【作り手】ゲームデザイン・ゲーム哲学を語るスレ【クリエイター】
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開発者・作り手の目線で、ゲームデザインとかゲーム哲学を
語ってみましょう。 ゲームに限らず、創作行為では大きく二種類の態度に分かれる
職人タイプか、芸術家タイプかだ
職人は仕事としての完璧さを求め
芸術家は内発的な創作衝動を優先する
利益追求や名誉心などは前者に含めていいと思う
それぞれ基本的な哲学や姿勢が異なることになるし
多くの面で両立しない
語るなら線引きを明確にしたほうが有益だし
レスバで伸ばしたいならご自由に まぁゲームデザインの基本は、パクリやろな
人気が出たもんをパクる
これならどんな奴でも実践できる PS4なんてコントローラーで音聞けるんだから昔飯野がやってたリアルサウンドゲーム売れば良いのに寝転びながら寝る前に出来るし 家庭用機は開発費上がりすぎて冒険できないし
新機軸開拓は携帯かインディーしかないのか 重大イベントが始まる前には
確認取ってほしいよな…
不意打ちで勝手にイベント始まるゲームが多すぎ
そのたびセーブからやり直したり 高画質で描かれたウンコに、はたして価値があるのか?
どういうスペックで描くかではなく、どういう価値を描くかだろう 近接ゲーを30フレで作らせる制作者は
ゲームが少しもわかっとらんゴミ 実装はプログラマの腕次第であって
ゲームデザインとは根本的性質が違うと思うが
ハード性能の限界や、人間の能力的な限界があるから
完全に自由にデザインできるわけでもないのが現実
実装してみたら、ウッソ何でこんなに重いの!?
となってフレーム数削減から始めて、根本的なゲームデザインまで見直す羽目になるという… ゼルダ無双だって、初期の無双みたいに
遠景を省略したり、敵をステルスさせたりすれば
60フレは十分に可能だった
それなのにそうしなかったのは、制作者の取捨選択の誤りでしかない 成長要素こそゲームの本質!みたいな事言ってる
懐古ジジイ多いけど、個人的にはゲーム内の成長要素には興味が薄いんだよな
成長要素なんてものに囚われて、薄味体験をダラダラと続けてもしょうがない UBIは映画脳が仕切ってるんやろな
映画脳は映画に慣れ過ぎて30フレのつまらなさを認めない カメラが勝手に動くゲーム
進んだほうに勝手に向くとか、勝手に俯角が規定に戻るとか
余計なお世話すぎる
そんなものが必要とかありがたいと思ったためしがない
他の部分がよくても、操作性が悪いと思ったらすべて台無し 次世代機はストレージ容量にかなりの不安を抱えているが
これを機に、必要容量がでかければ箔がつくって風潮が
変わってほしいよな
ゲームの面白さに比した容量の効率も、もっと評価されるべきだ >>2
殊にゲームの場合は、そのどちらかで作るとゲームとしての面白さは得られないはず
ゲームとはひとりよがりで作ると失敗する
何故かというと、ゲームとは遊ぶ側を見て作るものだから
ゲームとは対人で作るもので、個人的な芸術ではない
自分の仕事をしても、自分の内面を見てもどっちもひとりよがり
ゲーム作りはプレイヤーを見て作られる
ここに宝箱を置いたら、プレイヤーはどう思うだろうか?
開けるか?開けないか?
普通には見つけられない宝箱には、ゲームの攻略のカギになるものが隠される
プレイヤーはそれをどんな手順をとれば発見出来るように作るか?
見える位置に行った事のないお城配置したらプレイヤーはどう思うか?
その周りをがけで囲ったらどうプレイヤーは考えるだろうか?
入り口を探そうとするか?
階段の陰には、見えない入り口が隠されている
どこを見つければ近道で、どこをいじってしまうと遠回りか?
どんな道をたどればトゥルーエンディングでどんな道をたどればバッドエンドか?
何をするとご褒美が手に入るか?
特別な手順でしか行けない場所には普段見れない思いがけない発見が
それを見たらどんな結末へ進むだろうか?
それらはすべてプレイヤーを見て、プレイヤーがどんなものに関心をもってどんなものをどう見てどんな反応をするか?
どう考えるか?
そこを見ている
そこを無視すると自分の完璧さとか、自分の内面だけで作ろうとすると
ひとりよがりの芸術しか出来ないはず
必ず遊ぶ側の反応を見て作るからゲームは面白い
要するにゲーム作りをする人は人間が好きで、人かがどんな反応するか?
人をだましてみたり、自分の作った場所に人がたどり着けるか?
人を見るのが好き 迷路でこの分かれ道は、こっちがゴールに近そうに見えるが
実はここは行き止まり
一見ゴールから遠ざかるような方向へ進む遠回りに見える道が実は正しい道
それを遊ぶ人を見ながら作るもの
このジャンプ台に乗ったらどこへ?
乗らなかったらどこへ?
この洞窟はどこへ通じてる?
この入り口はどこへ入るの?
それが分からない人間が作っても面白みのないものしか出来ない
ただ、見た目的には凄いだろうけれど
コンピューター技術的には どんな事をしてもゴールまで行けない
ではどうしたら?
それを面白いと受け手が感じるように作るにはどうすればいいか?
受けて無視で自分の思う最高傑作を作っても
高いお金をかけた自己満足でしかない
作ってる人間が自分だけしか見ていない おもしろそうなスレだと思ったのに、急激に駄スレになってしまった…。 糞長文は隔離スレに帰ってくれ
いくつスレを潰せば気が済むんだ? 今のゲーム制作っていうのは、基本的に人間に興味がない
物に興味を持った作り方 >>17
思考が幼稚。中高生が書いたゲーム論という感じだ。
もしその理屈どおりに作っただけで良作が生まれるなら、誰も苦労しない >>24
ゲームとはそういうものだし、ゲーム作りとはそういうもの
創作衝動や仕事としての完璧さを求めるという作り方こそ
それでゲーム作れるのなら、誰も苦労しないはず
むしろゲームに付いて何も考えてないのではないだろうかと
ゲーム作りに関する理屈がここまで何も書かれていないはず 勿論>>17通りに作っただけでは面白いゲームを出来る
とは限らない
>>17は前提の前提、ここにすら立ててない
ここに立って
ではどうすれば面白いか?
そこから始めそこから考える おれは君個人の思索力が幼稚という話をしてる。
今日のゲーム作家達と比較にならないほど、君は程度が低い >>28
今日のゲーム作家はゲームを作れていない
芸術や創作物感覚で作っている
ゲームとはルール作り
ルール作りになってない >>29
ルール作りとは
要するに参加者は、どうすれば勝利条件を満たす事が出来るのか
どうすればゴールまで進めるのか?を練る事
どういう手順をとり、どんな条件を満たした者が合格になるのか?
どういう段階を踏んだものが失格になるのか?
プレイヤーがどんな行動をしたら、どんな結果になるようにするのか?
また、どうそれを練れば受け手達参加者は面白いと感じるのか?
その段階にも立ってない
各々が勝手に自分の作りたいものを再現してるだけ
広い世界を現実と見間違えるレベルで作ってもそれはゲーム作りではない
自分の思い描いている内面を具現化してもそれはゲーム作りではない
それとシステムとルールは別物
ゲームシステムとゲームルール
複雑な戦闘システムを作りました
これは別にゲームルールを作った訳ではない
ルールとはゴールを目指す参加者に課されたその中での決まりごとの事
システムとは全然別物
ルールとはプレイヤーがどんな行動をとった場合、どんな処理を適用するか?
それが書かれた一覧の事
鏡を持たずに北へ進むと、平原には何もない
鏡を持った状態のプレイヤーが北へ進んだ場合、お城が建っている
こういうのもルール
単に北へ進むとお城が出現する
だけでもルール
要するに、プレイヤーがどんな行動をとった場合、どんな結果が返されるか?
ボールを持って3歩以上進んだ場合ペナルティが課される
プレイヤーが故意に選手を押した場合退場にされる
プレイヤーが○○した場合→どんな結果にするか?
が記載されたものがルール
ゲームに参加する者たちはこのルールを守らされ、このルールに従う事でゴールまで進む事が許される
プレイヤーは移動する事が出来る
プレイヤーが移動した場合確立によって敵が出現する
というのもルール
敵たちにはライフが設定されていて
ライフ以上のダメージを与えられれば倒す事が出来る
というのもルール ゲームをするためにプレイヤーが必要なのは
ルールを逆読みする事
プレイヤーはゲームに参加するならゴールを目指さなければいけない前提に立たされている
プレイヤーがゴールをする為には、ルールを逆読みして
でゃ、どういうやり方をすればゴールまでちゃんとたどり着けるのか?
を読まなければいけない
それをちゃんと読めた参加者のみがルールにより失格または脱落にされずゴールまで行ける
または実行出来た参加者
このようにゲームのかなめとなるものがルール
そのルールがそもそも作られてない 自分の内面を再現する芸術みたいなものと考えてるところがそもそもゲームとして次元が低い ゲームとはゴールを目指そうとするプレイヤーをルールにより裁定者が裁定をする遊び
その事で参加者はちゃんとゴール出来たいのか?出来なかったのか?に振り分けられ
それを楽しむ >鏡を持たずに北へ進むと、平原には何もない
>鏡を持った状態のプレイヤーが北へ進んだ場合、お城が建っている
>こういうのもルール
>単に北へ進むとお城が出現するだけでもルール
どちらもルールとは呼ばない。
言葉の概念を完全に逸脱したワーディングは奇異であり、精神的健常者にはみられない特徴 >>34
ゲームルールというのは作者が決めたゴールするための決まりごとの事
どうすれば失格になったりどうすれば脱落になるか?どうすればゴールへ一コマ進められるか?示されている物がルール
お城を発見し、お城で何かをしなければゴールへ進む条件を満たす事が出来ないと作者が決めたのなら
お城を発見しなければいけないというのがルールになる
ではどうすればプレイヤーはお城を発見出来るか?
プレイヤーは東西南北好きな方向へ進む事を選択する事が出来る
そこでプレイヤーはどんな行動選択をするのか?
プレイヤーが北へ進んだ場合にお城が見つかると作者が決めた場合
北へ進んだという行動選択をした場合にのみお城を発見出来るというルール
を作者が作った事になる
南へと進んだら、お城にはたどり着けず脱落するか失格になる
ゴールへ到達するためには、お城を発見しなければいけない
お城を発見するためには北へ進まなければいけない
それが示されているのがルール
プレイヤーはゴールするためにはお城を発見しなければいけないという規則を設けられている
そして、北に進んだ場合、お城が見つかるという規則が設定されている
ゲーム内では作者が作った決まり事は絶対で
ゴールをするためにはその決まり事をすべて満たさなければいけない
その決まり事を満たしたプレイヤーのみがゴールへの段階を進められる
それ以外の行動をどんなにとってもゴールへは基本的には絶対進めないように作られており
それらを行った場合ゴールへたどり着けず脱落するしかない(ゴールの仕方が分からず断念)
または場合によって特定の行動は失格にされプレイする権利を剝奪される(ゲームオーバー)
作者の求める手順とやり方(作者の作った規則、作者の求める条件)をすべて満たした場合にのみゴールへと進める
それがルールに支配されたゲームという世界
ルールに従えた者だけがゴールの通過を許される 自分のやり方でやれる事を自由度が高いと今の人間たちは勝手に言っているけれど
ゲームとはプレイヤーのやり方は認めないのが基本
作者の思うやり方を見つけられた場合にのみゴールへ進められる
作者が決めたやり方がルール
プレイヤーが作者の望む作者の決めたやり方を出来なければ、失格にされる
北へ進まなければいけないと作者が決めたら、南へ進んだら失格
ゲームの自由度というのは、プレイヤーがその中でどんな行動選択をするか?それを決める立場にいる事をさす
プレイヤーは東西南北好きな場所へと移動を決める権利が与えられている
それがゲームのいうところの自由度
今の人間のいうところの自由度というのは、北へ進んでも南へ進んでも好きなやり方で進む事が出来るという意味なので
ゲームの自由度ではない
逆に自由度のない今のゲームというのは
東西南北好きな場所へ行動選択を行い権利がそもそも与えられていない
プレイヤーは北へ進む、という行動選択しか出来ない状態
必ず北へ進み必ずお城を発見する
プレイヤーの行動が行動レベルで決まっていてそれ以外の行動をとれない状態
今の人間は、これが上の自分のやり方でやれるか
どちらかしか作れない
ゲームとはプレイヤーは自由選択をする権利が与えられているけれど
ゴールへと進められる手順は作者側が決め、その決まりに従えなければゴールは出来ない
または失格にされる
それが前提
東西南北好きな場所へ進む事を行動選択行動出来るけれど
ゴールへ進める道を決めるのは作者側
プレイヤーは好きな行動を出来るけれど
プレイヤーの選んだ好きな行動はゲームルールによって裁定される
作者の求める手順と条件かどうか?
作者の求める手順と条件だった場合にのみ進む事を許される
作者の求める手順と条件でなかった場合進む事は許されなかったり失格に即座にされる
プレイヤーのとった行いは作者の決めたルールに即するものか?
そこを判定される
合格出来たものだけが進む権利を得られる ゲームの自由度というのはプレイヤーの行動選択をルールにより裁定されるために存在するもの
要するにゲームとはゴールへたどり着けるプレイヤーとたどり着けないプレイヤーがいて
振り分けられる遊び
それを行うための構造がプレイヤーの自由行動と、ルールからの裁定
作者の求める条件GMの求める条件を出来たプレイヤーを振り分けるため
北へ進まなきゃいけないプレイヤーが南へ進んだ場合、ルールにより脱落にされる >>35
いくら力説しても他人から見れば、知的に難のある奇人の世迷言にしか聞こえない。
おかしな思考、おかしな言葉遣い、いくら書いても文・質ともに一切洗練されることがない 要するにプレイヤーが進めるか進めないか?合格か失格か?それを決めているのがルール
プレイヤーが北へ進むと宣言した場合、ゲーム進行者はルールによりお城を提示する決まりになっている
北を宣言したらお城を提示するという決まりになっている
事前にそれが織り込まれて決められている
最初からどういう行動を宣言したらどんな結果になるか?
それは予め決められている
予め決められているものがルール 逆にどうなるか?予め決まっていないものはルールではない
プレイヤーがやってみなければどうなるか分からないもの
そういう関係が積み重なるとゲームではないものになる ゲームっていうのはマスターや作者がそのすべてを完璧に支配していて初めて成り立つ
プレイヤーのすべての行動は作者の掌の上
そこを分かっていないとゲームは作れない 作者はプレイヤーのすべてのとりうる行動を完璧に把握していて
どんな態度をとっや場合どういう対応をするか?
すべてを想定している事が求められ
プレイヤーがどうした場合作者はどうするかをルールにすべて書き込む
それがゲーム作りというもの で、その条件を満たしてない今のゲームって存在してるの?
ゲームが作れてない今日のゲーム作家って存在してるの? その大半、ほとんどの製品をプレイした結果と言うことだよね?
まさか、ごく一部分のプレイ動画見ただけとか、他人のレビュー見てやったつもりになってる? 現代の人間そのものがそういう思考だから自然とそうなるはず プレイヤーがどういう行動をとった場合、進行役はそれをどうするかはルールにすべて書き込む
それがゲーム作りというもの プレイヤーがどういう行動をとった場合、進行役はそれをどうするかをすべてに対して書いたものがルールだ >>51 >>52
「どういう行動をとった場合」という言い方は、日本語的におかしいんだよ。
まともな文章を書けない人に、まともな分析・評論は出来ない いくらスペックが上がったからといって、嫌いなジャンルのゲームが好きになる事はない。 今のゲーム作りはそもそも
プレイヤーがどう行動した場合どうするか?なんて前提にない
閉じ込められたならプレイヤーだったら何をするだろうか?
何をしたらどういう結果を付けるか?を作る事がルール作り
窓から出ようとしたらどうなるのか?
扉から出ようとしたらどうなるのか?
プレイヤーがどんな行動をとったらどんな結果を付けるか?
それを作る
今のゲームはそもそもプレイヤーがどんな行動をとるかなんて考えない
作者が扉から進むんだと思ったら、窓は作らない
窓を触ってもそれはただの背景で何も起きない
だからプレイヤーは自由度がないと感じる >>56
ゲームに客観的にゲームに真摯書けばこうなる
ゲームというものの持つ意味を見れば
自分が思ってるだけなのは今のゲーム制作者たちの意見だろう、と >>56
ゲームに客観的にゲームに真摯書けばこうなる「はずだと考えてます」
ゲームというものの持つ意味を「自分の解釈で」見れば
自分が思ってるだけなのは今のゲーム制作者たちの意見だろう、と「一人で想像してます」
ちゃんと書こうね >>58
理屈や理論を言うのに自分が思ってるだけとは普通いったりしない 逆逆
具体的作品名もない、どのゲームにもないシチュエーションだけで語る時に、理論理屈とは普通言わないですね 独り善がりなのは今のゲーム制作では
受け手がつまらないと言って離れるが自分たちが面白いと思って作り続ける 一般的な人はゲーム離れ
またはつまらないと言ってる 君は自説と相容れないものを一つ残らず歪曲する、しかも真反対にまで
捻じ曲げる悪癖があるが、世界のゲーム人口は31億人を超えると言われてる。
もしコロナ禍がなかったとしても、極端に減ったりはしないはずだ。
なぜ昨今のゲームが全部つまらないのに大勢が遊ぶのか、説明してみてほしい その人口はスマートフォン等を含めた人口
純粋に従来のゲームだけでみると極端に減る
その減った中でもまだそれなりにいる
何故昨今のゲームが全部つまらないのに遊ぶ人間がそれなりにいるのかというと
ゲームとしてみていないから
コミュニケーションツールと見ていたり
創作ツールと見ていたり
映像作品と見ていたり
どれだけ作りこまれたかコンピュータープログラムの凄さを動作確認する楽しみ
中の世界を疑似世界として体験性だったり
ゲームとしてではない
ゲームとしてみようとする人間からの意見は途端につまらないと出る
そういったゲームを遊びたい人間を排除してゲームを好きでない人間たちだけで回しているのが今のゲームを自称する作品
ゲームとしてみると何の面白みもない
むしろ逆に何故今のゲームをつまらないという人がいつまでも居続けるのか?
そこを考えるべき
興味が本当になかった場合人間はそんな事を言ったりしないで
関りすら持たない
つまらないという事がそもそも自分の求めるものが存在しそれと違うという意思表示 スマホでゲームする人がなぜゲームとしてみてないと決めつける?
そしてその決めつけを前提にしても、ゲームがつまらないという結論にするには理論が飛躍しすぎている
つまらないと感じる人が多いと言う根拠が何も提示されないまま
仮説を重ねて結論を決めつけるのが傲慢と言われる所以となぜわからない? >>66
スマートフォンの事はいってない
ここでゲームとしてみていないといっているのは従来のゲーム
現代人は読解力が年々下がっているとされ
文章のいいたい事や言葉が何を指すかを正確に理解する能力がどんどん低下してるとされてる
それらもゲーム等の製作に影響を与えている
ゲームとしてみてないのは従来のゲーム機のようなもので出されるゲーム
どうゲームとしてみてないか?というと
例えば、ストーリーやキャラの劇を見るようなものはそれを見るためにやっているだけでゲームとして見ていない
OWのようなものはそこでの動作を楽しむだけだったりただキャラになりきる体験を楽しんでいるだけ
疑似空間を体感したいのならただの疑似体験や仮想体験として見ている=ゲームとして見ていない
コンピューターで再現された芸術を凄いというのもゲームを楽しんでいる訳ではない
コンピューターの技術もゲームとは関係ない
ゲームとは、ゲーム目的を達成する遊び
それはルールの中で実行される
また、参加者はゲーム目的達成のために自分の手を進行役に提示する前提
要するにどうすればゴールまでたどり着けるのか?
それを試行錯誤するのがゲームで
またプレイヤーの試行錯誤はゲームのルールによって裁定される
その裁定される中でプレイヤーの手はちゃんとゴールまでたどり着けたのか?
それを楽しむのがゲーム
その経過には進行役(作者の思惑)との駆け引きが要点をもって来る
ちゃんとした正しい行動をとれたプレイヤーのみがゴールまでたどり着ける
ではその参加者はゴールまでたどり着けるプレイングを選択出来たのか?
それがゲームとして見られるゲーム
要するにただ筋書きをたどらされているだけのものも、ただ動作を確認してるだけのものもゲームではないと
ゲームとして認識するものは必ず参加者はゲームの目的を分かっており
その目的達成のために試行錯誤する前提でいて
自分の判断がルールにより裁定され合格か失格にされる前提にいる
その条件でゴールやゲーム目的の達成を目指すのがゲーム
または参加者がゲームだと見ているもの ストーリーを読むものを現実で実行すればそれは劇
誰もそれがゲームとは感じない
自由度が高いとされるものを現実でやったらそれは誰もゲームとは感じない
ルールの中で勝利条件達成をするのがゲーム 「今のゲームがつまらない感じる人が多い」の証明もなしに
独りよがりで話をを広げるなよ
「ゲームとしてみていない人が多い」もそうだ
決めつけ以外の客観的な根拠あげてくれ 実際そういう発言をする人が多いから
飽きただけだ等のテンプレートが作られるのでは? 昔のゲームより今のゲームの方が面白いと言う声をカウントしてやらないとアンフェア
数の比較してないでしょ
以前もいったけど、Steamの好評レビューの数をみなよ
その数と、最近はつまらない発言の数比べてから判断してくれ 面白いと言う声は意味を持たない
それを買っている人間は高評価を示す人間が多いのだから
要するに上で書いたそれをゲームとして見ていない人間
つまらないという声が上がる事自体が問題になる
例えば将棋をやっていない人間が態々将棋をやってる人間に対してつまらないと主張はしない
つまらないという声が出る事自体それを求めてる人間にとってのつまらない
要するに変化している事を指し示す
要するにゲームは好きだけどゲームとして見てつまらないという主張になる
それをもともとゲームとして見ていない人間にとってそれが高評価なのは当たり前の事で
それはつまらないという言葉の数と対等ではない 好評価入れた全員がゲームをゲームとして見ていないとかありえんわ
根拠なしに決めつける前にsteam行ってこい 一つの点はまず、すべてがゲームとし見られていない
それは、そもそもゲームとして作られていないから
だからゲームとして見ようがない
次に、買った人間がそれに対して肯定的なのは基本は当たり前で
それを買っていない人間、または興味もない人間はそれより多い
彼らはそれに対して一切否定の評をする事はない
なので基本的に高評価を付ける人が多いのは当たり前
売れた数に近い数だけそれは付いて来るはず
また、それに興味がないまたは今のゲームそのものをつまらないと言っている人間がその個のタイトルへつまらないと書き込む事はない
個人的なタイトルにつまらないとまで態々意見を言うのなら別の期待をもって買った人間
例えば何かのシリーズものだったりすると期待しているものと違ったりすると不評を書き込む人間は増える
ゲームとして見ていなかったとしてもそれを好む人間は当然いて
人との会話が楽しかったから高評価を付けるのとゲームとして面白かったからゲームとしての高評価を付けるのはそもそも別な訳で
ゲームとしての評価がないものをゲームを期待する人間が満足する訳ではないと 例えばOWのRPGはゲームとして見たら何も作られていない訳で
ゲームとして評価しようがない
では何が楽しかったかというと、好きに自在にふるまえた事
VR体験が楽しかったとするとそれもゲームではない
ストーリーが楽しかったものもゲームとしての評価ではない
それらにゴールを目指して試行錯誤するプレイヤーの自由な行動選択がルールによって裁定される
ではゴールまでたどり着けたか?
というゲームとしての楽しさが存在するか?それがなければ当然ゲームとして面白かった訳ではない >>72
いつも のっけから強烈な妄言を吐くが、なんの決まりだろうかw
自分一人の奇妙なゲーム観を、steamで高評価入れた全プレイヤーが、もってることにしてしまってるな…。
君の理論は、ある枠内で辻褄合わせをしてるだけなので、枠外との接点を見るとインチキがばれる。
いつもそうだがロジックと現実との接点に、致命的なウソがある。
まあ枠内だけを見ても、小弱な論拠で全体的な決定をする強引さが目立ち、詐術的だが
どんなものを対象にしても、優れた分析・評論をするには創造的視点というものが必要になるが
君には全くそれがない。ただ奇妙なだけだ。
ゲームのおもしろさは多因的であるのに、君の教えどおりに作ればアドベンチャーゲーム一種で十分
他のジャンルは全て不要ということになりはしないかな? もってない当たり前の事
それに手を出す人間はそれが好きでそこに集まって来たのだから高評価を付けるのは当然の事
それを数えても意味はない
それをつまらないと言っている人間の数と比較する事がおかしい
つまらないと言っている人間は基本的にそこには寄って来ない
基本興味のない人間は無視する
好きでないものにいちいち批判等しないで自分の好きなものをやるだろう
その無視するはずの所に敢えてつまらないという人間が出る事それ自体が問題になる
ゲームのおもしろさはここでいうような多因的ではない
基本的にルールに支配された物の中でどうやったら勝てるか?
どんなジャンルでもそれは同じ
格闘ゲームでもシューティングゲームでもカードゲームでもなんでも
プレーヤーの行動が裁定される事で成り立つ
それで勝てたのか?失格になったのか?
その裁定のためにルールを作る
どのゲームでも一緒
その裁定性がゲーム性
自分の出した技が裁定される事で失格か合格か
その裁定性が薄れるとゲームとしての面白みが消える
攻撃をした場合どうなるのか?
防御をした場合どうなるのか?
投げた場合どうなるのか?
それが即座に裁定され結果として返されるものはゲーム性が高い
逆に自分の一つの行動選択の結果への影響率が下がって何をやっても裁定結果が分からないのならゲーム性は下がって来る
技A技B技Cどの選択を自由にしてもいい
どれも当たればダメージを与える
いろいろな技を作ったので自分の好みで選べ
これだとゲーム性は下がる
技Aを出した場合防御され反撃で負ける
技Bを出した場合同立で仕切り直し
技Cを出した場合ヒットして勝ち
これだとゲーム性は高い
どんなゲームも自分の出した手が裁定される事を楽しむ
自分の行動選択はどんな裁定をされるのか?
自分の手は勝てるのか?
負けたら
ではどんな手だったら勝てたのか?
それを楽しむ
自分の出した手は何だったら勝て、何だったら負け、何だったらそのどちらでもないか
または、何だったら勝ちに近付け、何だったら勝ちから遠ざかり、何だったらそのどちらでもないか そこをしっかり作る事で面白さが上がる
じゃんけんで同じような手のバリエーションが増えたら面白さは減る 受け手から見たら自分の行動選択が裁定されふり分けられないのはゲームでは暖簾に腕押し >>79
まったく馬鹿馬鹿しいが、「高評価が多い」というのは他作品と比較してそうだ、という意味だよ。
作品Aの高評価率が90%で、B・C・Dは60%だとする。
このときAがBCDよりおもしろいのは客観的な事実
要するに君は比較対象のしょうもないすり替えをやってる。
「つまらない」という意見こそ重視しろと言うが、重視すれば以下のようになる
Aの低評価率は10%しかないがBCDは40%もある。よってAは他よりおもしろい
以上、暗黙の前提を歪めるインチキを正すため下らないことを長々述べたが、君はいまだ一歩も譲歩しないよなw
他の詭弁をまた持ち出して反論できた錯覚を起こす。
複数の詭弁をぐるぐる回すだけ。いつもそう >>83
作品Aの高評価率が90%で実際に書かれた数が10
B・C・Dは60%で実際に書かれた評価の数は100
これはどちらが人を集めたか?どちらが求められたか?といえば下段の方
そもそも買って低評価をするというのは期待して買ったけど
期待程ではなかったという意味になる
要するに低評価を書き込む人間もそれを期待していた事になる
その人の期待が勝手に期待しすぎていたから評価が低いかもしれない
評価の割合は何の意味も持たない
そこに人が集まりそれを買ったというのは
単にそういう遊びをしたかった人だけが集まっただけに過ぎない
その中で評価が分かれたというだけ
それらの示す人はそういう遊びをしたい人がどれだけいたか?
そういう遊び自体に疑問を持っている人間の数は出て来ない
購入もしないし係っても来ないのだから
そのようなその作品自体に興味もない人間が言う今のゲームはつまらないという言葉と
そこの評価に書かれる低評価は意味が違うしそして
高評価と低評価を合計した評価の数も関係ない場所から出た今のゲームはつまらないという評価と比べられるものではない で、今のゲームがつまらないといっている人の
分子と分母、および過去からの増加比率は?
具体的な数字がないとしたら、それに代わる何かしらの数的根拠はあるのか? 彼は通販サイトや動画配信サービスのレビューも、無意味だと思ってるのかな?
都合次第で変り一貫しないんだろうけど まだ何もわからない導入で、プレイヤーに嫌な思いさせたゲームは
ずっと悪評価がつきまとうね
ゲーム作りで、いちばんやっちゃだめな事だね >>79
>その裁定性がゲーム性
「裁定」の濫用だけでもイライラするのに、裁定性とか言い出さないでくれよ… ゲームデザインの極意とは
いかにストレスを感じさせずに、時間を潰させるかという事なのかもしれないね
多くの時間を吸い取ったゲームが良いゲーム、市場ではそういう見方が強い 長文君、そこまで考えてるなら具体例を出してくれ。
抽象的なルール事ばかりで現実味がない。
「○○ってゲーム作品の△△な要素は□□だから良デザイン」って感じのでいい。 >>90
裁定性とは裁定される性質の事
プレイヤーのすべての入力は逐一監視されルールにより裁定されるかどうか
OW等で好きな場所に行ける、プレイヤーの勝手だ
北のお城まで行った、だからと言ってその行いがルールにより監視されていて
お城へ行ったという行いが審判によってジャッジされる訳ではない
好きな選択をして好きな道に進んだ、というのも単に行きたい道を選んだだけ
逆に自分では選べない
ゲーム側からの強制で北のお城まで行かされ、そこへ行ったらムービーが流れるような場合も
別にプレイヤーの行いが監視されており、行った行動がルールによりジャッジされた訳ではない
裁定される性質とはプレイヤーのすべての行動判断が監視されており、その行動すべてが裁定される
良いか?悪いか?どちらでもないか?どう良いのか?どう悪いのか?また、よかった場合ルールはプレイヤーに対してどうするのか?悪かった場合どうするのか?
プレイヤーは東西南北好きな場所へ行ける
北へ行った場合どうなのか?いいのか?悪いのか?よかった場合どういう結果を返すのか?
南へ行った場合どうなのか?いいのか?悪いのか?悪かった場合どういう結果がルールから返って来るのか?
プレイヤーが北へ進むという態度をとった場合
お城が見つかりそこへ入るとゴールへ進む道へつながる
これは裁定により良いと判断された場合の裁定
プレイヤーが南へ進んだ場合
敵が現れ失格とされる
これは悪かった場合とその裁定
西へ進んだ場合
壁にぶつかり何もない
これはよいでも悪いでもない
裁定結果として行き止まりが表示された
但し何もないからと言ってマイナスにならないとは限らない
西へ進んだ事で消耗したもの、その途中で支払ったもの
すべてのプレイヤーの行動や判断は逐一すべて監視されており、そのすべてはどのような結果を返すか最低基準にのっとってジャッジされる性質をもったものの事
逆に監視されておらず裁定されない、それが裁定性のない状態
西に置かれた箱を北まで動かした
だからどうした?
勝手に動かしただけ
ゲーム側、ルールは一切関知しない
プレイヤーが勝手にやってるだけ
または、プレイヤーは指示通り動かされているだけ Dreams Universeは
アマチュアらしい、自由な発想で作られたミニゲームが、沢山やれるな
今までやってたゲームは一体何だったんだ?って思うくらいのインパクトはあるぞ
目からウロコっちゅうかね
プロもここからアイディア盗めばいいんじゃないか? >>93
その言葉を使うな と言ってる者に対して、語意の説明はしなくていい。
説明にかこつけての、内容がだぶった長文リピートも全く不要 >>95
要するに裁定されるという前提がない
裁定されるという概念のない状態
プレイヤーのプレイはゲームでは本来は裁定されるための行動選択
今のゲームではただドラマの筋を見るためだったり
ただすりも出来るし自動車も破壊出来る遠くのお城までも行ける、その動作確認をする為だったり
プレイヤーが何かをする事そのものが裁定と関係ない
ゲーム側も裁定する前提にない
すりが出来る自動車を破壊出来るという動作を作っただけ
本来は裁定される
プレイヤーが○○をやった場合どういう裁定をするか?
北へ行った場合はどういう裁定をするか?
北へ行かずに南へ行った場合どういう裁定をするか?
土管の下でジャンプした場合どんな裁定を下すか?
ジャンプしないで進んだ場合どんな裁定を下すか?
全てのプレイヤーの行動を監視していて
その行動米に予め決められた裁定を返す
何をしたらゲーム目的に対して前進に働き
どういう行動はマイナスにされたり失格にされるか?
その裁定されるからゲームは面白い訳で
それがなければただ、動作の作られただけの中を歩いているだけ プレイヤーが○○をやった場合どういう裁定をするか?
プレイヤーが○○をやった場合どういう結果を返すか?
プレイヤーが○○をやった場合どういう結果を付けるか?
それを決める事がゲーム作りの最重要なかなめ
その結果によってゴールまでの道筋をどう作るか?
それを練る事がゲームを作るという事
だから今のゲームはその前提にも立っていない だからこそプレイヤーはそのお城に入ったらいいのか入らない方がいいのか?
悩み考える
入ったらゴールに近付けるのか?遠ざかるのか?
北に進んだらゴールへ前進するために必要なお城が出て来るのか?出て来ないのか?
自分のとった行動はゴールへつながったのか?
それとも失格か
それがゲームの楽しみ方
また作る側もそれをされる事が楽しい
ゲームと関係ない人間が作ってるからそこが分からない ソウルライクは、我々がドラクエから学んだ、ゲームデザインの哲学に、
根本から反している
あんな悪質なものが、ジャンルとして独り歩きしているというのは、愚かさの勢力拡大でしかない
理解しがたいし、許す気もない現象だ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています