芋虫少女の繭と光
​カエデは、周囲からそう呼ばれていた。それは、彼女の容姿が特段異様だというわけではなく、彼女の生活様式、あるいは彼女が世界と接する態度が、まるで糸を吐く前の芋虫のように見えたからだ。
​彼女の部屋はいつも薄暗く、分厚いカーテンが閉ざされている。その部屋で、彼女はひたすら本を読み、ノートに文字を書き連ねる。社会や他者との関わりを徹底して拒否し、自らの内側に、見えない分厚い繭を作り上げていた。同級生たちは、彼女の静寂と、外界への無関心を嘲笑したが、カエデにとって、その繭の中こそが、世界で最も安全で、そして最も創造的な空間だった。
​彼女のノートに綴られる文字は、現実世界では口にすることのない、鮮烈な思考の記録だった。世界は、カエデの視点を通すと、色彩を失ったデータと、虚ろなノイズで構成された不完全なシステムに見えた。彼女は、その不完全な世界を、言葉という論理的な糸を使って、再構築しようと試みていた。彼女の書く物語は、常に変容、逃避、そして最終的な飛翔をテーマにしていた。
​ある夏の夜、カエデは突然、衝動に駆られたようにカーテンを開けた。部屋に滑り込んできた月の光が、部屋の隅に積まれた本とノートを照らし出す。その瞬間、彼女は理解した。自分を縛っていたと思っていた「繭」は、実際には、彼女が外界の光を受け止めるための濾過装置であり、彼女自身の内面を形作る栄養素であったのだ。
​カエデは窓辺に立ち、初めて夜の街を見下ろした。彼女の瞳には、薄暗い部屋では見えなかった、都市のネオンの混沌とした輝きと、そこを行き交う人々の、それぞれの物語を背負った影が映った。
​「もう、充分だわ」
​カエデはそう呟き、書きかけのノートを閉じた。彼女の内部で、長期間にわたって蓄積されてきた知識と感情のエネルギーが、臨界点に達したのを感じた。芋虫が繭を破り、蝶として飛び立つように、彼女の内なる変容が、いま、完了したのだ。次の瞬間、彼女は自らの意志で部屋の扉を開け、冷たい廊下の光の中へ、踏み出した。彼女の世界は、静寂の繭から、予測不能な光の奔流へと変わる。