「大石寺の寂日坊から万年救護御本尊を持ち去り、蓮蔵坊から御影を持ち去り、挙句の果てには質屋に入れて、其の醜態ぶりを富士門流に轟かせたが、ようやく昭和の代になって改心し、我が興門正統に帰伏したのである。
しかし、郷門の性とも云えようか。其の反骨離反の性根は、否応(いやおう)なしに燃え出して、結句は38年間の帰順を棒に振って、元の小鞘に納まった、という事である。

まぁ、兎も角、今にも崩れそうな山門をなんとかしなさい。

尚言っておくが、お主ら郷門は富士五山にも入らず、買戻しの万年救護の大本尊は、中興日我からして戒壇の本尊と為し給はず、以って、富士大石寺を総本山と再仰したるは、これ全く未来戒壇堂の本拠と成らず。
依って、郷門・保田妙本寺は、興門正統の枝流にして本流に非ず。さても其れを見抜けぬとは」(破邪の蘭室より)


保田の山門って、「今にも崩れそうな」状態でしたっけ?
しかし、この主催者(大月天氏)は、「大石寺の寂日坊から万年救護御本尊を持ち去り、蓮蔵坊から御影を持ち去り」と、
「日郷の冤罪」を従来の大石寺の言い分の代弁で「今だに見抜けぬは」・・・

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