『イズベスチヤ』や『プラウダ』は結婚祝福の記事を載せ、
1936年には教会で用いられる結婚指輪も店で売られるに至った。
 
二、離婚の制限を強化した。1935年には離婚歴が戸籍に登録され、
女性が男の三十人目の妻となるようなケースを防止できるようにした。
離婚費用も3ルーブルだったのが、一回目50ルーブル、二回目100ルーブル、
三回目150ルーブルに引き上げられた。
この結果、たとえばウクライナの離婚件数は、1936年には前年の三分の一に減少した。
 
三、この法律は、さらに1926年に導入された非登録婚の制度を廃止した。登録婚だけが合法となり、
嫡出子と非嫡出子の「ブルジョワ的差別」も復活した。婚外子とその母とは扶助料も受けられなくなった。
 
四、堕胎の自由もなくなった。1935年から反中絶キャンペーンが始まり、
それがいかに母体に悪影響を及ぼすかを医学者たちがPRした。
1936年には1920年の法律が改正され、
母体の生命と健康に危険のある場合及び重大な遺伝上の問題がある場合を除いて人口中絶が禁止された。
出産が奨励され、六人以上の多子家庭には特別手当が支給された。
 
五、親に対する反抗の奨励も修正された。親の権威が強調され、1935年には、
「親に対する尊敬と孝行は青年共産主義者同盟(コムソモール)の道徳の核心をなすものである」と新聞に報道された。
スターリンも1935年10月、自らチフリスに住む老母を訪ね、
母親に対する愛情と尊敬を示し、模範例として称揚された。』

+++++++++++++引用おわり+++++++++++++++++++

これはスターリンの独裁政権だからできたのであって、日本や西欧諸国で
このまま家族破壊が続けばまず修復不可能。世界勢力の思う壺。