子どもを良い間違えを馬鹿にしたような表現で書くのは、のぶみが言葉の裏や人の気持ちを察するのが出来ないからかな?
子どもの言い間違えた言葉で親同士が盛り上がったり身近な人に楽しく話すのは、成長を喜んでたりまだまだ幼いところがある事への愛おしさだったり、そういう気持ちが根底にあるじゃない?
そこを分かってなくて、ただ言い間違えたことをただ面白がってると思ってるんじゃないだろうか

やなせたかしさんが「君はぼくより才能がある」と言ったって言うのも、言葉通り受け取ってるみたいだし