>>179
勘違いしているようですね。
その論旨で話しているのは私ではないですよ。

キミがショウペンハウエルにかぶれているように、読書は洗練した考えを模倣させる影響を及ぼすものです。
キミの考えよりショウペンハウエルが優れているとキミは思ったから、ショウペンハウエル論を採用する事にした。これが影響です。
しかしショウペンハウエル論は創作現場では常識の一翼、わるくすると自己啓発のかけごえといってもよく、コピーするだけでは凡庸ですね。クリエイティブな論考ではない。
かといってショウペンハウエル以前のプリミティブな考えでやっていくにはキミは自信がない。才能の限界です。
キミは影響されるなというが、ショウペンハウエル程度に染まっているのがすでに自分の限界をしめしているのです。

だから、読書で検証と洗練をくりかえしていかなければならなくなります。
ショウペンハウエル論をおいて、横に別論を置き、巨人の肩に乗って影響されるだけでなく自分で発見を見つけ出す。
それには各論の瑕疵や長所をしらべていくだけの脳の広い領域が必要であり、さばくための論理性が要ります。
例にした障害者はそうした知能にかけていて、健常者であっても才能と慣れがなければむりです。
才能とはある思想に簡単に影響されず、コトバとコトバを相対的に受容できる脳の領域の広さ、慣れとはその経験量、読書とはそのとき鍛錬になるのです。