2005年4月25日に乗客ら107人が犠牲になった尼崎JR脱線事故から13年

2両目の生存者の証言

福島さんは「3層くらい山積みになって人が覆いかぶさってきた。人と人の間に頭が抜けてかろうじて息が出来た。周囲に『助けてー』と叫び続けた女性や頭から血を流してぐったりした中年男性がいた」。

真島さんは「つり革を持っていた左手を上げたまま、多くの人やかばんに挟まれて身動きが出来なかった」と車内の様子を証言した。

軽傷で済んだ加藤さんは「自らはい出した後、電車シートを担架代わりに救助にあたった」。

右側にいた三田市の会社員、中田義樹さん(42)は「閉じこめられた時、何度も意識が遠のきそうになったが、ピアスの若者に『おっちゃんと一緒に死ぬのだけはご免や』と冗談交じりに励まされた」と話した。

僕の周りの方はほとんどが即死状態の方が多く、顔が半分に裂けている人や目玉が片方飛び出して潰れている人、頭の皮がめくれ上がっている人などがいました。