次作が書けないと決めつけたい手合いは論外としても、自身のマイノリティ性を前面に出してデビューしたことで自縄自縛に陥ってしまうケースは想像に難くないと思うけどね。
読者も編集者もそういう色眼鏡をかけて見る人が多いだろうし、それを内面化して泥沼にハマってしまったり。当事者性を排したものでリベンジを図っても、そういうのが上手く書けなくて今までデビューできなかったのだから、結局……ということだってあるだろう。
上に三島や大江のように、とあったけど、確かに身近な問題から普遍性を獲得していけたらいい。けど、現状のマイノリティ文学は作家個人の内面に依存している印象がある。それこそ当事者性という言葉に絡め取られてね。こういう書き方でどうやってスケールを上げていくんだろう、と疑問を呈する気持ちはわかる。