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鈍色の雲の重なりが海との境界を曖昧にしている。風にせきたてられる波がしらの不規則な点在が、しかしそれぞれ決めたかのように方向に規則的に移動している。
あと100mも前に進めば能都金剛と呼ばれる絶壁の裾が押し寄せる荒波に洗われているのが、はるかの高見から俯瞰できる。
その長い前髪を風になぶられるのにまかせながら、花形ゴルゴは冬の日本海を遠望していた。雲の合間からわずかに弱い冬の陽が幾筋もの光りの階段をなし、深い藍色の海を照射していた。
事業やその経営にまつわる迷いや悩みが生じた時、彼は能登半島に足を運ぶ。
あえてクルマを使わず大阪から金沢まで特急列車を北陸本線に伝い、金沢で能登半島の中心都市輪島に向かうローカル線に乗り換える。
車窓の枠に肘をついて、北陸でもっとも過疎化が進んでいる半島内奥部の荒涼とした光景が、ゆっくりと進行方向から後ろに退いていくのを眺めていると頭の中がデトックスされていくような気がする。
この無心になれる時が花形コンツェルンの頂点にたつ彼には必要なのである。
列車は丹念に名も知れぬ無人駅のひとつひとつに停まり、そのたびわずかな客の乗り降りがを繰り返していく。
皆互いに顔見知りとみえて、能登尾方言らしい訛のきつい会話が交わされるのを聞くともなしに聞くひとときが花形ゴルゴに言いしれのない癒しを与える。
大阪という大都会の喧噪ときらびやかな色彩の渦の中に立つ超高層ビルの最上階にあるCEO室の掃き出し窓に広がる光景に対し、後ろ手を組み見下ろす眺めからは苛立ちと物欲に満ちたあざとい思念しか得られない。
耳朶が引き裂かれるような海風にさらした時、それらの一切は払拭され、私欲から解放された無我の境地に至るのを花形は覚えるのである。
海からの暗鬱な風が我が身を揺籃にいるような感覚に落としくれる。草は枯れ地肌が剥きだしになった崖上をこころゆくまま逍遙している彼の視野の端に、思わず舌打ちをしたくなるような人物が現れた。
この寒いのにダボシャツの上に安物くさい薄茶の格子柄のジャケットの襟を立てた、というより直すを忘れたままで首からお守りのようなものをぶら下げている。
これまた時代遅れのクリーム色のハットをかぶり、ダボシャツにラクダの腹巻きをかぶせ、足下は雪駄履き、片手に海老茶色のの年季の入った大きく頑丈そうな革かばんを下げた男が、なれなれしく笑いながら「よう!」と片手を上げて近づいてきたのである。
その男、紛うことなき寅ゴルゴはやもすれば風に飛ばされそうな帽子を押さえながら「ここは地の果て能登半島〜♪どうせカスバの花にさく〜津軽海峡冬景色ぃぃ〜♪」とまったくわけのわからない鼻歌を意外な美声にまぎらわせて花形ゴルゴに歩を進めてきたのであった。
遠雷のように聴こえる崖下の怒涛の音に、それはしかるべき起こりそうな災厄をもたらしそうな呪歌となってまぎれこみ花形ゴルゴの耳を打ったのである。