>>657
勘違いしないでほしいが中心に考えるとは言っていない
いい人だな、可愛い人だな、優しい、気立てがいい、話が合う
入り口は色々あるしそのことが好印象になりより好意を抱く
しかしその先には本能的に思うことがでてくる
手を繋ぎたい、抱き締めたい、キスしたい、一夜を共にしたい
それは根本的な本能であるセックスに辿り着き性と言う本能に支配される

逆に言えば性と言う本能に支配され、そこに繋がるために色々な好意的選別をしているにすぎない
本来、性本能とは快楽と言う意味ではなく、自分にとって優秀な子孫を残すために働く本能だ
しかし人間の場合はその好意に強烈な快楽が伴ってしまう
そのことが子孫を切り離したうえで、食事や睡眠と言った快楽と同等かそれ以上の重みを増し人生をもコントロールしてしまう
それが人間だ

そもそも何故か社会的にセックス=いやらしい、エロなどと、それが悪のようなイメージを植え付けられている
何故か?誰が決めたのか?理由は?盲目的にそう信じ考えたことすらない人が多いだろう

色んな理由があるが、大まかに言えば社会行動や人口調整に支障がでるからだ
誰とでもやるとまで言わなくても複数の子孫が無秩序にポンポン誕生しては社会が成り立たなくなる
快楽先攻で体力を消費し働く=納税しなくなるからだ

子孫が誕生しないから前提に無理があるが
仮に無精子状態で無卵子状態の人間しかいなければ、スポーツと同等に推奨される好意になっていただろう

健康にいいからと若いうちからなるべくやりなさいと大人から言われるような行為になっていたかもしれない
学校の帰り道、今日バスケしない?と言わんばかりに、えっちしない?いいよー、なんてことが日常だったかもしれない
会社の帰りに美味しいもの食べてカラオケいやセックスしない?いいねー、となっているだろう

実はセックスは神掛かり的な神秘的な秘めた恥ずかしい行為でもなんでもない
気持ちいいか悪いか、子孫さえ絡まなければ単なる快楽行為にすぎないとも言える

ふしだら、その概念すら社会があとから作り出した哲学にすぎないのだから