今まさに毒杯を手にせんとするソクラテスが配されており、その天を指差す姿態は、宗教画における救世主の到来と悔悛を促す姿を容易に連想させる
(※例:レオナルド・ダ・ヴィンチ作『洗礼者聖ヨハネ』)。
また画面左側には目頭を押さえ悔し涙を隠しつつソクラテスへ毒杯を手渡す牢番と、
ソクラテスに背を向け瞑想するプラトンが前景に配され、
後景にはソクラテス自身が送り出したとされる縁者が部屋を出てゆく姿が描き込まれている。
また画面右側には死を目の前にして冷静なソクラテスとは対照的に感情のままに師との別れを悲しむクリトンなど弟子らの姿が配されている。
本作の主題選定に関しては様々に意見が出されているも、現在では当時の指導者らが犯していた不正に対する批判的精神が込められていると解釈される傾向にある。
また逃亡し生き長らえるよりも、理想と信念のための崇高な死を選択したソクラテスの姿には、後のフランス古典主義における英雄的表現への展開の側面を見出すことができる。