>>947続き)

ただ、僕が『家なき子』を観るだけで、こんな目に遭ったぐらいですから、
真面目一筋で生きてきた父ちゃんが、ちょっとエッチな番組や、
「童顔巨乳の萌えキャラ」が走り回るアニメを観た日なんかにゃ、
集中砲火を浴びることは容易に想像できます。 
「家族の目がある」というやつです。
 
そう考えると、当時の父ちゃんが「自分の好きな作品(商品)」を本当に選べていたのかは、甚だ疑問で、
「家庭内の立場が悪くならない範囲の中から、作品を選んでいた」と考えられそうです。
 
■その人の隣には誰がいる?

ぶっちゃけ今、一人が一台スマホを持っていて、そこから作品(商品)を取り込むことができるので、
まわりの目を気にしなくてもよくなりましたし、サービスを提供する側も、
そこの配慮をする必要が無くなりました。
 
エロコンテンツは、家族を介することなく、父ちゃんにダイレクトに届けることができるようになったので、
「エロ」や「グロ」に全振りすることも可能です。
 
それはそれで素晴らしいことだと思うのですが、
エンドユーザー(父ちゃん)にダイレクトに届けることによって、失っているものがあります。
 
『コミュニケーション』です。
 
ネットで情報や技術がカジュアルに共有されるようになり、
作品や商品のクオリティーが高いところで均一化すると、
最後の最後で明暗を分けるのは『コミュニケーションの有無』です。
 
Aの作品も、Bの作品も、どちらも面白いのならば、お父さんお母さんは、
「家族で一緒に楽しめる(家族の会話が生まれる)方」を選ぶでしょう。