奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢を始める。

どちらの鎖が光っていて重そうで高価か、などと。

そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。

だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じ鎖に過ぎない。

そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。



過去の奴隷は、自由人たちが軍事力によって征服され、やむなく奴隷になったものだった。

彼らは、一部の特権奴隷を除けば、奴隷になっても決してその精神まで譲り渡すことはなかった。

その血族の誇りや、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、あるいは反乱を起こして、肥え太った主人を血祭りにあげた。

ところが現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着て、足や首に鎖を巻き付ける。

そして、何より驚くべきことに、現代の奴隷の多くは、自らが奴隷であることに気付いてすらいない。

それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの唯一の誇りを見い出しさえしている。