>>91 まさにその通り。

日清日露の戦争で巨万の富を築いて、明治時代最大の政商と呼ばれた岩崎弥太郎が、息子の小弥太に命じて立ち上げた、半官半民の光学兵器メーカーが(株)日本光学。
特に海軍向け航空機/艦船の火器管制装置を手掛けたが、独自技術は皆無であり、全てが英仏独からのリバースエンジニアリングだった。

戦後、レンジファインダーカメラ「S」を作ったが、マウント/距離計はTEISS・シャッターはLeica の、これまたリバースエンジニアリングだった。
1954年にLeica「M3」が発売されると「S」では勝負にならず、「S」のフィルム室にミラーを仕込んで一眼レフ「F」を作り始めた。
(因みにSマウント内径34mmに対しFマウント内径44mmと、やっつけ感満載の10mmUpである)
ペンタックス/トプコン/ミランダ等が既に先行していたが、資金力にモノを言わせ、素早くシステムを拡充して一眼レフで天下を取った。
その後、TTL測光の為に、ガチャガチャ→AI→AIs→D→G→E、とFマウントをいじくり回す綱渡りで現在に至っている。
AF/デジ技術にしても、他社特許をすり抜けながらパクって来ただけだ。

今まで、何一つ自社開発が皆無なのが→ニ・コ・ン !!!!!

太浅マウント→開発とは呼べんよなぁ。。。