>>21 について、ある例を用いて再説

新規性の高い映像をもって、アクション映画をスタイリッシュに見せたその革新性と、痛快な
ストーリーにより、多くの人々の心を捉えカリスマムービーと呼ばれたのが、マトリックス。
しかし一作目に比べて二作目は、残念ながらおもしろさが低下してしまっていた。
そして三作目はさらに低下していた。
四作目を待望する声は聞いたことがない。

現実には起こり得ないことだが、もし続編が10作、100作、1,000作、10,000作…と作られ続ける
としたら、それら全てに一作目と同等の圧倒的なおもしろさを期待する人は、無論いないだろう。

自在性の最大化(=実世界の人間と完全同等の自由)はあくまで理論上の話であり、それを現代の
コンピュータ上でシミュレーター化することは、原理的に不可能だ。
よって可及的最大にしたゲームを作ったと仮定する。

それを一万人がプレイすれば、万別のシナリオ展開をすることになるわけだが、非トレードオフ論を
主張する人達は「1万 全プレイに付与された極めて動的なストーリーが、全て等しくドラマチックで
おもしろく感動・感激できるものとなる」このような奇跡が実際に起こり得ることを、肯定できるだろうか?