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世田谷等々力にその豪邸はあった。忍び返しが並んだ高い屏を覆う樹木の密度に屋敷は外界と完全に遮断されている。
大型高級車が2台並んで入ってもまだ余裕がある冠木門が開けられ、一台のマイバッハが静かに邸内に消えていった。
リアシートの左右ドアから運転手と秘書が降り立ち、手動で運転手が開けたバックシートのドアから一徹ゴルゴは身を出した。
秘書が「お疲れ様でした」と深々と一礼する。
玄関前の車寄せには小田部家に仕えて60年の執事が立っていた。
「星一徹様。ようこそいらっしゃいました。私、バトラーオブ当家の長嶋でございます。御前はロングタイムウェイティングです。ご案内
いたします」
日本語と英語をチャンポンにしたことを甲高い声で言う執事の口調に一徹ゴルゴは笑いで震えそうな肩をなんとかなだめ、口をへの
字にして「うむ。ご丁寧にいたみいります」
とやや上ずった声で返した。
さりげなく邸内に走らせた一徹ゴルゴの目に広大な日本庭園が拡がっており、中でに四阿が点在、庭園を囲むかのように平屋の、
風雪を経て黒光りしてい木造の屋敷があり、長い外廊下が庭園と屋敷内を区切っている。
この本宅と渡り廊下で結ばれている別室があり、にじり口が見えることからしてひと目で茶室だとわかる。
障子で止められた渡り廊下に執事は片膝立ちをして、障子に向かって「御前、星様が見えられました」と告げた。
「おう。かまわん。入ってもらってくれ」
即座に返事があった。
小田部恒春。御年92歳、その威光いまだ新聞界に衰えず、車いすなしでは移動できない身でありながら矍鑠とした声には艶すら感じ
られた。
部屋に入るとなんと背筋を伸ばして正座したまま一徹ゴルゴを凝視している。炯眼煌々として射すくめられそうだが、目力では一徹も
人後に落ちない。
まさに居合の剣が重なりあい刹那の光が散った。
「本来茶室に招いたならにじり口から入ってもらうのだが、失礼だが星くんはそんな形式張ったことは嫌いと川上の哲さんから聞いてい
る。
それでそこから入ってもらったんだよ。此度のお礼にまずは気軽に一服差し上げたいと思いましてな」と破顔一笑したタベツネゴルゴの
顔は先程までの厳しさはどこへやら、まさに好々爺の面持ちである。
「ならば遠慮なく」と、どかっとあぐらをかき囲炉裏を挟んで一徹はタベツネと対座した。
「ほう。まこと型破りな人だの。気に入った。飾らなく自然のままにふるまう。これこそ利休が追い求めた茶道の真髄であろう」
鉄瓶から「雁取」に湯を注ぎ、茶筅で手際よく混ぜたものを一徹に差し出し、自分は「雨雲」に湯を注ぐ。茶器茶道具一式、陶器美術館
の学芸員からみれば超一級の銘品ばかりである。それを数茶碗のように扱う姿に「なんと豪快な男よ」と一徹は舌を巻いた。
「さあ、どうぞごゆるりと。…あんたに義理がついても息子を裏切らせたのも同様の此度のお願いだった。あらためてお詫びと礼をいうよ」
「川上さんのことは一時は恨んだが、同じ巨人軍魂を育んだ終生の友、また小田部社主も巨人軍愛では誰にも負けない、このお二方から
のたっての頼み、それも国策に関わることとなれば、この一徹に断る言葉がみつかりませんわい」
「そうおっしゃっていただいたらこちらの気分も楽になるというもの。ハナガタモータース並びに花形コンツェルンは日本の象徴のような企
業グループ、それだけなら…ああ、長嶋、ちょっと君は外してくれんか」と命じ、長嶋の足音が長い廊下の向こうに消えた頃を見計らって、
タベツネゴルゴは一徹に顔を近づけ囁くように言った。
「此度は三菱グループも絡んでおるだろう。明治の御一新以来、あそこは維新の功績に報いるためにも国策的企業として扱われてきた。明
治大正昭和平成の4代にわたって日本の政経界に深く関わってきた。中には伏魔殿をなす複雑な絡み合いもあってな、毛唐、失礼フラリア
あたりの自動車屋あがりの男にいいようにさせられないんだな。これは政界からの、いやもっと上の…」
「菊のご紋章関係の筋?」
「わしの口からそれはいえないが、まあ想像に任せる。右翼の大物も絡み、そこから反社会的組織、いわゆるヤクザだな。ここまで動員しての
カルロス・ゴルゴ排除だったのだ。世間ではハナガタモータースのクーデターと言っておるが、わしらがやったのは日本の国家の命運をかけた
フラリアとの戦いだったわけだ…」
タベツネが静かに抹茶をすする音にいつの間にか降りだしたのか、規則正しく雨の音が重なっていた。