を聞いた『君』って誰(君=彼or大事な人)?
やりたいらしいテーマは読んでみたいように思えるけど
雰囲気出すには効率の悪い文章になってるから先を読み進めたいかどうかは微妙
字数同じでもよりよく推敲する余地はあるんじゃないかな 俺も読んでみたけど振り仮名いらないんじゃないかな
ちょっとそこが入っていけない。