>>280続き

金(きん)との交換券であったハズのお金が、
金本位制が無くなってからも(金と交換できなくなった後も)、価値を保ったように、
「そこに価値を信じたら価値が生まれる」という共同幻想は実際にあります。

お金の場合は「お金を持っていれば何かを買うことができるから」「税金を払わないと捕まるから」という実用性が、
その価値を担保しているような気もするのですが、どっこい、
「貯金が趣味です」という人もいて、この人達はそもそもお金を使うつもりがない
つまり、お金の“機能”に価値を感じているわけじゃなくて、
お金そのものに価値を感じているひとがいる。
#キングコングの昔のマネージャーは増えていく銀行残高を眺めることが趣味でした

レターもお金と同じように「何かを買えるなら価値がある」「買えないなら価値がない」という
“実用性”が価値の担保になっているのだろうか?…というのが今日の議題なわけですが、
この1~2日触り倒してみた結果、「モノを買うなら、現金で買うわ」というのが僕の結論で、
レターに「モノが変える」という機能はあんまり要らねーじゃねえかと思っています。

それより何より、「限られた文字を自分に使ってくれた嬉しさ」の方が勝っていて、
どうせ30レター(150円)を使うなら、缶ジュースを買わずに、30レターを使って、
誰かにこの嬉しさをプレゼントしたい。

レターは、価値も変動しないし、何も買えない。
レターポットを触ったことがない人からすると、こんなものを欲しがる気持ちが、
まるで理解できないと思うのですが、そこには確かな面白味があって、
世間に伝わるのはまだまだ先かもです😁

壮大な社会実験に引き続きお付き合いください。

現場からは以上です。