1789年、妻を和人に殺されたマメキリを頭にして国後(クナシリ)のアイヌが蜂起、
同様に過酷な労働を強制されていたメナシ(アイヌ語で東方の意)アイヌもこれに加わり、
交易所や交易船を次々と襲撃、和人71人を殺害した。
これに対し松前藩は、総勢260余人の鎮圧隊を派遣、アイヌ軍と対峙した。

事態を収拾するため、国後アイヌの長老ツキノエらがほう起したアイヌに武器を置くよう説得し、
交渉による穏便な解決をめざした。ところが松前軍は和人を殺害に加担した38人を特定させ、
逃亡した一人を除く37人を見せしめのため処刑、斬首した。
このときさらに多くのアイヌが虐殺されたとの説もある。

これがクナシリ・メナシの戦いと呼ばれるアイヌ最後の抵抗であった。
これ以後、アイヌは徹底的に管理・弾圧され、山歩きに必要な山刀(タシロ)も取り上げられたという。

この年、全く同時期、フランスで革命が勃発していた。