公明党は創価学会を支持母体とする政党として知られているが、それ以外はよく知らない方も多いのではないか。
公明党の山口代表が、佐藤優氏との共著『いま、公明党が考えていること』で、党の性格について述べている。

> 公明党の場合、自民党とは違って「国民」という言葉は使わず「大衆」一本です。
> 先ほど申し上げたとおり、「国民」という言葉には日本で暮らす一部の人を排除する要素があります。
> 公明党が一緒になって戦うのは「国民」ではなく、あくまで「ともに暮らす大衆」である。

それでは、国民から排除される「日本で暮らす一部の人」とは、どのような人たちを言うのだろうか。
山口氏は学生の頃、創価学会の集会に参加して受けた印象を、次のように振り返っている。

> 在日韓国・朝鮮人も含め、創価学会には実にさまざまな人がいます。そういう人たちが一堂に集まって
> 座談会を開き、「今日は一つためになったな」「今日はこういうことを決意して明日からがんばろう」
> と語り合う。創価学会とは本当にすごい場だと思いました。

「日本で暮らす一部の人」が自らの代弁者として、ほとんどの日本人が忌避する創価学会を選択すれば、
一般の日本人との間の壁をより厚くし、摩擦を招き、新たな差別を生むリスクがあるのではないだろうか。
無論、外国人であれ信教の自由は尊重すべきだが、創価学会は今まで信教の自由を尊重してきただろうか。

創価学会員から、信教の自由という基本的人権を侵害する、強引な勧誘(彼らの言葉では「折伏」)を受けた
経験のある方も少なからずいるが、それについて「人権の党」を標榜する公明党はどう考えているのだろう。

投票日が近づいているが、投票率が低ければ、確実に投票に行く組織票の影響力が、それだけ大きくなる。
投票権を持つ「国民」なら、その一人として、差別や人権侵害と決別するための一票を投じたいものである。