全く関係ないんだけどさ、世情の無知・無能さに対する何とも言えない「虚しさ」って感じないか。
こういうことを言うと俺に妙なエリート意識があるかのように印象を与えかねないから普段あまり言わないけどさ。
たとえば、昨日Youtube見てたら20数年前の上祐史浩vs江川紹子の議論動画があったわけよ。
上祐史浩ってご存じのとおりオウム真理教の中では論客とされていた人で、カルト教のくせに当時もまあまあ人気だったわけ。
一方江川紹子は典型的な「戦後のインテリ女史」といった感じで、女性差別主義的な旧感覚の人間に嫌わそうだなという印象。

で、動画の議論の結論を言うと、もう圧倒的に江川紹子の勝利なわけ。
江川紹子の追求に対して、上祐史浩は終始論点のすり替えをマシンガントークでカモフラージュしているだけ。
けど、Youtubeのコメント欄は全く逆の審判を下していたわけ。ほとんどのコメントが上祐史浩の称賛。江川紹子への批判。
Youtubeユーザーが世間の全てとは言わないけどさ、結局世間っていうのはまともに議論の勝敗を判断する機能なんてなくて
論理を追うのではなく、論客の見た目、雰囲気、キャラクター、その場の空気感とか、無関係な部分で判断してしまうわけ。

もちろん、そんなことは俺も百も承知している。
結局世の中は論理では回らない。「感情的側面」が多分に占める。
俺が固定の中で群を抜いているのは、論理とキャラクター双方の重要性を認識しているから。
けどさ、俺はやはり「論理」を愛するわけ。だから江川紹子みたいな愚直な「正しい者」が報われない光景を見ると居た堪れないんだな。
あぁ、これが世情かって虚しくなる。このスレッドで感情抜きに論理を読み解ける人がどれくらいいるの。