(続く)
だからどれに使い、どれを我慢するかを自由意志によって選択する。その成果を他人が侵さない・強奪しない、されない。これが「人権」の本質であり、
それを尊重することこそが「理不尽ではない」という事だ。
運悪く賢い親にありつけなかった不運な子供のために、その不運を緩和する仕組みは「あった方がよい」ということで福祉国家の理念がある。
だがそれは「理不尽ではない自由競争」の結果としての「格差」の存在を容認し前提にしてこそ、それを緩和する福祉システムに意味がある。
お前が言ってるタイプの理不尽とは格差そのものではない。
甚だしい上下差の下側に「どん底」として存在し得る「(比較によらない)純粋な不幸」こそが「ここで言う理不尽」であり、
お前のように「親が金出すのと比べて不利」なんてのは理不尽でも何でもない単なる「妬み」だ。
この「純粋な不幸」から人を救うものが憲法の「最低限度の生活」であり、当然それは「自由競争で得た所有権」と「自由選択による自力獲得権」を認めた上で
・・・つまり痴漢冤罪のような不当な強奪を拒絶し、強奪犯に対して断罪と原状回復を要求する権利・・・つまり自由権を前提に、
それでも運悪く陥った「純粋な不幸」を救済するものが社会権だ。この両者はどちらが基本か。言うまでもなく本質として近代を成立させたのは自由権だ。
お前がやりたいのは、社会権を口実に自由権を否定することだろう。
その時点で本末転倒だが、それ以前に「強奪の正当化」を露骨に掲げたお前の主張は論理破綻の過ぎた最悪の代物だよ。
お前は「理不尽」という言葉で両者を混同しようと必死なのな。だが「自由権に対する理不尽」と「社会権に対する理不尽」は違うのだよ。
それは誰でも知っている客観的事実だ。
意図的なすり替え、論理の捏造、相手の指摘を無視した破綻した言い張り、確信犯的破綻論理。お前の主張はイカサマ議論の見本市だ。
「意に反して最低限度の生活を営むことを強奪とか言ってたら」????????WWWWWWWW
痴漢冤罪が強奪なのは「意に反した」からでも「最低限度の生活」だからでもない。「冤罪」という不法権力行為で嘘の罪状を貼られ、地位と名誉を奪ったからだ。
「奪った=強奪」という明白な定義に対してすらこの逆ギレ。お前の面の皮の厚さは何cmだ?