昨日は、私が眠った後にも丁寧なお便りをくださって。
それなのに、私は起きた時に、あんな風に言ってしまって。。
せっかくのお気持ちを上手に受け止められませんでした。
朝には急にごめんなさい。
よく文章を理解できていないのと、当然の事のように愛情をしてしまう癖は
私の理解力を放置するようです。そのまま気がつかないでいたい気持ちと
怠惰や面倒な気持ちとあいまって、私なりの感性の育みを望む時に、
性急な結果を求めたり、私なりの言葉とできない中で、もがいてしまうのです。
なんのことはない、ひとつひとつに丁寧に接することで上手に様々なことは
伝えられているようにも感じますけれど、その事を強く拒否して来た私には、
こうなる事、こうなる時は運命づけられていたのかもしれません。
やらなければいけないことやそうしたいこと、沢山あり過ぎましたし、
しなければいけないことに夢や希望。様々ありました。
私は、愛情を犠牲にして結果を求め、そして結果的に何も得ることができずに
病に倒れ、愛情について再び考えることになったのです。
私は私から逃げられない。そして女性であり幸せについてからも逃れられないのです。
その時に、私は選択して行かなければいけないと思います。
小さな積み重ねの中で、その事を踏みにじることによって得られる心地は
お金や仕事を得ても、無味乾燥かもしれないです。
私は多くを犠牲にして来ましたが、その事は決して幸せとは言わないと思います。
私は、今になってようやくそのことに気がついていますが、心苦しい気持ちがします。