真に強い人間は、寡黙で、かつ優しい。

あえて、男・女は言わない。
ギャーギャー騒いで、自己主張のみをする(優しさの片鱗さえ無い)人間が、
強い人間であろうはずがない。

ところで、昔の女性は男性に強制されて弱い立場に置かれたわけではない。
女性自身がその立場を望み、自ら男性の庇護の元に生きるという選択をしたのだ。
つまり、昔の女性は「名より実を取る」という点において、とても賢かった。
そして時代が流れた後も、元々女性は強制されて弱い立場に置かれたわけではかった
のだから、女性が「私たちも自立する」と主張しだした時、男性は快く迎え入れた。
しかし、女は浅はかだった。「自立する」ということは、「強くなる(強くなれ)」
ということには他ならないのだが、そこが理解出来なかった。
女は、弱い立場(庇護を要求出来る)のまま「名も寄こせ」という主張を通すために、
「元々私たちは(弱くなんかないのに)弱い立場にさせられていたのだ。それを強制
されたのだから、弱い立場は手放さない(手放す必要はない)。でも本当は強いの
だから、男性と同等に扱え!」という論理(詭弁)を使いだしたのだ。

それに対して男性は、「ま、それもアリですかね?」と容認していたが、それが男性の
「寡黙さ」と「優しさ」ということ。しかし、女は「もっと寄こせ」とギャーギャー騒ぐ
のみ。だが、世の中は冷徹だった…

その時々によって"強さ"と"弱さ"を使い分けた結果、女は、名も実も得るどころか、
どちらも失うこととなった。