さらに当時のトッティーの年棒は、ジャパンマネーのバックマージン的な意味合いも含んだ
中田の給与の半分程度だったとも言われており、昇給を求めてクラブと銭闘中で、
トッティーが吐いた中田のローマ加入が面白くない旨の発言は、その事情を背景としている。
ローマがビッグクラブに近い体裁を整えたのは、翼2000-2001の優勝シーズン。
放映権バブルと運営会社の上場によって潤沢となった資金を背景に、
上記のバティ、エメルソン、サムエルを獲得するなどイケイケの補強を行った時点から。

さらにトッティーも、シーズン前のユーロ2000でブレイクし、後付wで本物の大スターとなり、
守備の出来ない中田と組まされて、尻拭いに追われ低調だったボランチのトンマージも、
中田がカペッロに見限られたことで足かせが外れて確変をおこし、イタリア代表レギュラー格に上りつめた。

で、長文で何がいいたいかまとめるとw、
中田は凄いメンバーの揃うビッグクラブのローマに移籍したのではなく、
実は層の薄いメンバーが故障しまくっていた中堅上位クラブのローマに、
その穴埋めとマーケティングでシーズン途中に移籍した選手だったということ。

で、その翼シーズン、大型補強と既存戦力の底上げによって、ローマがビッグクラブに伍する戦力を整えると、
当然中田本人はベンチないしはベンチ外に弾かれ、当時ビッグ7と呼ばれた優勝争いのライバルとなる
重要な上位クラブ戦には、ただの1試合も先発させてもらえなかったという、
実はトッティーのライバルどころか、殆どエキストラレベルの脇役に過ぎない選手だったということ。



そもそもリーグランキングなんてペルージャのようなセリエ降格争いしてたクラブにはなんの関係もないことw