>>227
環境がどうであるかと、それを作った要因が別なのは理解しているよ
でも、環境がどうであろうと人権侵害ではないのだから、どういう要因で環境がどうであろうと人権侵害ではない

努力以外のものによる成果を勝手に努力の成果と言わないようにね
努力の成果は、努力のみによってもたらされる
よって、どんな環境にあろうとも努力の成果はすべて自分のものだ
誰も奪えないし、そもそも奪ってない
「ほかの要素」による成果は努力の成果ではない

親の自由意志に対して要求する権利は存在しない、その通りだ。
だから、環境がどうであろうと人権侵害ではないのだよ
所有権?財産に所有権はあっても、環境に所有権はないのだよ
財産と環境の区別をつけましょう
親の援助とそれによる成果を当てにしているのはお前
そんなもの当てにせず自らの努力によって成果を産み出したまえ
親に感謝する?感謝はしたらいい、だが、親からのもらい物を受ける権利はどこにもないのだよ
親からのもらい物による成果を保持する権利もどこにもないのだよ

> 親の扶養は不当な既得権益
正解。

アフリカでは平均寿命が40歳を切る国もあり、死因の殆どが餓死か殺人である。
日本では貧しくとも世界では上位1割に入るほどの裕福な生活ができる。
アフリカ人に比べれば、日本で通り魔に殺された者は恵まれている。

どこが混同なんだ?自由意志に対して請求する権利はないのだから、自由意志とやらで受け取ったものを保障する義務は政府にはないのだよ
そんなものがない人間はいくらでもいて、政府はそんな人に環境を保障する義務を持たないのと一緒

> 築いた成果を強奪から守ることが権利
自分の努力による成果は、政府だろうと何だろうと物理的に奪うことなどできない
その点で、強奪などありえないのである。他人からの不当なもらい物を未来永劫保持し続ける権利はどこにもないのだよ